第十八話 女の子は今日も難解だ!⑥
さて、魔王城に戻ってから、俺は取りあえず自室に待機していた。
まあ勿論、頭の中は自分の身体を隅々まで調べたいという欲求まみれだったが……。
それが出来ない状況にあるのだ。
「……なあリム、別に俺の事は気にしなくていいぞ? ホラ、こんなにいい天気なんだからさ、お外で遊んできなさい」
「こ、子供扱いしないでください! あと、何を言われたってここから出て行きませんからね!」
何故ならそう、リムが俺の部屋にずっと居るからだ。
魔王城に帰った途端、リーンは切羽詰まった顔で孤児院に向かっていった。
どうやらカインの勘違いとは言え、あの言葉がかなり響いたらしい。
しかしリーンは孤児院に行く前に、リムに俺を監視するように言ったのだ。
リーンの奴、ホントに抜かりない。
もし今監視しているのがリーンだったのなら隙を窺い自分の胸を揉むのだが、相手がリムだと罪悪感というか、兄としてこれ以上の好感度を下げたくないという気持ちが邪魔してくる。
「あ~あ、自分の身体の観察が出来ないんじゃ、ずっとここに籠もってるのは暇だな~」
「まったく、お兄ちゃんは女の人になっても変わりませんね……」
背中からベッドに倒れ込んだ俺に、椅子に座って本を読んでいたリムはため息をつきながら本を閉じた。
「いいですか? 私だってリーンさんには賛成なんです。ただでさえお兄ちゃんは他の人よりもスケベなんですから」
「スケベなのは認めるけど、他の人よりって所は否定する」
透視眼で男の股間を見てくるローズとか、昨日鼻息荒くしながら己の触手でフィアを汚そうとしたルボルとか。
例を挙げれば、俺よりヤバイ奴なんて結構いるもんだ。
「そういや、今の俺は女なのに、お兄ちゃん呼びのままでいいのか?」
「まあ、女の人にお兄ちゃんなんていうのは、ちょっと違和感を覚えますが、お兄ちゃんはこの呼び方の方がいいでしょう?」
「そりゃあ……いや、ちょっとお姉ちゃんと呼ばれてみたい気もする」
「ええ……」
おっと、つい本音が出てしまった。
しかしお姉ちゃんか……やっぱりちょっといいかも。
「おねえ……お兄ちゃんは、何かすることはないんですか? 私みたいに、本を読んだりとか」
今、お姉ちゃんって言い掛けたな。
「残念ながら、この部屋にある本は全部読み終わっちゃったよ。ああ、でもリムが何かオススメして貸してくれるんだったら読んでみたいな」
リムが手に持っている本をチラ見しながらそう返すと、リムはぱあっと目を輝かせた。
「ほ、本当ですか……!? い、いやダメです! そうやって私を追い出して一人になる気でしょう!?」
「あちゃ~、話の流れで上手く行くと思ったんだがなぁ……」
そう言って俺がベッドから上半身を起こすと、リムは成長中の小さい胸を自慢げに張った。
「とーぜんです! リーンさんに『いい? アイツは絶対何か理由付けて一人になろうとするから、何があってもリョータを監視するのよ』って念を押されましたから!」
「あんの野郎……」
俺が自分の身体を弄ろうと、誰にも迷惑なんて掛からないのに……。
アイツは本当に俺に厳しすぎやしないか?
と、俺が顔を顰めていると、リムが困ったように訊いてきた。
「えっと、お兄ちゃんはリーンさんのことが嫌いなんですか?」
「嫌いって言うか……反りが合わないんだよ、アイツとは」
リーンは責任感あるし、孤児達を救おうと孤児院を開くし、悪いと思った事はちゃんと謝るいい奴だ。
だけどやたら俺に冷たかったり厳しかったりするからなぁ。
普通にアレはツンデレのツンじゃないし。純粋な嫌悪感だし。
「そうですか? 私から見たら、二人は仲が良さそうに見えますけど」
「ええ……何でリムと言いお前の母ちゃんと言い、俺とアイツの仲が良いって言ってくるんだよ……」
普通に仲悪いだろ、俺とリーンは。
基本口喧嘩しかしてないのに。
何だ、喧嘩するほど仲が良いとでも思ってるのか?
と、俺が更に眉をひそめると、リムはアハハと苦笑いを溢す。
「でも、何だかんだで一緒に修行したりしてるじゃないですか。普通仲が良くないなら、今まで続いてないですよ」
「そうかぁ?」
「そうですよ。何だか、お兄ちゃんとリーンさんはこの本に出て来る主人公とヒロインみたいで……」
「この本?」
ウットリしたような表情のリムが胸に抱いた本に、俺は視線を落とす。
「はい! この本は恋愛ロマンスで、主人公とヒロインは幼馴染み同士なんです! だけどいつも喧嘩ばかりしていて、お互い嫌悪しているんですけど、ストーリーを読み進めていくごとに、段々お互いのいいところに気付き、やがて引かれ合っていって……!」
「オッケーオッケー、一旦落ち着けリム」
「ハッ! ゴ、ゴメンナサイ、つい……」
本好きのスイッチが入ったのか、目を輝かせて本を押し付けてくるリムを、俺はドウドウと宥めた。
しっかし、互いに嫌悪し合っている主人公とヒロインねえ……。
「確かにそのあらすじを聞けば今の俺とリーンと合致してる部分はあるかもだけど、流石に恋愛までには発展しねえよ、一応言っとくけど。あと、俺だったからいいけど、リーンに今の話したらマジギレされるからな?」
「……ッ!? そ、そうですね、アハハ……」
あの怒ると超怖いリーンに叱られている想像でもしたのか、リムは身体をビクッとさせた。
……俺とリーンが、かぁ。
いやナイナイナイ、それはナイわ~。
例えアイツが超絶美人とはいえ、中身が恐ろしいからなぁ。
それに、アイツが俺に対してあんな態度取ってる以上、甘酸っぱい展開になんてならないだろうし。
「ハイ、この話はもうお終い。そろそろ晩飯作らねえと」
「あっ、私も手伝います! 監視も兼ねて!」
「う~ん、手強い」
リムの用心深さに思わず笑いながら立ち上がると、俺は窓から少し日の傾いた空を見上げた。
――夜は至って何も変わらないと思っていた。
基本夜の間は魔王城に居るし、後は晩飯を食って寝るだけだと思っていたからだ。
それに女になっても普通に料理は作れるし、食えるし、歯を磨けるし。
取りあえず今日は、リーンやリムに叱られる事も無いだろうなと安心していた。
が、俺は飯を食べた後、衝撃の事実に気付いてしまった。
俺にとってもっとも一日で重要な事が出来ないという、深刻な問題が発覚したのだ。
しかしそれでも、俺はある場所へ向かおうとしていたのだが……。
「放せやあああああああああああああああああああああッ!」
「ダメでございます魔王様、リーン様に怒られますよ!?」
「そうよ! ホラ、それをしなきゃ死ぬって事はないんだし! ね!?」
「お、お兄ちゃん、暴れないで下さい!」
「ああああああああああああああああああああああああッ!」
途中ハイデル達と廊下でバッタリ会ってしまい、その場で両手両足を押さえつけられ身動きが取れないでいた。
全く、コイツらは何も分かっていない!
日本人、毎日コレをしなきゃ死んじゃうってのに!
日本男児として、何としてもあの場所へ向かわなければあああああ!
そんな故郷に対して失礼極まりない信念と共に、俺がジタバタ足掻いていると。
「ああもう、今度は何よまったく!」
「ゲッ、リーン!?」
廊下の奥から、ゲッソリした表情をしたリーンが姿を現した。
おかしい、コイツはまだ孤児院に居たはずなのに!
と、俺が驚愕に目を見開いていると。
「よかった! 通信魔法はまだ特訓中で、こっちからしかメッセージを送れないし不安定だったけど、上手く行った!」
「リムウウゥゥゥ!?」
背中に馬乗りになっているリムの言葉に、俺は酷く裏切られた気がした。
「急に頭の中にリムの声が聞こえたからビックリしたわよ……で、コイツは一体何しようとしてたの?」
「いだだだだだ!? ひゃめろ、ほっへ引っ張るんじゃへえー!」
そう言いながら俺の側に屈み、ほっぺを思い切り抓り上げるリーン。
多分相当力は抑えているのだろうが、今朝のレオンの時より断然今の方が痛い。
「それで、何しようとしたのよ?」
「ぶっはあ!」
しばらくしてリーンが手を放すと、俺は渋々事情を簡潔に説明した。
「……風呂入ろうとしたら捕まった」
「ハァ……お風呂ぐらい我慢しなさいよ」
「はあ!? 俺は一日でも風呂に入らないと死んじゃう人種なんだよ!」
「どんな人種よ!?」
日本人という、美意識の高い人種ですよ!
っていうか、ロクに風呂にも入れないなんて、女の子って大変だな……。
いや、違う違う違う!
普通に入るよね!? 多分男よりも入るよね!?
だって毎回ドコでもドア使ったときにしずかちゃんとお風呂で遭遇するもんね!
……いや違う、話がずれた。
「とにかく、俺は風呂にどーしても入りたいんだ。それにさ、今の俺の髪ってこんなに長くて艶々してるんだよ? 洗ってあげないなんか勿体ないじゃん」
「いやまあ、確かに……」
そう、リーンが俺の言葉に顔を逸らした時だった。
「その話なら、我にも言いたいことがある」
廊下の暗闇の中から、レオンが姿を現したのである。
「レオン? いつからそこに……」
「慌てた様子のリーンを見掛けて、後を付けてみたらお前達がいてな。出るタイミングを失っていた」
少し驚いた様子のハイデルにレオンがばつの悪そうな顔をしながら応えると、リーンに向かって言った。
「実は我も、風呂に入りたいと思っていたのだ」
「え!? レオンもなの!?」
意外だったのか、リーンは目を丸くさせる。
一方俺はと言うと、同士が増えたことに感激していた。
「レオン! お前も女になった自分の身体が気になったんだな! そうだよな、やっぱりお前はムッツリだ!」
「ぶっ殺すぞ!? 我は貴様のような下心など無いわ! ただ純粋に、この長くなってしまった髪を放置するのが気になってだな……!」
自分のツインテールを摘まみ上げながら俺に怒鳴るレオン。
その様子を見ていた女達は、互いに顔を見合わせた。
「ど、どうします? 確かに二人の意見、すっごく共感出来ますけど……」
「そうよね……私達女の子って、自分の臭い気にしちゃうもんね……」
「で、でも! 髪の他にも、今の身体を洗うのよあの二人が! 特にリョータの奴なんて、嬉々として自分の身体の隅々まで洗うわよ!?」
オイ、何で俺だけ指定なんだよ、レオンもだろうが。
三人の会話に聞き耳を立てて内心ツッコんでいると、側に居たハイデルがレオンに話し掛けた。
「レオン、確か貴方には妹様がいらっしゃいましたよね?」
「ああ」
「えっ、何それ、初耳なんですけど!?」
妹いたんだレオンの奴!
何なんだよ、この前サキュバス達に好かれたと思ったら、今度はフィアといい感じになって、更には妹がいたという事実!
ラブコメの主人公かな!? 畜生羨ましい!
……しかし、風呂とレオンの妹にどんな関係が?
と、俺が首を傾げていると、ハイデルが人差し指を立てて言った。
「それならば、妹様に頼んで身体を洗って貰えばいいのではないですか?」
「はあああ!? な、何を言い出すのだ貴様は!?」
あまりの衝撃発言に、レオンは顔を赤くし仰け反りながら叫ぶ。
「いえですが、自身の身体を触らず洗うとなると、誰かに洗って貰うしかないかと」
「そうね。それに実の妹なら洗って貰ってもあまり問題はないかな。じゃあリム、お願い」
「はい、レオンさんの実家に連絡を……」
「待て待て待て! 何故我が妹に身体を洗われる前提の話をしているのだ!」
リーンの指示で通信魔法を使おうとしたのか、こめかみに人差し指を当て虚空を見上げたリムに、レオンがブンブンと首を振るが。
「……はい、メッセージを送りました!」
「ああああああああ!?」
一足遅かったようだ。
レオンはガクリと膝をつくとその場で項垂れた。
「我は……我はこの歳になって、妹に身体を洗われるのか……?」
「いや、寧ろご褒美じゃね?」
「我は貴様のような頭のぶっ飛んだド変態ではないのだ!」
「な、何だよ頭のぶっ飛んだド変態って! それはローズの事だろ!? 俺は自分で決めた最低限のルールは守る、変態という名の紳士だ!」
「ちょっと待ちなさいよ、誰が頭がぶっ飛んでるですって!?」
いつの間にか、俺とレオンとローズの三人で取っ組み合いが始まる。
そんな中、リーンの独り言が耳に入った。
「レオンはこれでいいとして、リョータはどうしよう……」
そう呟いたリーンはやがて大きなため息をつくと、何かを決めたような面持ちで俺の手を引っ張った。
「来なさい」
「えっ、何? 何なの?」
「皆はもう解散。後のことは任せて」
そしてそれだけアイツらに言い残し、そのまま俺を連れてどこかに向かいだした。
いや、どこかって……話の流れ的に……。
まさか……。
「オイ、お前まさか……」
そう、俺が怖ず怖ずと訊ねると。
「……リムやローズがやらなきゃなら、私がやるわよ」
心底嫌な顔をしながらも、リーンは若干顔を赤らめながら応えた。