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第四章 ケイニャとガラとワニ男2

「ところで兄者。妙だと思わないか?」

「何が?」

 昼食を取りながら、1日における水の使用量を決め終えた頃、再生体がルララケでの取引話を掘り返してきた。

「ガラ殿から請け負った配達のことだ。10万ケピロンを担保として預かると言っていただろう」

 ――あぁ、やっぱり……

 実のところ、トオルも引っかかっていた部分だった。そのことをガラに指摘しようかとも思ったが、話がややこしくなりそうだったので、見て見ぬ振りをして成り行きに任せたのだが

「ケイニャ殿の、いやそれ以前にヒューマンの価値とは、配達代金と等しいものなのか?」

 配送料の10万ケピロン。日本円にして約一万円程度。それに引き換え、非獣人、つまりヒューマン売買の最低取引相場は約1500万ケピロン。これは智花誘拐事件の際に、保子莉から教えてもらった金額だ。つまり差額である1490万を天秤にかけてまで約束を守らせようとするガラの考え方に納得ができなかったのだ。

「もし拙者たちが約束を破ってルララケに戻らなかったら、ガラ殿は大損なのではないのか?」

 腑に落ちない再生体の疑問に、トオルは恵んでもらった水を飲みながら言う。

「違うよ、再生体。もしではなく、僕らは戻らないんだよ」

 ルララケに帰る予定はないし、戻る気などさらさらない。

「確かに、ガラさんがどう言う計算をしているのか分からないのは僕も同じだよ」

 もしかしたら、トカゲ種族は数字の計算が得意ではないのかも。とトオルが想像していると、ケイニャが食べ終えたばかりの三人分の食器をシンクに運びながら答えた。

「ガラおばさんに限らず、たいていのトカゲ種族は計算もできますし、損得勘定もできますよ」

 なるほど。今後、トカゲ種族とのトラブルがあった際には必要となりそうな知識だ。しかし、そうなるとますます釈然としない。1490万ケピロンの損失。ガラはどう言うつもりで、あのような約束をしたのだろうか。

「拙者の憶測だが……もしかしたら前金として、すでに売買代金を手にしているのではなかろうか?」

 再生体の意見に、トオルも頷かざるえなかった。

 ――それしか考えられないな

 だとすると、ガラは最初から二重取りを企んでいたことになる。

「合計3000万ケピロンか」

 強欲過ぎるガラの性格に苛立ちを覚え、食器洗いをしている幼女の背中を見つめていると

「あまり、ガラおばさんのことを悪く言わないでください」

 洗い物を終えたケイニャは蛇口を固く閉めると、口もとを引き締めたまま運転席に座り、ライドクローラーを始動させた。ガラを庇うような雰囲気ではないものの、やはり引き取ってくれたことに恩義を感じているのだろう。

 ――養ってくれた恩には逆らえないよな

 人生経験の浅いトオルでも、ケイニャの良心の呵責が手に取るように分かった。

「ルートの再確認とケイニャの補佐を頼むよ」

 そう言ってトオルは再生体の肩に手をかけて立ち上がった。

「了解だ。それで兄者はどこへ?」

「近くにバブニアンたちがウロついていないか、ライドマシンで偵察してくる」

 何かあったら連絡を入れる。トオルはそれだけ言い残すと、階下へと降りていった。



 その夜……

『理由は存じませんが、お嬢さまはひどく捻くれてございます』

 白髪の老人が端末画面の向こう側で白い眉を寄せていた。ディアの失踪に続き、盗賊バブニアンたちの襲撃と水精製機の故障。加えてケイニャ売買とガラの依頼。立て続けに起きた騒動と飛び込み依頼に気を取られ、今日まで保子莉への連絡を忘れていたのだ。そのことを就寝直前になって思い出し、慌てて連絡を入れたのだが……応答に出たのは執事の老人だった。

『トオルさま。いったいお嬢さまに何をされたのですか?』

 ググッとカメラに耳を寄せる老人。作業日報はちゃんと毎回送信していたし、もしヘソを曲げる原因があるとするならば、思わず呟いてしまったデリカシーに欠けた発言のことだろう。だからと言って、そのことを老人に告げるわけにもいかず、「いえ、ちょっと」と返答を濁していると……老人がカメラフレームの外へと呼びかけた。

『お嬢さま。そろそろ機嫌を直して、トオルさまとお話をされてはいかがですか?』『嫌じゃ』

 秒殺同然の即答だった。

『いつまでも、そうやって不貞腐れていますと、トオルさまに愛想を尽かされてしまいますぞ』

 老人はベッドにカメラを振り、背中を向けて毛布に包まっている保子莉を捉えた。

『ほらほら。トオルさまが、お嬢さまのだらしのない寝姿を見て呆れられておられますよ』

 その幼子に言い聞かすような物言いに

『フンッ』と毛布を引き上げ、頭からスッポリくるまる猫娘。……が、勢い良く毛布を引っ張り上げたせいか、下半身が丸出しとなり、引き締まった白い脚と猫柄プリントのパンツが丸見えになっていた。それを知ってか知らずか、本人は脊髄の付け根から生えている尻尾を右へ左へとおもむろに振っていたりする。

『ご覧のとおり、お嬢さまは頭隠して尻隠さず状態です』

 そう言ってカメラワークを部屋のあちこちに振る老人。

『しかもお部屋はご覧の有様です』と床に脱ぎ散らかした服や荷物を映し出した途端

『恥ずかしいところを映すでないわっ!』

 毛布をはね除け、散乱した衣類をかき集める猫娘。そしてカメラを睨みつけるなり、画面に向かって駆け寄ってきた。

『もう良い、爺は下がっておれ!』

 老人から端末を取り上げたらしく、画面が乱暴に揺れ……部屋の様子を隠すようにピントの合わない彼女の怒った顔がアップに映し出された。

『それで何用じゃ?』

 カメラを無視して横にいるであろう老人を睨みつける彼女。よほど恥ずかしかったのか、顔が真っ赤っかだ。

「いや、そのぉ……この間のことを謝ろうと思って……」

 出過ぎた発言だったと、しどろもどろとトオルが話をしているにも関わらず、保子莉は背後に立つ老執事に『早く部屋から出ていけ!』と言わんばかりに手を振っていた。

『それで何用じゃ?』

 どうやら老人と部屋のことばかりに気を取られて、人の話を聞いていなかったようだ。

 ――また謝らなきゃいけないのか

 それでも悪いのは自分だと、トオルは土下座覚悟でもう一度説明した。

「……そういうわけで、ほんとうにゴメン!」

 両手を合わせ、誠意を込めて頭をさげた途端、彼女は一驚し……そして大きなため息をついた。

『何じゃ、まだ、そんなことを気にしておったのか』

「そんなことか……って、怒ってたんじゃないの?」

『最初はな。ただ、おぬしの性格を考えると、怒るのもバカバカしく思えてきてのぉ。それに仕事のクレームに追われているうちにすっかり忘れてしまったわい』

 じゃあ、何で拗ねていたのだろうか。

『おぬしに、ほっぽらかされていたからじゃ』

「ほっぽらかしって……」

『いや、ほれ、そのぉ、なんじゃ……仮とは言え、わらわはおぬしの代理カノジョじゃろ。だったら、用事がなくても顔くらい見せても良かろう?』

 まるで恋人のような駄々に、ハッとさせられた。そう言えばそんな設定もあったっけ。どういうつもりか分からなかったが、それでも彼女の照れ混じった笑顔は傷心したトオルの心の穴を埋めるには充分だった。

『私と仕事、どっちが大事なの? みたいな野暮なことは言わん。ただ、たまには気に掛けてほしいのじゃ』

 頬を染め、目を反らして猫耳を触る彼女。だが良く見れば、心持ち疲労の色が浮かんでいた。

 ――疲れているのかな?

「配達先で何かあったの?」

 とトオルは知らず知らずのうちに画面向こうの相手を気遣っていた。

『特に大きなトラブルはないぞ。じゃが、今後のことを考えると頭が痛くてのぉ。猫缶転売業も立ち行かなくなり、今回、請け負った宅配業務しごとも想像以上に忙しいじゃろ』

 正直、しんどくってかなわん。と本音を漏らす猫娘。心の支えが欲しい。そんな弱音を吐く彼女に、トオルも同情を寄せた。

「僕で良ければ協力するし、困ったことがあったら遠慮なく何でも言ってよ」

 彼女の精神的負担を軽くできるならば、惜しみなく手を貸すつもりだった。

『嬉しいことを言ってくれるのぉ』

 そう言って保子莉は背もたれに背中を預けた。

『じゃが、もう心配には及ばん。こうしておぬしと話ができただけで充分じゃからな』

 本当にそんなことで、いいのだろうか。

『落ち込んでいるときに、こうして話を聞いてくれる相手がいると、心が軽くなる。それだけでもずいぶん違うもんじゃぞ』

 何しろ従業員たちの前で愚痴などこぼせんしのぉ。と、笑顔を作る猫娘。察するに相当、滅入っていたようだ。

『ところでトオル。この仕事が終わったらバイクの免許を取りにいくのじゃろ?』

 いきなりの話題転換。やっぱり女の子は分からない。

「うん。そのつもり」

 すると保子莉が目を輝かせて身を乗り出してきた。

『なら、バイクを買ったら、わらわを後ろに乗せてはくれまいか?』

 レース用のライドマシンを乗りこなせる腕前テクニックを持っているのに、何でわざわざ人が運転する後部座席に乗りたがるのだろうか。

『地球で大っぴらにライドマシンなど走らせんじゃろ』

 だから、おぬしの後ろに乗って色んな所に連れてって欲しいのじゃ。と上目づかいで媚びる彼女。だがひとつだけ問題があった。

「乗せたいのはやまやまなんだけど……法規上、一年間は二人乗りは禁止されているみたいだよ」

 トオル自身、独学で勉強するまで知らなかったことだけに、当然、保子莉も知るはずはない。

『何でじゃ? 何で二人乗りをしてはいかんのじゃ!』

 途端に仏頂面を晒す彼女に、トオルも眉根を寄せた。

「何でなのかは僕も知らないよ。たぶん運転技術が未熟で危ないからじゃないのかな」

『ライドマシンが運転できるのに、か?』

「ライドマシンは関係ないと思うよ」

 それでも『乗せよ乗せよ』と催促する彼女に根負けし、免許取得の一年後に乗せることを約束した。

『本当じゃな! 絶対じゃぞ!』

 子供のように椅子の上で喜び跳ねる猫娘。そのはしゃぎっぷりに、何だかトオルも嬉しくなった。出会った頃は我が強く、手にあまる存在だった彼女。それが今では笑ったり泣いたりと、当たり前のように近くにいるのだ。

 ――保子莉さんの瞳には、僕はどんな風に映っているんだろう?

 代理カノジョとしてのカレシなのか、それともただの友達なのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えていると

『免許取得が楽しみじゃな』

 そう言って……

『ところで今、思い出したのじゃが、配達スケジュールの方は大丈夫なのか?』

 訊けば、先日ダリアックから報告を受け、少しばかりこっちのことが気になっていたらしい。

 仕事開始当初、三日の猶予があったスケジュール。

 だがルララケでの水補給で一日を費やしてしまったのだ。もちろん今後も水補充は必要だし、配送先でその都度、確保しながらケイニャをシアスまで送り届ける予定なのだ。それに加え、ガラから預かった荷物の配達もある。シアスから6280アーのママッサに送り届ける約束。だが、トオルはあえてそのことを口にはしなかった。ガラの手からケイニャを逃がすため、あえて利益をフイにするのだ。そんなことを話せば彼女に余計な心配をかけてしまうからだ。

 ――最悪、ライドマシンを飛ばせば二時間くらいで着く距離だから大丈夫なはず

 と、ガラの件を伏せたまま問題ないことを告げると、保子莉も『そうか。それならば安心じゃ』と頷いた。

『じゃあ仕事が片付いたなら、わらわと一緒にトラプヤ観光でもせぬか?』

 トラプヤ。

 今回のゴールである最終地点。現在動いているチーム全員が落ち合う場所であり、『トラプヤ駐機場』からンカレッツアを出星する段取りとなっている。

 ――観光かぁ。それも悪くはないかもな

 何しろ配達業務に追われ、この星をろくすっぽ観ていないのだ。それだけに最後の日くらい、羽目を外して遊んでもバチは当たらないだろう。

「じゃあ、早く仕事を終わらせなきゃね」

 トオルが笑顔で応えると

『わらわも、おぬしに逢えること楽しみにして、頑張るぞ』

 とニッコリ微笑む猫娘。そんな彼女の笑顔がトオルのくたびれた気持ちを和ませ、明日への活力を奮い起させた。

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