第二三話 風邪は今日も倦怠だ!③
――私は、一人暗闇の中を歩いていた。
何も見えない、何も聞こえない。
ただコツコツと、ブーツが鳴らす音が異様に響いている。
でも……私、何でこんな所を歩いているんだろう。
ふと今になって、この状況に違和感を感じた。
だけど何だか頭がフワフワしていて、上手く回らない。
それなのに足は私の意識と関係なく、前へ前へ進んでいく。
…………。
「アレ?」
いつの間にか、視界が晴れていた。
そこに広がっていたのは、いつも見ている、慣れ親しんだ暗い石造りの廊下。
「ここは……魔王城?」
訳が分からず必死に頭を巡らせようとするが、やっぱりモヤモヤしていて上手く考えがまとまらない。
……取りあえず、リョータに会いに行こう。
アイツならきっと部屋でゴロゴロしてるはず。
今度は自分の意志で足を動かし、リョータの部屋に向かう。
幸いにも、ここからリョータの部屋は近かった。
私はドアの前で止まることなく、ノック無しにドアを開ける。
「ねえリョータ…………」
そして固まってしまった。
ドアの奥に広がっていた、埃まみれのガランとした部屋を見て。
ベッドも、椅子も、本棚も、『うわっ!? だからノック無しに入ってくるなっていつも言ってるでしょーが!』と怒鳴ってくるリョータも居ない。
アイツは私と違ってちゃんと部屋を綺麗にするタイプだ。
だからここまで掃除をしない事は無いし、そもそも数日で溜まる埃の量じゃない。
「どういう……」
「こ、これはリーン様!」
後ずさり独り言を漏らす私は、いきなり横から話し掛けられた聞き慣れないその声に、ハッと降り返る。
「えっ」
そこに居たのは、顔も名前も知らない男の人だった。
私は驚いて声を上げてしまうが、それは知らない人にいきなり声を掛けられたからじゃない。
その原因はこの人が着込んでいる、明らかに使い回された粗末な鎧。
でもこの鎧、見たことがある。
確か昔、魔王軍の兵士に与えられた鎧で……。
驚き固まってしまった私に、その男の人は敬礼しながら続ける。
「いかがなされましたか? その部屋は空き部屋で、何も無いと思いますが」
「空き部屋……? でもここはリョータの……」
「りょーた? 誰ですか?」
「ッ!?」
この国の人間に、リョータの名前を知らない人は居ない。
アイツは変な意味で印象深い奴だから。
でも、この人はまったくリョータを知らない様子だ。
「…………」
まだあまり意識がハッキリしないけど、その事を確かめなければいけないことが分かった。
「あっ、リーン様!?」
私はその人に何も告げずに、あの場所へ走り出した。
本当は行きたくない、側を通り過ぎるだけでも嫌気が差したあの場所に。
階段を登ってその場所の前に行くと、そこには門番らしき男が二人立っていて、私を見て目を見開いていた。
「リ、リーン様!? どうしてこちらに……」
「ここを通して!」
「な、なりません! いくら『娘』の貴方様とは言え、許可無くお会いになるのは!」
私は門番の静止を無視して、その場所に。
魔王の間に足を踏み入れた。
「あ……」
目の前に広がる、石造りの大部屋。
足下に続く絨毯を辿っていった先に設置された玉座。
そこに、男が座っていた。
「……あぁ…………」
くすんだ灰色の長髪、褐色とは言わない程の茶色い肌。
漆黒のマントを羽織り、ここからでも威圧感を感じるほどの大柄。
そして、じっと私を睨んでいる、私と同じ紅い目。
「父……さん……」
見間違うはずがない。
かつて、世界征服の為に罪の無い国民を戦わせた最悪の魔王。
散々私を魔の森に連れ回しレベル上げをさせ、使えないと散々殴ってきた父親。
……そして私の母さんを殺した、人としても、父親としても最低最悪の男。
「な、んで……」
何で生きているの?
その短い言葉さえ、私は言えなかった。
父さんはレイナに倒された、実際に死体を見た。
これでもう皆を傷付けずに済むと、生まれて初めて心から喜べた。
なのに……なのに何で……。
「リーン」
「ッ!?」
父さんが口を開いた。
ずっと聞きたくないと思っていたその声に、私は震えが止まらなくなった。
私は後退ると、そのまま背中を向けて逃げ出そうと……。
「!?」
扉があったはずの私の背後には、先程のような真っ暗な世界が広がっていた。
手を伸ばすと、見えない壁のような何かが塞がっていた。
「逃げられると思っていたのか?」
後ろから、足音か近付いてくる。
私は恐怖で振り返ることも出来なかった。
そんな私に、父さんは淡々と続ける。
「お前は俺の所有物だ、自由など許さない。俺の為に強くなり、俺の為に人間を殺し、俺の為に死ぬんだ。それが娘というものだろう」
「イヤ……!」
「孤児の為に孤児院を開こうと、勇者と親交を深めようと、意味の無いことだ。どう足掻いても過去から、俺から逃げる事は出来ない」
「止めて……!」
「娘の分際で、俺を否定するな。お前は母親の……ルナの二の舞になりたいか?」
「お願いだから……!」
耳を塞ぎ、子供のように蹲っても、父さんの声は聞こえてくる。
やがて父さんの足音は、私の真後ろで止まる。
怖い……イヤだ……!
助けて……助けてよ……!
お母さん……!
「出来の悪いお前に、もう一度この事実を教えてやる』
その声は、私の耳元で囁くように言った。
『――今でもお前には、俺の血が流れている』
「――イヤッ!」
私が叫んだのと同時に、視界が明るくなっていた。
「ハァ……ハァ……!」
身体を起こすと、呼吸を見出しながら辺りを見渡す。
変わり映えの無い、私の部屋だった。
ふと目に入った時計は、十一時を指している。
えっ……父さんは……死んでないんじゃ……。
私は混乱する頭の中、苦しくなった胸を撫でる。
その服の感触に違和感を感じ見てみると、パジャマだった。
そっか……私、風邪引いちゃって……。
少しずつ、今の状況を理解していく。
そして同時に、倦怠感も戻ってきた。
「夢か……」
その事実に気付いた瞬間、私は力が抜けてしまい再びベッドに倒れ込んだ。
本当に酷い夢を見た。
熱を出した日は悪夢を見ると言われてるけど、本当に悪夢だった。
思い出すだけでも身震いがする。
今でも父さんの顔が私の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
その顔を消すために、早くあの子達に会いたいけど、身体がダルいくて動かない。
おまけに汗で身体がビチョビチョだ。
それでも何とか上半身を起こしたその時、コンコンとドアがノックされた。
多分あの子達の誰かが、様子を見に来たんだろう。
嬉しくなってつい呼ぼうとしたけど、今私は風邪を引いている事に気が付く。
「私なら大丈夫よ、風邪移っちゃうから入らないでね」
そんな私の言葉を無視したのか、ゆっくりとドアが開いた。
「もう、入らないでって言って…………えっ」
ドアを開けて入ってきたのは、子供達の誰でも無い。
とても意外な奴だった。
「リョータ?」
「よう」
私に名前を呼ばれたリョータは軽く方手を上げ、『ったく、相変わらず汚えなもう……』部屋を見渡しながらと文句を言い、ドアを閉める。
もう片方の手にはくし切りにしたリンゴが乗っていて、脇には水の張った桶を抱えている
「どうしてここに……」
「どうしてってそりゃあ看病だよ」
リョータは肩を竦めると床に散らかっていた本をどかしその場にあぐらを掻き、桶の中に入っていたタオルを絞りながら続けた。
「だってお前が熱出したの絶対昨日のせいだろ? あんな場所で戦っちまった俺にも責任があるしな。ホラ」
「う、うん……」
私はリョータが手渡したタオルを受け取ると、それを首筋に当てる。
ひんやりしていて気持ちが良い。
「いやぁ、それにしてもまさかお前が熱出すとはな。一番ずぶ濡れだった俺は何ともないのに」
「バカは風邪引かないって言うし」
「るっせえ。う~ん、見た感じ重症ではないかな。だけど汗が……うん、出るよなそりゃ……」
そこまで言い掛けて、リョータは私から視線を逸らした。
何故か頬がほんのり紅くなっていて、頭をボリボリ掻いている。
「……何よ?」
その様子を怪訝に思い、私はリョータに訊ねる。
リョータはしばらくあー、うー、と唸っていたが、やがてため息と共に私をジト目で見た。
「……そのな? 確かに俺もしょっちゅうやってるし、その行為は罪でも何でも無い。人間なら当たり前の事だし、何ならチンパンジーもしてる。だからお前はまったく何も悪くない。いや寧ろ今は俺が悪い」
「何の話よ?」
まったく意味が分からない、コイツ何はなんの話をしているんだろう?
そもそも、ちんぱんじーって何だろう?
そんな疑問を覚えつつもう一度訊くと、顔を赤くしたリョータは覚悟が決まったような顔をして。
「単刀直入に言おう。風邪を引いている時に、いかがわしい事をするのは止めた方がいい」
「何言ってんのよアンタ!?」
いや、ほ、本当に何言ってんのよこの男は!?
思わず声を上げてしまった私に、リョータは立ち上がって喚く。
「だってさぁ! さっきノックしようとしたら、部屋から『んっ……』とか『ヤッ……』とか妙に艶やかな声が聞こえてきたんだよ! しまいには汗ビッショリだし呼吸も未だに乱いし!」
「ふ、ふっざけんじゃないわよ! なななな、何で私がこんな時に、そそそそそんなことしなきゃいけないのよこのド変態!」
「うう、うるせえ! 変態なのは認めるけど、お前あの気まずさを体験してみろよ! さっきそこでルニーに『ねえ、ママは何してるの?』って純粋な顔で言われてどう返答すれば良いか分からなかったよ!」
ルニーとはこの孤児院の九歳の女の子で、よくここに遊びに来たリムと遊んでいる子だ。
「血迷ってもルニーに『ママはね、ナニをしているんだよ』なんて言えたもんじゃないわ!」
「もし言ったとしたら、死体も残んないぐらいぶん殴ってやるわよ! ていうか今ぶっ殺してやる!」
「ひ、酷いぞ! お前普段俺の部屋ノック無しで入ってくるクセに! 少し間を置いてから改めてノックした俺の気にもなれや!」
私は怒り任せにベッドを降りると、拳を握り絞めてリョータへと近づく。
もう許さない、いい加減コイツのスケベ脳に渇を入れてやらないと……。
「あうぅ……!」
「おとととぉ!? もう、無理すんなってば!」
身体のバランスが崩れ、そのまま倒れそうになる私をリョータが抱き支える。
「誰のせいだと……! あと、さっきうなされてたのは悪い夢をみてたからなの……!」
「えっ、あ、そうだったの?」
本当にこのスケベは……。
私の恨みを込めた睨みにリョータは冷や汗をダラダラ流しながらも、私をベッドまで支えてくれる。
「変な所触ったら今度こそぶっ殺すわよ……?」
「いや、流石に風邪引いた女の子にイタズラする程デリカシー……ない……」
先程の自分を思い出したのか、徐々に声が小さくなっていく。
結局私は最後までリョータに介護されてベッドに寝た。
「……先程は大変申し訳ございませんでした。お詫びにというか、今日そのつもりで来たんだけど、今日一日リーンに変わって俺が皆の世話をします、ハイ」
そして既にお馴染みとなっている、額に頭を付けて謝る姿を見て、私は大きくため息を付いた。
まったくもう……でもそれは素直に嬉しい。
こんな状態じゃ、ご飯も作れそうにないし。
「ええっと、一応洗濯と掃除と花壇の水やりと買い出しはやったけど……」
仕事早いわね……。
「分かった、ありがと」
「そ、それじゃあ俺は昼飯作るから。あっ、タオルは身体拭く用と頭に乗せる用の二つあるから自分でしてくれ。あと、そのリンゴは食べれたら食べてくれよな。じゃあ、また来るから」
リョータは早口でそう言うと、アハハと引きつった笑いをしながらそっと部屋から出て行った。
「まったくもう……」
私は一人呟くと、横のランプデスクに置かれたリンゴを見つめる。
そのリンゴは器用にもウサギの形をしていて、何だか食べるのが惜しかった。
だけど早速一個、フォークで刺すとを頬張る。
少ししょっぱいのは、リョータがわざわざ塩水で色止めしたからだろう。
私はリンゴを咀嚼しながら、窓の外を見る。
……今になって、あの夢を思い出す。
あの時の父さんの顔、声、言葉。
今でも怖い。思い出すだけで震えてしまう。
でも、さっきは全然怖くなくて……。
……そっか、アイツが居たからさっきは怖くなかったんだ。
多分うるさくてデリカシーの無いアイツだから、恐怖感が薄れたんだろう。
あんな奴でも、側に居てくれるだけで安心出来るんだ。
「フフッ」
今になって何だか笑えてきてしまい、私は小さく笑うともう一個リンゴを口に入れた。




