第二一話 朝日は今日も温かだ!②
「ぁ……」
ヨハンが、背中から血を噴き出して落ちていく。
その表情は痛みで歪んでいない。
何が起きているのか分からず、呆けたような顔をしている。
まるでスローモーションを見ているかのように、ゆっくり落ちていったヨハンは、やがて地面に落ちた。
「ハァ……ハァ……」
遅れて地面に降りたレイナは俺の刀を払うと、そのままその場にへたれこんでしまった。
「オ、オイ、大丈夫か……?」
「だ、大丈夫です、ちょっと、疲れちゃっただけです……」
そう言って笑顔を見せるレイナだが、身体中に痛々しい切り傷がついている。
明らかに無理をしている様子だ。
「ああくそ……こんな時に回復ポーション切れてる……」
俺はポシェットの中を探りながら顔を顰めていると、ふとヨハンが視界に移る。
背中の傷から血が流れ出し、コートが赤黒く染まっていた。
「なあ、コイツは……」
「急所は外しました……すぐに手当てすれば大丈夫です……」
「そっか……」
ホラゲーとかゾンビゲーとかやってきた俺ではあるが、やはりちょっとグロい。
レイナは凄いな。
勇者という肩書きを背負っているから、人相手でも敵ならば斬らないといけないのだろう。
それに対して俺は人を斬るのが怖くて、さっき俺はただ顔面を蹴っただけだった。
そう思うと、何だかとても申し訳ない
「『アクア・ブレス』。レイナ、ホントありがとな」
俺はせめてと、アクア・ブレスで濡らしたハンカチでレイナの頬の傷を拭う。
「魔王さん……いえ、寧ろこっちがありがとうございました。魔王さんが気を引いてくれたから、隙を突くことが出来ましたし……」
「ならよかったけど……」
「それにしても、さっきの魔王さん凄く怖かったですよ……? 私まで背筋がゾッとしました」
「やぁ、それは……うん」
ハンカチを受け取りアハハと笑うレイナの言葉に、俺は思わず視線を逸らす。
どうやら、さっき俺は威圧眼を使っていたみたいだ。
俺は思った以上に怒っていたらしい。
「よし、とりあえずコイツを捕縛しよう」
俺はロープを取り出すと、ヨハンの手足を縛ろうとして……。
「魔王さん危な――ぁッ!?」
「……え?」
突然のことだった。
目の前に居たレイナが俺を突き飛ばしたと思った瞬間、一瞬で目の前から消えたのだ。
「ッ!? レイナ!?」
いや、消えたんじゃない、横に吹っ飛ばされたんだ、ものすごい勢いで。
頭から血を流したレイナは地面をゴロゴロと転がり、そのまま倒れた。
そしてその側に、レイナの胸当てが金属特有の甲高い音を立てて落ちた。
「よくも……このオレを……」
その時、俺のすぐ側からヨハンのぐもった声が聞こえた。
こ、こいつ……レイナに斬られたはずなのに!
そう思ってヨハンの斬られた背中を見てみると、切り裂かれたコートの間から銀色に光る物が見えた。
そうか、やっぱりコイツは背中に鉄板を入れて空を飛ぶときに身体のバランスをとっていたんだ。
それが鎧の代わりになって、レイナの攻撃のダメージを減らしたんだ。
なんて悪運だよ……!
「この……ッ!」
もう迷っている暇はない。
俺は手に持っていた聖剣で、ヨハンの背中を切ろうとして……!
「ッ!?」
その剣先が、虚空でいきなり止まった。
「あ~あ……勇者にさっきの剣渡しちゃうから……」
「お前……!」
このまま聖剣を置いて殴りたいが、抑えてないとその聖剣が俺に襲い掛かる……!
「お前らみたいな調子に乗ってる奴を見てると腹が立つんだよ……そんな奴らが、このオレに……傷を付けやがって……!」
ヨハンはヨロヨロと立ち上がると、ポケットからある物を取り出した。
「本当は、こんな物使わないだろうと思ってたけど……」
「お、お前それ……!」
「お前らをぶっ殺せるなら……どうだっていい……!」
「ちょ、待……!」
ヨハンは目をギラギラさせて、それを。
――注射器を首に刺した。
「う……ぐう……!?」
ヨハンは注射器を取り落とすと、首筋を押さえて呻きだす。
ヤバイ、考え得る最悪の事態だ……。
あの注射器に入っていた液体は、恐らくルボルの薬だ。
だけどルボルが使っていたあの触手怪人になる薬じゃない。
では何か? 考えられるのは一つだ。
ルボルが作ってきた薬の中で、一番力を入れて作ったであろう薬。
恨みから自分の父親に盛って殺した薬。
「ユニークスキルを……暴走させる薬……!」
そう俺が呟いた瞬間だった。
「うわあ!?」
辺り一帯に落ちていた金属が一斉に浮かび上がると、竜巻に巻き込まれたかのようにヨハンの周りでグルグルと渦を巻いた。
マズいマズいマズい!
俺は聖剣を両手で抱き、その金属の渦から逃れると、レイナの側に駆け寄る。
そしてレイナを抱き上げると、必死になって呼び掛けた。
「レイナ、起きてくれ! 緊急事態だ!」
「う、うぅ……」
「ゴメン、痛いよな! 辛いよな! でも俺じゃどうしようも出来ないんだ! ゴメン、頼むから起きてくれ!」
俺は泣きそうになりながら、血が流れるレイナの頭を押え叫ぶが、レイナは苦しそうな声を上げるだけだった。
クソ、さっき俺がちゃんとヨハンを見ていたら……!
「う……ぐ……はぁ、あはは……あはははは……!」
後ろからヨハンの耳障りな笑い声が聞こえる。
ゆっくりと振り返ると、そこにはいつの間にか金属の山が積み上がり、その頂上で目を充血させたヨハンが笑っていた。
「あははははは! 凄い、凄いぞ……なんて力だ……なんて高揚感だ!」
「嘘だろ……何でアイツ……」
ユニークスキルを暴走させる薬は、ユニークスキルを増強する代わりに、その力に飲み込まれてしまう。
スネークというユニークスキルを持つルボルの父ちゃんが、ヘビの怪物になってしまったように。
なのに……。
「何でアイツ……平気なんだよ……!」
薬を服用したヨハンは、完全に自我を保っていた。
「クソ……ッ!」
俺は刀を自分の鞘にしまいレイナを抱えると、その場から逃げ出した。
この状況じゃ、逆立ちしたって勝てやしない。
ならばせめて、レイナがこれ以上傷付かないように逃げるしかない。
「逃がすかよ、君達は絶対にオレが殺すんだ!」
しかし刀身の折れた剣、槍、弓の矢尻などがまるで雨のように降り注いでくる。
腕に、足に、背中に、その破片が突き刺さり、痛みに声を上げそうになるが、それでも俺は足を止めない。
そんな俺は、さぞ無様に見えるのだろう、ヨハンは高笑いをして俺を見ていた。
「何が『俺はお前が嫌いだ』だよ、雑魚のくせに調子に乗りやがって! 頼みの綱である勇者が倒れて、ただ逃げ回ってるだけじゃないか! 結局お前一人じゃ何も出来やしないんだろ!?」
うるせえ、うるせえよもう!
分かってるよ、そんぐらい!
「勇者も勇者だ、何が世界最強だよ! ボロボロで汚い、今の無様な姿を見て見ろよ! ハハッ、まったく笑いものだよ! 彼女よりオレの方が勇者に相応しいのにさぁ!」
「何……!?」
ヨハンは笑いながら、なのに憎しみのこもった声で続ける。
「そうだよ、力も財力もあるオレが世界一勇者に相応しい! 現に彼女を倒したのはこのオレだ! なのにどうして彼女なんだ! ロクに人も殺せない、殺そうともしない、臆病者のソイツが!」
「……ッ!」
違う、違う。
レイナはそんなんじゃない、まったくの見当違いだ。
だけど俺は歯を食いしばり、黙ってなお走り続ける。
「だから、お前みたいな奴がオレから逃げられると思ってんの?」
「おわッ!?」
だが、俺の目の前に鉄くずが回り込むと、高い壁となって俺の前に立ち塞がった。
真横に逃げようとするが、同じように鉄くずの壁が立ち塞がる。
完全に袋のネズミだ。
「チッ……やっべえな……」
俺は後ろに振り向くと、渦を巻く鉄くずの中心に居るヨハンを見据えた。
「あはははは! 鬼ごっこはもう終わりかよ! じゃあ次は別の遊びをしよう! オレがお前らを殺すまでに、いったい何発耐えられるかゲーム!」
ヨハンはそう唾を撒き散らし、渦の中から剣だけを浮かした。
薬によってテンションがハイになってるのかもしれないが、コレがヨハンの本性。
人を殺すのに躊躇いがなく、寧ろ楽しんでいる殺人者の目。
ソイツと対面して、怖くないわけがない。
足が震える、泣き出しそうだ。
でも、俺は……。
「……お前の様子見ててさ、何となく変だと思ったんだよ」
「あ?」
「アダマス教団の目的は魔族を滅ぼすことだろ。なのにお前の殺意は明らかにレイナに向いてた。何でそんな奴がアダマス教団に入ってるのかは分からないけど……」
レイナをそっと地面に寝かして、俺はポツリと話し出した。
「ヨハン。お前は、勇者になりたかったんだな」
「だから何だよ、お前に関係ないだろ」
そう返したヨハンから、一本の刀身が放たれる。
俺はそれを躱すと、なお続ける。
「勇者になりたいなんて、普通に誰でも思うことだよな。格好いいもん、勇者って」
「そうかもね。でもそう考える奴らにとって、それは絵空事に過ぎない。だけどオレは違う! 勇者を越える力を持っている! 人だって殺せる! ソイツとは違――!」
「でもな、少なくともテメエみたいな奴がなれるもんじゃねえよ」
その言葉を遮り俺がキッパリ言うと、ヨハンが固まった。
「勇者はな、レイナ・ブライド・フォルガントだから出来るんだよ。単純な強さがあるからじゃない。誰よりも優しくて、思いやりがあって、人のために命張って頑張れる、レイナだから出来るんだよ」
続けて刀身が俺に向かって放たれるが、それも躱す。
だが腕に擦り、少量の血が噴き出す。
それでも俺は、ツカツカとヨハンに歩いて行く。
「勿論勇者は大変だろうよ。国民の命守るために、人を傷付けなきゃいけない、魔王を殺さなきゃいけない。でもお前みたいな奴でも、レイナが何も感じないで斬ると思うかよ」
「……のッ!」
「ッ。ああ、きっと罪悪感があるに決まってる。それでもレイナが笑顔を見せるのは、国民や俺達を心配させないようにしてるからだ。お前にそんな思いやりがあんのかよ、ヨハンさんよ!」
「……クソがッ!!」
刀身を何発も放ってくるヨハンには先程までの余裕がなかった。
だが傷だらけでボロボロな俺は、あえて余裕そうに笑ってみせる。
「それがねえテメエが勇者になっちまったら、この世界の平和も笑顔も崩れちまうなぁ! きっと世界中から恨まれて、憎まれるだろうよ! 笑えるねぇ!!」
「うるさい!」
「そんな奴が誰よりも勇者に相応しいレイナを馬鹿にして見下してるの見てると、逆に可哀想ったらありゃしねえな!」
「黙れ!」
「私欲のために女騙して、人生のどん底に叩き落としたクソ野郎が、勇者になるとかほざいてんじゃねえよッ! 金玉から出直して来いッ!!」
「死ねええええええええええぇぇぇッ!!」
この瞬間、ヨハンの殺意が全て俺に向けられた。
正面から、横から、後方から、大量の鉄くずが襲い掛かってくる。
俺にはこの攻撃をを躱すことが出来ない。
……だけどこれでいい!
今までずっとレイナに向けられた殺意が俺に向いたことで、レイナの危険を少しでも減らせた。
もし俺が殺されている間に、レイナが目覚めてくれたら、もしかしたら勝てるかもしれない。
ほんの僅かな時間、ほんの僅かな希望。
それでも、俺はこの瞬間に賭ける!
「……ハハッ」
まったく、今更ながらイカレてるよ俺は!
命落として他者を救うヒーローかってんだ!
……でも、やっぱ死ぬのは怖えなぁ……!
それに、最後も結局は人任せだ。
レイナ達には本当に苦労ばっかり掛けちまってる。
もし、俺に敵を圧倒させるほどのチートがあったなら。
もし、強敵相手でも一人で戦える力があったなら。
そんな都合のいいことを思いながら、俺は死を覚悟した。
――その時だった。
「や、止めろぉ!!」
「いっだ……!?」
突如この場に響いた男の人の声。
それと同時に、ヨハンの左腕に一本の剣が刺さった。
「な、何だ……!?」
俺はその声に弾かれるように、視線をその方に向けた。
腰を引きながら、明らかに無理をしてその場に立っている一人の兵士。
実力差が分かっているのか、その場で拾い手に持った剣を取り落としそうになるほど震わせている。
しかしその人は、強い目でヨハンを睨んでいた。
「そのお方から離れろ、アダマス教徒!」
「セルシオさんッ!?」