~マンション(共同住宅)の物語 其の1 「大阪の中の沖縄~大正区の青春」
安仁屋さんは、平成6年、沖縄の高校を卒業してから、大阪の短期大学に入学したそうである。
大阪市内、京セラドーム大阪、当時は「大阪ドーム」と言われており、今は無き「大阪近鉄バファローズ」が本拠地としていた球場である。
今はその近鉄が飲み込まれるような形で分離合併したオリックス・バッファローズ」本拠地としている。
そこから歩いて5分ほどの位置にJR大正駅がある。
その駅の周辺には不思議なほど、沖縄出身の人々が集まって来ていた。
安仁屋さんは、この街のソーキそば屋でアルバイトをしていた。
大阪に出てきて、短大近くの東大阪市内でアパートを借り、独り暮らしを始めた安仁屋さんは、沖縄の暖かい気候の中で、温かい家族愛に包まれ、自由に育ってきた。
それだけに、扉を閉じ、誰とも繋がることのない毎日の積み重ねに孤独感を強めていた。
そこで、知り合いが働く大正区に遊びに行った。
この街では方言を気にする必要はなく、久しぶりに声を出して笑った。
次の土曜日、大正区でアルバイト先を探した。
横のつながりで、その日のうちにバイト先が決まった。
孤独だった安仁屋さんに微笑が戻ったそうである。
短大に入る前から、大阪の短大を卒業したら、そのまま大阪で就職先を探すつもりでいたそうだ。
真面目そうな安仁屋さんは、バブル経済崩壊後の就職難の中、有名事務機商社に入社が決まった。
そこで、それまで金城として25年間過ごした真面目な女の子は、5歳年上で、同じ沖縄育ちの安仁屋さんに出会い、現在の姓である安仁屋さんになったのであった。
二人はご主人が選んだ大正区の2LDKの公団住宅で、愛情いっぱいに二人暮しを始めたのでした。