第三話 魔王の娘は今日も憂鬱だ!⑥
先代魔王サタンは強欲で傲慢で、リーンの事や国民の事なんてどうでもよく、常に自分と世界征服のことしか考えていなかった。
それは昨日、ハイデルから聞いた話と同じだった。
でも、ここからは初耳の話。
サタンは戦争の資金を国民からむしり取り、そして戦争で勇者一行が善戦しているという知らせが入る度に、八つ当たりで使用人達を痛めつけた。
その八つ当たりを受けた中心にはリーンとリーンの母親もいた。
リーンの母親は、サタンがまだ先々代魔王の重臣であった頃、サタンの元に嫁いできた小さな武器屋の一人娘だったそうだ。
なんでもサタンは彼女を一目見て気に入り、彼女の両親を脅迫し嫁がせたという。
そして嫁いでからも、リーンを産んでからも、彼女に虐待を加え続けた。
それでも逃げ出さなかったのは、そんなサタンからリーンを守るため。
魔族である以上国から逃げても宛てが無い、だからリーンの代わりに自分が虐待に堪えるしか無かったからだという。
母は強しと言うけれど、流石に人である以上限界が訪れる。
リーンがまだ5歳の頃、リーンの母親は徐々に衰弱していき、遂に死んでしまった。
その頃にはサタンは、もう他の女に手を出していたという。
そんな国民の自由と自分の母親を奪った父親を、リーンは許せなかった。
当時リーンは、毎日モンスターの巣窟である森の中に入れられ、ずっとレベル上げを強いられてきたという。
なんでも、サタンは自分の娘を兵器に仕立て上げたかったらしい。
そんな事など分かりきっていたが、リーンは逃げ出さず、文句も言わず、ただ我武者羅に戦ってきた。
レベルを上がって、技術を磨いて、力を付けて。
いつか自分の父親を殺せるように。
「――で、半年前に戦争が始まって、私がいつ父さん殺そうかって機会を覗ってる間に、勇者一行に呆気なく討たれたわ。普段から、私に弱い弱いって蔑んで殴ってたクセに」
月を眺めながら話を終えたリーンの瞳は少し悲しく感じた。
……けっこう重い話だった。
聞いているこっちが胸くそ悪くなるような、暗くて、淀んでしまったリーンの人生。
でも、俺なんかにはコイツの辛さの、片鱗すら理解出来ないんだろうな。
憎んでいた父親が死んだ今でも、コイツが受けた心の傷というものは測れしれないぐらいに大きく、深くいんだ。
「私が先に父さんを殺したかった……なんて、そんな事微塵も思わなかった。ただ、父さんが死んだってことだけで、本当に嬉しかった。でも、私には父さんの血が流れてる。国のみんなから家族を、自由を奪ったあいつの血が。みんなは、私は悪くないって言ってくれるけど……私は私が嫌いなのよ」
手すりを握り締めるリーンの手が、微かに震えている。
まるで自分を生かしている血液を拒んでいるように、気持ち悪そうに。
「こんな私に出来る罪滅ぼしは、戦争で家族を失った子供達の世話をすることしか出来ない。でもいつか、もっと何でも出来るようになって、この国を作り替えたい。世界征服なんてバカな妄言を言い散らして、国民を殺す魔王を消し去りたい。もっと、皆が笑ってられるような、そんな国にしたい……そう思ってた、矢先に」
「俺が来たって訳か……」
魔王の素質を持ったという俺が現れたときには、リーンは酷く絶望したんだと思う。
そりゃそうだ、人間との戦争が終わったと思ったら、また新しい、魔王という新たな戦争の火種が来たんだから。
「あんたも知ってると思うけど、この国の歴代の魔王達はデーモンアイに認められて魔王になってるの。……そして、どの代の魔王も世界征服をしようとして、勇者に討たれたわ。そしてこの国にはもう、世界征服なんてバカげた妄言に付いていこうとする人はいない」
ああ、リーンが俺に言いたいことが分かった。
そして、リーンは俺に向かい合うと、キッと俺を睨みつけて。
「あんたが世界征服始めるつもりなら止めなさい。あの勇者には手も足も出ないわ。……その前に、私があんたを殺…………え?」
殺すと言い終わる前に、リーンは俺の顔を見て呆気にとられていた。
大粒の涙を、ボロボロと溢す俺を見て。
「……何よ、同情のつもり? アンタなんかに何が分かるのよ……」
しばらく固まっていたリーンは、恨めしそうに俺を睨みつける。
ああ……何だこりゃ……。
「分かんねえよ、そんなん……余所者の俺に、お前らがどれだけ辛かったかなんて分かるはずねえのに……」
涙が止まらない、声が震える。
他人事という訳じゃないのに、悲しい気持ちで胸が一杯になる。
俺は袖で涙を拭うと、リーンを真っ直ぐ見据える。
「そうだな……まず、今のお前の話を一切汲まずに言わせてもらうけど……」
「…………」
リーンの話を聞いても、どうしても、どうしても言っておきたかった事がある。
俺は大きく息を吸い込むと、その溜めていた想いを全部ぶつけるように。
「……黙って聞いてりゃこの野郎、俺の事をろくに知らねえ癖に勝手に悪者認定して言いたい放題言いやがってッ!」
「な、何よ急に! ご近所迷惑でしょ!?」
「うるせえ! 城でご近所迷惑もあったもんじゃねえ!」
俺は未だ涙が零れる目で思いっきりリーンを睨みつけると、早口でまくし立てる。
「前々から言おうとしてたけど、俺は魔王になりたくてここに居るわけじゃねえんだよ! 大体、四天王がカラスに国宝盗まれるドジバカ悪魔に、年齢の話をすると怒り狂うファッションビッチサキュバスクイーンに、中二病で言い様がないほどの雑魚のヴァンパイアに、その中で唯一の常識人が十歳の女の子! そしてそいつらに負けず劣らない国の連中! そんな面子で世界征服!? 出来る分けねえだろどう考えたって! 俺はそこまでバカじゃない!」
「うっ……」
リーンは黙っていたが、少し俺から視線を逸らした。
「そん中でも、一番気に食わねえのはお前だよリーン!」
「な、何でよ!」
そう言うリーンの肩をガッと掴むと、俺は今まで言いたかった事をぶちまけた。
「ただ魔王の素質があるとか、歴代の魔王は全員世界征服してるとかで俺が世界征服するって決めつけやがって! そんな事、する訳ねえだろバアアアアアカアアアアアッ!」
「……えっ?」
俺の発言に呆気を取られた表情を浮かべるリーンを離すと、俺は自分の顔を指差す。
「いいか!? 俺はそこらの中堅冒険者よりも低いステータスで、ユニークスキルみたいな特別な力なんて何もねえ! おまけにこんな泣き虫だ! そんな俺が世界征服なんてやる度胸あると思ってんのか!? そんな奴が世界征服出来る可能性が一ミリでもあると思ってるのか!?」
「お、思わない……」
「でしょうねえ!?」
途中から、ただの独り言になる。
「大体、何で世界征服なんてしなきゃなんねえんだよ! 自分の威光を世に知らしめたいとかか!? そもそも俺に威光なんてねーし! エロエロハーレム生活を送りたいとか!? 魅力的だけど、基本俺のエロのジャンルは純愛系一筋なんだよ! そもそも世界征服って言っても、この国もロクに知らない奴が、もっと知らない世界を征服したってどうしようもねえだろーが!」
「…………」
「それにさ、この国の人達皆優しいんだ! おかしな奴らばっかだけど、皆優しいんだ! 何でそんな人達に、人を殺せとか、死ねとか命令しなきゃいけないんだよ!? 何でもっと皆のこと考えないんだよ!?」
最早独り言でもなくなる。
これは死んだ先代魔王に。
いや、先々代の魔王に、先々々代の魔王に。
今までの、世界征服をしようとしてきた魔王達に向かっての怒りだった。
「俺は世界征服なんかしない! 誰かに反発されたって、誰かに脅されたって! 俺はぜっっっっっったい、世界征服なんてやらねええええええええええええッ!」
この一週間、胸に溜め込んだ想いが声になり、綺麗な星空へと吸い込まれていく。
我も忘れて叫び散らかしてしまったせいで喉が痛い。
これじゃあ本当にご近所迷惑だ。
ゼエゼエと、濡れた顔のまま息を切らす俺に、今までポカンとしていたリーンが歩み寄る。
「……今の言葉、本当なのね?」
しかも何故か、拳を固く握り締めて。
「な、何だよ、まだ分かってねえのか……! そっちが殴る気なら女でも容赦しないぞ!? 俺はな、状況が許せば相手が美少女だろうと全力でぶん殴れる男――」
「――ごめんなさい」
「だ! …………へ?」
ド素人の喧嘩の構えをする俺に、リーンがそう言って深く頭を下げてきた。
リーンの予想が付かなかった行動に、思わず固まってしまう。
「な、何やってんだよ……」
「……アンタの言う通りだった」
「えっ……?」
「私、アンタがデーモンアイに選ばれたからって、勝手に決め付けてた。アンタの事、ろくに知りもしないで、知りもしようとしないで、酷い事たくさん言っちゃった」
リーンはそう言いながら、ゆっくりと顔を上げる。
微かに揺らぐその綺麗な紅い瞳には、もう俺に対する憎しみも嫌悪も見えなかった。
「なのにアンタは泣いてくれた。私が父さんにずっと言いたかった事を、今代わりに言ってくれた。なのに……本当に、ゴメンナサイ……」
「ああ、いや……その……」
もう一度、深く頭を下げたリーンに、俺はしどろもどろになってしまう。
まさかこうも素直に謝られるとは思ってなかった。
「……お前だって国のこと考えてたんだもんな……。うん、俺もリーンの話聞くまで、リーンの事嫌な奴だって誤解してた。本当にゴメン……」
俺も素直に自分の気持ちを言うと、深々と頭を下げた。
「「…………」」
お互いに頭を下げたまま固まり、気まずい空気が流れる。
ど、どうしようこれ……何話せば良いんだ!?
「よ、よし! それじゃあこんな暗い話は終わり! 折角少しだけ分かり合えた事だし、何か別の話題でも……」
と、必死に暗い空気を変えようとアタフタしていると。
「……じゃあ、世界征服しないとしても、あんたは魔王になるの?」
リーンがそんな事を訊いてきた。
「へ? いや、その……まだ決まってない」
「そっか……でも、決めるんだったら早く決めなさい。明日には決めないと何でしょ?」
俺を見つめるリーンの表情は、先程とは打って変わって和らいでいるように見えた。
「おう、分かってる……でも取りあえず俺もう寝るわ。泣いたら眠くなってきた。じゃあな」
色々と安心し眠くなってしまうという、子供みたいな自分に内心苦笑しながら、中へ戻っていく。
「ね、ねえ」
そして、フワァとあくびをしているとき、後ろからリーンに呼び止められた。
「……どったの?」
俺が首を傾げると、リーンはそっぽを向きながら、顔を赤くして。
「はんばーがー、だっけ?」
「えっ?」
何でリーンがハンバーガーの事知って……。
「アレ、あんたが作ったんでしょ? 私が忘れ物取りに戻ったとき、リムが言ってた。自分の為に作った料理を食べないわけにもいかなかったし、だからその……美味しかった……ありがとう……」
………………………………………………。
「デレた! リーンがデッレたー! ワーイ! ワーイ!」
「は、はあ!? ちょ、ちょっと待ちなさい!」
俺はクララが立ったとばかりに叫びながら真夜中の魔王城でリーンに追いかけられ、やがてリーンと仲良くリムにお叱りを受けました。




