【04】赤い瞳
その日、ウチは『二つ葉陰』から南西にある狩り場『角隠れ』へと向かった。
ここは、西にある『楓眸』という集落との中間距離にあるんだけど、昔は色々とウチの集落との間で厄介な問題があったみたい。
だからなのか、その集落の人って、いつも狩場で合ってもそっけなくて……。
今では両方の偉い人が色々と頑張って協定を結んだらしいから、遺恨は残っていないはずなんだけどね。
ただ、その頃、良く一緒に狩りをしていたユリルって子は、『楓眸』の出身だったんだけど人懐っこい性格だった。
ユリルはウチよりも歳下で、木の実で作った飾りをいつも二つのおさげ髪からぶら下げてた。狩りの腕前はそんなにだったけど、薬草や香草に詳しくて、自家製のお茶を入れた瓢箪の水筒をいつも腰に下げていた。
この日も『角隠れ』に幾つかある狩人用の小屋へ行ったら彼女がいた。
ユリルは小屋の扉を開けたウチの事を見た途端、まるで餌につられた縞栗鼠みたいに、ちょこちょこと駆け寄って、こんな事を言った。
「……ねえ、最近はどうしたの? ぜんぜん姿みなかったけど」
ウチは苦笑しながら抱き付こうとしてきたユリルの頭を左手で抑え「ごめん、ちょっとね……」とだけ言って笑った。
そのとき、ウチの目に入ったのはね、ユリルの瞳だった。
そう。
ユリルの瞳は真っ赤だったの。
あの鴉みたいに。
『楓眸』生まれのエルフは瞳の色が真っ赤な人が多い。もちろん、そうじゃない人もけっこういるんだけど、古くから『楓眸』に住んでいる家のエルフはみんなそうね。
それで、ウチは思い出したの。
あの鴉の赤い瞳を見たときに感じた奇妙な既視感の正体を……。
ホメロ・アーヴィング。
ウチの元恋人だった男の事を思い出したの。
◇ ◇ ◇
「もう五年も前の話だけど……ナッシュにはナイショにしておいてね。あの人、あれで独占欲の強い子供みたいなところがあるし」
そうミルフィナが言うと、ガブリエラとティナは苦笑して頷いた。
ミルフィナが過去の恋愛遍歴を知られてナッシュにどう思われようが知った事ではなかった。しかし、そのお陰で彼が不機嫌になり、そのとばっちりが必ず自分たちに跳ね反って来る事が予想できたので、口を噤ぐ事には賛成だった。
「……サマラも、お願いね?」
ミルフィナに念を押されたサマラは慌てて首を横に振る。
「わっ、私はそんな話、するつもりないよ!」
「ありがと」
と、ミルフィナが短く礼を述べると、カブリエラは興味を隠しきれない様子で質問を発した。
「……で、そのホメロっていう男は、どんな男だったんだ?」
ミルフィナは一つ鼻を鳴らして、遠い眼差しになり言葉を発した。
「ナッシュとは、何もかも真逆な男だったわ」
◇ ◇ ◇
……ホメロと知り合ったのも『角隠れ』だった。
その日、ウチは大型の暴れ猪を仕留め損ねて、反対に追い掛けられる羽目に陥った。
馬鹿だった。さっきも言ったけど、ウチの家は特にウチが狩りに出なくても、充分に食べていけた。遊びの狩りで暴れ猪に手を出すなんて、本当にあり得なかったと思う。
でもね、退屈だったの。解るでしょ? ウチも生きてるっていう実感が欲しかった。パパとママはいつも「何もしなくていい」って言うけれど、それは「好きな事をやっていい」という意味ではなかったから。
だけど、そのときは後悔した。やっぱり、何もせずに、あの木の上の安全な部屋の窓際で空想だけしていれば良かったって。
そうすれば、こんな事にはならなかったのにって、そう思った。
兎も角、私は羊歯の茂みを掻き分け、魔物の触手みたいな木の根に躓きながら、逃げ続けた。
でも、暴れ猪は一向に諦めてくれなかった。
もう限界が近づいてきて、暴れ猪の牙がすぐそこまで迫ってきたときだった。
背中の後ろで物凄い音がしたの。同時に震動が伝わってきて、ウチは驚いて足を止めて振り向いた。
すると、暴れ猪が地にひれ伏していて、その盆の窪辺りに長槍が突き刺さっていた。
その柄を両手で握り絞めて暴れ猪の背中に立っていたのは、赤い目のエルフだった。たぶん、木の上で待ち伏せしていたんだと思う。
それがホメロとの出会い。
彼は槍を引き抜くと、暴れ猪を完全に仕留めた事を確認するために、もう一度槍を突き刺して、その背中から飛び降りた。
そうして、呆然と立ち尽くすウチのところに来て、何も言わずに目の前で屈んだ。何をするのかと思えば、さっき逃げている途中に転んで擦りむいた膝に布を巻いてくれたの。
ウチが「ありがとう」ってお礼をすると、彼は一言「ああ」と言って立ち上がり、仕留めた獲物の方へ向かって溜め息を吐き、こう言った。
「……肉を持ち帰るのに人を呼ばなきゃな。早くしないと、鴉がやって来て横取りされてしまう」
そして、ウチの方へ振り返って、更に言葉を続けた。
「お前も、いるか?」
そのとき、ウチは恋に落ちたの。




