【26】サマラ
清らかなる聖女の魂は消滅したが、その呪詛の残滓が世界から消える事はなかった。
彼女がもたらした幾多の災禍は、新たな呪詛を生み出し、それがまた新たな災厄を生み出していった。
それは、やがて世界すべてを覆い尽くし、結果として文明の崩壊を招く。
そうして、二千年の歳月が過ぎ去った。
その頃の世界は、新たなる人類達の手によって築かれた魔導文明が隆盛を極めようとしていた。
目元を覆った魔法のゴーグルと、漆黒のヒヒイロカネ製魔導スーツ。
腰には回転式弾倉の六連発魔導銃。
人の背丈はありそうな大剣を革のベルトにかけて背負う、闇色のマント姿。
彼は『黒の勇者』の二つ名で呼ばれる有名な冒険者であった。
全世界の情報を蓄積している超巨大魔導ネットワーク『アガスティア』のアーカイブによれば、彼の冒険者としてのランクはSランク――最高クラスである。
そんな彼は今回、二千年前の世界崩壊の原因たる呪詛が未だに色濃く渦巻く場所『禁忌と名付けられた土地』へと、ひとり赴いていた。
この一帯は、|世界冒険者相互扶助連盟のダンジョンランキングにて、難易度ナイトメア級の評価をくだされている。
一流の目安であるBランク以上の冒険者がしっかりとしたパーティを組んで挑んでも、その生還率は五十パーセントを切るといわれる難所中の難所であった。
そんな人外魔境の真っ只中の『冥王の都』の大通りにて。
彼はたったひとりで、怨獣『グレンデル』の群れと向きあっていた。この怨獣は二足歩行の影の様な狼型である。それが七匹もいた。
そのグレンデル達の背後には、三人の男が倒れている。まだ血は乾いておらず傷口も生々しい。全員、死んでいる。どうやら彼と同じ冒険者の様だった。
「食事中、邪魔したみたいだな」
その言葉を合図にグレンデル達は、唸り声をひとつあげて、一斉に黒の勇者を目がけて駆け出す。
すると黒の勇者の腰から超高速で魔導銃が抜き放たれ、瞬く間に銃声が轟く。
刹那、正面のグレンデルの眉間が砕けた。
それから数秒間のうちに、撃鉄が起こされ弾倉が回り銃声が轟き、それが繰り返され、残り五発の銃弾がすべてグレンデルの眉間へと正確に叩き込まれる。
そうして残るは一匹だけとなった。
そのグレンデルは高々と跳躍し、黒の勇者の頭を飛び越えて背後に着地した。同時に鋭い牙が並んだ獣の口腔を大きく開き、彼の方へ右腕を振りかざしながらターンする。
同時に黒の勇者も逆周りにターンしながら背中の大剣を左手で抜き放ちグレンデルの振るった鉤爪を屈んでかわす。
そのまま大剣を横一閃に払い、グレンデルの胴を両断した。
すると、周囲に散らばっていたグレンデルの死体が黒い煙となって消えて、あとには胡桃程度の虹色の宝石が残った。
世界を崩壊に導いた呪詛の残滓より生まれし存在である怨獣。
これを倒すと、高濃度の魔力結晶『オドクリスタル』が残る。
このオドクリスタルこそが、今日の魔導文明を支える重要なエネルギー源となっていた。
冒険者とは、怨獣を狩り、それによって手に入るオドクリスタルを換金して生計を立てている狩人の事を差す。
「雑魚にしては、まあまあの大きさだ。純度も高い」
黒の勇者は、拾った戦利品を肩掛け鞄に収めていった。
このあと彼は、このまま大通りを北へ進んだ先にある『鏖殺の大聖堂』と呼ばれる場所に現れる『アッシュマン』という怨獣を狩ってオドクリスタルを稼ぐつもりだった。
しかし、このグレンデルもそうだが、アッシュマンも、ギルドの定める怨獣の危険度指標――モンスターレートは決して低くはない。
しかも、鏖殺の大聖堂ではアッシュマンが群となり、倒しても倒しても湧いて出てくるのだという。
普通ならば、いくら腕利きでも彼の様にソロ狩りをしようと考える者などいはしない。そもそも、このナイトメア級ダンジョンに、たったひとりで足を踏み入れる事自体が普通ではないのだが。
「……さてと。大聖堂や帰りの事を考えると、あまり無駄弾も使えないな」
黒い勇者は、そう独り言ちて、魔導銃の回転式弾倉に対怨獣攻撃術式付与弾をリロードする。
それが終わると彼はひとり、廃墟となった大通りを北へと進み始めた。
そこは、桜の巨木が並んだ広場だった。
既に北に広がる廃墟の向こうには、鏖殺の大聖堂の尖塔が顔を出している。
黒の勇者は広場を真っ直ぐ通り抜けようとしたが、何となく足を止めて巨木のひとつを見上げた。
桜の花が狂おしいほど満開に咲き誇っている。
突如として吹き荒ぶ一迅の風に舞う花吹雪。
「……何だ、これ?」
強烈な既視感。
この景色を遠い過去に見た事がある。
しかし、彼がこの地に足を踏み入れたのは、この日が初めてのはずだった。
急に胸が締め付けられ、黒の勇者は泣きそうになる。
その瞬間だった。
銃声が轟く。
大聖堂の方からだった。
そちらへと延びた大きな通りの真ん中を誰かが駆けて来る。
「同業者か?」
それは黒髪の女だった。彼と同じ様に魔法のゴーグルで目元を覆っており、身体のラインがぴったりと出た魔導スーツを身にまとっている。
そして、女の後ろから巨大な人型の黒い影が姿を表す。周囲の建物より頭ひとつ分高い。巨人型の怨獣だ。
「あんなの見た事がない」
黒の勇者はコマンドスペルを唱え、魔法のゴーグルをアガスティアにリンクさせる。
すると、彼の視界に、その怨獣のデータが表示された。それを目にした彼は思わず驚きの声をあげる。
「レア怨獣『ゴリアテ』 モンスターレートは【278】だと?!」
さっきのグレンデルがモンスターレート【39】だから、このゴリアテがいかに危険な化け物であるかは考えるまでもない。
女は振り返り、両手に持ったボルトアクション式の魔導狙撃銃で、ゴリアテの頭を狙うも振り回された腕にあたり、命中しない。
「大方、パーティ狩りの最中に、あいつに出くわして、ひとり生き残ったってとこか……」
何時もの彼ならば、見捨てていただろう。
なぜなら、彼は根本的な部分で人間を信用していなかった。だからこそ、ずっとパーティを組もうとせずにソロでいるのだから。
恐らく、その人間への不信感は彼の心に深く刻まれた魂の記憶なのだろう。
しかし、どういう訳か、このときだけは、彼女を助けたい――その想いが胸のうちに込みあげる。
人間嫌いな黒の勇者は、そんな気まぐれを起こそうとしている自分に対し自嘲気味に笑う。
「やれやれ……」
黒の勇者は別なコマンドスペルを唱えて、魔法のゴーグルをアガスティアのスキルアーカイブへとリンクさせる。
すると彼の視界に、これまで習得して来たスキルが並ぶ。
スキルとはアガスティアに集積された過去の英雄達の力や技術をデータ化して保存したものだ。
この世界の人々は魔導端末を通じて、そのデータ化された能力を自分の物として使う事ができる。
もちろん、資格や制限はあるが、今の時代では過去に存在した勇者の様な力を誰でも使えるのだ。
スキルを発動した黒い勇者は、右手一本で大剣を抜き放ち、女とゴリアテの方に向かって駆ける。
女が叫んだ。
「馬鹿! 逃げなさい!」
しかし、黒の剣士は女とのすれ違い様に鼻を鳴らしただけで、その言葉を聞き入れようとしない。
頭上高くから、ゴリアテの巨大な右拳が降って来る。
黒の勇者は、それを軽々と左に飛び退いてかわす。石畳が砕け散る。
馬鹿でかい右足の裏が頭上に迫る。
黒の勇者は踏み潰される寸前で、それを潜り抜ける。スキルによって得られた身のこなしのお陰だった。
「うおおおおッ!!」
そのまま彼は、ゴリアテの左足首を大剣で、ぶった斬る。
ゴリアテがバランスを崩し、尻餅を突いた。
黒の勇者は高々と跳躍し、着地と共にゴリアテの腹に大剣を突き刺した。
しかし、彼の頭上に影が射す。ゴリアテの両掌が黒の勇者を叩き潰そうとする。
大剣を抜き、素早く地面に飛び降りた。
ゴリアテが起きあがろうとする。
その瞬間だった。
「あたしを忘れないでね」
女の魔導狙撃銃から放たれた爆裂術式弾がゴリアテの額に着弾する。それは彼女が一発だけ残しておいた虎の子だった。
威力は絶大だが、発射前に長い呪文の詠唱を必要とする。
閃光が瞬き、ゴリアテの額が爆音と共に吹っ飛んで砕ける。
この一撃によって、ゴリアテは力なく地面にその身を横たえた。
女は銃のボルトを素早く引き、再び押し込む。排出された空薬莢が石畳に跳ね返り、金属音を立てた。
「良い腕だ」
黒の勇者は素直に女の射撃の腕をほめる。
しかし女は自嘲気味に微笑み、首を横に振る。
「ううん。あなたが隙を作ってくれたお陰。本当にありがとう」
「しかし、こんなところで、どうしたんだ? 仲間とはぐれたのか?」
女は首を振り、ゴーグルを額の上にずらした。
彼女の素顔を見た途端、黒の勇者は思わず息を呑む。
どこか猫を思わせる魅惑的で妖艶な顔立ち。素直に美しいと感じた。
女は彼が見とれているのに気がつかない様子で話を続ける。
「……仲間と一緒に四人で、大聖堂で狩りしようと思っていたんだけどね。その途中にあのデカいのが現れて、それで、仲間の奴ら、あたしを置いて逃げやがったんだ。まったく、とんだ根性無しだよ……あれ? どうかしたの?」
ようやく女は、彼の様子がおかしい事に気がついた。きょとんとして小首を傾げる。それは彼が初見で感じたのとは正反対の、あどけない印象の表情だった。
黒の勇者は咳払いをひとつすると、少し頬を赤らめて、そっぽを向く。
「ああ……いや、何でもない」
見とれていた事を気がつかれやしないかと内心焦る黒の勇者。
女は、そんな彼の心持ちに気がついた様子もなく問うた。
「そう? なら良いんだけど。そういうあんたは? あんたも仲間とはぐれたクチ?」
「いいや」
黒の勇者は首を横に振る。
「俺は、ソロ狩りだよ」
その答えを聞いた女が目を丸くして驚くる。
「ソロ?! こんなところで?! てか、じゃあ、あんたが、もしかすると黒の勇者?!」
「うむ。そんな風に呼ばれてるな」
少し照れくさそうに頭をかく黒の勇者だった。
すると、女は少し考えたのち、ある提案を彼に持ちかける。
「……あのさー。なら、ここで、あったのも縁だし、しばらく組まない?」
「俺とか?」
女が頷く。
「あんたが、誰とも組みたがらないのは知ってるけど……なんなら、ここを出るまででいいから」
普段ならば、断っていただろう。
しかし黒の勇者は思った。この女ならば、信じて良いかもしれない。根拠はなかったが、それは半ば確信に近かった。
「構わない。組んでも。しばらくの間なら……」
そう返事をすると、女はまるで幼子の様に、無邪気に飛び跳ねて喜ぶ。
「やった! 断られたらどうしようかと思った!」
「君、名前は?」
黒の勇者の質問に女が答える。
「ああ。あたしはソフィア。そう言えば、黒の勇者さんの本名は? あたし、知らないや」
黒の勇者は、ゴーグルを額にずらして答える。
「俺はエデル。よろしく」
そこでソフィアが、ぷっ、と吹き出す。
黒の勇者ことエデルは訝しげに首を傾げた。
「どうした?」
「いや、案外、可愛い顔だなって……」
「ふむ。そんな風に言われたのは初めてだ」
「嫌だった?」
「いや。悪くない」
こうしてふたりは、桜の花びらが舞い散る中、再び巡り会えたのだった。
そのあと二人は、ゴリアテから得られた超巨大なオドクリスタルを苦労して持ち帰り一財を成す。
しかし、それでも二人は冒険者をやめる事はなかった。
エデルは冒険者こそが幼き日の憧れで、天職であると自負していたし、ソフィアは広い世界を旅して回るのが人生の目標だったからだ。
二人は、その後も世界を駆け抜け、様々な冒険をこなし、時には喧嘩もしたが、互いに惹かれあっていった。
そして、数年の月日が流れた――。
そこは、ある国の病院だった。
その病室で火がついた様に泣き喚く赤子を抱きながら、困り顔をするのは黒の勇者エデルであった。
「おっ、おい。泣き止んでくれ……お願いだ。おい……頼む」
その光景を見ていたベッドの上のソフィアが吹き出す。
「赤ちゃんに『お願いだ』なんて言っても、わかる訳ないでしょ?」
そう言って、ソフィアは両手を伸ばし、自らが腹を痛めて産んだ健康な赤子を受け取り、手慣れた様子であやし始める。
すると赤子は、見る見るうちに大人しくなっていった。
その可愛らしい赤子の顔を見つめながらソフィアは万感の想いを込めて微笑む。
「……それにしても」
「うむ」
「あたしが母親になれるだなんてさ。思ってもみなかったわー!」
照れ臭そうに笑うソフィア。そんな彼女の胸に抱かれた赤子のほっぺたを、おっかなびっくり優しく指先でなでながら、エデルがぽつりと言葉を漏らす。
「俺も……」
「うん」
「自分が父親になっただなんて、信じられない」
「だね」
屈託のない笑みを浮かべるソフィア。
そんな彼女に、エデルは問う。
「……そういえば、名前、考えてあるのか?」
息子ならエデルが、娘ならソフィアが名前を考える。そういう約束になっていた。
ソフィアは、どこか遠い目をしながら、最愛の夫の質問に答える。
「サマラ」
それは、彼女の魂に深く刻まれていた名前だった。
「……サマラ……サマラ……」
エデルがその言葉を、まるで祈る様に繰り返す。
すると、突然、とめどなく涙がこぼれ落ちる。
「あんた、どうしたのさ? 突然、泣いたりして」
その最愛の妻の質問に答えようとしてエデルは彼女の顔を見た。すると、彼女も泣いていた。
「お前だって……」
ソフィアが、泣きながら笑う。
「そうだね。何でだろう。おかしいね……」
彼女は涙がこぼれ落ちない様に、天井を見上げた。
エデルも右手の拳で溢れる涙を拭う。
そんな二人を余所に、生まれたばかりのサマラだけが、無邪気に、幸せそうに笑っていた。
このあと、エデルとソフィアは、娘のサマラと共に幸せな生涯をまっとうしたのだった。
終わり
ここまでお読みいただき、お憑かれさまでした。
現在、連載中の『ゆるコワ! ~無敵の女子高生二人がただひたすら心霊スポットに凸しまくる!~
https://ncode.syosetu.com/n2367fs/』 も、もしよろしければ、読み流してやってください。
本当にありがとうございました。