第二三話 風邪は今日も倦怠だ!①
あの日から、俺は一日のスケジュールを無理のないよう直した。
まず朝の修行は続けるが、朝食前のほんの軽い筋トレとランニングだけ。
仕事も余裕を持って始めるようにしたし、毎日クエストに行くことはなくなった。
勿論、ちゃんと昼間も寝る前も修行するが、十分なプライベートの時間も確保した。
リムと一緒に買い物という名のデート(と思っているのは自分だけ)に行ったり、レオンとまた格好いい武器を物色したり、ただゴロゴロしたり。
半年前の俺は修行なんてしたら好きなことが出来なくなっちまうと思っていたが、ちゃんと時間管理すれば意外と時間は作れるもんだ。
大変なのは変わりないが、それでもだいぶ楽になった。
これならもう少しは続けられる。
そうして、真面目に修行を始めて一ヶ月。
もう冬本番に近付き、昼間でも息が白くなった頃。
俺はギルドでクエストを請け、魔の森の中を歩いていた。
普段俺はクエストに行くとき、一時的に仲の良いパーティーに入れて貰うのだが、今回は俺を含め二人だけだ。
俺は手に息を吐きながら、少し後ろを歩くソイツに話し掛けた。
「はぁ~、寒い……そういや、こうしてお前とクエスト行くなんて初めてだよな、リーン」
「そうね」
リーンはタイツに薄茶色のダッフルコート姿という、冬の女子高生みたいな格好をしているが、腰に差している剣があるせいで違和感がある。
「あー、何だか怖いなぁ……」
「何ビビってんのよ、たかがレッドグリズリーじゃないの」
「いや、元々一般人の俺が熊と戦うとか相当だぞ!?」
今回の討伐対象はレッドグリズリー。
その名の通り、血のように赤い体毛をした大熊だ。
その性格は他の熊系モンスターの中でも特に獰猛で、肉だったら何でも食い尽くす。
一説には、レッドグリズリーの体毛が赤いのは今まで仕留めた獲物の返り血だとも言われている。
ギルドでも高難易度のモンスターで、誰も自ら請けようなどとは思わない。
それぐらい、凶暴で恐ろしい相手なのだ。
そんな相手を……。
「なあ、本当に危なくなったら助けてくれるんだよな? な!?」
「ハイハイ、ちゃんとピンチになったら助けてあげるから心配しなくてもいいわよ」
今回そのレッドグリズリーを、出来る限り俺一人で討伐する。
これはある意味実力テスト。
今までの修行の成果を、本番にて試すのだ。
勿論、ピンチの時は師匠であるリーンが助けてくれるという。
しかしリーンさんよ、クエスト難易度高すぎませんかね!?
と、俺が心の中で文句を言っていると。
「ねえリョータ」
「うん?」
「アンタさ、あの時よりちょっと元気になったわね」
そんなリーンの言葉に俺は振り返らず、苦笑いを浮かべながら返す。
「あー、まあな。ここ最近自分でも気味悪いぐらいに頑張ってたけど、無理すんなって皆に言われてよ」
「アンタ、ずっと走ってたり木刀振ってたりしてたもんね」
「えっ、見てたの?」
「魔王城の様子見の時にチラッとね。集中してたみたいだし、今まで声掛けてなかったのよ」
そうだったのか。
「まあ、言わせて貰うと無駄な動きが多かった気がするけど」
「……ハイ、精進します」
リーンの言ってるのは、多分俺が仮想の敵を浮かべつつシャドーしてたとき、無意味にバク転とかしてたことか。
折角バク転出来るようになったんだから、そんな格好いい回避もしてみたかったんだよ!
相変わらず俺の師匠は合理的な御方だ。
「その、お前にも色々気を遣わせちまったな。悪い」
そういえばそうだ。
リーンは多分、一番最初に俺の心情を察した。
それでも、リーンは今まで俺に何も声を掛けなかった。
それはリーンが四天王より厳しいとか、冷たいとかじゃない。
放っておくことが、リーンなりの優しさだったのだろう。
俺は歩きながら今までの事をリーンに詫びる。
きっと『あっそ』とかそんな素っ気ない返事が返ってくるだろう。
「……別に、心配なんてしてないわよ…………」
ホラ、やっぱり素っ気な……。
「え?」
「……え?」
そんな、まるでツンデレの教科書に載ってそうな言葉と声音が聞こえ、思わず振り返る。
するとリーンも、口を押え自分は何を言っているんだとばかりに目を丸くしていた。
「…………」
「…………」
お互いに黙り込み、ザワザワと森がざわめく音がより大きく聞こえてくる。
不意に目が合う。
するとリーンの顔が、徐々に赤くなっていった。
「え? えっ? ええ!?」
な、何今のツンデレムーブ!?
俺が思わず身体を引くと、リーンがツカツカとこちらに近寄りながら。
「な、何よ! 心配してないって言ったでしょ!」
「いや、いやいやいや! 本当に心配してないならあんな風に言わねえよ!? えっ、嘘だろ!? あのリーンが!? 他の奴にはちゃんとツンデレなのに、俺に対しては殆どデレどころかツンさえも見せなかったあのリーンが!?」
「アンタ私の事何だと思ってんのよ!?」
モンスター討伐クエストの最中だというのに、森の中でギャアギャア言い合う俺達。
でもしょうがないじゃん、あんなこと言われちゃったら!
ええ、何このドキドキ!?
「でもそっかぁ……そっかあ……! リーンもやっぱ俺を心配しててくれたんだな!」
「………………」
「ちょっ、悪かった悪かった! だから無言で指鳴らしながら来ないで!」
ヤバイ、リーンの目が怖い。
まるで人間ではない何かを見ているような、そんな目。
ある層の方々には大変興奮するであろう目だが、ノーマルな変態である俺には恐怖でしかない。
「ハアアァ……もう、コイツと居るといつも調子狂うわ……」
リーンは大きくため息をつくとこめかみを押え、俺の横を通り過ぎる。
その間際、少し拗ねたように俺の耳元で。
「……バカ」
「ふぁぇあッ!?」
「わっ!? な、何よ急に大声出して!」
思わず変な声を上げてしまい、側の木の枝に止まっていた鳥が慌てて飛び立つ。
身体をビクつかせたリーンに、俺は頭を抱えながら叫ぶ。
「だ、だって、あのリーンがあんな可愛らしいバカって言い方するなんて思わなかったんだよ! 何今の!?」
「なぁ!? もうっ、さっきっから全然進まないじゃないの!」
と、言い争い第二回戦が始まろうとしたその時。
『グオアアアアァアアァアアーッ!』
「「ッ!?」」
横の茂みから大気を震わす大音声が聞こえたかと思うと、その側の木がメキメキと音を立てながら倒れてきた。
そしてその奥から、猛スピードで赤い固まりが飛び出してきた。
「ッ!」
「おとぉッ!?」
俺が奥に、リーンが手前に飛んで回避する。
すると一秒前まで俺達が居た場所に、盛大に土煙が上がっていた。
俺はすぐさま腰の刀を抜き構える。
すると土煙から、ソイツが現れた。
何時ぞや動物園で見たヒグマなんて比にならない巨体。
身体中は血を被ったかのように赤黒く、ヨダレを垂らす口には鋭い牙が覗いている。
足なんてまるで丸太のようだ。
「ホラ、私達がグダグダしてるから、そっちから来てくれたみたいよ……!」
「だな……!」
コイツがレッドグリズリーか。
成程、実物を見るとメッチャ怖いな。
特に顔なんて、ホラーゲームのお化けなんかよりも狂気じみてる。
爛々と輝く目はギョロギョロしていて、何だか口元が笑っているように見える。
こんなのと今からタイマンでやろうってのか。
『グルルルル……!』
レッドグリズリーはトラックのエンジン音より腹に響く唸り声を出しながら、俺に……。
ではなく、リーンに近寄っていく。
どうやら最初、リーンをターゲットにしたようだ。
確かに見た目だけなら可憐な乙女だもんな、見た目だけなら。
「…………」
リーンは剣を構えず、ただジッとレッドグリズリーを睨んでいる。
よし、このままコイツとリーンと戦えば、俺は安全だし勝利は確定だ!
……と、昔の俺なら考えてただろうな。
完全に相手にされていない俺は、レッドグリズリーの尻に向けて掌を向けた。
そして、大きく深呼吸しイメージする。
スパーク・ボルトと同じだ、体内の魔力を掌に集め電気に変換する。
その電気を更に一カ所に、掌の中心に集まるイメージ……!
「『エレクト・ショット』ッ!」
『グルオオッ!』
リムに教えて貰った、電気の弾丸を撃ち出す電撃系の中級魔法。
流石にリムのようには大きく、強力なのは出せなかったが、コイツの気を俺に逸らすには十分だ。
レッドグリズリーは黒い煙を上げる尻をリーンに向け、正面を俺に向ける。
ヒイッ、完全に怒ってらっしゃる!
と、思わず後退ってしまう俺の視界の隅に、リーンが映った。
リーンは剣を構えず、背後からレッドグリズリーを斬ろうともしていない。
完全に、俺一人に任せるようだ。
しかしリーンは、俺と目が合うと少しだけ笑った。
『やっちまいなさい!』と、リーンの目が言っていた。
「へヘッ……」
『グルルルルッ!』
こんな状況なのに笑ってしまった俺に、レッドグリズリーが唸る。
何だろうな、さっきまでの恐怖感がねえや。
ピンチになったらリーンが助けてくれるからじゃない。
リーンが見ててくれるから。
俺は久々に魔神眼を発動すると、その目でレッドグリズリーを睨む。
だが余裕の表情を浮かべ、鼻を鳴らしながら言い放った。
「ヘッ、テメーの相手はこの魔王様だ熊公。かかってこいや」




