出かける支度
とにかく異常事態であることは間違いない。しかも尋常じゃない。夢や小説、ゲームの世界だ。そして望むところだ。
まだ家庭用ゲーム機が普及していないパソコンの画面がカラーで無い時代からRPGには取り組んできた。子供ながらに、いや子供ゆえにその世界にどっぷり身を置き、難解なスペルやモンスターの名前、武器や防具の種類、毒の沼や異形のはびこる森に幻想を抱かせて夢路に着いたものだ。社会人になってから時間の使い方が大きく変わり、それまでの漫画やゲームの生活から一変、付き合い酒や同世代の異性とのデート、飲み屋の女の子との駆け引きなどで忙しくそう言った世界とは離れていた。営業職が長かったのでどんな話題にもついていけるようにそれらも毛嫌いせず一通りは触れてみたものの、後戻りして貴重な睡眠時間を削ることはしていなかった。
それが生活に若干のゆとりができて人に仕事を任せて生きて行けるようになったことで時間にも余裕が生まれ、実は先月からちょっとだけ、スペックの良いパソコンを導入して海外で高評価のRPGに手を染めていたところだった。
「何もない砂漠かぁ・・・ドアしかない広大な土地」
「鍵さえあれば出入りできる。水や電気も大量でなければこちらから持ってはいける」
「まずはより詳細な調査と拠点づくりか」
そこまで考えたところでTVインターホンが鳴る。画面にはいつもの配送の男性が映っている。
「宅配便で~す」
セキュリティを解錠ししばらく待つと玄関のチャイムが鳴る。
「いやぁ暑いですねぇ。お荷物ここでいいですか? じゃあここにサインを」
既に大汗を書いている彼は玄関に大ぶりな荷物を置きながら微笑んだ。
「今日も暑そうですねぇ。外は変わりなく?」
「? ええ、日陰はマシですが日向は灼熱地獄ですよ」
「お疲れ様でした」
そう言って彼を見送る。違う、彼のもとに灼熱地獄は無い。俺の出口だけが灼熱地獄なのだ。そう考えながら階上のベランダから彼の乗る配送トラックが敷地から出ていくのを見送り独り言ちた。
そこで気づく、ベランダは結解に含まれていない。身を乗り出しても砂漠にはならないからだ。最悪、ここから脱出はできるわけだ。きっと目立つだろうが。
荷物も届く。物資は口座にお金がある限り配送で受け取れるものであれば調達が可能だ。今も届いた荷物はワインとクラフトビールのセットだった。
よし、ならできるだけこの異常事態を楽しもう。夢であっても夢でなくても、やれることをやってみよう。ネットで拡散したりマスコミに売り込むのは後でいい。まずはこのめちゃくちゃな夢と現実を楽しもう。チャンスの神様は前髪しかないのだから。
納戸を探して一番大きなリュックサックを取り出す。そして先ほど使ったザイル、2リットルのペットボトル一杯の水、厚手のごみ袋、オイルライター、スマホ、コンパクト双眼鏡、ノート、ボールペン、大判のタオル、泊まりに来た女の子が置いていった日焼け止め、そしてスキットルに強めの蒸留酒を詰めてリュックサックに入れた。そして玄関外の小さな収納から杖代わりにスキーのストックを用意する。
速乾性のシャツを着こみ、長そでのシャツをその上に羽織る。風通しの良い薄手のデニムを履き露出している部分に先ほどの日焼け止めを刷り込む。砂地に向いた靴は持っていないのでウォーターシューズを履こうとしたが、靴底が薄いと熱された砂地でやけどをするかもと考え、ハイカットの作業靴を履く。サングラスをかけてハンドタオルを首に巻いた。時計を見て昼まで間もないことを確認し、念のためリュックサックに携帯食とゼリー飲料を多めに放り込む。あとはトイレに行けば準備完了だ。
「にゃあ~おぅ」
そうそう、お前たちにも水と餌を用意しなければ。万が一の時があっても良いように浴室のドアを開けて固定し、洗面器に水を少しずつ出しておく。以前ストックの餌袋を食い破った経験があるから納戸の手前にストックの餌袋を出して置き、餌皿には山盛り入れておく。明々後日には合いかぎを持った彼女が来るだろうから、それまでお前たちが生き延びていればいい。
「行ってくるよ」
餌に夢中になっているポロとジャンに声をかけて玄関から出ようとすると、それまでニャムニャムと餌を食んでいたポロが振り返り、
ナン
と鳴いた。