第二六話 友人は今日も面倒だ!⑫
時刻は六時ちょっと前。
俺は一人、魔王城のバルコニーで街を眺めていた。
遠くの山の奥に見える夕日が、既に半分以上沈んでいる。
もう数分もすれば、完全に沈み夜になるだろう。
「ハァ……」
口から出た白い吐息が、空へと消えていく。
その様子を目で追っていると、後ろからコツコツと足音が聞こえた。
俺は振り返らずに、そのまま気さくに話し掛ける。
「よう、ハイデル。悪いな、こんな寒い時に外になんか呼び出してよ」
「魔王様がお呼びになるのなら、私は吹雪の中でも向かいますとも」
「うーん、重い」
相変わらずの忠犬っぷりに、俺はヘラヘラ笑ってそう返すと、視線を下に向ける。
暖炉を使っているのだろう、バルファストの建物一つ一つに、普段より暖かい色の灯りが漏れ出ていて、とても幻想的だ。
ハイデルも、そんな光景を俺の隣で眺めている。
「……綺麗ですね」
「そうだなぁ……って、普通コレ恋人とかのやり取りだろ。何で野郎二人がそんなやり取りしてるんだよ」
「確かに」
ハイデルは俺の指摘にクスクスと笑うと、再び街を見渡した。
それからしばらく黙っていた俺達だが、その沈黙を破ったのはハイデルだった。
「あの、魔王様、私を呼び出したご用件は?」
「んー、まあなんだ」
俺は一呼吸置いた後、口火を切った。
「お前、最近落ち込んでるみたいだからな。ちょっと心配でよ」
俺の直球ストレートな言葉に、ハイデルがハッとする。
「! あっ、いえ、別に落ち込んでは居ませんし、私の振る舞いのせいで魔王様にご迷惑を掛けたのなら申し訳……」
「まーまー取りあえず、俺の話を聞いてくれよ」
ブンブンと首を横に振るハイデルの言葉を遮ると、俺は街を眺めたままポツリポツリと話し始めた。
「ずっと言ってるけど、俺はお前の選択を尊重するし、俺だって同じ選択をしたさ。でも、その選択が正しかったのか、ぶっちゃけ俺にも分かんねえ」
「…………」
「街の奴らにこれ以上不安を与えないために嘘をついたのは本心だろ? だけど、それとは別に、古い友人であるアズベルに重罪を背負わせたくなかったって本心もあったはずだ」
「……ええ、そうですね」
観念したのか、ハイデルは素直に頷いた。
「確かにアズベルは私の友人です。ですが、彼は自らの野望のために民を騙し、この魔界を手に入れようとした。それに対して私個人の判断でお咎め無しというのは、民にも、そしてアズベル自身にも申し訳が立ちません。私の中にある二つの気持ちのどちらかが無ければ、もっと気が楽だったのに」
「だな。どっちが正しいかって葛藤して出した決断なんざ、結局スッキリしねえもんだ」
俺にも過去、そんな事があった。
数ヶ月前、レイナ達がアダマス教団のヨハン達と戦っていることを知ったとき、俺は助けに向かうか国に残るか葛藤した。
どっちが王様として正しいのかと。
結局俺はレイナ達を助けに向かいヨハン達を倒したが、その代わりに別働隊がバルファストに攻めて来て大ピンチになった。
それも俺が掛けておいた保険と、フォルガント王が助けに来てくれた事により何とかなったが、結局どっちが王様として正しかったのかと訊かれると分からなくなる。
あの時、こうすればよかった。
あの瞬間、この選択をするべきだった。
人生、そんな後悔や葛藤が数え切れないほどあるし、人間である以上避けられない。
それが個人の問題だったら良い。
だけど俺達、人の上に立つ者は無闇に選択をミスれない。
「確かにお前は、第三者から見たら間違った判断をしたと思われるかもしれねえ。でも、そんなに一人抱え込むことでもねえ、やっちまったもんは仕方がねえんだから。それに、皆に嘘ついたってんなら、俺もお前と同罪だしな」
「い、いえ! あの時の選択は私一人の問題です! 決して魔王様に罪などは……!」
大慌てで否定するハイデルに、俺はここで始めてハイデルの顔を見た。
ハイデルの目には、未だ不安の色が残っている。
「違ーよ。地獄の方ではお前の罪だろうけど、魔界では俺の罪なんだよ」
「それは、どういう事ですか……?」
戸惑うハイデルに、俺は目下に広がる街を見るように顎で促す。
「見ろよ、街の奴らを。買い物したり働いたり家事したりモンスター討伐したり、今まで通りの生活を送ってる。いきなりデカい犬型モンスターが街の中心に現れるかもしれなかったなんて、微塵も知らないでよ」
「それはつまり……」
「そうさ。俺はあの時、孤児達以外の国民に、アズベルが攻めてくるかもしれないって伝えてねえ。そんで今までずっと、バルファストが危険な状態だったとも伝えてねえ」
孤児達にも口止めをしてある。
この事は、俺達だけの秘密だと。
皆素直に守ってくれているようで、街の奴らは何も訊かれない。
精々『お前最近見掛けなかったな』と言われる程度だ。
「俺にもこの事を国民に伝える義務がある。でも、俺はあの日の出来事を揉み消した。だから言ったろ? 俺も同罪だってさ」
「魔王様……」
「勿論、お前と同じ理由。街の奴らを不安にさせたくなかったし、同時にアズベルを吊るせー、とかもやりたくなかった」
俺は柵に肘を乗せると、大きくため息を付いた。
夕日もスッカリ沈みきって、紺色になっている空に、吐いた息がもくもくと立ち上っていく。
「……前にさ、フォルガント王さんに、俺には王の器があるって言って貰ったけど、こんなんじゃダメだなぁ……あの人なら、どんな選択をしたんだろう?」
あの人なら、もっと上手く事を運べたのだろうか?
もっと別の選択肢を見つけ出せたのだろうか?
そんな事を考えても、分かりっこない。
おっと、ハイデルを元気づけるつもりが、スッカリ俺の愚痴になっちまったな。
「さってっと」
俺は柵から肘を離すと、ハイデルにサムズアップしながら言った。
「よし、ハイデル! たまにはサシで飲みに行くか!」
「ええ!?」
唐突な提案に、ハイデルが目を見開く。
そしてすぐに首を横に振った。
「ダメですよ、魔王様は今日目覚めたばかりなんですから! 飲酒は控えられた方が……」
「いーじゃねえか、ずっと寝てたせいか今夜は眠れそうにないんだ、だから付き合えよ。俺もお前の泣き上戸に付き合ってやるからさ。こういう陰鬱なときは、いっそのことパーッとやるのが一番よ」
「ですが、魔王様のお身体の方は……」
「今日、アズベルの屋敷に一人カチコミに行ったから大丈夫」
「私の知らない間に一体何が!?」
ケラケラ笑いながら俺が言うと、ギョッとしていたハイデルが、やがて仕方ないですねと言わんばかりに肩を竦めた。
ハイデルの目は、いつも通りの真っ直ぐな目になっていた。
「飲み代はどうしますか?」
「勿論上司として奢るさ。この前、レッドグリズリー倒して懐が温かいんだ」
「ありがとうございます」
「んで、どこに行きたい?」
「気を紛らわせる為なのですから、騒がしい冒険者ギルドの酒場がいいです」
「おっ、いいねぇ」
そんな何気ない会話をしながら、バルコニーを後にし、俺達は街へと繰り出した。




