第二三話 風邪は今日も倦怠だ!④
「死ぬわ、死ぬ死ぬ……」
孤児院のキッチンで、山のように積まれた皿を一枚一枚洗っていく俺は、多分目にハイライトが無いこのだろう。
傍から見れば、俺は絶対に関わっちゃいけない類いの人間に見えるはずだ。
そんな野郎に、話し掛ける猛者が一人。
「いや、まだ昼飯作っただけじゃん……」
バイトが終わり、午後から帰ってきたカインが呆れたように呟く。
「いやだって……飯作ってる途中、俺の足に絡みついてくる奴もいるし、喧嘩始めて泣いちゃう奴もいるし……」
たまにここの手伝いをするときは、リーンと二手に分かれて家事をしていた。
だが、実際に一人でやるのは始めてで、ここまで大変だったのかと思い知らされた。
大量に作らなくてはならないご飯も、子供達の面倒を見ながら作らなくちゃいけないし。
最初はまあこんなもんだろと前向きに思っていたが、午後にしてもう既に心が折れ掛かっている。
「ふと後ろを見たらいつの間にか包丁を持ったゴップが暴れ回ってたんだぜ……? それを止めたら、今度はルドが煮え立ってる鍋に手を突っ込もうとしてて……ハ、ハハハ……」
「だいぶキてるみたいだな……」
本当に肝が冷えた。いや冷えたってレベルじゃない、肝を南極の海水の中に浸されたような感覚だった。
しかも注意したら、『まおー様が怒ったー!』と泣き出してしまうからたまったもんじゃない。
「まさかコレをリーンが一人でこなしていたなんて……なあ、リーンも俺みたいになったりする?」
「まあ、最初の頃はな。よく頭抱えてため息ついてた。だけど今じゃ何の弱音も吐かなくなったな。ついでに言っとくと、ねーちゃんならもうとっくに皿洗い終わってる時間だぜ」
「俺の唯一の取り柄も負けるのか……」
俺は肩を落としながら、洗い終わった皿を重ねる。
リーン、こんな忙しい時間の合間を縫って、俺の修行に付き合ってくれたのか。
本当にリーンママは偉大な御方だ、後で腕によりを掛けた麦粥を作ってあげよう。
「手伝ってやろうか?」
「お願いします」
劣等感に押し潰されている俺を哀れに思ったのか、カインは俺の隣に立つと皿を一枚ヒョイと摘まんだ。
「だけど、まさかあのねーちゃんが風邪引くとはなぁ。いつも手洗いうがいしろってうるさいのに」
「…………そーだな」
すいません、リーンが風邪引いた原因俺なんですよ。
俺は視線をそっと逸らしながら、話題を変える。
「そういや、今度またジータが来るってよ」
「ゲッ」
「何だよ『ゲッ』って、美少女が自分とイチャイチャしてくれるんだぞ? もっと喜べよ」
「よ、喜べるか! あの女、いっつも俺に抱きついてきて鬱陶しいんだよ! それに周りの奴らの目もある中でだ! これじゃあ俺の威厳が薄れる!」
器用にも顔を青くさせ耳を赤くさせているカインは、俺を睨むとわあわあと文句を垂れる。
贅沢者め、赤髪貧乳ボク魔女っ子に好かれるなんて羨ましいったらありゃしない。
「うるせえ。俺がラブコメ出来ない分、お前らがイチャイチャするんだよ。俺はそれを遠くから眺めて一人勝手にキュンキュンしてるから」
「悲しいなオイ! ってか、お前ら?」
「ああ、最近レオンと勇者一行の聖職者のフィアって奴が良い感じなんだよ」
「ウッソだろ!? あのクソ雑魚ヴァンパイアが!?」
「レオンに聞かれたら怒られるぞ……」
昔散々ボッコボコにしていたレオンの今の状況に、カインは目を見開き皿を落としそうになる。
まあガキにボッコボコにされる四天王なんて、普通好きになる奴なんていないだろう。
その光景を見ているのなら。
「……にーちゃん、良い感じの女いな――」
「ハイー、これ以上訊くなー、さっきの会話で察しろー」
唐突に振られかけた話を、俺は棒読みで制す。
まったく、さっき俺はラブコメ出来ないって言ったばかりでしょうが。
「ケッ、いいなイケメンはよ。レオンもハイデルも普通にしてればイケメンだし、お前だって現時点でもなかなかのルックスだし。ハア、俺も高い顔面偏差値で生まれたかった……」
「相変わらず目の前に居るのが魔王なのか疑いたくなるぜ」
「るっせえ」
そんな会話をしている間に、皿洗いが終わった。
手の水気をタオルで拭き取り、ポケットの中に入れていたメモ帳を取り出す。
「ええっと、次は晩飯の食材の買い出しか。じゃあカイン、アイツらとリーンの面倒頼めるか?」
「おう」
俺は財布とバッグを引っ掴み、近くの椅子に掛けてあったコートを着ると外へと出て行った。
――街路樹の葉はもう数枚しか残っておらず、何だか寒そうに見える。
という俺も、寒さで身体を震わしていた。
俺の地元は雪国だったから、寒さには慣れていると自負していたが、この世界の冬はかなり寒い。
もし俺が普段のパーカー姿で外に出てたら死んでいただろう。
パーカーの上に着ている栗色のコートはこの世界で買った物だが、なかなかに温い。
何でもモンスターの毛皮を使っているらしい。
そんなコートを着ていても、肌を刺すような寒さは容赦なく俺を襲う。
買い出しも終わり、紙袋両手に早く帰ろうと足早に孤児院に向かっていた。
「ん?」
その道中、見慣れた奴が正面から歩いてきた。
「………………」
ハイデルだ。ハイデルが何故か神妙な顔をし、俯きながら歩いてきたのだ。
俺はそんな様子のハイデルに内心首を傾げながらも、気さくに挨拶をする。
「よおハイデル、奇遇だな」
が、無視された。
……え? 無視された?
「………………」
俺は思わず振り返るも、ハイデルはそのままスタスタと歩いて行く。
まさかあの大型の忠犬みたいに思っていたハイデルに無視されるなんてと、かなりショックを受けていたが、ふと耳にハイデルの独り言が聞こえた。
「いや違う……それでは全く無意味だ……もっとこう……」
内容的に、どうやらハイデルは何か考え事をしているようだ。
取りあえず無視されていないと言う事にホッとし、同時にここまで一体何を考え込んでいるのだろうと疑問に思った。
でもそんなに考え事に没頭してたら、周りが見えなくなるんじゃ……。
「ブッ」
「ええ……」
案の定、ハイデルはそのまま街頭に顔面をぶつけた。
いや、本当に何やってんのアイツ……?
あ~あ、鼻押えちゃって……近所の奥さん達に笑われてるじゃないか。
見てられなくなり、俺はため息交じりにもう一度話し掛けた。
「な~にやってんだよ、お前」
「いたた……お、お恥ずかしい姿を……ッ!? まままま魔王様ぁ!? いつからそこに!?」
「さっきそこで。あとお前に話し掛けたけど気付かなかったみてえだな」
「そ、それは申し訳ございません!」
「オイ、道のど真ん中で膝付くなよ……」
相変わらず大袈裟というか、抜けてるというか。
街行く人達の目線が凄く気になる。
と、ここに通りすがりの冒険者が。
「何だ何だ? リョータ、ハイデルにプロポーズされてんのか?」
「その思考に至るお前の頭どうなってんだよ」
ケラケラ笑いながら通り過ぎる冒険者に、俺は嫌味ったらしく舌打ちすると、紙袋を置きハイデルを引っ張り上げる。
「ホラ、ここじゃご近所さんに迷惑が掛かるだろ? 何があったか道すがら訊かせてくれ。あっ、ど~もご迷惑お掛けしました~すいません~」
俺はその編の人達にペコペコと会釈すると、紙袋を拾いハイデルを連れて歩き出す。
「んで、どーしたんだよ?」
「はあ……実は……」
そして改めて訊ねると、ハイデルはポリポリと頬を掻きながら。
「最近、魔王様や我々四天王は修行の為心身共に疲れています。そしてリーン様も、熱を出してしまいました」
「まあ、確かにな」
「そこで、私は考えていたのです。何か我々の気晴らしになるような事はないかと」
「ほ~ん」
その話しに、俺は素直に感心した。
ハイデルはかなりの脳筋ではあるが、普通に人を想う良い奴だ。
しかし、気晴らしねぇ。
「気晴らしならピクニックって言いたいところだけど、この季節じゃなぁ……」
冬に出来る気晴らしというか、ストレス発散の方法は……。
「……俺が地元に居た頃は、よく温泉旅行に行ってたな」
「温泉旅行?」
「ああ。俺の故郷の国は温泉が沢山あってな。よく家族と色んな温泉に行ったもんだ」
「色んな……どこも同じでは?」
「温泉はそれぞれ泉質に違いがあって、美容やお肌にいい温泉や肩凝り腰痛、冷え性とかにも効く温泉もあるんだよ」
懐かしいな、温泉。
コンコンと沸き上がる源泉、石で作られた露天風呂から見える、海や山の絶景。
そして外で全裸になるというあの解放感!
温まった身体に冷たい風が気持ちいいんだこりゃ。
「ま、ここら辺にはそんな温泉ねえけどな。それに魔王城の風呂はデカいから、これ以上贅沢言わねえよ」
「…………」
「とにかく、そんな無理して気晴らしする必要はねえよ。でもあんがとなハイデル。じゃ、俺はここで」
「あ、はい! リーン様にくれぐれもお大事にとお伝え下さい!」
「おーう」
俺はハイデルに返事をすると、そのまま孤児院に戻っていった。




