第四章 ケイニャとガラとワニ男1
ケイニャが生まれ育ったルララケ村に到着したのは、夕暮れ間際だった。
ケイニャの案内でライドクローラーを村の裏手に停車すると、トオルは流水場を管理するトカゲ男に水を分けてくれるよう交渉した。
「あぁ、別に構わんよ。好きなだけ汲んでいきな」
トオルは感謝すると、早速、再生体にライドクローラーを流水場に寄せるよう指示した。そしてアロに教えてもらった手順で、貯水槽の注入口と流水場をホースで繋いで汲み上げポンプを稼働させた。管の中を流れていく水を確認し、貯水槽が満タンになるまでの間、トオルは湧き出る水場へと歩み寄り、再生体と一緒になって喉を潤わせた。
「「美味いっ!」」
火山地層でろ過された天然水。それはまるで、体の中で溜まっていた腐敗物を洗い流すような喉越しだった。隣の再生体を見れば、トオル同様、満足気な顔をしていたりする。その憎めない表情にトオルが笑っていると、再生体も釣られるようにして大口を開けて笑った。
「兄者。仮の話なのだが、もし遭難した砂漠の真ん中で水とジュースが目の前に置いてあったら、どっちを選ぶ?」
くだらない質問。だが……
「迷わず水に決まってる」
真剣に即答するトオルに、再生体も大きく頷く。
「拙者も同意見だ」
この水で米を炊けば美味しいご飯が炊けたことだろう。それを考えると、米がなくなってしまったことが残念でならなかった。
『どうだ、兄者?』
無線越しの問いに、トオルは洗面台の蛇口を閉めた。そしてブリーフィングルームにいるケイニャにシンク側の具合を尋ねる。
「こちらも問題なく出てます」
「了解。再生体、もう水の方は大丈夫だから上がってきていいよ」
と貯水槽の注入口で待機している再生体に指示するトオル。コントロールパネルに表示されている貯水槽のゲージは満タン。水質も良質な状態を示し、浄化やろ過の必要もなかった。心配があるとすれば貯水量くらいだろう。
――それでもシャワーだけは浴びたいな
窓から車外を覗けば、すでに陽は傾いており、これから移動するには遅すぎる時間帯になっていた。
「今夜はルララケ村に滞在させてもらい、明日出発することにしよう」
トオルは集まった二人に告げ、大まかな水の使用量を伝えた。洗濯や洗顔、入浴で使う水量など。そして……
「貯水量は減るけど、今夜は久しぶりにシャワーを浴びよう。あと洗濯物も今夜のうちに片付けてしまおう」
自分で言うのも何だが、正直、体が臭いのだ。
「そうだな。貯水タンクが空になったところで、明日の朝、もう一度汲み直せば済むことだ」
もちろんその役目は拙者が。と、再生体が頼りになる一言を付け加える。
「じゃあ、水当番は再生体に任せるよ」
入浴と水のある食事。当たり前のことなのに、今夜は特別贅沢な夜を送れそうだ。
翌朝。
朝の身支度を終え、水の補充しながら格納庫で荷物の整理をしていると、一匹のトカゲがトオルのもとへと訪れた。
「流水場の管理人に聞いてきたんだけど、アンタ、配達屋さんなんだって?」
ライドクローラーの外で訝しげな顔をしているトカゲ。きっと昨日のトカゲ男に話を聞いて、やって来たのだろう。
「そうですけど、何か?」
すると、トカゲが解放していた後方ハッチのスロープをドカドカと昇ってきた。雰囲気から察するに歓迎と言ったムードではなさそうだが。
――もしかして、水を使い過ぎたのかな?
昨日の200リットルに続き、今朝も100リットル以上の水を汲み上げているのだ。もし流水場の使用量に限りがあったならば、文句を言われてもおかしくはない。だが……
「来るのが遅いんだよ! まったく何日、待たせれば気が済むんだい!」
怒っている理由がさっぱり分からなかった。そもそもこの村への配達物はなく、立ち寄る予定もなかったのだから。
「すいません。何か勘違いしてませんか? ここへは水を分けてもらうために立ち寄っただけなんですけど」
するとトカゲは吊り上げた目を細め、ヒステリックに叫んだ。
「勘違いなんかしてないよ。アタシはアンタに荷物を届けてもらうためにズーッと待ってたんだからさ!」
トオルが請け負った仕事は配達だけの業務のはずであり、誰からも集荷の話は聞かされていない。
「あのぉ、何かの間違いでは?」
相手の機嫌を損ねないように、穏やかな口調で問えば
「間違ってなんかいないよ! アンタみたいなヒューマンの配達屋が来たら、これを預けてくれって頼まれてるんだからさ!」
矢継ぎ早にそう言って、持っていた小箱をトオルに突き出すトカゲ。その乱暴な態度にトオルは眉をひそめた。
――さっきから気になってたけど、このトカゲ(ひと)、どこかで見たことがあるぞ
誰だっかな。と、トオルが記憶を探っているところへ二階からケイニャが降りてきた。
「トオルさん、アロさんから連絡がありま……」
と言いかけ、螺旋階段の途中で幼女が表情を強張らせた。
「ガラおば……さん」
血相を変えて震えるケイニャに、トカゲが睨みを利かせた。
「おや、ケイニャじゃないか。どこへ逃げたかと思ったら、こんなところに雲隠れしてたとはねぇ」
――思い出した! 夢の中でケイニャを虐待していたトカゲだ!
咄嗟に幼女は背中を向け、二階へと駆け戻っていく。
「こら! ちょっと、お待ちっ!」
怒りを額に浮かべて後を追おうとするガラを、トオルは体を張って制した。
「そこをお退きっ!」
口を開き、歯茎をむき出して威嚇するガラ。迫る爬虫類の顔。だがトオルは頑として譲らなかった。
「勝手に入らないでください!」
夢の内容が正しければ、ガラとケイニャの続柄は養子関係のはずであり、赤の他人のトオルが口を挟めるものではなかった。だが夢の中で見た虐待……いや人身売買の話が本当ならば、意地でも道を譲るわけにはいかない。
「アンタには関係のないことなんだから、邪魔すんじゃないよ!」
そう言ってガラは、阻むトオルの腕に噛みつこうとした。……が、 そこへ給水道具を片付けて戻ってきた再生体に取り押さえられた。
「兄者には指一本触れさせん」
持っていた機材を放り出してトカゲの襟首を摘まみ上げる再生体。それでもガラはジタバタと抗い、奇声を上げる。
「何すんだいっ! この乱暴者がっ!」
「兄者。いったい何があったのだ?」
すると宙ぶらりんのガラが言う。
「ケイニャはウチの子なんだから、アンタたちには関係ないだろ!」
血縁者を言い張るトカゲ女を刺激しないように、トオルは穏やかな口調で言った。
「でも、彼女は非獣人ですし、それにあなたにはモタワと言う実の娘さんがいるんじゃないですか?」
考えるよりも先に出たトオルの問いに、ガラの表情が硬直した。
「何で、アンタがそんなことまで知ってるんだい!」
その言葉にトオルは確信した。
――間違いない。ケイニャはこのトカゲから逃げてきたんだ
「さてはアンタ、ウチの子に何かしようとか企んでんじゃないだろうねっ!」
すると水汲みにきていたトカゲたちが、ガラの声を聞きつけ集まってきた。
「いいから、ケイニャを渡しな! この人攫い!」
――まずい。このままだと僕らは悪者扱いにされてしまう
スロープ下でざわめくトカゲたちの批難の視線に、トオルは咄嗟に耳打ちした。
「ガラさん、誤解しないでください。僕らはある人の代理でケイニャの身柄を預かっている者です」
もちろん、あなたの依頼であることも承知しています。と含みを付け加えることを忘れない。もし夢のとおりなら、人身売買を請け負った相手がいたはずなのだから。そのことを踏まえ、トオルはわざとらしくニヤついてみせた。果たして自分のハッタリと演技力がどこまで通用するか怪しかったが、ガラの反応は予想以上の手応えを見せた。
「あの男がアンタたちに?」
悪意ある笑みを浮かべるガラに、トオルもここぞとばかりに話をデッチ上げる。
「僕たちの方が移動が速いということで、あの子を預けられたんです。それに今のケイニャは僕たちを信用し、自分が売られないと安心しています。なので、ここで事を荒立て逃げられては元も子もないですよ」
そして、さらにたたみ掛ける。
「それにケイニャが売れたお金をあなたのところへ届けてくれという伝言も受けている」
「それは本当かい?」
まだ疑うガラに、トオルはトドメの一言を添えた。
「僕ら配達業者は依頼されれば何でもするし、依頼人を裏切ったりはしない」
自分のついた嘘に、だんだん心が汚れていく気分だった。それでも『闇の宅配業者』を演じ続ける。果たして、こんな三文役者のような決め台詞で相手を丸め込めるのか。と思いきや、ガラの口角が吊り上がった。
「何だい。それなら、そうと早くお言いよ」
途端に表情が緩み、ご機嫌になるトカゲ。どうやら信じてもらえたようだ。トオルは再生体にガラを下ろすように顎でもって指示した。もちろん「そのまま口を挟むな」という目配せも忘れない。
――嘘がバレないうちに、早くここから撤退しなきゃ
「そういうことで、僕らはすぐに出発しますので、楽しみに待っていてください」
と半ば強引に話を締めくくる。もちろん再生体には後で説明するつもりだ。が、しかし……
「まだ用件は終わっちゃあいないよ」とトオルを引き止めるガラ。
「まだ何か?」
ただでさえ穴だらけの設定だ。このままズルズルと人身売買の話でもしてボロを出てしまっては、せっかくデッチ上げた努力も水の泡だ。が……
「アタシの荷物も頼まれてくれるんだろうね?」
ケイニャの保護ばかりに気を取られ、すっかり忘れていた宅配の依頼。
「も、もちろん。お預かりします」
平静を装い、あらためて荷物を受け取ると
「それで代金のことだけども……」
そう言えば、この場合の料金はどう精算すれば良いのだろう。日本の宅急便ならば、重さか外寸の大きさから料金を算出するはずなのだが。
「預かり主から10万ケピロンを預かっているんだけどね、売買した代金を持ち逃げされちゃあ困るから、成功報酬と引き換えにアタシが預かっておくことにするよ」
ガラの一方的な条件提示にトオルは眉をひそめた。ケイニャをシアスに送り届け、依頼された配達も終えて、そのまま何食わぬ顔でンカレッツアを離れるつもりだったのだが。
――それだとタダ働きになってしまうなぁ
だからと言って、ケイニャの身柄を渡すわけにもいかず
「分かりました。必ず代金をお届けすることを約束します」
「いいね。必ず持ってくんだよ」
睨み据えて念を押すガラに、トオルもそれらしく頷いてみせた。
「話はこれで終わりだよ。さぁ、サッサとお行き」
と手を払って、ライドクローラーを降りていくガラ。それを見届け、トオルは再生体の肩を叩いた。
「バレないうちに、早くこの村を出よう」
ガラの傲慢な態度が許せず、正直、胸クソが悪かった。もちろん再生体も同じ気持ちだったのか、すぐにハッチを閉めて出発の準備を始めていた。
操縦室へ上がって見れば、ケイニャの姿が見当たらなかった。
「ケイニャー。どこにいるんだい?」
すると再生体が鼻をヒクヒクさせ、食料貯蔵庫の扉を指差した。
「兄者。ケイニャ殿はたぶんこの中だ」
言われて、貯蔵庫の扉を開けて覗いてみれば、幾重にも積まれた箱の陰に幼女が縮こまっていた。ポウを抱きしめ、小さく震えるケイニャ。その表情は初めて出会った頃と同じものだった。
彼女の抱えていたトラウマ。その現実を払拭するように「もう大丈夫だよ」とトオルが優しく手を差し伸べると、幼女の表情に安堵の色が浮かぶ。場合によってはトオルもガラとグルになっている可能性もあるはずなのに、ケイニャは疑うことなくトオルの手を握って立ち上がった。
――僕のことを信用してくれてるんだ
すると幼女の口から思いがけない言葉が紡がれた。
「もちろんです。もし嘘をついていたら、ウチ、再生体さんにかくまってもらって、ここから逃げてます」
「えっ?」
口に出した覚えのない言葉だったはず。それなのに、まるで心を読んだかのような答えが返ってきたのだから驚かないほうがどうかしているだろう。クレハ星人のもうひとつの能力『読心術』。もちろん、それはトオルの背後にいた再生体も気づいたようで
「ケイニャ殿。もしかして拙者たちの心が読めるのか?」
「はい。黙ってて、ごめんなさい」
「でも、いったい、いつから?」とトオルが訊ねると
「ディアさんがいなくなる、ちょっと前くらいから、何となく読めるようになってました」
聞けば、最初は気のせいだろうと思っていたらしい。だがディアの胸の内が次第に分かるようになった頃、トオルたちの心も理解できるようになっていたらしいのだが……それを口にする勇気がないまま今まで黙っていたとのことだった。その経緯を知ったトオルは、幼女の読心術を試した。
「それじゃあ、僕が今考えていることは分かるかい?」
ケイニャをシアスへ連れて行き、生き別れの姉妹たちに会わせる。それがトオルの願いだった。もし、この思いを読み取ってくれないようであれば……ちょっとガッカリしてしまうかもしれない。だが、幼女はトオルの期待に応えるように力強く頷いた。
「シアスへ行きましょう。いえ、ぜひ連れていってください」
覚醒したクレハ星人の読心能力は完璧なものだった。もしかしたらディアが寡黙だったからこそ成し得たのかもしれない。
「分かったよ。そうと決まれば、すぐに出発しよう!」
「うむ!」「はい!」
一時的とは言え、解消された水不足。加えて、生まれ持った能力を得たケイニャ。その明るく開けてきた見通しに、三人は互いの顔を見て笑った。





