【05】陰謀
魔王軍の残党は、アウグス聖国の北西、つまり法皇庁から南西に位置する炭鉱街の廃墟を根城にしているらしい。
対する討伐軍はアウグス聖国とのちょうど中間に位置する、法皇庁から南の森の砦に本陣をしいた。斥候によると兵力は三千。ほぼ聖国軍と法皇庁の援軍を合わせた数と同じであるとの事だった。相手は烏合の衆とはいえ、難しい戦いになるのは明白であった。
そうして、いよいよ兵站が整い、敵陣へと攻め込まんとする前夜の事だった。マテウスは当てがわれた部屋の寝具で横になり、まんじりとせずにいると、扉を叩く音がした。
上着を羽織り扉口に出てみると、ローブ姿の従者を連れたアレックス枢機卿であった。
「アレックス様、どうしてここに?」
するとアレックスは周囲を慎重に窺ってから声を潜めて言う。
「……重要な話がある。中で話せないだろうか?」
「重要な話?」
「法皇に関する事だ」
となれば、断る訳にもいかない。了承すると枢機卿は従者に目で合図を送る。すると従者は無駄のない動きで一歩だけ下がり礼をした。どうやら部屋の外で待っているらしい。
マテウスはアレックスを部屋の中に招き入れた。燭台に火を灯したあと、小さな一本脚のテーブルを挟んでアレックスと向き合って座る。
「……で、法皇の件というのは?」
促すとアレックスは小声で語り出した。
「……すべては、あの女狐……ジュリアン枢機卿の企てかもしれない」
「というと?」
「これは法皇庁に残してきた密偵からの確かな情報であるが、現在、買収工作によって、枢機卿団のほとんどがジュリアン派に寝返っているとのことだ」
「なんと……」
マテウスは大きく目を見開いた。アレックスの信じがたい話は更に続く。
「……今回のアウグス聖国の祭典に私が出席するように決めたのも、現在の法皇代理であるジュリアンだ。そして、マテウス殿を援軍の指揮官に選んだのも彼女。恐らく我々は金では動かないと判断されたのだろう」
「しかし、私は法皇の近くにいたというだけで、法皇派という訳ではありません」
「どうやら、あの日、私が君を呼び出した夜、君が自宅をあとにするところをジュリアンの手の者に見られていたらしい。事実か否かはさておき、女狐の中では君は立派な法皇派となる」
マテウスは、はっと目を見開いた。だからジュリアンは自分をドラクロワ派であると決めつけていたのだ。
アレックスが得心して頷く。
「……ジュリアンの目的は法皇から味方を切り離し、孤立させる事。嫌な予感がする……」
「もしや、我々が法皇庁から離れている隙に、何か良からぬ事を……」
「ああ」とアレックスは相づちを打つと、椅子から腰を浮かす。
「……そういった訳で、私はこれから夜通し馬を走らせて、法皇庁へと帰ろうと思う。恐らくやつが動き出すタイミングは査問会の日だ。まだ買収工作に応じていないドラクロワ派の者たちがどこまで持つのかが、勝負の分かれ目であるが、難しいであろうな」
そう言って、枢機卿は部屋の扉口まで向かう。そして部屋から出るとき、アレックスは緊張感のにじんだ表情で言った。
「それではご武運を願う。戦が終わり次第、できる限り早く法皇庁へと帰還して欲しい」
「了解しました」
「では」
と、言葉を残して、アレックスは従者と共に薄暗い砦の廊下の向こうへと姿を消したのだった。
炭鉱街での討伐戦は、あっさりと片付いた。
当初は三千人近くの兵力はあると思われていた敵軍の実際の数は二千にも満たなかった。しかも、大半が金で雇われた異国の傭兵たちで士気が低くかった。討伐軍が攻撃を開始すると蜘蛛の子散らすように逃げ出して、ほとんど交戦らしい交戦はなかった。
そうして明朝から始まった戦いは、昼過ぎに残党軍の頭目が捕縛された事で幕を閉じた。
頭目は長い黒髪の髑髏に似た顔をした元闇司祭で、グランヴァルトという名前だった。
他の捕虜と共に討伐軍本陣の砦へと連行し、彼を尋問する事になった。
まだ廃鉱の探索は終わっていなかったが、それはメアリー・スタンが指揮する後詰めの部隊に任せる事にして、マテウスも砦へと戻る事にした。
「……俺も金で雇われただけだ」
後ろ手を縄で束ねられ、足首を拘束されて、椅子に胴を縛られたグランヴァルトは、にやりと口角を歪めた。そこは石造りの地下室で、捕虜の尋問に使われる部屋であった。
グランヴァルトの目の前には、黒い長衣姿の尋問官が一人。そして扉口の壁際で、じっと様子を見守るのはマテウスであった。
尋問官が燭台の揺らめく炎をグランヴァルトの右目に近づける。激しく瞬きを繰り返し、顔を背けようとするが、それを追って尋問官は燭台を動かす。
「……嘘を吐くな」
「嘘なんか吐いてねえ! そもそも魔王が滅びて力を失ったのに、いまさら何かしようなんて思わねえよ」
「じゃあ、お前らは、何の目的であの炭鉱街に集まっていたんだよ?」
「あそこの廃鉱の奥には、魔王軍だったオークどもの隠した財宝があるっていうんで、それが欲しかっただけだ」
「宝探しに、あんな人数も、武器もいらねえだろ!」
「まだあの廃鉱には、けっこうな数のオークがいるって話だった。だからだよ」
「だれから聞いたんだ? その話は?」
「女だよ!」
その言葉にマテウスは眉をひそめる。グランヴァルトは声を張り上げて言葉を続けた。
「仮面をつけた女だ。顔は見てねえし、声も魔法で変えていたみてぇだが、あれはけっこう歳のいってる、身分のお高い女だ。だから俺は、こんな与太話を信じる気になったんだ。全部その女の言われた通り、人を集めて廃鉱に突っ込もうとしたところで、お前らがしゃしゃり出て来やがった!」
マテウスは、はっとする。
グランヴァルトの言っている事が本当ならば、いかにもきな臭い。すべてのタイミングが出来すぎている。もしかすると、彼も自分もはめられたのではないか……。
脳裏に過ったのは、あのジュリアン・ベルモンド法皇代理だった。
その思考を打ち消すかのようにグランヴァルトが怖気に満ちた言葉を発した。
「“暗闇の聖母”だ」
それは、実在するかどうかも解らない伝説の犯罪王の異名。
その噂はマテウスも小耳に挟んだ事があった。しかし、それは、ただの与太話としてだった。
「何を……」
マテウスはグランヴァルトの言葉を冷笑する。すると、彼は髑髏に似た顔を必死の形相に歪ませて訴える。
「あの女は“暗闇の聖母”に違いない。きっと、はめられたんだ。俺もお前も……」
“暗闇の聖母”にはめられた。
それは、言葉通りの意味ではなく、酷い偶然の不幸や理不尽な物事に巻き込まれたときに使う慣用句として使われる言葉であった。
マテウスは、もうこの男から聞き出せる事はないと判断し、尋問を打ち切る事にした。




