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龍使い  作者: しろうさぎ
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007 期待外れの訓練

 吹き付ける風はもうだいぶ冷たくなってきている。

 冬が近い。

 駆羽野を訪れて3日目となる。

 まともな訓練を開始する初日だ。

 動きやすい上下に着替えた3人は、居住区に近い広場へと来ていた。

 

 南に位置するこの地方も、今は気温はだいぶ下がってきた。

 吹き抜けていく風に、真澄は軽く首をすくめた。

 体を動かすには些か不向きな季節だが、必要に迫られればそうも言っていられない。


(全力で取り組まなくては)


 どんなことをするのだろうか。


(昨日は時間がなくて運動くらいしかできなかったけれど、今日はしっかりと時間もとれるんだし、まともに指導を受けられるはず)


 この時点での真澄の心は、それなりに期待で満ちていた。

 

 けれど。

 全身の柔軟運動をきっちりと行い、体がしっかりと温まってきたところで穂波が軽い調子で告げる。


「とりあえずこの広場10周走れ。そしたら1~2周ほど歩く。何周かは自分の状況見て決めろ。んでまた走る。走ったら息が整うまで柔軟。整ったら走る」


 思わず風羅と顔を見合わせてしまう。

 まさか、今日も運動だけなのだろうか。


 そんな二人の様子を見て、穂波が苦笑した。


「悪いが今のお前たちに剣術云々を指導するつもりはない。何故ならもう基礎技術に関しては充分及第点に達してるからな。お前たちもそのくらいはわかってるだろう?」


 穂波の問いかけには一応頷くものの、納得はできない。

 当然だろう。

 それで納得するようなら自分は最初から穂波に声をかけたりはしない。

 見ず知らずの、事情も知らない人間に教えを請おうと思いきったのは、それなりの理由があるからだ。


 真澄が何か口を開こうとするより早く、穂波は続ける。


「そこでだ。俺が今、代わりにお前たちに求めるのが精神の改革と肉体の強化だ。どっちにしても一度地獄を見てもらう。まずは限界まで動き続けろ。座り込むような休憩は認めない。そのくらいなら柔軟するか歩け。辛いだろう。苦しいだろう。だが容赦はしない。俺を憎んでもいい。ここがお前たちの戦場だと思え」


 なんだか、随分と厳しい要求だ。

 しかも思っていたのと違う方向に話が進んでいる。

 自分はただ、実戦での戦闘訓練をしてほしかっただけなのだが。


 とはいえ穂波の要求も一応筋は通っているように感じる……

 

 ひとまずここは従ってみようとも真澄は走り出した。

 そして穂波の言う『地獄を見てもらう』という意味を身をもって知るのである。






 どれだけ時間がたったのだろうか。

 まだ太陽は頂点に達していない。


 真澄は空を見上げて、大体の時間を推測する。

 まだそうとはっきりわかるほど、太陽は東にあった。

 終わりの時間は遠い。


 疲れ果て、動きを止めそうになるとすぐに叱責が飛んできた。

 その度に体に鞭打って前へ進む。 


 時折穂波がそばに来て水の入ったコップを渡してくる。

 火照り切った体に冷たい水はありがたかったが、途中からはむせてうまく飲めないことが増えてきた。

 息が上がり、呼吸をしすぎた喉に負担がかかっているのだ。

 今ではまともな呼吸ができない。


 もう走ることはできず、普通に歩くよりも遅いだろう。

 疲労は蓄積され続けている。

 体がまともに機能しない。

 心臓の音が耳に響いて煩わしい。

 足を引きずりながら、辛うじて前へ進んでいく。

 一歩踏み出すごとに全身がきしむ。かかとが砕けそうに痛い。


 なんでこんなことになったんだろう。

 ついついそう思ってしまう。

 こういう事態は予測していなかったのだ。 


 戦い方を教えてもらうつもりだった。

 ある程度は自分も戦えるから、こんなに苦しい思いをするような状況など想像もしてなかった。


(……私は間違えてしまったのだろうか)


 選択肢を間違えて、何かの罰を受けているのか。

 それならばこの苦しさも納得できる……。


 自分から頼み込んだこと。

 それはわかっていたが、心が付いてこなかった。

 想像以上の辛さに、この訓練が只々理不尽に思えたのだ。

 納得できない現状は余計に疲労を重ねさせ、やがて限界を超えた。


 足がもつれて倒れこむ。

 一度倒れてしまえば、もう立ち上がることはできなかった。

 倒れるときに無意識に頭をかばい、打ち付けた肘が痛い。

 受け身がうまく取れず傷になっているかもしれないが、動くだけの気力が足りない。

 腕を動かそうと思いはしたが、わずかに指が砂を掻くのみだ。


 誰かが横に立ち、名前を呼ばれた。

 声で穂波だとわかったが、無茶な訓練に不満を持ったままの真澄は返答しなかった。

 もっとも、返答する気があったとしても、声にはならなかっただろうが。


「限界か?」


 問いかけにも反応しないでいると、上半身を起こされ、タオルでざっと汗を拭かれる。

 

「よく頑張ったな」


 声音は優しかったが、真澄としては反発せずにいられなかった。


(倒れるまで走らせといて、何が『頑張った』だ)


 喋れる状態だったら、文句のひとつもぶつけていただろう。

 だが真澄は呼吸すら苦痛に感じる程体を酷使していた。

 つまらないことに労力を割くくらいなら体を休めたかったため無言を通す。


「……移動する。悪いが、抱えるぞ」


 そう言って穂波は真澄を肩に乗せるよう抱え上げ、広場の端へ移動する。

 休憩用にだろう、ベンチが二つ並んでいる。

 そのひとつには先客がいた。

 風羅が目を瞑り、ぐったりと横になり上着をかけられていた。

 どうやら真澄が気が付かない内に、風羅も限界を迎えていたらしい。


 真澄は隣のベンチへと降ろされ、同じように上着をかけられる。

 その時になってやっと風の冷たさを思い出す。

 いつの間にか体が冷えていた。

 先ほど真っ先に汗を拭かれたのはこのためか……濡れたままでいたら、疲労で抵抗力が下がっているだろう体はすぐに体調を崩すだろう。


「方針を変えるつもりはないが……きつけりゃ俺を憎んでもいいぞ」


 そう言う穂波の顔は、言葉に反して優しさに満ちていた。

 ずるいだろう、こういうのは。

 こんな表情でそんなことを言われては、逆に憎めなくなるではないか。


「少し早いが、今日はもう宿に戻ろう。広場出口に小馬車を頼んであるが、そこまで歩けそうか?」


 問いにゆるく首を振る。

 広場を出るのも無理そうだ。


「そうか。なら少し我慢してくれ。まず風羅を運んでくる」


 そう言って穂波は一度真澄のそばを離れる。


 女性だからと気を使ったのだろうか、風羅を抱えるときは肩に乗せず、横抱きにして歩いていく。

 なんとなく差をつけられたような気がして面白くない。

 けれどすぐに、こればかりはしょうがないかと思い直す。

 女性を乱雑に扱うのは男として問題があると真澄も思うので、まあ当然の対応だとは一応納得できる。


 そう。

 理性では納得できる、のだが。


 しばらくして穂波が戻ってくると、先ほどと同じように肩に担がれた。


(むぅ……)


 運んでもらっておいて贅沢を言える立場ではないが、やはりこれはどうなのか。

 女性と同じように扱えと言うつもりはない。

 むしろそんなことをされれば虫唾が走る。

 元気がある時ならば、馬鹿にするなと怒鳴りつけるかもしれない。


 だがしかし現実的に差をつけられると嬉しくないのだ。

 荷物ではないんだぞと言ってやりたい。


 ではどうすればいいのかと言われると、答えが見つからず困ってしまうのだが。


(これはまた難しい問題に直面したものだ)


 小馬車に運ばれると、穂波が御者台につく。

 馬も小さく速度はあまり出ないが、その分ゆったりとした揺れが心地良い。

 

(ああ、後で小馬車の賃料渡さなきゃ…これも必要経費…)


 ぼんやりとそんなことを考えながら、ゆるやかに流れる景色を見ていた。






「真澄、起きれるか」

 

 声を掛けられはっと息をのむ。

 どうやら疲れに負けて寝ていたらしい。


「大丈夫か? 調子はどうだ」


 聞かれてあちこちに力を入れてみる。

 まだ足は痛いし全身泥のように重いが、動けないほどではない。

 心拍も落ち着き、うるさいほどに耳に響いていた鼓動ももう気にならない。

 のどはまだ少し違和感があるが、呼吸はほぼ通常に戻っている。


「ゆっくりでいいなら、降りて歩くくらいはできそうです」


 ゆっくりと小馬車から降りてみる。

 思った通り、この程度なら問題なさそうだ。


 だが、風羅はそうも行かないようだった。

 必死に歩こうとするが、そのたびにふらつき、酷く危うい。

 よほど足が痛むのだろう。


「これは……明日までに、男物の靴を用意したほうがいいかもしれないな。風羅では子供サイズになるだろうが」


 穂波のつぶやきが耳に入る。


(男物……? そうか、風羅の靴は……)


 風羅の小さな足と、それを包む靴を見て悔やむ。

 どうして気付いてやれなかったのだろう。

 風羅も動きやすい運動靴を履いてはいたが、女性用のそれは真澄や穂波の靴と比べると華奢な作りをしていることに。

 もともと女性はあまり外を走り回るものではない。

 そのため靴も、機能より外見重視で作られがちなのだ。

 

 穂波が小さく溜息をついた。


「風羅、腕につかまれ」


 左腕を示され、戸惑っているのか、穂波と真澄を交互に見る。

 確かに風羅の立場では素直に甘えることは無理だろう。

 だが、今は必要なことだ。


「このまま途中で転ぶのと、少しの間我慢して無事に戻るのとどっちがましだ? それとも部屋まで抱えていったほうがいいか? あらぬ誤解を受けてもいいのならそうするが?」


 抱き上げられ部屋に入っていくなど、『そういう関係』だと宣伝しているようなものだ。

 断って無理に歩いたとしても、部屋まで転ばずにいられる自信もないだろう。

 結局、風羅は穂波の腕につかまって部屋まで戻ることとなった。

 

「……気が回らなくて悪かった。風呂を用意してもらうよう伝えてくるから、二人とも体をほぐして疲れを取ってくれ。マメや靴擦れができていたら入浴後報告するように。固定の仕方ひとつでだいぶ変わるからな、あったら必ず伝えろよ。俺が処置する」


 それだけ言うと返事も待たずに穂波が出ていく。

 正直もうベッドに飛び込みたいところだが、このままそれをやったら明日は筋肉痛で一歩も動けなくなりそうだ。

 しっかり対処してできうる限りそれを軽減しなくては自分が困るだけだ。


 準備が終わり風呂に入ると、全身を確認する。

 転んだ時に打ち付けた肘は痣になっていたし、足の裏はマメができたり皮が剥けたりと、かなり悲惨なことになっていた。


 処置に関しては誰に頼んでも同じなのではと思いつつも、言われた通り穂波に報告した。

 穂波による処置を受け、数歩歩いてみて考えを改める。

 随分と痛みが軽減されている。

 先ほどと比べるとだいぶ歩きやすくなったと実感できるのだ。

 

 とはいえ、痛みや疲れが完全になくなったわけではない。

 自分の体ではないかのように動作のひとつひとつがぎこちない。


 こんな状況ではまともな結果も出せないだろうと、今日の人探しは取りやめとした。

 自分一人ではないのだし、無理は禁物だ。

 しっかりと休んで明日に備えたほうが利口だろう。


 そういえばそろそろ昼食の時間なのだろうが……

 さすがに、食欲がわかない。

 今普通に食べたら吐いてしまいそうな気がした。

 仕方なく、宿に頼んで具のない米だけの薄いかゆを作ってもらい、二人分部屋に運んでもらう。

 風羅と二人で粥をすする。

 かなり薄く作ってもらったが、それでも半分ほど残ってしまった。

 初日からこんな状態になるとは思わなかった。


 一応、自分で言い出したことでもあるが、明日の訓練を考えると少し……いや、かなり気が滅入る。

 また同じことをやらされるのだろうか。

 こんなことに意味があるのか。

 気持ちがどんどんと沈んでいくのを感じながら、とにかく体を休めなくてはとベッドに倒れこむように横になった。

 

 かなりきつい。

 せめて、これがきちんと考えられた上での内容であってほしいと、そう願いながら意識を手放した。


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