第84話 過去と未来
「どう思う、緑?」
ティアさんの問いかけに、緑さんは意味深に頷き、
「あの弓の引き方は、物陰や盾に身を隠し、弦が鎧兜に引っかからないように射るような実戦向きの射方じゃない。恐らく僕が学んだものと同じく、物陰に隠れる事も鎧兜を身に着ける事も必要ない競技の際に用いる弓の弾き方。腕前は少なくとも素人のものじゃない、多分僕と同じくらい、だと思う。恐らく異世界人か、異世界人から教えを受けた者から学んだんじゃないかな?」
そう、同じく弓を扱う者として答える。
その言葉にティアさんは頷きつつも、
「ということは鎧兜を身に着け、置き盾越しに射てもらったら、射方が変わるかもしれないってこと?」
そう問いかける。
その問いに緑さんは複雑な表情を浮かべ、
「可能性は無くはないけど、わざわざ両方の射方を学ぶかな? 実戦に出る必要がある環境、境遇ならば実戦用、そうでなければ競技用、といった風に普通はどちらか片方だと思うけど」
そう答える。
「そう。でも一応試してみましょう」
ティアさんはそう言って、今度は置き盾と鎧兜を準備し、僕にもう一度弓を引いてみるように言う。
僕はその言葉に従って、今度は鎧兜を身に着けて引いてみる。
だが今度は先ほどと異なり、僕は鎧兜の突起をよけて弦を引くことができず、また置き盾に身を隠しながら体勢を変えて弓を引く、ということもうまくできなかった。
「――なるほど、これではっきりした。バームが身につけていたのは競技用の和弓の引き方で、実戦用のものじゃない。けれどこの世界においては、一切魔術を用いず弓を扱い、矢を命中させる腕を持つというだけでも十分特筆に値するし、条件次第では実戦にも通用する技術。そして弓を扱っていた記憶は消すことができても、体で身につけた技術は消すことができなかった、ということね。これはカスルさんの証言とも符合する。ということはカスルさんの他の証言も正しい可能性が高い、か」
そう結論を下すティアさん。
その言葉に、僕は弓を下しつつ、
「あの……カスルさんは他に何を言っていたのですか? 今は封印された過去について、何か少しでも情報が欲しいです」
思わずそう尋ねる。
そんな僕に、ティアさんは微笑を浮かべながら、
「落ち着いて。焦る気持ちは分るけど、余りたくさんの情報を一度に頭に入れようとしても、病み上がりの脳では処理しきれずパンクしてしまうかもしれない。それに、カスルさんの情報がすべて正しいと決めてかかるのも、敵の罠の可能性もあるしまだ危険よ」
落ち着いた声でそう前置きし、しかし話を続けて、
「でもそうね――、カスルさんの話を大まかにまとめると、あなたと出会ったのは今から5年ほど前。場所はバームが人間の武器職人の親父さんと住んでいたという場所の近く。当時そこは光神国と魔物の勢力との間で戦争が繰り返され、明確な国境が定まらず、人間と魔物の両方が住む地域だった。カスルさんは当時詐欺まがいの商売をしていて、バームに商品が偽物であることを指摘されたのが出会いだったらしいわ」
そう言って、そこで一度話を切る。
そしてティアさんは一度息を吸うと、エイミーの視線を気にしながらも、おもむろに口を開く。
「当時のあなたは、たいていシェミナという女性と行動を共にしていたそうよ。そしてカスルさんが光神国軍に目を付けられ、詐欺まがいの商売を見逃すことと引き換えに、光神国軍の手先になることを強要された時、身を挺して助けたのがあなたとシェミナ。その時のあなたは、和弓と自作の魔法道具を用い、複数の光神国兵を同時に相手取って奮戦。途中で助けにきたシェミナと協力して、たった二人で見事に光神国兵を撃退したそうよ。
その後カスルさんは詐欺まがいの商売から足を洗って、まっとうな行商を始めた。そして数日後にはあなたと別れて、それ以来今日まで再会したことは無かった。だからそれ以降のあなたの事は分らない。ただ、あなたとシェミナの関係について、カスルさんは恋人か少なくとも親友以上だと思っていたらしいわ。関係を詳しく尋ねたわけではないけれど、そうとしか思えないくらい仲睦まじく見えたそうよ」
その瞬間、エイミーの表情が、なぜだか暗く沈んだようにように見えた気がした。
カスルさんの話は、僕が思い出した記憶と内容がほぼ符合している。
やはり僕とシェミナの間には、過去に何かあった可能性が高い。
だが、
「でも……シェミナはエルフです。エルフは僕のような醜い魔物を特に忌み嫌う。それにそもそも僕の住んでいた辺りにエルフが住んでいたなんて、聞いた記憶がありません。それに、シェミナは海洋の神ゾルデンの第三の妃、と名乗りました。そんな立場の人と僕に関わりがあるなんて、普通なら考えられないはずです」
そう、自ら疑念を口にする。
エルフはとかく醜いものを嫌う習性を持つ。
人間とも馴染まず、見下しているが、魔物とは、出会えば即殺し合いに発展してもおかしくないほどの関係だ。
過去に様々な理由で争いがあり、憎みあっているのだが、そもそもエルフは醜い容貌を持つ魔物が、生理的に受け付けないのだ。
そんなエルフがハーフオークと深い関係を持つなど、聞いたこともないし、普通なら考えられないことだ。
さらに海洋の神ゾルデンと言えば、光神国を支配する五大紳のナンバー4の実力者。
そのような者の妃になるような人物となれば、当然それなりの身分の者と考えるのが自然であり、最底辺の身分である僕などとは、どう考えても接点がないのだ。
そんな僕の疑念に、ティアさんは頷き、
「そう、だからそこはまだ調査中だし、敵の罠である可能性もあるから、鵜呑みにしてはいけないということ。他に情報が集まるまで、もう少し待って」
そう答える。
とりあえずはっきりしたのは、僕が和弓の使い手であるという事実。
そして記憶の一部に封印がかけられ、過去がはっきりしないという事。
そんな宙ぶらりんの状況に、僕は形容しがたい寒気の様なものを覚え、思わず自身の両手を見つめる。
「……僕は、いったい何者なのでしょうか?」
思わず呟いた僕を、心配げな表情でみつめるティアさん。
その時、
「バームはバームよ」
かけられた強く明るい言葉に、僕は思わず、声の主の方を見る。
エイミーだ。
「過去に何があったのかはわからない。けれど私たちと出会ってからの記憶は、間違いなく本物よ。だから大丈夫」
そう笑顔で言って、手を取ってくれる彼女。
そして彼女は僕の瞳を真っ直ぐ見つめて、紡ぐのだ。
「あなたは確かにここにいる。あの日、あの市場で出会った、一見自信なさ気だけど本当は強くて真っ直ぐなあなたも。私に色々な武器を鍛えてくれた、優しくて真摯なあなたも。聖剣授与式に乱入してきた、メチャクチャだけど最高なあなたも。大決闘祭であのファルデウスと対峙した、無茶で無謀で、でも誰よりも勇敢なあなたも。たった三日であの城を築城し、あの航空決戦を勝利に導いた、皆の希望の星なあなたも。皆確かにあなたで、間違いなくここにいる。だから大丈夫」
そう言って、次の瞬間、僕の体を抱きしめてくれる彼女。
そうして伝わってくる温もり。
それはゆっくり、だが確かに肌を通して僕の心の奥底へと広がり、そこに広がりつつあった氷を退け、溶かしてくれるのだった。
「……エイミー、ありがとう」
僕が言うと、彼女は小さく頷き、
「一緒に探そ。過去も、そして未来のあなたも」
そう笑顔で告げる彼女。
その言葉は僕に向けられたもののようで、しかしなぜだか同時に、彼女自身に向けられたものでもあるように僕は感じた。
そんな僕たちを微笑と共に見つめるティアさんと緑さん。
するとそこに突如、一人の伝令の兵士が駆け込んでくる。
「報告! ヨシュルノ川北岸に布陣した敵勢は本日、味方砦を陥落させた軍勢や他方面からの援軍と合流。その兵力、約4万に達しました。同時に敵勢は行軍の準備を開始、間もなくヨシュルノ川を渡河、我が要塞群への侵攻を開始するものと思われます。また同時に敵極東艦隊の進撃も再確認。進撃速度から遅くとも一週間以内にはクワネガスキ周辺海域に達するものと思われます」
伝令のその言葉に、ティアさんは努めて冷静に頷くと、
「急ぎ皆を集めて。軍議を開く」
そう指示を出す。
そして僕たちの方を見ると、
「悪いけど、バームの過去に関する話は、今はここで一区切り。また苦しい状況だけど、皆、また力を貸して」
そう笑顔で言うティアさん。
僕の過去に何があったのかはわからない。
だが過去は過去、今は今だ、迷ったり悩んでいる暇はない。
僕はそう、エイミーや緑さんと共に、ティアさんに笑顔で頷いて答えるのだった。




