第十八話 女の子は今日も難解だ!⑧
「クッソ……殆ど眠れなかった……」
夜が明けて、カーテンから覗く空が明るくなってきた頃、俺はそう呟いてベッドから起き上がった。
基本的には日付が変わる少し前にはちゃんと就寝するいい子な俺が、何故眠れなかったのかと言えば、もはや言うまでも無い。
眠いようで眠くない中途半端な感覚が少し気持ち悪い。
部屋のカーテンと窓を開け、朝の冷たい空気を吸い込み、俺は鏡の前に立った。
「ハァ……普通、一日経ったら元に戻るってのがセオリーだろ……」
鏡の中に映るのは、目の下にうっすらと隈が浮かんでいる美少女。
どうしたものか、本当に俺は元の姿に戻れるんだろうか?
いや、別にリムの母ちゃんが言ってたことを疑ってる訳じゃない。
だが、流石に二日も女のままだというのも嫌だ。
「それにしても、昨日はマジで大変だった……」
またしてもあらぬ誤解をハイデルやリムに言いふらしたローズを取り押さえ、一時間ぐらい掛けて何とか誤解だと納得させた後。
リーンは頭が混乱してしまったのか、俺の着替えが終わるのを見届けるなり、すぐに孤児院へと飛び出していった。
そして例え誤解だったとは言え、ハイデルもリムもローズも同様に少し混乱していて……。
――全員、いつものように俺が一人で自室に戻った事に気付かなかった。
そう、今の俺が部屋に一人なのはそれが理由。
ちなみに俺も、ついさっきその事実に気付いたばかりだ。
しかし、俺が自分の身体で欲求快勝しようとするのをずっと防いでいたくせに、最後の最後で抜かったら今までの行いの意味が無いじゃないか。
「…………」
そんな事を思いながら俺は真下にある、寝間着越しの二つの膨らみをジッと見つめる。
この柔らかそうな物をわしづかみしたら、一体どれだけ素晴らしい事だろうか。
俺は念の為辺りを見渡すと、右胸に恐る恐る手を伸ばし……。
…………。
「ハァ……やっぱ止めよ」
分かっている、今もの凄く勿体ない事をしている。
折角チャンスが到来したから、鏡の前で全裸になってみたい、女の子の身体の構造がどうなっているのか隅々まで観察したいという欲望はある。
しかし、俺の行為一つでリーンの一日の苦労が水の泡となってしまうのが今更になって、何だか申し訳なくなってきたのだ。
いつから俺は、こんな甘々なチョロ男になってしまったのか。
そんな自分に対してため息をつくと、俺は上げた手を下げた。
どうせ眠れないのだ、ちょっと外を散歩しにいこう。
俺は寝間着の上から椅子の上に畳んで置いてあったパーカーを着て部屋を出た。
――早朝の街というのは、何とも幻想的だ。
青色に染まった石造りの街はいつものような活気は無く、ここには俺だけしか存在していないような気分になってくる。
街路樹の葉は少し前まで真緑だったが、所々が赤くなっている。
夏から秋へ移り変わる街並みを見ながら、のんびりゆっくりと歩いていると、遠くの方からビュン、ビュン、という何かが風を切る音が聞こえた。
何の音だろうと不思議に思いながら歩みを進めていると、徐々に音が大きくなっていく。
しばらくして、俺はその音の発生源に辿り着いた。
「何で孤児院から音が……?」
俺は不審に思いながら、コッソリと孤児院の門から辺りを見渡す。
すると広い庭の隅の方で、長く美しい金髪が靡いているのが見えた。
「ッ! ッ!」
リーンだ。
木刀ではなく、本物の剣を無言で素振りしているリーンが居た。
かなりの時間その場で素振りを続けていたのだろう、リーンが剣を振る度、辺りにキラキラと汗が飛ぶ。
剣筋の鋭さや姿勢などは俺なんて比じゃないくらいに整っており、その姿はまさしく剣の舞であった。
ついその姿に見とれてしまい動けなかった俺は、剣先を下ろリーンが額を腕で拭いながら振り返ったリーンと、
「あっ」
「ゲッ」
バッチリ目が合ってしまった。
ってかヤバイ、こんな早朝に孤児院に来るなんて明らかに不審すぎる!
今すぐこの場から逃げだそう!
俺は隠密スキルを発動させようとしたが。
「何やってんのよ」
「~~~~~~~~ッ!?」
瞬間移動ですかと言わんばかりのスピードで、リーンに距離を縮められてしまった。
俺は一瞬叫びそうになったが、孤児達がまだ寝ている為口を塞ぎ悲鳴を抑えた。
「何やってんのよ、アンタ」
もう一度訊いてきたリーンの目が怖い。
「あっ、いやー、何か眠れなくて気晴らしに散歩に出たら、リーンの剣を振る音が聞こえてな……!」
別にやましい理由は無いし、変に誤魔化すよりは正直に言った方がいいと思った俺は正直に説明する。
まあ、いつでもハイ・ジャンプで逃げられるように足に力を込めるが。
「…………」
しかしリーンはその俺の言葉には応えず、ただ俺を恨めしそうに睨んできた。
しかも、若干頬が紅くなっている。
恐らくは俺が今ここに居る事ではなく、昨夜のアクシデントを根に持っているのだろう。
まったく酷いものだ、あの時はどちらかと言えばリーンが足を滑らしたのに、被害者面されてさ。
こっちだって人権あるんだよ!
……しかし俺にも落ち度はある。
よし、ここは大人な対応で……。
「あー、なあリーン? 一応アレはお互い悪気があった訳じゃないんだからさ、昨夜のことは水に流そうぜ? そう、風呂だけに」
「は?」
「調子に乗りましたゴメンナサイ何でもするから許して下さい」
失策!
この変な空気を和ませようと洒落たことを言ったつもりだったが、火に油を注いだだけだった!
俺は真顔になったリーンに流れるような土下座を決め込む。
するとリーンは、剣を腰の鞘にカチャンとしまいながら。
「今、何でもって言ったわよね?」
ギャアアアアアアアアア、まさかの模範解答ウウウウウゥゥ!?
「ヒッ……! せめて楽に死なせて……!」
「アンタ私が何命令すると思ってんのよ!?」
違ったらしい。
リーンは深々とため息をつくと、土下座を続行する俺を見下ろしながら。
「アンタ元の姿に戻ったら、ここの手伝いして。一週間」
「…………」
マジかよ……。
何度か強制的に孤児院の手伝いをさせられていた俺は、孤児達の世話の大変さが少しだけ分かる。
だがそれを一週間だと?
やっぱりコイツ俺の事死なそうとしてんじゃん!
「いや、せめて三日でご勘弁を……」
「してくれるわよね?」
「サ、サーイェッサー!」
あー! コイツ、剣の柄に手ぇ当てやがった!
完全に脅迫じゃねえか!
畜生、何でもなんて言葉を軽く見過ぎていた。
「そういえばアンタ、私が帰った後何かしたわよね? 絶対に」
ビシッと立ち上がり敬礼する俺を、腕を組みながらジト目で睨んでくるリーン。
それに対し、俺は苦い顔をしながら応えた。
「んにゃ、確かにお前らがパニクったおかげで一人にはなれたけど、結局な~んにも出来なかった」
「……嘘じゃないでしょうね? だってリョータよ?」
「どんだけ信用ねえんだよ……ホラ、俺の純粋無垢で澄み切った瞳を見てみろよ」
「胡散臭い。ていうか、女の子になってるから澄んだ瞳になってるけど、普段はもっと濁ってるわよ」
「ええ……」
別に人生とかこの世界とか恨んでるわけじゃないのに、何でこんなにも俺の瞳は濁っているのだろうか。
なんて思っていると、何故か俺の目をジッと見ていたリーンが。
「ああ、知らないなら教えてあげる。アンタって嘘つくとき右目だけ紅く光るのよ」
…………。
「嘘つけ、カマ掛けようったってそうはいかねえぞ」
「えっ、引っ掛からない……? 本当に何もしてなかったの!?」
「オイコラ、いい加減キレるぞ」
コイツは俺がどのくらい欲求不満だと思っているのだろうか。
俺は目をヒクつかせながら笑顔を浮かべていたが、何だかバカらしくなってきた。
「たっくもう……んで、お前はこんな朝早くから素振りか? 何か正直意外だな」
レベルが60もあるリーンには、俺のように修行とかをしなくていいと思っていたのだが。
そんな俺の考えを察したのか、リーンは腰の剣に目を落としながら。
「確かに私は自分でも強いと思ってる。でもね、このまま満足してちゃダメなのよ。アダマス教団や、他にも私達に危害を加えようとしてる奴らもいるかもしれない……」
そして顔を上げたリーンは、まだ孤児達が寝ているであろう本館を遠目で見つめながら。
「あの子達を守るには、これ以上に、もっともっと強くならなくちゃ」
「…………」
ああ、やっぱり。
コイツは本当に凄い奴だ。
本当にコイツは、あの話に聞くような先代魔王の娘なのだろうか?
「そっか。じゃあ俺も頑張らねえとな」
「当たり前よ。国民の命を守るのが、王様にとって一番大事な事なんだから」
「責任重大だなぁ」
こっちは十数年間、ずっと修行や死ぬ想いなんてしないで、平々凡々ぬくぬくと育ってきたゆとり世代の日本人だぜ?
でもまあ、リーンの言う通りだな。
なんて柄にも無いことを思いながら大きく鼻から息を吐くと、いつの間にか登ってきた朝日が街を照らした。
「さてと、そろそろシャワー浴びて朝ご飯の支度しなきゃ。だからリョータ、サッサと帰って」
「言い方よ……ま、いつもの事か。またな」
「ん」
リーンの言い草に肩を竦めながら俺は軽く手を振り、魔王城に戻って行った。