表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/71

【07】血被り姫


「ほら! ナッシュ、お腹、また動いたよ」

「あー?」

「ほらほら、触ってみて? 私達の赤ちゃん、とっても元気だよ!」

「いいよ、別に……めんどくさ」

「ほら、良いから。触って……ほーら、パパでちゅよー」

「だから、良いって」

「そんな事、言わないで……」

「だから、うっせえな! ウゼエから寄ってくんなよ!」

 ナッシュは怒声を張りあげて、その身を彼女から離した。

「ナッシュ?」

 彼は戸惑うガブリエラの方に目線を向ける事なく言い放つ。

「もういいよ……ミルフィナのところに行くわ」

「ナッシュ……ちょっと」

 まるで甘いお菓子を突然取りあげられた少女の様に取り乱すガブリエラ。

 そのままナッシュは、振り向く事なく部屋をあとにした。

 残されたガブリエラは、ベッドの縁に腰をかけて深々と溜め息を吐いた。

「どうして、こんな事になったのかな……」

 しかし、愚かな彼女には、いくら考えても、その答えを見つけ出す事はできなかった。




 ガブリエラは戦場で拾われ、傭兵団の中で育った。

 腐った血と汚泥の産湯の中で、火がつく様な泣き声をあげていたのだという。

 当初ガブリエラは、ある程度の年齢まで大きくなったら娼館に売られるはずだった。

 しかし、男子の様に身長が高く、日に焼けて逞しく成長した彼女に買い手がつくはずもなかった。

 おまけに武術の才能を開花させ、十三を過ぎた頃には、下手な大人の男よりも強くなっていた。

 そんな訳でガブリエラを育てていた傭兵団の団長は、彼女を娼館に売る事を諦めて、戦力として使う事にした。

 ガブリエラもその期待に答え、次々と武功を立ててゆく。

 その結果、やがて彼女は『血被ちかぶり姫』という恐ろしげな二つ名を轟かせるまでになった。

 この頃になると傭兵団の他の仲間達は、誰も彼女を女扱いしようとはしなくなっていた。

 戦場以外の世界を知らないガブリエラは、それについて何の疑問も抱く事はなかった。

 ただ時折、女らしくない自分の名前が彼らの冗談の種に使われる事があり、その時だけはなぜか胸の奥にほんの少しの痛みを覚える事があった。

 痛みの原因について考えてみた事もあったが、無垢だった彼女にそれを知る事はできなかった。

 そんなある日。

 彼女達の傭兵団は、シャムシャハルという砂漠の小国に雇われる事となった。

 その国の秘宝を狙って、魔王軍が攻め込んで来るらしい。

 それを迎え討つ為の戦力をシャムシャハル側は集めていたのだ。

 この戦いの最中だった。ガブリエラは運命的な出会いを果たす。

 勇者ナッシュ・ロウである。

 丁度この時、勇者パーティはシャムシャハルに滞在しており、それを聞きつけた国王が直々に助力を頼んだのだという。

 ガブリエラは初めてナッシュを見た時、言い様のない不思議な感覚に襲われた。

 胸が躍る様な、締めつけられる様な感覚。

 自然とナッシュの姿を目で追い、その声を聞くだけで、温かで幸せな気分になった。

 反対に彼が仲間の女達と一緒にいるところを見ると、切ない気分に陥った。

 それは、ずっと女を捨ててきた彼女に訪れた人生で初めての恋だった。

 しかし、当然ながら戦場以外の事を知らない彼女は、その自らの中で生まれた想いをどうにかする術を知らなかった。

 悶々としたまま時間は過ぎ去り戦いが始まる。

 結果はシャムシャハル側の圧勝だった。

 勇者ナッシュ・ロウの反則的なまでの強さが主だった勝因であったが、ガブリエラの所属する傭兵団もその武功を認められ、王城で開催される祝勝会に招待される事となった。

 戦場から帰る途中、この知らせをシャムシャハルの伝令官から聞いたあと、ガブリエラの仲間達は大いに沸き立つ。

 こういった機会を通じて、貴族や王族と交友を持つ事は、戦争を飯の種にする彼らの業界ではとても大切だからだ。

 だが、ガブリエラはというと、この祝勝会に出るつもりはなかった。

 男まさりで戦場しか知らない自分には、そんな華やかな席は似合わないと心の中で自嘲した。

 そもそも作法や立ち振る舞いも知らないし、ドレスにだって腕を通した事がないのだから。

 しかし、そのあと偶然にもナッシュと二人きりで話す機会があり、話の流れで自分が祝勝会に参加しない事を告げると、彼は残念そうにひと言だけこう漏らした。


「……なんだ。君のドレス姿、見てみたかったのに」


 その言葉は、ガブリエラの心の中に眠っていた女を強く揺さぶった。




 是非ともドレスを着て祝勝会に出たい。

 しかし、彼女には、ドレスがどこにいけば買えるのかもわからなかった。

 戦場から戻り、祝勝会の当日の昼間。

 宿舎をあとにして、途方にくれながら町をさ迷っていると、ふと後ろから声をかけられた。

 振り返って見ると、そこにいたのは勇者の仲間のひとりで、地味で冴えない方の女――サマラであった。

 祝勝会まで仮眠を取ろうと思っていた彼女だったが、宿屋の隣の部屋でナッシュとティナが騒いで五月蝿かったので、たまらず宿を出たところだった。

 そこで偶然、なにやら思いつめた顔のガブリエラを見かけて話しかけてみたという経緯である。

 因みに二人は、先の戦場でお互いの顔は何となく知っていたが、会話を交わすのはこれが初めてであった。

 そんな訳でガブリエラは、藁にもすがる思いで彼女に自分の悩みを打ち明けた。ただし、照れ臭かったのでナッシュへの想いは伏せて、ドレスを着て祝勝会へと出たいとだけ言った。

 するとサマラはガブリエラの手を引いて、町の大通りにある仕立て屋に連れて行ってくれた。

 女にしては大柄なガブリエラだったが、どうにか着れなくもないサイズのドレスを運良く手に入れる事ができた。

 更にその仕立て屋の店員から化粧の仕方も教えてもらう。

 そうして鏡を見た途端、ガブリエラはあまりにも見違えた自分自身の姿に驚いた。

 肩幅は多少広いが、元々引き締まったプロポーションを持っていた彼女は、ドレスという装飾により大きく変容した。

 中性的ではあったが整った顔立は、化粧によって、女の色香をにじませるまでになっていた。

 ガブリエラは仕立て屋と、サマラに深く感謝した。

 ようやく彼女はこの世に生まれてから初めて、女となる事ができたのだった。




 その後の祝勝会で、会場に現れたガブリエラを見て誰もが驚いた。

 これが、あの血被り姫かと色めき立った。

 そこにいる全員が、彼女の秘められていた美貌に見とれていた。

 もうそれだけでもガブリエラにとって充分な幸福であったが、なんと彼女は、ナッシュのダンスパートナーに選ばれてしまう。

 彼の仲間の黒髪の垢抜けた女ティナでもなく、仕立て屋へと連れていってくれた地味な女サマラでもなく、勇者が選んだのは自分。ガブリエラは天にも登る心地だった。

 そのダンスの最中、ナッシュに耳元で囁かれた言葉を今でも彼女は良く覚えている。

「……髪、伸ばした方が可愛いよ」

 当時、短髪だったガブリエラは、これをきっかけに髪を伸ばし始めたのだった。

 そして、その祝勝会が終わったあと、ガブリエラはナッシュに誘われ、彼の女となった。

 そのあと彼女は、半ば強引に生まれ育った傭兵団を飛び出して、勇者パーティに加わる事となる。

 当初、彼女は恩人であるサマラに深く感謝し、好意的な感情を持っていた。

 しかし、自らの女らしさに磨きがかかると共に、次第に彼女を見下す様になっていった。




 身体を動かしていないと落ち着かない性分のガブリエラは、暗く落ち込んだ気分を晴らす為に中庭の薔薇園へと向かう事にした。

 誰よりも早く子を孕めば変わると思っていた。

 ナッシュはきっと自分を一番の女だと思ってくれる。そう考えていた。

 だから、誰よりも頑張ったのだ。

 しかし、彼女の思惑は見事に外れてしまった。

 あの、まるで用済みとでも言いたげな冷たい態度。

「ううん。赤ちゃんの顔を見れば、きっと……」


 ……だって、これは、あなたと私の子供。あなたと私の愛の結晶。きっと、また彼は私を見てくれる様になる。


 ガブリエラは愚かにも、まだナッシュの事を信じていた。

 そうして彼女が中庭に足を踏み入れた瞬間だった。

 中央にある池のほとりに佇んでいたティナと目が合った。

 ガブリエラは忌々しげに舌打ちをする。

 ティナは、あの日――ガブリエラが妊娠を告白した日から、より一層おかしくなった。

 以前から重度のエリクサー中毒に陥り、情緒不安定だったのだが最近は特に酷い。

 目の焦点が定まっておらず、常にぶつぶつと独り言を呟いている。

 呂律も回っておらず、話しかけても殆どまともな答えが返って来る事はなかった。

 その容貌もガリガリに痩せこけ、何時も張り付いた笑顔を浮かべていた。万能薬たるエリクサーを飲んでいるにも関わらず、まるで不治の病にかかった病人の様だった。

 その癖に目つきだけは、興奮した獣の様にギラつき、血走っていた。

 ナッシュの寝室にも、まったく呼ばれなくなっている。彼もティナの事を露骨に気味悪がっていた。

 しかし、そんな事よりもガブリエラが気にくわないのは、彼女が時折、半開きの口から漏らす――


 ひゅー、ひゅー……。


 という不気味な音だった。

 ガブリエラは、その音が何なのかすっかり忘れていたのだが、耳にしただけで胸の奥を掻き回される様な不安感が込みあげて来た。

 兎も角、沈んだ気分の時に顔を合わせたい人物ではなかったので、どうしたものかと逡巡していると、ティナがニヤリと笑って、唇を三日月型に歪めた。

 ガブリエラはぞっとして、自分の部屋に戻る事にした。今来た廊下を引き返す。

 そうして自室のドアノブを握った瞬間だった。

 突然、右肩を強く掴まれる。

 驚いて振り向くと、そこには何時の間にかニタニタと笑ったティナが立っていた。どうやら後をつけて来たらしい。

「ひっ……」

 思わずかすれた声が出た。

 すると、ティナはガブリエラの眼前に顔を近づける。

「なっ、何なの……」

 ティナはその質問に答える事なく、少し膨らんだガブリエラのお腹へと小刻みに痙攣けいれんする右手を伸ばす。

「あなたぁのお……そのお腹の中……入っているぅ……」

「何だって?」

 ガブリエラには、ティナの言いたい事がさっぱりわからなかった。

 戸惑う彼女を余所に、ティナは引きつった笑みを浮かべながら続ける。

「……あなたのお腹の中で死んでいるぅその肉だんご、人間じゃないんだよぉおー……豚肉の赤ちゃんだぁああああっひひゃはははははは……」

 何を言っているのかさっぱりわからなかったが、自分とナッシュの子供を馬鹿にされている様な気がした。

 だからガブリエラは、ティナの事を思い切り殴った。

 ティナは吹き飛び、床にへたり込んだ。

 むせかえりながら鼻血を滴らせ、廊下にしかれていた絨毯を汚した。

 それがまた、ガブリエラには腹立たしく思えた。ここはナッシュと自分の愛の巣なのだ。

「あれ? ワタシ、なんで、こんなところに……」

 突然、ティナが、その顔つきを変えた。

 それはまるで、ついっさっきまでの彼女が、別人・・であったかの様な変化だった。

 しかし、ガブリエラは、お構いなしに怒りを爆発させる。

「……汚すな!」

 彼女はティナを思い切り蹴った。

「役立たずの分際で、汚すんじゃあない! ナッシュに嫌われている気狂いの癖に!」

 踏みにじる様に何度も何度も蹴り飛ばした。

「やめ……ガブリエ……痛っ」

「お前は女として私より劣っているんだ! 下の存在なんだ! ……それなのに、私の頑張りの成果を侮辱するんじゃあないッ!!」

 彼女の制裁は、駆けつけたメイド達によって止められるまで続いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ