第二章 ケイニャの日記2
翌朝。
いつものように、庭先でケイニャが水桶を背負っていると
「ケイニャ。大事な話があるから、水汲みから戻ってきたらアタシのところに来な」
高床式住居の玄関先から顔だけ出して伝えるガラ。その表情に笑みが浮かんでいた。きっと大事な話とは昨夜の人身売買のことだろう。もう嫌だ。もうこれ以上、心を歪められたくない。
ケイニャは空の水桶を降ろし、ガラに気づかれないように少ない荷物を持って出ると、玄関先に向かって「お世話になりました」と一礼し、ガラに別れを告げた。
そして歩き続けること10日。
目指すは、ただひとつ。
幼き頃からパルチに聞かされていた『シアス』だった。肌寒い夜を堪えしのぎ、陽が昇ると同時に起きて、陽が暮れるまで東へと歩き続けた。
その間、ガラが血相を変えて捕まえにくるのではないかと、常にビクビクしていた。だが一週間以上も経って、追ってこないところをみると、ガラのほうも諦めたのかもしれない。
だが、それよりも困った問題があった。行く先々で仕入れた食料が尽きかけていたのだ。くたびれた鞄いっぱいに詰め込んだ木の実と果物。それが残り一個となってしまったのだ。
グゥ……と、お腹の虫が泣いてから、すでに半日以上が過ぎていた。
「最後の一個……」
ゴツゴツした岩石に腰掛け、この先の道中に果物が実っていることを祈りながら、鞄の蓋をめくりあげれば
「ミュー!」
ハムスターのような小動物と目が合い、ケイニャは悲鳴を上げた。
「ひゃっ!」
それでも小動物は逃げるどころか、逆にケイニャの腕を伝って肩に這い上がってきた。
「ミューミュー」
「いったい、いつからウチの鞄の中にいたの?」
昨日までいなかったはずの生き物。いったい、いつから迷い込んでたのだろうか。と考えていると、小動物がケイニャに頬ずりをしながら可愛らしく鳴いた。
「ミューミューじゃ分からないよ。まぁ、いいわ。じゃぁ一緒に食べましょうか」
ケイニャはそう言って、小さなナイフを使って果物の皮を剥き、そして一欠片を小動物に分け与えた。
「これが最後の食料だから、味わって食べてね」
本来ならば笑顔を浮かべて優しく言っている言葉。だが感情が乏しくなってしまった今のケイニャには、笑い方すら思い出せなくなっていた。
「シアスって……あっちでいいんだよね?」
ケイニャは最後の果物を噛りながら、東へと伸びる街道を眺めた。
二日後……。
空腹により、体力が尽き果てたケイニャは大岩をよじ登っていた。
「倒れるなら、せめて高いところで……」
空腹を抱えて歩き続けた結果、脚が言うことが利かなくなっていた。とりあえずバブンガスが噴出した場合に備え、地表面より高いところに登った。もっとも、ガス以前より空腹で死にそうなのだが。
「も、もう……動けない……」
大岩の頂点にへばりつき、霞む意識の中、ケイニャは昔のことを思い出していた。
「おばあさん……」
裕福とは言えなかったが、パルチと過ごした生活は楽しかった。
「ここまで育ててくれて、ありがとう……」
シアスに辿り着けなかったことを除けば、もう人生に悔いはなかった。だが……
トオルさんに命を拾われました。
ただ、ちょっと怖くて近寄りがたいです。それでも、ご飯を食べさせてもらい、念願のシアスへ連れてってくれることを約束してくれました。聞いたところ、シアスは西の方にあるらしく、地図を持っていなかったウチは反対方向に歩き続けていたみたいです。でも、そのおかげで、こうしてトオルさんと出会うことができました。もしかしたら神さまが導いてくれたんだと思います。
その感謝の意味を込めて、ウチも精一杯の恩返しをしようと、ディアさんの手を借りてお手伝いをさせてもらってます。
ディアさんはあまり喋りませんが、優しい人です。一昨日も、仕事で立ち寄った村で服を買ってくれました。
「……この子に服を」
言葉少ないディアの注文に、仕立て屋のカメトカゲの主人がケイニャを見て訝しんだ。
「この辺りじゃ非獣人が居ないから、ヒューマン用の服は置いてないよ」
「……じゃあ、すぐに作って」
「簡単に言うけど、金はあるのかい?」
「……ある」と腰からぶら下げた黒い巾着袋からケピロンプレートを一枚出すと、カメトカゲの態度が一転した。
「こりゃ、疑ってすまなかった。早速、作らせてもらうよ」
大金を見せられた主人は、すぐにメジャーでもってケイニャの体を採寸する。
「それで、どんな服をご所望で?」
「……時間がないから、早くできれば何でもいい」
あと下着と替えも何枚か用意してほしい。と付け加えるディア。
「もちろん。家族総出で作らせてもらうよ」
そう言ってカメトカゲは店の奥へと呼びかけた。
「おーい、上玉の注文が飛び込んできたから、手伝ってくれ!」
「……どのくらいで作れる?」
「二時間もあれば、揃えられるよ」
「……じゃあ、その間、他所で買い物してくる」
そう言い残し、ディアはケイニャを連れて靴屋へと向かった。
「……この子に靴を」
仕立て屋同様のやり取りを繰り返し、二足の靴を買うディア。足首に巻き付け、踝をしっかり保護する革仕立てのブーツサンダル。久しぶりの履物の感触にケイニャが戸惑っていると
「……他に何か欲しいのある?」
靴屋を出るなり、さらなるリクエストを訊ねるディア。ただでさえ大金を使って衣類を揃えてくれたのだ。これ以上、欲しいものなどあるわけがない。と、ケイニャが首を横に振ると
「……お洒落は乙女の嗜み」
そう言ってケイニャの手を引き、雑貨屋に向かうディア。そして手鏡と櫛とポシェットを選んでケイニャに買い与えた。
買ってもらった服はワンピースです。色は黄色とピンクのものを三着ずつ。ポシェットは肩から掛けられるもので、手鏡と櫛を入れました。それから髪もポニーテールという形に結ってもらいました。でも、こんなに揃えてもらってお洒落までしてもらうと、何だか気が引けてなりません。後で知ったことですが、ディアさんが出したお金は必要経費として宅配会社さんから融通されるそうです。いいんでしょうか。と、トオルさんに聞いたところ、問題ないとのことでした。
「ありがとう……ございます。このご恩は一生忘れません」
小さな声でお礼を述べたケイニャは、翌日からみんなの身の回りの世話に努めた。元々、拾われたときからこなしていたライドクローラー内の掃除に加え、料理や洗濯など……とにかく気づいたことがあれば、ディアに相談して小さな雑用も進んで片付けた。
「もっと、もっと頑張ってみなさんの役に立ちたい」
頑張らなくっちゃ! と小さな体を使って一生懸命働くケイニャ。そしていつしか、配達用の荷物の積込みまで手伝うようになっていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「はい。お気をつけて」
出発するトオルを見送って、再生体の積込みを手伝っていると
「ケイニャ殿は覚えが早くて助かる」
再生体に仕事ぶりを褒められて、思わずはにかむケイニャ。
「そう言ってくださると、ウチも嬉しいです」
気づけば笑っていた。何年ぶりだろう。硬直していた目元と頬がくすぐったかった。それが自分でも可笑しくて、笑顔が止まらなくなってしまった。
みなさん、とても優しくって親切にしてくれます。
でも、どうしても気になることがあります。それは再生体さんに対するトオルさんの態度です。兄弟だから喧嘩もするのかもしれません。でも、やっぱり気になってしまい、この間、思い切って再生体さんに訊いてみました。
「すまない。拙者の口からは兄者の心中は語れないのだ」
沈鬱な表情を浮かべる再生体に、ケイニャもそれ以上、踏み込むことができず、口を噤んでしまった。きっと人には知られたくない複雑な事情を抱えているのかもしれない。
そんなことを考えながら雑務に専念していると、ライドクローラーを運転していたディアが言う。
「……ケイニャ、考え事してる?」
きっと表情に出ていたのかもしれない。ケイニャは思い切ってトオルたちのことを訊いてみた。
「……トールの好きな彼女が、再生体とくっついただけ」
言葉少なく色恋沙汰を語るディアに、ケイニャは口走ってしまった自分を恥じた。すると
「……トールがしつこいだけ」
だから私たちが気にしてもしょうがないこと。と淡々と付け加えるディアだった。
詳しいことは知らないけど、お二人には早く仲直りしてほしいです。ウチが言うのも変だけど、トオルさんにはもっと元気になってもらいたいです。もし、ウチが心の読めるクレハ星人だったら、トオルさんと再生体さんの仲をよくすることもできたかもしれません。
でも近頃、不思議なことにディアさんの考えがだんだん分かってきたような気がします。特に『ごはん』の炊き具合なんかは、すぐに分かるようになりました。
「…………」
炊き上がったばかりのごはんを咀嚼し、目を瞑るディア。そのテイスティングさながらの様子に、ケイニャは固唾を飲んだ。
「今日の炊き加減はどうですか?」
「……お米の立ち方が過去最高」
無表情でケイニャを見つめる『ごはんマイスター』に、ケイニャも両拳を握りしめた。
「つまり、一番美味しいんですね!」
うん。と頷き……
「……これは、もう奇跡」
ツヤツヤした米粒を頬につけたまま炊飯器のご飯を見つめるディアに、ケイニャも微笑んだ。
ディアさんが嬉しいと、ウチもうれしくなってきちゃいます。でも、たまにライドクローラーの運転中、哀しい瞳をして遠くを見ているときがあります。まるで大事な人を想うような、そんな感じです。
「あのぉ、再生体さん。エテルカさんって誰ですか?」
ケイニャは格納庫で荷物の整理をしている再生体に訊いてみた。
「エテルカ? あぁ、エテルカ殿のことか。それがどうしたのだ?」
「いえ、ディアさんが時々、エテルカって言いながら泣いていたので」
「泣いていた? あのディア殿が?」
「いえ、涙は流していないんですけど、泣いているように思えたので。それでエテルカさんって、どんな人なんですか?」
「どんな人と聞かれても……拙者も面識があるだけで詳しいことは」
すると作業日報を送信し終え、格納庫へ降りてきたトオルがケイニャの疑問に答えた。
「エテルカさんは、ディアさんの従者だよ」
「じゅうしゃ?」
「うん。見てのとおり、ディアさんはあまり喋るのが得意じゃないからね。それをクレハ星人のエテルカさんが小さい頃から補っていたみたいだよ」
そう言って、明日の配達の準備を始めるトオル。
「でも僕の親友と、くっついてしまってからは、ディアさんの代弁者がいなくなっちゃったんだよ」
良き理解者を失ってしまったディアに、同情を寄せるケイニャ。パルチを失ったときの孤独感と重ね合わせ、思わず涙目になってしまう。
エテルカさんを想う気持ちはわかります。でもエテルカさんばかりに気持ちが向いてて、なんだか悔しかったです。もしウチがクレハ星人だったら、いつでもそばにいてエテルカさんの代わりになってあげれるのに。
「ディアさんの本業は海賊だよ」
「かいぞく?」
ンカレッツア星で育ち、ましてや内陸部の『ルララケ』から一歩も外へ出たことのないケイニャにとって、その職業が理解できなかった。
宇宙と呼ばれる大海原を横行し、商船を襲って財貨を奪いとる盗賊団らしく、つい最近ではトオルさんの妹さんまで人質にしたそうです。あんな優しいディアさんがそんな悪いことをしていたなんて、ちょっと信じられません。少なくとも悪い人には見えなかったんです。
「ケイニャの言うとおり、ディアさんは悪い人ではないよ。もし悪い人ならば、こうして一緒に仕事なんかしてないよ」
笑うトオルに、ディアへの不信感が晴れていくケイニャ。すると荷物整理をしていた再生体も頷いた。
「それは拙者も感じるところだな。悪い言い方をすれば、あの者は海賊としては三流かもしれん」
もっとも良い意味でもあるが。と人としての高評価を付け加える再生体。そんな二人の証言にケイニャも納得した。
しかも海賊の一番エラい人なんだそうです。どおりで、いつも落ち着いているわけですよね。正直、かっこいいです。もしディアさんから一緒に海賊をしない? なんて言われたら、迷わず海賊になると思います。でも、力だけしか能がないウチなんかでは海賊業が務まるのかどうか。
ケイニャはペンを置き、二段ベッドの下段で寝息を立てているディアを見つめた。静かに寝息を立てている海賊頭首は起きているとき同様に美しかった。
「……お米……もっとお米を」
寝返りを打って毛布を蹴飛ばすディア。
「お米、美味しいですよね」
ケイニャは毛布をかけ直してあげると、窓の外へと目を向けた。
満天の空に浮かぶ双子月の光が地上を明るく照らしている。今夜は珍しく大気が澄んでいて、遠くの山合いの輪郭までもがはっきり見えていた。しばらくその夜景を眺め見ていると、眼下でうごめく人影が視界に入った。
「再生体さん?」
何をしてるんだろう? と今一度、眼を凝らして確認するケイニャ。間違いなく再生体さんだ。何かを振り上げては振り下ろし、また振り上げていた。その繰り返す動作が気になり、ケイニャはブーツサンダルを履いて階下へと降りていった。
「こんな夜遅くに、なにをしてるんですか?」
夜光カエルが鳴く中、ケイニャはライドクローラーを降り、剣を振り回している再生体の背中に声をかけた。
「おぉ、ケイニャ殿。なに、ちょっと剣の稽古を」
長身の剣をクルリと回し、背中の鞘に収める再生体。長剣と短剣が揃った一対の剣。その仰々しい装備に、ケイニャは眼を輝かせた。
「凄くカッコいい剣ですね。もしかして再生体さんが造ったんですか?」
その問いに応えるように、再生体はもう一度、二本の剣を抜いて双子月にかざした。
「この剣は兄者の親友『愛の傭兵』殿から譲り受けたものだ。ひとつは『ネーヴェル』。そして、こっちの短剣は『パンツァー』。いずれも隠れた名刀だ」
長さの異なる『魔剣ヴェルファー』を誇らしげに掲げる再生体に、ケイニャは感銘を覚えた。そして……
「再生体さん、お願いがあります!」
真剣な眼差しをして見上げる幼女に、再生体は屈むようにして向き合った。
「ケイニャ殿の頼みならば、喜んで引き受けよう」
「ウチに……ウチに剣術を教えてください!」
その突拍子もない申し出に、再生体が一瞬だけ逡巡する。
「拙者も剣を極めていない若輩者ゆえ、人に教えらるような立場ではないのだが」
愛の傭兵殿の足元にも及ばぬ拙者では。と剣を収め直す再生体。だが……
「それでもかまいません! どうか、ウチに剣術を教えてください! お願いします!」
強い眼差しで両拳をグッと握りしめる幼女。そのやる気に満ちた気迫に、再生体も無碍に首を横には振れなかった。
「せめて理由を教えてくれないだろうか?」
「ウチ、強くなりたいんです!」
ひとりで生き抜くため。そのために護身術を体得しておきたい。
「弱いままの子供じゃダメなんです……」
弱者では生きてはいけない。ただならぬ決意でもって訴えかけるケイニャに、再生体も頷かざるえなかった。
「苦労したのだな」と幼女の頭を撫で、剣術を教えることを了承する再生体だった。
翌朝。
息苦しさを感じて目を覚ませば、ポウがムササビのように四肢を広げ、顔面に張り付いていた。
「君のおかげで、変な夢を見たじゃないか」
トオルは文句を垂れながら、顔の上でミューミューと愛らしく鳴く小動物の首根っこを摘み上げた。
――それにしても……リアルな夢だったな
面識のないトカゲ獣人から虐待を受けていたケイニャ。とくに棒などで叩かれる暴力行為は、死に対する恐怖そのものだった。そして繰り返されていくにつれ、恐怖よりも死を望むようになっていく。
このまま死ねれば……。
だが、その度に育ての親の顔が脳裏に浮かび、『死』を拒み『生』を選び続けた結果、怪我と心の痛みが増えていった。
――もしかして、あの体のアザは体罰を受けたときの傷なのだろうか?
知らず知らずのうちに、夢と現実の区別ができなくなっていた。
――もし、そうだとしたら……
本人に直接聞いてみるべきか。でも何をどう聞けば良いのか? もし虐待を受けていたことが事実ならば、ケイニャの抱えるトラウマを呼び起こすことともなりかねないし、場合によっては心の壁を作り、ますます塞ぎ込んでしまうかもしれない。それを考えると、迂闊に訊ねることなどできはしなかった。
――きっと人には知られたくない過去だってあるだろう
トオルはケイニャに問うことをやめ、ひとり胸の内に収めることにした。