~マンション(共同住宅)の物語 其の1 「夢と不安の新生活~西宮」
大阪で新婚生活を始めて、ふたりでコツコツと貯金し、外食も、もっぱら同郷が集う地元大正区で済ませ、狭い賃貸住宅ながら、沖縄出身のご主人と、いつもお互いの顔が見える環境にあり、一歩外に出ると、沖縄出身の人がたくさん住む街で、楽しい時間を過ごしていた。
賃貸での生活が5年目になった頃、今まで払っていた家賃と、家を買ったときのローンとの比較をした。
「思い切ってマンションを買おう。」
そう決まり、そこからふたりの休日は、新居探しとなった。
安仁屋さんはそれがとても楽しかった。
そして、沖縄の実母に「この頃がいちばん幸せだった。」と語っていたそうだ。
まだ、夢をみていられるとき、現実に向き合わないで、幸せを探しているとき、それはきっと幸せだったことだと思う。
職場は、大阪のJR環状線の鶴橋駅から一駅であるが、一駅乗らず歩く社員が多かった。
会社周辺で3件見て、思った。
余りにも詰めて建ち過ぎている。
景色がない。
自動車が、電車が、歩行者までも、うるさい。そして価格か高い。
そうこうして電車を乗り換えなしで通勤できること。
大阪は勿論、憧れていた神戸は三宮にも近いこと、歩行者が静かなどで、選んだのが、ここ西宮であった。
初めて大阪から離れての暮らしであるが、「寂しくなったら(住んでいた)大正区には、通勤帰宅途中のドーム前駅にて途中に下車すれば行けるし、いっても阪神間、文化は同じだ。」と思っていた。
今までの気楽な賃貸マンション暮しと違い、分譲マンションに住まうことは、管理組合に自動的に加入することになる。これに選択権は無い。
住民、ご近所との付き合いが生じてくる。
西宮は尼崎の隣でもあるが、「芦屋」の隣でもあった。
旦那の役職があがり、帰宅が遅くなる中、安仁屋さんは独りの時間が多くなってきた。
部屋から出ると、賃貸の頃のような気楽さはない。誰にも遭遇せず、外にでることは難しかった。
「沖縄の方?」珍しそうに見られることが嫌だった。
気風の良い店主や、その奥さんの掛け合い漫才のような会話が聞ける商店街が、無い。
付近のスーパーにはマンション住民が必ずと言っていいほど居た。
気づかずに挨拶できなかったことを、あとで「挨拶もしない人」と言われていることを知り、悩んだ。
転居を機に、時短社員となり、夕方の共同住宅主婦が集い話すいくつかの塊の横をとおって自室に戻ることがとても苦痛になってきて、まだ30代前半にして、白髪が増えて来た。
ある朝、白髪を抜こうと鏡をみたら、右側頭部に10円玉サイズの円形脱毛が見つかった。
安仁屋さんの中で、表面張力が破れ、少しずつ水が溢れて来た。