【12】表の真相
……一睡もできずに朝を迎えたから、その日は本当に最悪だったみたい。
勉強でも怒られてばかりで昼間になると、例の嫌らしい男が家にやってきた。
いつも通りビリーは“ティナ”と一緒に家を追い出され、例の西の森にある櫟の根元に向かった。
誰もいない静かな森の中で、木の幹に腰をおろしていると途端に眠気が押し寄せてきた。しかし、危険な西の森で眠る気にはなれず、かと言って、いじめっ子に見つかる危険があるので場所を変える気にもなれず、ビリーはけっきょくいつも通り“ティナ”に話し掛ける事しかできなかった。
“ティナ”はあれ以来、一度も喋り出す事はなかった。
あれは、不思議な夢だったのかもしれない。そんな風に思い始めていた。
それでも、ビリーは淡い期待を込めて、あの昨日の夜の地下室の事を“ティナ”に尋ねてみた。
すると、すぐに返事があった。
「……あれはお前の種違いの姉さ」
種違いの姉。
ビリーは眉をひそめて、その言葉を繰り返した。すると、再び“ティナ”が語り出す。
「……そうだよ。本当の貴族の子供は“ティナ”の方さ。お前の父親は、あのろくでなしの母親が股を開いたどこの誰とも知れない男なんだよ」
げらげら……と、笑い始める“ティナ” そのしゃがれた不愉快な言葉は更に続いた。
「姉もお前と同じで『賢者の塔』を目指していた。だけど出来が悪くてね。試験に落ちて『賢者の塔』に入れなかった。そうして、試験に落ちて家に帰って来た晩に、あの母親に殺された。お前は姉の身代わりに、あのろくでなしがこさえた子なんだよ。お前も試験に落ちたら殺される。そして、あのろくでなしの母親は男の前で股を開いて、お前の代わりをまたこさえる」
ビリーは唖然としたまま“ティナ”の事を見つめ続けていたけど、それ以上人形が喋り出す事はなかった。
“ティナ”の言う事が本当ならば、大変な事になる。
ビリーはずっと勉強ばかりしていたけれど『賢者の塔』の試験に受かる気がまったくしていなかった。
才能はあったけれど、いつも問題を間違えて物覚えが悪いと母親に怒られていたから自信なんて欠片も持ち合わせていなかった。
自分も殺されてしまうかもしれない。恐怖にかられたビリーは考える。
このまま逃げるか……でも、どこへ?
誰か村の人に助けを求めるか……実際にどうなのかさておき、ビリーには彼らが自分を助けてくれるとは思えなかった。
じゃあ、母親を直接殺す……優しいビリーには、そんな恐ろしい事はできそうになかった。
けっきょく、どうすればいいのか。
このとき、ビリーは十二歳。
一年後の春に『賢者の塔』の試験が行われる。
それまでに、何とかするしかない。
それで、ビリーは、その日から必死に勉強するようになったんだって。
今までも必死だったんだけど、母親に尻を叩かれて嫌々やらされているだけだった。
でも、ビリーは積極的に勉強にせいを出すようになった。たまに客が来て家の外に追い出されたときも、いつもは“ティナ”と一緒だったけど、代わりに魔導書を持ち歩き、櫟の木の根元で読み耽るようになった。
薬草取りのときは作業をしながら、そのとき勉強していた内容を必死に復唱するようにした。
そんな彼の変化を母親も敏感に感じ取ったみたいで、みるみるビリーに対する態度が柔らかくなっていったみたい。
でも、ビリーは、そんな彼女に恐怖を感じていた。
この頃になると、ビリーは問題をほとんど間違える事もなくなって、新しい事もすぐに覚えられるようになっていた。
でも、どんなに優しくされても以前の母親の怒鳴り声が頭を過り、嫌な想像ばかりしてしまう。
これで、もしも『賢者の塔』に入る事が出来なかったら、どうなるんだろうって。
殺されたくない。死にたくない。それ以上に全寮制の『賢者の塔』に入る事ができれば、この恐ろしい母親と離れる事ができる。そうすれば、きっと幸せになれる。
ビリーはそう信じて兎に角、必死に勉強するようになったわ
そうして、運命の日がやって来たの。
◇ ◇ ◇
「……それで『賢者の塔』に入学できたんだから大したものだな」
ガブリエラが感心した様子で言った。
そして、おほん、と咳払いをして、ばつの悪そうな表情になる。
「彼の事を、根性なしだなんて言って、悪かった」
「良いわよ」
と、ティナは気安い調子で笑う。
「だって、ビリーってば、いつもアタシのあとにくっついてきて、アタシがいないと何にもできないやつだったからね。根性なしっていうのも半分は当たっているし」
「それにしても、その人形はけっきょく何だったんだ?」
ガブリエラの問いにティナは肩を竦めて答える。
「さあね。アタシにもさっぱり。本当に東方に伝わる迷信の通りに、魂が宿ったのかもね」
「ティナは人形が喋っているところを見た事があるの?」
そのミルフィナの問いに、ティナは少し考え込んだあと「どうだったかしら?」とはぐらかして言葉を続けた。
「……これで、アタシの話はおしまい。その人形のお陰で、彼は恐ろしい母親の元から逃げ出す事が出来ましたとさ。めでたし、めでたしっと。ビリーは今でも『賢者の塔』で頑張って勉強してると思うわ」
ミルフィナとガブリエラは訝しげに黙り込む。すると、サマラがほっとした調子で声をあげた。
「でも、ビリーが自由になって幸せになれて良かった」
そこで、ガブリエラが鼻を鳴らす。
「解らんぞ。自らの復讐のために子を産んで、そのためだけに育てていたような恐ろしい女だ。何らかの形で今のビリーにも干渉しようとしてくるに違いない」
「それはないわ」
ティナだった。
彼女は晴れやかに、にっこりと笑って、こう続けた。
「……ビリーが『賢者の塔』の入学試験に向かったすぐあと、お母さんの暮らす故郷の村はゴブリンの大軍に襲われて壊滅したの」
「じゃあ……」
サマラが絶句する。
「そういう事でしょうね」
ティナはベッドの縁から足を出して立ち上がる。
「ちょっと、お花を摘みに言って来るわね」
「ねえ」
部屋を出ようとしたティナをミルフィナが呼び止める。
「何?」
ティナが振り返る。
ミルフィナが問うた。
「確か、前に聞いた事があったけど、あなたの故郷もゴブリンの大軍に襲われて壊滅したのよね?」
「そうね」
ティナは顔色を変えずに首肯すると、言葉を続けた。
「……でも、魔王が復活した今の世界じゃ、そんなの珍しくも何ともないでしょ?」
そう言い残して、部屋を後にした。




