【06】動かぬ証拠
その日の朝、ジュリアン・ベルモンド法皇代理は朝食を取って、身支度を済ませると法皇ドラクロワの査問会に出席するため、自宅を出た。
居住区の自宅から馬車に乗り、会場となる議会室のある大聖堂を目指す。
その道すがらジュリアンは、己の計画が成功しつつある事にほくそ笑む。
普通に考えれば、現法皇ドラクロワがこのまま地位を追われれば、次期法皇は世界を救った勇者の到来を預言する啓示を受けたジュリアンであろう。
しかし、現在の法皇庁は強大な権力と莫大な利権によって生まれる数々の思惑から、いくつもの派閥が形成されている。法皇選出の際に、ジュリアンではない誰かが法皇に選出される事は充分に考えられた。
そのためにジュリアンは自らに敵対しそうな枢機卿の買収を着々と進めていた。
このままいけば、査問会は目論見どおりに進むだろうし、その後の次期法皇の選出においても邪魔が入る余地はない。
アウグス聖国の式典に出席すると言って法皇庁を後にしたアレックス・セルゲイが早々に戻って来たが、たった一人では何もできまい。
恐れるものなど何もない。これで、次の法皇は自分自身だ。
それは全世界でもっとも広く信仰されている教会の頂点。その言葉はすべての基準であり絶大な影響力を持つ。これは、世界を征したと言っても過言ではないのではないか。
「魔王も愚かだ。この世を支配するのは、恐怖や武力ではない……」
そうして、輝かしい自らの未来を思い描くうちに、馬車は大聖堂前に到着し、ジュリアンは馬車を降りた。
すると、その入り口の前に佇むアレックス・セルゲイ枢機卿の姿が目に入る。彼は聖衣の裾をなびかせながら、ジュリアンへと近づいてくる。
「これはこれは、アレックス殿。いったい何のようです?」
「……ジュリアン殿。もういい加減にした方がいい。貴女のやっている事は、この世の理を統べる女神の信徒としてあるまじき行為だ!」
「いったい、何の話です?」
アレックスは顔を紅潮させて興奮気味に捲し立てる。
「……聖女を貶め、ドラクロワ様を失脚に追い込み、自ら法皇の座に就かんとする卑劣な陰謀、すべて、貴女の企みであろう!」
「何を世迷い言を……」
ジュリアンは肩を竦めて嘲笑う。アレックスは歯を軋らせると、少し冷静に返った様子で語り始める。
「世迷い言ではない。用意周到な貴女の事だ。あのマグダラ村の聖女の生家で発見された魔王像も、我々ドラクロワ派が今回の件を受けて聖女の来歴を調べると踏んで、あらかじめ仕込んでおいたのであろう?」
ジュリアンは鼻を鳴らして言葉を続けた。
「あのエミリーとかいう名前の村娘の証言は?」
「彼女に金を握らせたのだろう?」
そのアレックスの言葉を聞いたジュリアンは、心底くだらなそうに吐き捨てる。
「馬鹿馬鹿しい」
「それだけではない。まだあるぞ?」
「どうぞ」
「私が法皇庁から遠ざかっているうちに、マテウス殿を魔王の残党軍の討伐に向かわせたのも貴女。査問会の前に法皇庁から邪魔者を排除しようとした」
「くだらない。アレックス殿の式典出席については言うまでもないし、そもそも魔王の残党たちが南西の炭鉱街の廃墟に集まり始めたのを私が予見していたとでも?」
「あれも、貴女のお膳立てだ」
このアレックスの言葉を聞いて、ジュリアンは心底呆れ返った様子で笑った。そして無言で話の続きを促した。アレックスは糾弾の言葉を続ける。
「……マテウス殿より早馬で報告はもらっている。残党軍の頭目であった元闇司祭のグランヴァルトは雇われたと言っていた」
「誰が、何のために?」
「あそこの廃鉱には、オークたちの財宝が隠されていたらしい。それを手に入れるためだ。そして、その話を彼に持ち掛けたのが、仮面を着けた女だった」
しばらく、目を丸くして面食らった様子だったジュリアンは、アレックスが何を言いたいのか理解すると同時に吹き出した。
「もしかすると……それが、私?」
アレックスは確信に満ちた様子で頷いた。
「そうだ。貴女はマテウス殿を法皇庁から追い払う口実を作るために、グランヴァルトや異国の傭兵を雇ったのだ」
ジュリアンは深々と溜め息を吐いた。
そして、笑みを引っ込めると真面目な顔つきで言った。
「冗談にしては、度が過ぎる」
「冗談などではない!」
「では、そもそもの発端となった勇者の仲間であるティナ・オルステリアの言葉は? ドラクロワ猊下の受けた掲示が正しく、聖女サマラが闇に堕ちたのではないとすると、彼女は嘘を吐いた事になる。彼女ばかりか他の仲間たちや勇者本人も、聖女サマラが魔王に下った事を否定していない。女神に選ばれた勇者が聖女を貶めているとでも?」
「その通り! 貴女の勇者到来の掲示こそが偽物で、聖女サマラこそが本物なのだ! そうすればすべての辻褄が合う」
アレックスは怯まない。
しかし、次のジュリアンの一言で何も言えなくなってしまう。
「では、証拠を出しなさい」
目を白黒させるアレックスにジュリアンは容赦のない言葉を浴びせる。
「私が村娘に金を握らせ、魔王像をサマラの生家に仕込んだ証拠は? 私がオークの財宝を餌に魔王の残党を雇った証拠は? そして、私の勇者が偽物である証拠は?」
「ぐぬぬぬ……」
何も言えなくなるアレックス。
そこへ停車したままだった馬車の前方の通りの向こうから何者かが軍馬に乗ってやって来る。それは元近衛隊長のマテウス・ホプキンスであった。
「アレックス様、それにジュリアン様も……」
夜通し駆けて来たのだろう。馬も騎手であるマテウス本人もずいぶんと疲れた様子であった。彼は近くの馬留めに手綱を繋ぐと、アレックスとジュリアンの方へとやって来る。
「……おお、マテウス殿」
と、アレックスはすがり付くような瞳で、傍らに立ったマテウスの頼もしい横顔を見上げた。ジュリアンが訝しげに尋ねる。
「……どうした? 任務の方は終わったのか?」
「ええ。問題なく。それで、早急に報告しなければならない事があり、こうして早馬を飛ばしてきました」
「報告しなければならない事?」
「くだんの廃鉱で、このような物が発見されました」
そう言って、マテウスは背負い袋から、その人の顔が隠れる程度の四角く平たい布包みを取り出した。そして、その布を丁寧に開いていった。
すると中から一枚の額縁が現れる。そこには墨で描いた聖女サマラの肖像画が納められていた。
「これは、廃鉱の隠し部屋で発見されました。私の部下によると、そこにあった邪教の祭壇に祀られていたらしいのです」
その肖像画には、オーク語で次のような文言が記されていた。
“毒婦となった偽聖女に闇の加護を”
その文字を見た途端、アレックスは崩れ落ちた。
「おおおおおお……そんな……まさか、本当に聖女が……」
「もう終わりです。アレックス様」
マテウスの冷酷な言葉にアレックスは声を上げて泣き喚く。地面を拳で強く打ち付けて叫ぶ。
その姿を感情の籠らぬ眼差しで一瞥し、ジュリアンはマテウスに向かって命令した。
「これでは査問会には出れぬであろう。彼女の事を頼む。自宅まで送り届けてやって欲しい」




