【04】目覚めよ、闇よ
その日、アッシャー王国の王都プルトにある大聖堂にて、勇者ナッシュ・ロウと、ティナ・オルステリア、ガブリエラ・ナイツ、ミルフィナ・ホークウインドの結婚式が執り行われる事となった。
この行事は国民が総出で祝福し、国外からも沢山の来賓が訪れる事となった。
みんな、ナッシュ達が魔王討伐の旅で知り合った世界各国の権力者達である。
アッシャー王国のみならず、全世界の人々が平和と希望をもたらしたナッシュ・ロウと三人の美少女達の婚姻を祝った。
その日の空は雲ひとつなく、穏やかな風が心地良く吹き付け、空気も澄み渡っていた。
まるで世界そのものが、ナッシュ達を祝福しているかの様だった。
そんな幸せの渦の中心。
プルト大聖堂のひと気のない倉庫にて。
「なあ……式が始まるまでだから」
ナッシュ・ロウはレモラ姫の両手を取った。そのコバルトブルーの瞳を覗き込む。
レモラ姫は瞳を潤ませ、一瞬だけ逡巡した様な態度を見せる。しかし、どうにかその誘惑に抗い、彼の手を振り解いた。
「どうしたの? レモラ。俺の事、嫌いになっちゃった?」
「駄目です……今日は流石に、あのお三方に悪いです」
レモラがもじもじとしながら言った。
実は二人は、あの舞踏会の時に既に深い仲となっていた。それからも、ティナ、ガブリエラ、ミルフィナには秘密で、何回も逢瀬を重ねていた。
「馬鹿だな。君も俺の大切なハニーだよ、レモラ」
ナッシュは再びレモラに迫り、そのアッシュブロンドの髪の毛にむかって右手を伸ばす。
「いけません……ナッシュ」
「何でだよ? まだ式まで時間があるだろう? 君と一緒にいたいんだ」
「こんなところを誰かに見られたら……」
レモラがナッシュの胸を突き、再び身を離そうとする。
しかしナッシュはレモラの腕をひっぱり、その華奢な身体を抱きかかえた。更に甘い声で、頬を赤く上気させた姫君の耳元で囁く。
「……今日から俺達、ハネムーンに行っちゃうよ? そうなると、しばらく俺と会えなくなるけど、その間、我慢できる? 姫様」
その言葉にレモラは悔しそうに歯噛みして、ナッシュの胸板に顔をうずめ、潤んだ瞳でナッシュの顔を見上げる。
その時のレモラは高貴な姫などではなく、恋するひとりの少女であった。
「愛してるよ、レモラ」
ナッシュが、その端正な口元を歪めて微笑んだ。
結婚式はつつがなく行われた。
四人は神前でお互いに愛を誓いあい、幸せなキスを交わした。
そして、それは式が終わり、四人がハネムーンへと旅立った翌日だった。
幸せな結婚式が行われた大聖堂からそう遠くない広場の桜並木の枝に縄をかけて首を吊り、自ら命を絶った者達がいた。
サマラの両親達である。
村を追い出されたあとの彼らが、どこで何をしていたのかはわからない。しかし、その服装はみすぼらしく汚れ、一見すると別人の様にやせ細っていた。
更に哀れな父親エデルの上着のポケットには遺書が入っており、そこには震える字でひと言、
――娘は悪くない。
と、記されていた。
二人の死体は、しばらくそのまま稀代の毒婦の両親の末路として見せしめに吊された。
プルトに住む人々は、その骸に罵声を浴びせかけ、石を投げつけ、嘲り笑った。
誰も彼らを哀れむ者などいはしない。
稀代の毒婦の両親を罰するという大義名分をたてに、人生の敗者たる彼らを大いに見下したいだけだった。
やがて、吊られた二人は何者かによって木ごと燃やされ、娘と同じ様に黒こげになった。
彼らの遺体は厳重に清められ、プルトから離れた山中にある陰気な沼地に沈められた。
ちょうど、その騒動が終わった頃、ナッシュ達は甘いハネムーンからプルトへと帰還した。
ハネムーンから帰ったその足で、ナッシュ達四人は大聖堂の裏手にある墓地の一角にむかった。
そこには、ナッシュが魔王討伐の旅に出て間もなく流行り病でこの世を去った彼の両親の墓があった。
ナッシュは当然、両親の死については知っていたが、ずっと墓参りに来る事を忘れていた。三人の相手やレモラとの浮気で忙しかったからだ。
帰り際に両親の話題となり、なんとなく墓参りする事となって四人で足を運んでみた。
別に殊勝な気持ちになった訳ではなく、しょぼくれた宿屋の主として生涯を終え、勇者としての旅立ちを反対した父親に、今の自分を見せつけて自慢したいというだけだった。
ともあれ、ナッシュ達は横一列に並び、墓前で死者に祈りを捧げる。
「……さてと。今度は、親父とお袋に孫の顔を見せてやらねえとな」
早々に祈りを切りあげたナッシュは、左隣にいたティナの腰に手を回した。
ティナは「もう! えっち」と、ナッシュの肩を嬉しそうにポカポカと叩く。
そこでナッシュが、ふいにその事を思い出す。
「あ、そうだ。お前らには秘密にしてたけど……」
「なになに?」
ミルフィナが興味深そうにナッシュの顔を覗き込む。
「……俺らがハネムーンに行ってる間、両親の家と宿屋をぶっ壊して新しい家、建ててもらったから」
「えっ、本当に?」
と、目を丸くするガブリエラの肩に右腕をかけて、頬に軽く触れる程度のキスするナッシュ。
「ああ。本当だぜ。俺達の愛の巣さ!」
「ステキ……流石はナッシュね!」
ミルフィナが瞳を潤ませながら、胸の前で両手の指を組み合わせた。ナッシュは、そんな彼女の頭を撫でながら言い放つ。
「んじゃ、とっとと愛の巣に帰ろうぜ!」
「うん」と三人は、だらしない顔で声を揃えて返事をする。
そうしてナッシュ達は、墓地の入り口へと歩き出した。
途中ナッシュがその提案を口にする。
「そうだ! 今夜は久し振りに四人で俺の部屋に来いよ」
「えー、でも、窮屈じゃない?」
ティナが眉をひそめる。勿論、窮屈というのは建て前で、本当はナッシュとの時間を独り占めしたいだけなのだが。
そんな彼女の内心に気が付く様子も見せず、ナッシュは高らかに笑う。
「大丈夫だって。こんな事もあろうかと、すげー広いから。俺の部屋」
「流石はナッシュだ。何時も私達の事を考えてくれる……」
ガブリエラがうっとりとした顔で言った。
そしてナッシュが三人の顔を見渡して宣言する。
「じゃあ今日から、お前らの中で誰が最初にお母さんになれるか、競争だからな!」
すると、陰鬱な墓地には似つかわしくない美少女達の笑い声が響き渡った。
「うふふふ……本当に、ナッシュったら」
「あはははっ、一番はウチだから!」
「私だって頑張るぞ!」
こうして四人は墓地をあとにした。
そこはアッシャー王国の遥か北方にある山中。
フードを被ったひとりの旅人が、その道なき道を奥へ奥へと歩んでいた。
やがて周囲に立ち並んでいた木立が開けた。その土地には傾きかけた廃屋が軒を連ねている。
そこにはかつてアンルーヘと呼ばれる峠の宿場町だった。
現在この場所へ通じる山道は大規模な落盤で埋まってしまい、それ以来ずっと捨て置かれたままになっていた。
新しい山道も別に作られ、今は人々から完全に忘れ去られていた。
フードの旅人は、そのアンルーヘだった場所の最奥へと向かう。そこには高く伸びた雑草の中に埋もれた焼け跡があった。
蔦の這った黒焦げの柱。
焼け落ちた屋根と崩れかかった壁。
それは、かつての黒猫亭であった。
黒猫亭は山道の大規模な落盤が起こる直前に、一階の裏手に面した部屋から火が起こり全焼した。
出火の原因は不明だった。火元の部屋は空き部屋となっており、窓も扉も施錠がなされていた。その為に誰もがこの不審火に首を傾げたのだという。
そして、この火災が起こる以前より、火元となった部屋には不気味な噂が絶えなかった。
真夜中、風もないのにひゅー、ひゅー……という、隙間風の吹き抜ける様な音を聞いた、だとか、裏庭に面した窓のむこうに凄まじい形相の女が立っていただとか……。
そんな曰く付きの場所を見渡しながら、旅人は頭上のフードをはたき落とした。
「ここか……」
そのフードの中から現れたのは、潰れた鼻に三角耳の豚顔――オークだった。
彼は土砂崩れで崩壊した村で、サマラに命を救われた母オークの子供であった。
死にかけていた母親の命を聖女の力で救われ、少ないながらも食料まで分けてもらった。
そして聖女達が立ち去ったあと、もらった食料を廃虚の中で、母や兄弟達と一緒に食べていると、突然聖女の仲間のひとりが引き返して来た。
何だろうと首を傾げていると聖女の仲間は戦斧を振るい、無慈悲で唐突な虐殺を開始した。
母や兄弟達は惨殺され、ただひとりだけ死んだ振りをして生き残ったのが、この旅人のオークであった。
「……あと、少し……あと、少し」
旅人のオークは黒猫亭の裏手へと回り、山深い森へと分け入って行く。
彼はある日を境に夢を見る様になった。
それは山間の宿屋の裏手に広がる森の中。
誰も立ち入らない忘れ去られた場所にある古井戸の中。
あの崩壊した村で母親を救ってくれた心優しい聖女が、助けを呼んでいるというものだった。
それはやがて白昼夢にも現れる様になり、彼女の助けを呼ぶ声が常に頭の奥深くから聞こえる様になった。
どうやら、いにしえの霊術師の血を引く彼は、そういったモノに感化されやすい性質を持っていたらしい。
ともあれ、旅人のオークは、その声に導かれ、この地へとやって来たのだ。
そうして彼は長く伸びた草をかき分け、ぬかるんだ泥を踏みしめ、地表に張り出した木の根に足を取られながら、ついにその場所に辿り着く。
「ここか……」
森の中にぽっかりと開いた空間。
その中央に井戸はあった。
周りの草や木々が、何故か真夏だというのに茶色くなって枯れている。夢に見た光景そのままだった。
「おおお……ようやく、ようやく出会えた……」
旅人のオークは膝を突き、感動のあまりむせび泣いた。
そのまま井戸の縁に這いより、すがりついて、おんおんと赤子の様に泣き叫ぶ。
そうして、少し落ち着いて来ると、井戸の縁から大きく身を乗り出し、仄暗い深淵を見下ろしながら狂気じみた笑みを浮かべる。
「……感じる。この地の底で……渦巻いている」
へらへらと笑いながら、オークは真なる闇へと両手を伸ばす。
「聖なる力で抑えられている……それでも、まだ感じられる。あなたの息吹を……凄まじい怨念の渦を」
ひゅー、ひゅー……と、隙間風が吹き抜ける様な音が、丸く切り取られた暗闇を震わせた。
「あの時の御恩……今、返します。我が命を糧にしてください」
未練はなかった。
勇者によりクシャナガンが討たれ、かの魔王の眷属としてオーク族は酷い迫害を受けていた。
彼の氏族は魔王軍に組みしていた訳ではなかったが、扱いは他のオーク達と変わらなかった。
オーク達は人間によって残酷に狩られ、この世から姿を消すのも時間の問題と思われていた。
この地に辿り着くまでの旅路も苦難の連続だった。
もうこの世界に希望はない。
この世界に自分の居場所など、どこにもない。
オークは両足のつま先で地面を蹴った。
彼の身体がするりと井戸に飲み込まれる。
目覚めよ! 闇よ!
その言葉と共に井戸の奥底から、ごう、という怪物の吠え声じみた地鳴りが聞こえてきた。