第十二話 捕らわれ少女は今日も幸せだ!⑩
「リョータさん、大丈夫ですか……?」
「いやぁ残念ながら、まったく大丈夫じゃねえや……。そう言うリムは……?」
「じ、実は私も……ふぅ……」
俺の胸にもたれ掛かるリムは、グッタリした様子で深く息を吐いた。
それにしても、何が起きたか未だによく分からない……。
一つだけ分かるとすれば、リムがヤバかったと言う事だけ。
この世界の女の子ってえげつねえな……。
「クッ……もうッ……!」
そんな俺の隣では、うつ伏せになっているジークリンデが油まみれでツルツルの鞭を掴もうと苦戦していた。
コイツもコイツで、アレ喰らってまだ意識あるなんてな……。
ほんと……この世界の女って怖い……。
「それにしてもこの鞭……」
俺は足下に滑ってきた鞭を屈みながら観察する。
「アレ? 持ち手の部分だけしかない……。ああ成程、あの鞭の本体はコイツの魔力なのか……」
多分、鞭の持ち手を媒介として持ち主の魔力のを鞭状の形にするって言うのが、この魔道具の性能なのだろう。
道理で刀すり抜けたりヘビみたいに絡みついてくるわけだ。
「大丈夫だとは思うけど、一応保険掛けとくか……。『イグニス・ショット』」
「ああっ……! 私の鞭が……!」
俺の放った魔法が油に引火し、その炎がジークリンデの鞭を包み込んだ。
「殺す……あなた絶対に殺してやる……!」
「ッ……わ、悪いけど、もうあんたに構ってられねえから……リム、ちょっと目を瞑っててな」
俺は殺意を向けるジークリンデに若干怖気ながらもそう返すと、ヨロヨロと立ち上がる。
そして刀を持ち直すと、ジークリンデの背中に突き刺そうと……!
「…………」
いや、無理だ。
いくら日本より命の価値が軽い異世界だからって、俺に人殺しする覚悟なんて……。
「何よ……殺す度胸もないの、この腑抜け……」
そんな躊躇っている俺に、ジークリンデは嘲笑うように言ってくる。
「あんたみたいな腑抜け魔王が治める国なんて……アダマス教団が本気を出せば一瞬で滅ぼせるわ……」
「…………」
そんなジークリンデに、俺は。
「精々死なないように足掻く事ね……! あんたの大切な国も、仲間も、全てぶっ壊して――」
「男女平等踵落とし!!」
「――ガ……ァ……!」
説明しよう、男女平等踵落としとは!
女性に対して全力で攻撃する際、男女平等と叫ぶことで心のダメージを軽減する技である!
俺がジークリンデの言葉を遮り、背中を思いっ切り踏み付けると、今度こそジークリンデは意識を手放した。
「ケッ、殺す度胸はなくても、テメエ見てえなクソ女を踏み付けるぐらいは出来るよ……」
ジークリンデ・ワウリーク……お前とは……。
お前とは……もう戦いたくないですッ!
二度と俺らの前に現れないで下さい! お願いしますッ!
と、俺は心の中でペコペコ頭を下げ、リムの元へ歩み寄った。
「リム、立てるか……?」
「す、すいません……身体がもう……」
「そっか……それじゃあ、俺の背中に」
「えっ……でもリョータさんは……」
「大丈夫大丈夫。ホラ、早く」
そう言って屈みリムに背中を向けると、リムはおずおずと俺の背中に乗った。
「ッ……!」
その瞬間、リムを支えていた右手に激痛が走る。
いってえ……!
右腕……折れて……ないよな……?
いや、今は耐えろ……!
今は早く、ここを脱出しよう……。
リーン達、もう外の奴らと合流してるかな……?
と、俺が歩き出したその時だった。
『オイ、急ぐぞ!』
「ん……? 何だ、アイツらか……?」
大広間に続く階段から、誰かの声が聞こえた。
アダマス教徒はジークリンデと一緒に黒こげになっているから、今度こそウチの連中だろう。
そう思っていたのだが。
『何だ今の光はッ!? ジークリンデ様はご無事なのか!?』
『まったく、お前が靴紐が解けたなんて言って立ち止まってる間に……!』
「様……!? おいおい、まだいんのかよ……!」
話の内容からここに近づいてきているのは、アダマス教徒だった。
畜生、ここに居る奴らで全員じゃなかったのか……!
「リョ、リョータさん……!」
「分かってる……!」
ここから出るにはあの階段を降りるしか無い。
だが今の俺とリムには、もう誰かと戦う体力も残っていない。
どうする……!?
そう、俺が頭を悩ませていたときだった。
「ん……風……?」
横から涼しい風が吹き、俺の頬を撫でてきた。
ハッとその方を見てみると、そこにはリムが魔法で開けた大穴が。
「そうか……!」
「リョータさん、まさか……!」
「ああ、そのまさかだ……!」
震える声でおずおずと訊いてきたリムに、俺はそう返しながら大穴に駆け寄る。
そして大穴から顔を出し、下を覗き込んでみる。
「「た、高い……」」
俺とリムが呟いたようにここから下まで何十メートルもあり、顔に強い風が当たる。
足場になりそうな場所は……無いか……ん?
「アレは……」
森の木々の隙間に、何かキラキラと輝く何かが見てた。
千里眼を発動させて見てみると、そこには月明かりに照らされ水面がキラキラと輝いている、小さな湖があった。
あんな所に湖が……高い所じゃないと分からないな……。
……待てよ、湖?
ここから湖までの距離はちょっと遠いが……いけるか……?
「いや、やるっきゃねえな」
「リョータさん、ほ、本当に飛び降りるんですか……!? ペシャンコになっちゃいますよ!」
「大丈夫だ、そこまでバカじゃねえよ」
俺はリムに安心させるように言うと、ポシェットから最後に残しておいたとっておきを取り出す。
「よし、コレで……!」
「ポーション……ですか……?」
「ング、ング、プハァ! うん、やっぱ微妙」
今度はほうじ茶に蜂蜜を合わせたような味のポーションを飲み干すと、袖で腕を拭う。
その瞬間。
「なっ、何だこの惨状は……!?」
「ジークリンデ様ッ!?」
その声に振り替えると、新手のアダマス教徒が二人、驚愕に目を見開いていた。
「ッ! コレは貴様がやったのか!?」
「よくも……ッ!」
そしてすぐに俺達の存在に気付くと、二人の男が腰から剣の抜く。
その二人に警戒しながら、俺はチラと後ろを向き。
「リム、今から絶対俺にしがみついて離れんなよ! 放したら死ぬぞ!」
「え、ええ!? 本当に飛び降りるんですか!?」
「いいから! 大丈夫、俺を信じろ!」
「わ、分かりました……!」
俺の言葉に、リムがゴクリと生唾を飲み込んだ音が聞こえた。
そして俺の身体にギュッとしがみついたのを確認すると、リムから両手を離し地面に掌を向ける。
「な、何をする気だ!?」
「何って、逃げるんだよ……」
「き、気が狂ったか? ここから落ちれば、間違いなく死ぬぞ!」
「さあて、ソレはどうかな……?」
俺は二人の男にニヤリと笑ってみせると、掌に魔力を集中させる。
……さっき飲んだポーション。
アレはマジックブレスポーションという、一度だけ魔法の威力を何倍も上げる効果があるポーションだ。
だから普段、花壇の水やりに最適なあの魔法だって、もの凄い威力になる。
「しっかり捕まってろよおおおおお! 『アクア・ブレス』――ッ!」
その刹那、俺の掌から凄まじい勢いの水が噴射された。
「ぬぐうううううううッ!」
さながら消防車の消火用のホース、いやそれ以上の勢いで噴射される水の勢いに右腕が軋む。
しかし、その水の勢いはドンドンと強まっていく。
右腕に走る激痛に耐えながら俺は地面を蹴り、背中から外に飛び出した。
普通なら、そのまま落ちていくであろう俺の身体。
しかし、何倍も威力が上がったアクア・ブレスのおかげで――!
「「と、飛んだああああああああああああッ!?」」
二人の男が声を揃えて驚く中、俺はそのままアクア・ブレスを放ち続けその勢いで飛んでいった。
「ふにゃあああああああああああああああッ!? リョータさん、飛んでる、飛んでますよッ!?」
「ヒイイイイイイイイィィィィ! やっぱ怖えええええええええええ! そして痛ええええええええええええええ!」
リムが叫びながら俺にしがみつく中、俺も恐怖と痛みに叫びながらもチラと下を見る。
するとそこには、空を横切る俺達を驚いた様子で見るリーン達の姿が。
無事コイツらが合流出来たことに安堵したいところだが、今はそんな時間は無い。
俺はある一点を見つめながら、必死にアクア・ブレスを放ち続ける。
「ど、どうするんですかあああああああ!? このままじゃ、どっち道私達ペシャンコですよおおおおおおおお!」
「大丈夫だああああああああああ! だってこの先にはあああああああ!」
高度が落ち始めた事によってパニックになっているリムに叫び返すと、俺は魔法を放つのを止めた。
俺は背中に手を伸ばしリムを自分の胸に引き寄せると、放さないように全力で抱きしめる。
「リムッ!」
「ッ!」
そのまま、俺達は勢い良く落ちていき――!
「――ゲッホゲホ、ウエッホ! だ、大丈夫かリム……?」
「ハア……ハア……な、何とか……リョータさんは……?」
「生きてるぜ~……」
湖から這い上がった俺達は、息を切らせながらお互いの無事を確認し合う。
俺の隣にへたれこんでいるリムは全身びしょ濡れだが、目立った外傷はなさそうだ。
「あ~、死ぬかと思った……」
「ソレはこっちのセリフです……! 怖かったぁ……」
「悪い、咄嗟に思いついたのがソレしかなくって……」
頬を膨らませるリムに、俺は苦笑いを浮かべながら謝罪した。
まあ、今ので俺の右腕は完全に折れただろうけど……。
うぅ……やっぱ痛え……!
「とりあえずリム、お前が無事で良かったよ……」
「リョータさん……」
そう俺が立ち上がり、安心したように笑うと、リムが顔を伏せた。
するとリムの座る地面に、ポタポタと水滴が落ちた。
「リム……?」
一瞬、髪に付いた湖の水かと思ったのだが、その後すぐに違うと察した。
「うぅ……うぅぅ……」
リムの嗚咽が聞こえたからだ。
「ごめんなさい……私……私……」
涙をポロポロと溢すリムは袖で涙を拭い、嗚咽混じりに言う。
「私が全部悪いんです……私のせいで、皆さんに迷惑を掛けて……リョータさんにも……」
「リム……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
何回も何回も、俺に謝ってくるリム。
……確かにリムを助けるために俺も、恐らくアイツらも怪我をしてしまった。
だからリムは、自分のために傷付いてしまった俺達に、申し訳ないと心から思っているんだろう。
…………。
「リム」
「……ッ」
俺に何か言われると思ったのだろうか、ギュッと目を瞑り震え出すリム。
そんなリムに、俺は……。
「お前はホントに凄い奴だよ」
「……ふえ?」
俺がそう笑いかけて言うと、リムは涙に濡れた顔を上げた。
「あの子達から聞いたよ。捕まっている間、あの子達の面倒見ててくれたんだろ?」
「そ、そんなの……」
「普通あんな状況なら誰だって自分の事だけ考えるさ。だけどお前は、あの子達を最優先に動いた。そんな事、俺なら絶対出来ないよ」
俺は地面にあぐらをかいてリムと視線を合わせ、自嘲気味に言った。
「お前があの場に居たから、あの子達は怯えずにいられたんだ。ホント、お前は凄い奴だよ」
「リョータさん……」
「それに俺達は、例え大怪我しても必ずお前を助ける覚悟でここに来たんだ。そんな風に何回も謝るより、一回でもありがとうって言ってくれた方が、嬉しいからさ」
「…………」
それでも、リムは何か言いたそうに口を紡ぐ。
そしてしばらくして、リムはおずおずと口を開いた。
「……リョータさん」
「ん?」
「私は……魔王軍四天王に向いているんでしょうか……?」
「…………」
「私はやっぱり子供です……。今までずっと大人ぶっていただけの子供なんです……。そんな私が、魔王軍四天王でいいんでしょうか……?」
確かに、リムはまだ十歳の子供。
それで実質ウチの国の最上位の地位に立っているとなると、荷が重いなんて言葉じゃ足りないぐらい大変だろう。
でも……。
「まったくもう……お前はホント、そういうとこ頑固だよなぁ」
「が、頑固って何ですか!」
ヘラヘラ笑いながら言う俺に、リムは頬を膨らませる。
「あのな、正直に言おうか。あの中で一番魔王軍四天王に向いているのはお前だ」
「で、でも……」
「はい反論禁止。当たり前だろ、お前が居なきゃアイツらも俺も一瞬で壊滅するよ」
正直、ソレが本当だという事に若干情けなくなるが……。
「あと、別に大人ぶるのは悪い事じゃないさ。そのおかげで実際助かってるんだし……」
そう言うと俺は、リムの頭の上に手を置きながら。
「だけどさ、何か困ったら、せめて俺だけでも頼ってくれよ」
「いいんですか……? またリョータさんに、迷惑を掛けちゃうかも……」
「寧ろ存分に迷惑掛けてくれ。それでリムの気持ちが、軽くなるんだったらさ……」
リムにつられたからなのだろうか。
俺の視界がぼやけ始めた。
「だから……」
俺はリムにとって、決して誇れるような存在じゃない。
弱いけど、情けないけど、みっともないけど。
それでも。
「こんな俺でも、お前のお兄ちゃん面させてくれないか?」
「うぅ……うぅぅッ!」
俺の胸に飛び込んで来たリムを、俺は優しく抱き留めた。
「怖かったよぉ……寂しかったよぉ……!」
「うん……」
「もう……皆と離ればなれなんて嫌だよぉ……!」
「うん……」
俺はリムの長くて美しい銀髪を優しく梳いてやる。
すると、リムはまるで、今まで溜め込んできた感情を吐き出すように、俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
――遠くから、リーン達の声が聞こえる。
きっと俺達を追いかけて来たのだろう。
その声を遠巻きに聞きながら、俺は空を見上げた。
今まで空を覆っていた雲は消え去り、目の前には満月が浮かんでいる。
その月明かりは、一人の少女を。
魔王軍四天王という大きな肩書きを背負う、強くて優しい女の子を優しく包んでいた。




