エピローグ1 教皇
薄暗い森の奥深くに、人知れずそびえ立っていた巨大な屋敷があった。
その屋敷はかつて、両親を暗殺し国を捨てた伯爵家の長男が建てたものであった。
彼が何故このような場所に屋敷を建てたのか。
亡命者であり現在指名手配中であるアダマス教団の幹部でもあったのも理由だが、何より静かな場所で生活がしたかった。
静かな環境の大きな屋敷で、自分を好いてくれる美女達と暮らす。
そんな、誰もがうらやむような生活を、当たり前のように過ごしていた彼。
しかしそんな彼の生活は、彼の全てを失う形で消えてしまった。
「あぁ……あああぁああ……オレの屋敷が……財宝が……! 痛い……畜生、痛い……!」
足を引きずり、彼は、ヨハンは屋敷があった場所で膝をついた。
あの美しい、芸術品とも呼べる白亜の屋敷は、もはや面影などない。
全てが黒い炭と灰になり、天に昇る煙と共に消えていく。
倉庫室に保管していた、実家から奪ってきた財宝は、あの憎き魔王に全て奪われてしまい、寧ろ屋敷と共に炭になっていた方がよかった。
国を逃げる前に苦労して手に入れた令嬢とそのお付き達は、あれから連絡の一つも無い。
恐らく、全員やられてしまったのだろう。
家も、財宝も、女も、そして右腕と左足をも失った。
「アイツだ……アイツのせいで、オレの全部がメチャクチャに……!」
ヨハンは血が滲む眼で、その場に存在しない魔王を睨んだ。
金も力も女も何も持っていないはずの、自分とは真逆に位置すると思っていたあの男に、全てを奪われたのだ。
ヨハンは悔しさで唇を噛み千切るが、魔王に切り飛ばされた手足の傷の痛みで何も感じなかった。
(あの男……あの時、あの男に何があった……!?)
操っていた金属と自身の身体が突然動かなくなり、かつて自国で最強と持て囃されたユニークスキル、メタル・レインが発動できなくなった。
と思いきや、あの男から放たれた謎の稲妻に吹き飛ばされた。
今となっても、何故あの男が突然ああなったのか理解が出来ない。
ただ唯一確実に言えることは、最後まで勇者レイナに頼り、泣きながら逃げ回っていたあの男に、今まで感じたことの無い恐怖と絶望を見せられたこと……。
「~~~~~~ッ! クソッ、クソがぁ……!!」
悔しくて悔しくて堪らない。
今すぐ奴をこの手でぶち殺してやりたい。
いいや、殺すだけじゃ気が収まらない。
(奴から全てを奪ってやるんだ、オレにそうしたように……!)
まず、奴の目の前であの金髪の女、そしてあの銀髪のガキも汚して、それからなぶり殺してやる。
そしたら次は今度こそ、バルファスト魔王国を滅ぼしてやるんだ。
その際に出来るだけ国民は殺さないでおいて、後で一人ずつ、一人ずつ、アイツの前で殺していくんだ。
勿論、一人一人の死に際の悲鳴を聞かせるように。
その後、そうだ勇者一行も忘れちゃいけない。
勇者一行なんて、本気を出せば一瞬で片が付く。
勇者一行も汚して、なぶり殺して。
そして最後の最後に、絶望に染まったアイツをこの手で殺してやるんだ。
そうだな、生きたまま火炙りなんてどうだろう。
燃やされた屋敷のように、炎に包まれて死んでいくんだ。
「ハ……ハハッ……」
黒く淀んだヨハンの目に、光が灯る。
真の勇者になる。
それ以外の、生きる目的を見つけたのだ。
ヨハンは子供がふざけて母親の口紅を塗ったかのように、グチャグチャと血で赤く汚れている口角を不気味に上げた。
その瞬間だった。
「――酷い有様だ」
目の前から、声が聞こえた。
「ぁ……?」
誰か、自分の他に誰か居るのか?
まさか、アダマス教徒の生き残りか?
だとしたら許さない、ロクな仕事も全う出来ないカスが、のうのうと生きている事が許せない。
ヨハンは不意に、遠くから聞こえた魔王の声を思い出した。
何が『頑張ったね』だ、ふざけるな。
アイツらは出来て当然の事さえも出来ないゴミ。
そんな奴らに、真の勇者たる自分が感謝するなど片腹痛い。
そう思いながら、ヨハンは目の前で自分を見下ろすその人を見上げた。
「なっ……」
そして固まった。
その人は、全身が黒かった。
身体の線が見えない程ブカブカな漆黒のローブ、手に持つのは先端に歪な十字架が付いている漆黒の杖。
そして深くフードを被っており、顔が見えない。
辛うじて隙間を見つけても、顔の部分が闇に覆われ全く見えない。
明らかな不審人物。しかしヨハンは、その人を知っていた。
自分がこの国に来たばかりの頃、その人は突如として目の前に現れ、知っているはずがない自分の素性を全て語り出した。
国の手の者かと疑ったが、その人は続けてこう言ったのだ。
『お前が真の勇者になる、手助けをしよう』
最初、ヨハンはその言葉を信じなかった。
しかし、その人の『力』を見せられ、確信したのだ。
この人なら、オレを勇者にしてくれる、と。
「ぁ……ぁ……」
ヨハン半開きの口で、その人を呼んだ。
「教皇……」
「燃えてしまったか。ここは教徒達のいい隠れ蓑だった」
教皇と呼ばれたその黒い人物は、ヨハンを一瞥すると屋敷に向き直った。
男か女か、若者か年寄りか判別できない、聞いていると不思議な気分になってくるその声を聞き、ヨハンは眉をヒクつかせた。
「オレの屋敷をアイツらなんかの隠れ蓑にしないでくれる……?」
「お前から見れば弱くても、私から見ればいい手駒だった。それを、お前は全て無駄にした」
「うるっさいなぁ……いくら恩人でも、言葉選べよ……。それに、アイツらよりもオレの方が役に立つだろ……」
「そのざまでか?」
「チッ……」
正論を言われ、ヨハンは小さく舌を打った。
そんな彼をじっと見ていた教皇に、ヨハンは苛立たしげに訊いた。
「何だよ……?」
「もう、お前は用済みだ」
「……あ?」
用済み? このオレが、用済み?
突然言われたその言葉に、ヨハンは再び怒りが爆発した。
「ふっ……ふざけんな! 何が用済みだよ、何様だよ! 教皇だからって調子に乗るなよ! それに、何でオレだけは用済みなんだよ、ジークリンデだって失敗したのに幹部を続けているじゃないか!」
そう、ジークリンデはバルファスト魔王国に攻め入る前に魔王に計画を潰された。
なのにジークリンデは今でも幹部を続けており、ヨハンは彼女と擦れ違う際にいつも嫌味を溢していた。
計画に失敗した奴が、何でまだ幹部などやっているんだと。
確かに自分も今回は失敗したかもしれない。
なのに自分だけは、用済みだと?
「ジークリンデの魅了眼にはまだ利用価値がある。だが財力を失ったお前には、価値などない」
「なっ……!?」
ヨハンはその言葉に絶句した。
この黒ローブは、自分の持っていた財力にしか目が無かったのだ。
「ふ、ふざけんなよクソが……オレを、オレを勇者にする話はどうなった……!?」
魔族を滅ぼした者が真の勇者だ。
その教皇の教えに従い、今までアダマス教団幹部として働いてきた。
自身の財力で信徒を増やし、魔族を滅ぼす準備をしてきた。
それなのに、そんな自分に対し、こんなにアッサリと……。
怒りに燃えるヨハンを、教皇は闇の奥から見つめ。
「勇者?」
首を傾げると、何て事ないように言い放った。
「お前がなれる訳ないだろう」
「ッッッッッッッ!! クソがあああああああああああああああああああああッッッッッッ!」
ヨハンは絶叫すると、血を撒き散らして教皇に飛びかかった。
恩なんてどうでもいい。
真の勇者である自分に嘘をつき、欺し、利用したコイツを許せない。
オレを見下すな、オレを蔑むな!
オレが主人公なんだ、オレが世界の主役なんだ!
世界は、世界はオレ中心に回っているんだ!
オレが、オレこそが、選ばれた人間な――
――ボキッ。
……ヨハンの命は、首の骨が折れる音と共に、呆気なく終わった。
彼は、自分が死んだ事に気付いていないだろう。
まるで、眠りに落ちるように、何の苦痛も無く死んだのだ。
それは教皇のせめてもの、慈悲だったのかもしれない。
「…………」
ヨハンの肉体は、飛びかかった勢いを残ったまま、教皇の片手の中でブラブラと揺れている。
そんなヨハンの肉体を、教皇は塵紙を捨てるかの如く投げ捨てた。
そして、ふと明るくなった空を見上げ、
「魔王ツキシロリョータ……もしかしたら奴は――」
そう言い掛けた教皇の姿は、もうこの森のどこにも居なかった。
ただ、誰もが憧れる勇者になることを夢見た、一人の少年の亡骸を残して。
……朝の、温かな日差しがその身体を包み込む。
主人を弔う線香のように、細くたなびいていた煙は、朝日に照らされて消えていった……。