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【01】終わりの始まり




 誰も悲惨な目になんて遭っちゃいない。 お楽しみが悲劇に変わっただけなのさ。


 ――フレデリック・ウェスト


 ナッシュ・ロウは、この世界の管理者である女神に選ばれた勇者だった。

 この女神の選定によって勇者と認定された者は、古の英雄達の技能と経験が宿り、凄まじい力を操る事ができる。

 彼は十六歳の誕生日に王城に呼び出され、王の側近である占術師に、自らが勇者に選ばれた事を告げられる。

 かくしてしがない宿屋のひとり息子だったナッシュは、王様からいくばくかの資金と革の鎧、ひのきの棒を貰い受け、世界を闇に包まんとする魔王クシャナガンを討伐する為の旅に出た。

 自己評価と自己顕示欲が高く、常日頃から「オレはこんなショボい宿屋をつぐつもりはねえ! もっとデカい事をする漢だ」と豪語していたナッシュは、喜び勇んで魔王討伐の旅に出た。

 もちろん、彼の年老いた両親は反対したのだが、知った事ではなかった。

 そして、旅立ったばかりのナッシュは、王様から与えられた装備品や資金がみみっちいと感じていたが、田舎の小国だから余裕がないのだろうと納得し、あまり深く考えようとしなかった。

 実のところ王様は女神の選定とかいう迷信臭い伝承を信用しておらず、ナッシュがまかり間違って魔王を倒してくれれば儲け物程度にしか考えていなかっただけなのだが。

 ともあれ、勇者ナッシュ・ロウは、生まれ故郷であるアッシャー王国から魔王城を目指して長い旅に出る。

 襲い来る魔王の手下を退け、様々な経験を積み、行く先々でこころざしを同じくする仲間と出会う事もできた。

 そうして気が付くと二年の歳月があっという間に流れていた。




 季節は夏の終わり。時刻は深夜。

 そこは何の変哲もない峠にある、アンルーヘという宿場町だった。

 その外れの黒猫亭という安宿の一階裏手に位置する部屋での事だ。

「なあ……良いだろ?」

 ナッシュはサマラに向かって詰め寄る。

 彼女は共に魔王討伐の旅を続ける特別な力を持った聖女である。この勇者パーティに加わる前は、無償で病人や怪我人を癒やしていた。そんな彼女は清らかなる聖女として一部では有名な存在だった。

「やめてよ、ナッシュ。そういうのは、ダメだって……」

 サマラは困り顔で、一歩だけ後ろに退いた。すると彼女の背中が壁にぶつかった。

「逃げるなよ」

 ナッシュは彼女にむかって、更に詰め寄る。

 するとサマラが壁づたいに右へと逃げようとした。その進路を塞ぐ様に、ナッシュは壁に手を突いた。

 サマラは困惑した表情を浮かべながら彼の顔を見上げる。

「ちょっと、ナッシュ……いやだ。本当にもう……今日はどうしたの? 強引だよ……」

「良いだろ? あとはお前だけなんだ」

 ナッシュには彼女の他にも三人の仲間がおり、全員がいずれも劣らぬ美少女達であった。そしてナッシュは、その三人すべてと恋人関係にあった。

 更に三人の美少女達も、絶世の美男子と言って良いほど整った顔立ちのナッシュに恋心を抱いており、深く心酔していた。

 当然、それぞれが自分以外の他の女とナッシュの関係を苦々しく思っていたが、それでも彼の機嫌を損ねて捨てられてしまうよりはと、波風がたたぬ様に表面上では我慢しあっていた。

 ただし、サマラは一番最初にナッシュの仲間となったにも関わらず、いまだに彼とそういった仲にはなっていなかった。

「……わっ、私とは、そういう事は、魔王を、倒したらって……そういう約束だったじゃない」

「我慢できないんだ。愛しのサマラ……」

 サマラは、現在の勇者パーティで唯一の回復を行う癒し手ヒーラーである。

 しかし、彼女の使う癒やしの術は通常の治療術師の魔法とは異なり、純潔の乙女にしか使えない特殊な術であった。効果の方は普通の治療術師の回復魔法よりもずっと強力であるのだが。

「わっ、私の……。術が使えなくなったら、いざという時、困るじゃない……だから」

「大丈夫。最近は、俺達も強くなったし、要するにモンスターの攻撃を受けなければ、お前の回復魔法も必要ないだろ?」

 ナッシュがサマラの頬にそっと手を置く。

「……それに、もし万が一、怪我や病気、毒に侵されたって、エリクサーがある」

「エリクサーは……あまり飲みすぎると、身体に悪いから……」

 どんな怪我でも病気でも毒物の中毒症状でも、たちどころに治す魔法の万能薬エリクサー。

 しかし、この薬は依存性が高く、飲み過ぎると、手足の震えや幻覚症状にみまわれてしまうという欠点があった。しかも、ひと瓶が五千ゴールドとかなりの高額である。

「大丈夫だって……いざとなったら、また新しいヒーラーを入れれば良いじゃん。お前の代わりに……テキトーな、治療術師の女の子でも引っかけてさ」

「じゃあ、私の……私の役割は、どうなるの?」

「お前は、俺の世話係……どう?」

「そんなっ! 酷い……」

 サマラは失望した。

 彼女は純粋に魔王を討伐し、世界に平和をもたらそうとしているナッシュの力になりたくて、親の反対を押し切り、彼に帯同したのだから。

 もちろん、今のナッシュに対して下心がないかといえば嘘になる。現に魔王を討伐したら、そういう関係になっても良いと約束しているのだから。

 しかしそれでも、すぐに彼の想いを受け入れなかったのはヒーラーとして勇者ナッシュの役に立ちたいという純粋な思いがあればこそだった。

 そんな思いを踏みにじるかの様にナッシュが、その端正な顔をサマラに近づける。

「馬鹿。俺にはお前だけなんだよ。他の子と付きあっているのは、お前が俺の想いを受け入れてくれないから仕方なくさ」

 これは嘘である。もっとも、本当だったとしても最悪であるが。

 どちらにせよ、ナッシュは地味でお堅いサマラより、他の三人の美少女達の方が色気があって好みだった。

 しかし、この最悪の女たらしにとって、自分と恋人になる事を拒み続けている女がそばにいるという事実が常々我慢ならなかった。

 とりあえず、何でもいいから沢山の女を自分の所有物にしたい。

 美術品か何かのコレクターと同じ発想で、そこに彼女を人として思いやる心は欠片もなかった。

 その本心が滲み出た言葉を耳にしたサマラは、咄嗟に彼の頬を平手で打ちつけた。

 ぱあん、と乾いた音が室内に鳴り響く。

「……お前」

 ナッシュは何が起こったのかわからないといった様に、ぽかんとしていた。

 その表情がなんとも間抜けで、どうしてこんな男に好意的な感情を抱いていたのだろうと、サマラは不思議に思った。

「少し冷静になって。部屋から出て行って、今すぐ」

 サマラは、なんとなくナッシュの顔が見たくなくなって、うつむいた。

「お前……」

 震えるナッシュの声。サマラは涙を流しながら叫び散らす。

「早く出て行って!」

 その瞬間だった。サマラは突然、抱えられた。そして、ベッドに乱暴に放り投げられる。

「……ちょっ」

 驚いて起きあがろうとすると、ナッシュが覆い被さって来た。

「てめえ!! 俺様に指図してんじゃねえよ、糞アマが!!」

「きゃっ、やめて、ナッシュ、お願い! 冷静になって!!」

 サマラは必死にもがいた。しかし、両腕を掴まれ、組み伏せられてしまう。

「とっとと俺を受け入れろよ、糞アマが! もったいぶってお高く止まってるんじゃねえ」

「いやっ、やめて! やめて!」

 必死にもがくサマラ。

「へへっ、騒いだって無駄だぜ」

 ナッシュが邪悪に微笑んで舌なめずりをした。

 すると、振り回されたサマラの右手の指先がナッシュの頬を引っ掻く。

 最近ではどんなモンスター相手にも傷つく事がなくなっていた強者の頬に、ひと筋の赤がにじみ出る。

「てめえ……」

 ナッシュの表情がくしゃりと歪んだ。それは、サマラがこれまで見た事のない様な、まるで別人とすら思える怒りの形相だった。

「メスの分際で俺様の顔に何してくれてんだ、このクソゴミがぁあああっ!!」

 怒りで我を忘れたナッシュは、サマラの顔面にめがけて右の拳を振りおろす。続いて左拳を振りおろす。交互に拳を振りおろす、振りおろす、振りおろす……。

 乾いた打撃音はやがて湿り気と粘性を帯び、硬い物が砕け散る音と共に、サマラの口腔から血にまみれた白い歯がシーツの上に転がり出る。

「女はぁっ! 黙って! 男の! 言う事を聞いてりゃ! 良いんだよ! ボケが! それが存在理由だろうが!」

 すでに意識が途切れたのか、サマラの四肢はだらしなくシーツの上で脱力していた。

 それでもナッシュの怒りは収まらず、サマラに拳を振るい続ける。振るい続ける、振るい続ける……。

「てめえみてえな、たいした事のねえ田舎ブスが俺様のパーティにいられるだけでも感謝しろってんだ!!」

 そのうち、ナッシュの拳の皮もむけて、そこから血がにじみ出す。

 しかし、それでも彼は、殴るのを止めなかった。

「何を、勘違いしてんのか、知らねえけど、女の分際で俺様に刃向かってんじゃねえよ、カスが!」

 その凄惨な凶行は、部屋の扉が激しくノックされる音にナッシュが気がつくまで続けられた。

「……どうしたの?! ナッシュ!? 返事をして?!」

 それは仲間のティナの声だった。

 ようやく我に帰ったナッシュの眼下にあったのは、どす黒い赤と紫色に晴れあがり、陥没した肉達磨の様な顔。

 変わり果てたサマラであった。

「あっ、やべ……やっちゃった。あはは……」

 ナッシュはへらへらと苦笑しながら、馬乗りになっていたサマラの腹から腰を浮かせた。

 そうして、ベッドから降りると、ようやくすりむけた拳がじんじんと痛み出す。

「くっそ!! マジ面倒クセえな、この糞ブスがッ!!!」

 ナッシュがベッドの端を蹴りつけた。すると、サマラの身体はベッドと同時にぶるんと振動しただけで、ぴくりとも動かなかった。

「ナッシュ! ナッシュ! お願いだから返事をして!」

 なおも扉のむこうで激しくノックしながら自分に呼びかけるティナにむかって、ナッシュは大声を張りあげる。

「おーい! ティナ、エリクサー持ってきて!」

「怪我でもしたの? 中にサマラも一緒じゃないの?」

「うっせえよ。いいから早くエリクサー持って来い!」

「うん、わかった。ごめん」

 扉の向こうから、ばたばたという足音が聞こえ、部屋の前から遠ざかってゆく。

 ナッシュは両手をぶらぶらとさせながら顔をしかめ、もう一度、ベッドに横たわったままのサマラの方を見た。

「クッソ。まじでツイてねーな……」

 サマラは、そのままだった。

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