第二章 ケイニャの日記1
「何だか、胡散臭い話だねぇ……」
そう言って露骨に眉をひそめるトカゲ女。
見慣れぬ非獣人の子供と、右手首から先を失った白衣の男。いずれも初対面だった。洗濯物を干し終えたところへ異種族の星人が声を掛けてきたのだから、警戒するのも当然だろう。
「何もアタシなんか頼まずに、アンタが直接、その運び屋とやらに渡せば済むことじゃないのかい?」
すると、子供は隣に立つ白衣男と目を合わせて肩をすくめた。
「おっしゃることはごもっともだと思うよ。でも、ボクらも急ぎの所要があってね。いつまでも、ここで待っているわけにもいかないんだよ。だから、こうしてあなたにお願いしているわけなんだけど」
「あいにくアタシも暇じゃないんでね。残念だけど、他を当たっておくれ」
そう言ってトカゲ女は空になった洗濯カゴを小脇に抱え、高床式住居の玄関口へと踵を返した。
「もちろんタダとは言わないよ」
報酬ありきの言葉に、トカゲの歩みが止まった。
「最近、人身売買に売りに出すはずだった子供が消えて、臨時収入がフイになったんじゃないのかい?」
するとトカゲは細い舌をチロチロ出して子供を睨みつけた。
「アンタ……どこで、その話を耳にしたんだい?」
「守秘義務だから、それは教えられないね」
「それはおかしいねぇ。それを知っているのはウチの子供くらいなんだけどね」
それとも、あの男が漏らしたのかね? と小さく呟いてから
「いったい、アンタ何者だい?」
目を細めて相手の正体を探るトカゲに、子供は笑ってかぶりを振った。
「それも教えられないのかい。まぁいいさ。それで報酬はくれるんだろうね?」
「仕事としてお願いするわけだから、当然でしょ」
「アタシは子供の小遣い程度じゃ、引き受けないよ」
鼻で笑い倒すトカゲに、子供が開いた右手を突き出した。
「これでどうだい?」
「5ベンガかい? 大人を馬鹿にするのもおよしよ」
手をヒラヒラさせてあきれ返るトカゲに、子供と白衣男が笑った。
「5000万ケピロンだよ。しかも成功報酬として前金で支払うつもりなんだけどね」
途端にトカゲ女が目を見開いた。
「銀河標準通貨のケピロンでかい? からかうのはおよしよ」
疑うのも無理はない。もし提示された金額が本当ならば、この先50年は働かないで済むのだから。だが……
「ビジネスなんだから、冗談なんか言わないよ」
子供は白衣男の背負っているケースから、紙のような金属プレートの束を抜き取った。
「これでどうだろう? この界隈の人身売買マーケットで得られる額より、はるかに良いと思うけれど?」
日本円にして約500万円相当の現金を前に、ソワソワと尻尾を振るトカゲ女。しかし……
「そんなはした金で、アタシが引き受けるとでも思ってるのかい?」
大人を甘く見るんじゃないよ。と腕組みをして睨むトカゲに、おどけた様子で子供が笑う。
「仕方ないね。じゃあ残念だけど他を当たるとしよう」
手にしていた現金を持ったまま、クルリと背を向ける子供と白衣男にトカゲが慌てた。
「ちょ、ちょっとお待ち! そう、何でもかんでも結論を急ぐでないよ。誰も引き受けないとは言ってないだろ!」
引き止める声に、子供と白衣男が振り向いた。
「じゃあ、よろしく」
そう言って現金をトカゲの手に握らす子供。だが……
「人のことをおちょくってんのかい。これっぽっちじゃ足りやしないよ」
と、トカゲ女がさらなる要求を重ねる。その強突く振りに、子供も表情をハッとさせた。
これは失礼。と言葉を足し、今度は別のプレートを差し出した。
「配送代金を忘れていたよ」
金額にして10万ケピロン。
「これで充分、事足りるとは思うからよろしくね」
そう言ってニッコリと微笑む子供の前で、トカゲ女は舌をチロチロさせながら受け取った現金を数え始めた。
「あ、そうそう。言い忘れたけど、もし商品が相手先に届かないようなことがあったら、契約不履行として代償を払ってもらうから。そのつもりで」
そう念を押し、子供は片手の無い白衣男を連れてその場を去っていった。
「偉そうに。こんなはした金程度で、何が代償だい」
二人の後ろ姿を見ながら、チッと舌打ちするトカゲ女だった。
パルチおばあさんへ。
あれから早いもので2年が経ちました。
あのあと遺言どおり、ガラおばさんのところへ引き取られました。
でも……毎日、虐められ続けていた。
それでも最初のうちは持ち前の明るさで受け答えをし、進んで家事などの手伝いをしていたケイニャ。お世話になっているのだから、小言をいわれても何一つ文句も言わず頑張っていた。
ところが一ヶ月が過ぎた頃。
水汲み用の大樽を背負って流水場から戻ると、ガラのひとり娘のモタワにお使いを頼まれた。
「ケイニャ。お母さま(おかーたま)がゾッタの卵を買ってこいってさ」
卵三個分の代金と買い物カゴを渡された。たった3つの卵を買いにいくだけなのに、どうしてカゴが必要なのだろうか。と、そこでケイニャは思った。もしかしたら、落として割らないように用意してくれたのだろうと。空を見上げれば、陽はすでに傾き始めていた。あと1時間もすれば、市場の露店が店じまいを始めてしまう。
「早く行かないと」
ケイニャは急いで身支度を整え、町の露店へと急いだ。そして無事にミソックの卵を買って家に戻れば
「どうして3つだけしか、買ってこなかったんだい?」
台所に立つガラに問われ、ケイニャは躊躇した。
「モタワさんに3つと言われたので」
「そうなのかい、モタワ?」
睨む母親に、娘は尻尾と首を横に振った。
「アタイ、ちゃんとケイニャに伝えたよ。お客さんがくるから10個買ってきてねって」
モタワの虚言に、ケイニャは自分の耳を疑い、咄嗟に口走った。
「そんなこと聞いてない!」
パシッ!
「アタシの娘が嘘をつくわけがないだろ!」
平手打ちされた頬に手を当てて驚くケイニャ。しかし、それでも本当のことを知ってもらおうと、必死に訴えかけた。
「本当に、本当に聞いてないです!」
するともう一回平手が飛んできた。
「居候の分際で口答えすんじゃないよ!」
睨み据えるガラに対し、思わず悔し涙が溢れ出てた。
「それで、お釣りは?」
手を出して催促するガラに、ケイニャは何を要求されているのか分からなかった。
「お釣り?」
パシッ! と三度目の平手が容赦なくケイニャを襲った。
「10個分の代金の内、3つしか買ってこなかったんだから、お釣りがあるだろ!」
知らない。そんなお金もらってない。モタワから預かった代金は3つ分しか貰ってない。
「あれれ? アタイ、ちゃんと渡したよ」
モタワの発言に、ケイニャは目を見開いた。
「もらってない!」とモタワに訴えた途端、またガラの平手が飛んだ。
「嘘を言うんじゃないよ! サッサとお釣りを返しな!」
「本当にもらってません……もらってないんです!」
「もらってないわけないだろ!」
平手が二度飛んできた。
「アタシも忙しいんだから、早く出しな!」
もう何を言っても信用してくれないことを知り、ケイニャは震える声でもって「ありません……」と答えた。
「何で無いんだい!」
無いものはない。貰ってないのだから当然だった。それでもガラは執拗に平手をケイニャに食らわす。
「嘘を言うんじゃないよ! 早く出しな! どうして無いんだい!」
ガラの叱責にケイニャは涙を流しながら押し黙っていた。そして……
「まさか、大事なお金を使い込んだのかい?」
ケイニャは俯いたまま、小さく首を横に振った。
「使い込んでいないなら、何で無いんだい!」
あとは、もう出口の見えない堂々巡りだった。処世術を知らないケイニャは、何度も何度も同じ詰問と暴力を受け続け、ついには……
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
蚊の鳴くような声で謝り続け
「落としました」と自分の落ち度をでっち上げた。その理由を聞いて、ガラがまた手を上げた。頭を抱え、冤罪の罰を受け続けるケイニャ。もう何を言ってもダメだ。無実の口を開けば、代わりに激しい体罰をされるのだ。なら、もうこのまま嵐が過ぎ去るのを待つしかできなかった。
「お前みたいなグズは見たことがないよ! いいかい、今夜のお前の食事は無しだからね!」
ホント、使えない子だね。と呆れ果てるガラ。だが、震えて嗚咽を漏らすケイニャの耳には届いてはいなかった。
その日を境に、冤罪を着せられることが多くなり、日に日に増して理不尽な体罰がエスカレートしていった。それでも最初のうちは、まだ無罪を主張し、反論し続けていたが……幼いケイニャでは精神的に堪えられるはずもなく、何かことが起きればすぐに泣き寝入りを決め込むようになっていった。そうすることにより体罰を受ける時間が短くて済むからであり、またそれしか自我を保つ方法がなかったのだ。
そのため次第に口数は減り、眼から生気が失われていき……やがて表情までもが消えてしまった。以来、笑うことを忘れ、ガラたちの顔色を伺いながら生活し続け、1年が過ぎようとした。
「服がない……」
水汲みの帰り道。突然の豪雨に見舞われ、濡れ鼠同然で帰宅すれば、鞄にしまっておいた着替えの服が無くなっていた。パルチおばあさんに作ってもらった服。他人からすれば粗末な服。だがケイニャにとっては形見同然の服だった。大事に着回していた5着分の着替え。それが一枚残らず消えていたのだ。
「あの……ウチの服を知りませんか?」
恐る恐るガラに尋ねてみれば
「知らないよ。何でアタシがアンタの荷物を漁らなきゃならないんだい」
確かにそのとおりだった。理由もなくケイニャの荷物を触る意味がない。と、なると娘のモタワなのだろうか。
「モタワさん。ウチの服を知りませんか?」
モタワの部屋を訪れ、ダメ元で訊いたところ
「アタイが知るわけないじゃん」
だが目が笑っていた。大事な服に何かをしたんだ。ケイニャは怒りをあらわにし、理由を問うこともなくモタワの前髪を引っ張った。
「ウチの大事な服に何をしたの! どこに隠したのよ! 今すぐに返して!」
「痛い、痛いってばぁ! あんな、みっともない服なんか知らないわよ!」
その言葉にケイニャはモタワの仕業だと確信した。しかもみっともないとまで言われ、ケイニャの怒りは頂点に達した。
「返して! 大事な服を返してよ!」
「離してよ! 離しなさいよ!」
泣きながらモタワと言い争っていると、騒ぎを聞きつけたガラがケイニャを叩いた。
「何、やってんだい! アンタは!」
乱暴するんじゃないよ! ガラは癇癪を起こして闇雲にケイニャを叩き続ける。
「アンタの管理不足を棚に上げて、娘のせいにすんじゃないよ!」
暴力により、抵抗する気力を削ぎ落とされたケイニャは唇を噛みしめたまま涙を流すだけだった。
「モタワに謝んな! さぁ、早く!」
反発どころか言い訳さえも許されない屈辱を味わいながら、ケイニャは泣きながら床に頭を押し付けた。
「ごめん……なさい……」
「わかればいいのよ。わかれば」
母親に守られながら腕組みをしてほくそ笑むモタワ。それでもケイニャは謝り続けるしかなかった。そうすればこれ以上、体罰を受けることがないからだ。結局、ケイニャは亡きパルチに、服を無くしたことを報告し、悲涙した。
その後……
毎日の買物や畑仕事で、一張羅の服は1年も経たない内にボロボロとなってしまった。両肘は摩り切れ、空いた穴に当てる生地もなく、しかも悪いことに3足あった靴の底も抜けてしまい、裸足同然の生活を送ることとなっていた。
乾き切った心。光を失った瞳。ボロ雑巾のような服と汚れた素足。
流水場の水鏡に写る自分の格好に、ケイニャは目を背け……ただただ、ひたむきに生きることだけを考えていた。
そんなある日のこと。
夜が更け、寝床に入っていてウトウトしていると、不意に隣の居間から笑い声が聞こえてきた。
「非獣人のガキに、雄の相手をさせようってのか? おいおい、ふざけた冗談はよしてくれ」
こんな時間にお客さん? と、ケイニャは目を瞑ったまま耳をそばだてた。
「アタシも客が取れるとは思っちゃあいないさ。それでも、そろそろ食いぶち分くらいは稼いでもらわないとね」
ガラの声に、ハッと目を覚まし、薄い壁に耳をくっ付けた。
「いやいや、ガラさん。ヒューマンの小娘相手に雄は発情なんかしないよ。それは俺が保証してやるよ」
笑う来客に、ガラも苦笑いをし
「やっぱりダメかい」
「ダメダメ。ダメに決まってんだろ」
するとガラはため息をついた。
「恥ずかしい話、ここ最近、食べるだけが精一杯でね。正直、生活に余裕がないんだよ」
モタワにも新しい服を買ってやりたいし。と付け加えられた言葉に、ケイニャは枕元にたたんでおいたボロ切れ同然の服を眺めた。
「そこまで言うなら、いっそのことあの子を売ったらどうだ? パルチへの恩義は充分、果たしたんだろ?」
「そりゃそうだけどさ……」
「なら、良いじゃないか。それにヒューマンなら、きっと買い手はいるはずだ」と人身売買をそそのかすその声に、頭の中が真っ白になった。非獣人が売り買いされる噂は市場で聞いたことがある。
「攫われるなよ」
以前、露店のトカゲおじさんに、からかわれたことがあったが……ただ、それはよその村だけの話だと思っていた。
「ちなみに売りたい場合、誰に頼めばいいんだい?」
ガラの言葉に、ケイニャの小さな体が震えた。
「俺が仲買い人になろう。丁度、4日後にボーテの町に用事があるから、その時にケイニャを預かろう」
「ボーテ? そりゃまたずいぶんと遠いねぇ。あの子を連れて歩くには距離がありすぎないかい?」
「大丈夫だ。この間、足腰の丈夫な若い怪鳥ゾッタも手に入れたし、一ヶ月後には金を持って、ここへ戻ってこれる」
「じゃあアンタにお願いしようかね。それで仲介料はどうするね?」
売値の予想と取り分の話が始まった。だが、ケイニャにとってそれはどうでもいいことだった。噂通りなら、奴隷のように酷使された挙句、ゴミクズ同然に灼熱の火山に棄てられるはずなのだ。見知らぬ土地と見知らぬ主人。どんな重労働が待ちかまえているのか。
――なんで、ウチだけこんな思いをしなきゃならないの……
想像を絶する未来に、ケイニャは床の中で震え続け、朝まで眠ることができなかった。