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【08】出産


「ねえ、ナッシュ……」

「なんだい、ミルフィナ」

 ナッシュは自らの腕を枕にするミルフィナの金髪を優しく撫でつけた。すると彼女はむずがりながら、その話題を持ち出す。

「ん……。あのさ。ティナの事なんだけど……」

「ああ」

 一気にナッシュの声色が不機嫌に染まる。

 やってしまった……ミルフィナはほぞを噛んだが、もう口に出してしまったものは仕方がない。

 そのまま話を続ける。

「……あの子、もうそろそろ何とかしない?」

「何とかって?」

 ナッシュが天蓋付きのベッドから這い出て起きあがり、身支度を始める。

 そこは、四人が寝ても余裕のある巨大なベッドだった。

「……ティナ、もう無理じゃん。生きてる意味ないってアレ」

 ティナ・オルステリアは、あの暴行事件のあとで地下室へ監禁される事になった。

 そして、信頼の置ける治療術師に彼女の容態を見てもらっているのだが、一向に回復へむかう気配を見せない。

 どんな治療魔法をかけても、投薬を施しても、彼女が正気に戻る事はなかった。

 何時も何もない部屋の隅にむかって、何かを語りかけたり、怒鳴り散らしたり、泣き叫んだり、謝ったりを繰り返すだけだった。

「意味ないっつっても、生きてるんだから仕方がないじゃん」

 と、ナッシュはにべもなく言って、乾いた笑みを浮かべた。

「でも……なんかもう見ていられないっていうか……だったらいっそ、あの時みたいに」

 あの時とは当然、サマラの事を指していた。

 しかし、ナッシュはそれに気がついたのか気がついていないのか良くわからない微妙な調子で、ミルフィナの言葉をさえぎって言う。

「……お前が勝手にやればいいじゃん。なんでいちいち俺に許可を取ろうとするの?」

「そんな……」

 サマラの時はナッシュの名誉を守りたい一心だったが、ティナを自らの手で処分するのは気が引けた。

 ティナは同じ男に惹かれ、ずっとその愛を分かち合ってきた同志でもあるのだ。

 少なくとも、ミルフィナはティナとガブリエラをライバルとしながらも仲間だと思っていた。信じられない事かも知れないが、あのサマラでさえミルフィナは、そこまで嫌っていた訳ではない。ただティナとガブリエラに調子を合わせ、彼女を見下していただけだった。

 それでも、ナッシュが「片付けろ」と命令してくれたから、ミルフィナは何の躊躇もなく彼女を手にかける事ができたのだ。

 だから、ミルフィナはナッシュにティナを処分する許可を求めた。ナッシュに命じられれば、ティナだってガブリエラだって殺せる。

 しかし、ナッシュはというと、これ以上、話を続ける気はないらしく、部屋の扉口へと向かった。

「……どこへ、行くの?」

 ナッシュは扉の前で立ち止まり、舌打ちをした。

「あぁ、姫と会食・・の予定があったの忘れてたわ。今日は遅くなるから帰らないかも」

「こんな日なのに?」

 ナッシュは鼻を鳴らしただけで、その問いかけに答える事はなかった。そのまま部屋から姿を消した。

 残されたミルフィナは、ベッドのシーツをぎゅっと握りしめ歯噛みをする。

 窓の外は陰鬱な曇り空で、朝からずっと小雨が降り続いていた。

「こんな時に、姫と……だったら、ガブリエラの隣にいてあげてよ……」

 数日前から、ガブリエラの近くには産婆と治療術師、メイド達が控えていた。

 そして、この日の朝、陣痛が始まったのだという。

 そう。

 もう少しでガブリエラのお腹の中で育まれたモノが産まれようとしていた。




 三人の中でもミルフィナが自分以外の他の二人への仲間意識は強かった。

 しかし、それは彼女が情に厚い人格という訳ではなく、その根底には他の二人を見下す感情があった。

 自分はティナとガブリエラよりも上の立場にいる。他の二人は女として自分には勝てない。

 その自信と余裕があるからこそ、二人を仲間だと思う事ができた。

 ミルフィナがその自信の寄りどころとしているもの。それは彼女が人間より十倍も長く生きて、ずっと若いままのエルフ族である事だった。

 ティナとガブリエラは普通の人間なので、必ず何時かは醜く老いる。

 そうなった時、ナッシュの寵愛を受ける事ができるのは自分だけだ。ミルフィナはそう考えていた。

 そもそも見た目通りの若さではない彼女は他の二人と違い、ナッシュが初めての恋人という訳ではなく、それなりに恋愛経験を重ねた上で彼と関係を持った。

 たまたま故郷のエルフの集落を訪れたナッシュを見初めて、誘いをかけたのも彼女の方からだった。その辺も、彼女の中の余裕と、他の二人に対する優越感を生む種となっていた。

 そもそもミルフィナは旧態依然としたエルフ族の伝統が大嫌いで、故郷を飛び出す口実としてナッシュを誘惑し、勇者パーティに加わる事を志願したのだった。

 しかし、結果としてミルフィナはナッシュと関係を重ねるうちに、どんどんと彼の魅力に溺れ、二度と這いあがれない深い底なし沼にはまってしまう。

 最悪だったのは、そこが地獄だと知らず、彼女は自らが世界で一番の勝ち組だと勘違いしてしまった事だった。




 ミルフィナは汗を流してから、傘を差して何気なく館の裏庭へと向かった。

 小雨が降り続いていた。

 裏庭は立派なにれ山毛欅ぶなの木立があり、ほんの少しだけ空気が彼女の故郷の森に似ていた。

 湿った雨の匂いを胸に吸い込みながら、ひとり物思いに耽っていると、窓越しに見える館の廊下が騒がしい。

 どうやらガブリエラの部屋で、何かの動きがあった様だ。

 ミルフィナの胸の奥がざわめき始める。

「ガブリエラ……」

 彼女の口から妊娠したと聞かされた時には、初めて見下していた彼女にリードを許したかの様な敗北感を味わった。

 表面上は冷静さを装い、余裕のある振りをして「おめでとう」と祝辞の言葉を送ったミルフィナだったが、心中は決して普段通りの穏やかなものではなかった。

 その感覚が再び蘇り、ミルフィナは両手にぎゅっと力を込める。

 しかし、それでもミルフィナは、ガブリエラの出産がつつがなく終わる様にと願わずにはいられなかった。

 なぜなら最後に勝つのは、やはり自分なのだから。

 ここで余裕をなくすのは、負け犬だけなのだから。

 ミルフィナは気を入れ直して、再び館の裏口のひさしの下へ駆け込んだ。

 その瞬間、雨足が強くなり遠雷の嘶きが耳をついた。

 傘を折り畳み、館の中へと入る。

 すると、そこで、綺麗な布を抱えたメイドと鉢合わせる。どうやらガブリエラの寝室へと向かう途中だった様だ。

「……ガブリエラに何かあったの?」

「もうすぐ、産まれそうです。ですが……」

「ですが、何?」

「逆子で頭がまだ出て来ないのです」

 そう言い残して、メイドがまた駆け出す。

 ミルフィナも彼女のあとを追う。

 雷光が瞬いた。

 階段を登る。ガブリエラの部屋へと急ぐ。

 布を抱えたメイドと共に、ミルフィナはその扉口を潜り抜ける。

 そして、待ち受けていたのは沈黙だった。

「……」

 ミルフィナは息を呑んだ。

 まるで納骨堂の中にでもいるかの様な静けさ。

 新しい生命の証たる赤子の泣き声は聞こえない。

「……ねえ。私の……私の赤ちゃん……どうしたの? 早く見せて?」

 ベッドの上で、真っ青な顔のガブリエラが目に涙を浮かべ、周りを取り囲むメイド達と治療術師を見渡した。

「……ミルフィナ、ミルフィナ……来てくれたんだ」

 どうやらガブリエラは、扉口で佇んだまま、喉を詰まらせるミルフィナに気がついた様子だった。

「ミルフィナ……私、頑張ったよ? すっごく、すごく、頑張ったんだよ? ナッシュは? ナッシュは……どこなの?」

 いたたまれなくなり、ミルフィナはベッドの上から目を逸らした。

 すると床に置かれた大きな木桶が目に映る。

 緩やかに湯気を立ち昇らせるその桶の中から、産婆と思わしき人物が、ソレを引きあげた。

 その瞬間、ミルフィナは両手で口元を抑え、崩れ落ちて盛大に嘔吐えづいた。

 産婆の腕の中に抱かれたソレは、全身毒々しい紫色をしており、ぐったりと弛緩して、明らかに生きてはいなかった。

 ガブリエラが育んだ愛の結晶。

 ガブリエラが産み落としたモノ。

 それは、どういう訳か醜い豚頭のオークの赤子だった。

 ガブリエラはなぜか、オークの赤子を死産してしまったのだ。

「……ねえ。ナッシュは? 私とナッシュの可愛い赤ちゃんは? ねえ……なんで泣き声が聞こえないの?」

 眩い稲光のあと、ほんの庭先で雷鳴が轟く。

 その瞬間、室内の様子を窺う恐ろしい形相の女が、ベッドに一番近い窓に映り込んだ事に、誰も気がついていなかった。




 この日以来、ガブリエラも壊れてしまった。

 半狂乱になり、幼子の様に泣き叫ぶ彼女は、人形を与えると落ち着きを取り戻し、おとなしくなった。

 しかし、しばらく経つと何故か人形の首をもぎ取ってしまい、また泣き叫ぶのだ。

 彼女の部屋には首無し人形とその首が沢山並べられる様になった。

 また、どういう訳かアッシャー王国全土で、普通の妊婦がオークの赤子を死産するという怪現象が見られる様になった。

 この現象について、人々は新手の病だとか、魔王の呪いであるとか、様々な憶測を巡らせたが結局のところ原因はよくわからないままだった。

 更に原因究明の調査にあたっていた高名な治療術師や魔導師、霊術師達が相次いで不審火に巻き込まれ命を落とした。

 時を同じくして『この現象を予防するには、女にエリクサーを飲ませて子作りすると良い』というデマが流れ、かの万能薬の値段が高騰する。

 徐々に富裕層の妊婦や乳幼児に深刻なエリクサー中毒にかかる者が出始め、これも大きな問題となる。

 そのうち、誰が言い始めたのかは判然としないが、かの現象は『豚頭病ぶたあたまびょう』と呼ばれる様になった。


 こうして、勇者ナッシュ・ロウのハーレムと同じ様に、アッシャー王国もまた緩やかな崩壊の兆しを見せ始めていたのだった。

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