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第66話 陰で散りゆく花

「首尾はどうだい、シェミナ?」


 大いなる光の神をまつる聖堂に響き渡る、冷たく重い男の声。

 今この場にいない、しかしこの世界のどこかで今も生き、最高神として億単位の人間にあがめられるその男、デュアルクワスのその声に、しかしシェミナは、

 

「……まあ、最初はあんなものでしょう」   


 浮かべた冷たい表情もわずかも変化させず、あがめるどころか敬意の欠片も見せないまま、ただ淡々と答える。

 本来ならその場で手打ちにされても文句の言えない態度。

 しかしそんな彼女に対し、デュアルクワスはむしろその声を幾分軽く、楽しげに変化させ、


「最高神であるこの僕に対してその態度。君はつくづく面白いね。兄さんじゃないけど、いつか君が本当にゾルデンの足元をすくう日が来るんじゃないかと、一瞬本気で思ってしまったよ」


 そう平然と、とんでもない事を口走る。

 その言葉に、シェミナはその瞳を一層鋭く細め、


「そんな日は未来永劫みらいえいごう来ません。それはあなたもあの人も良く知っているはずです」


 刃のように冷たく鋭利な声を、デュアルクワスに向ける。


「そうだね、話を元に戻そうか。と言っても、そもそも君の出番が来ないまま終わる可能性も十分あるわけだけど」


 シェミナの鋭い声音をいなすように、やはり軽い口調で受けるデュアルクワス。

 だがシェミナはそこで言葉をおかず、むしろ一層声音を鋭くして、


「いいえ、あなた自慢の光神国軍は必ず敗れ去ります」


 斬り捨てるように、断言して見せる。


「――ふぅん、すでに5倍以上の戦力差がある現状でも、絶対に敗れると言い切るのか。で、その根拠は? 君の言う例のバーム君かい? でも、戦争は総合力だ。たった一人の英雄の存在が戦局を覆すなんて、おとぎ話の中だけさ。それとも、闇の帝王が帰還したから? 確かに、彼女の存在は大きい。だが――」  


 そう、シェミナの言葉を、軽く、淡々と退けにかかるデュアルクワス。

 だがシェミナもまた、元の冷たい表情をわずかも揺るがせないまま、


「いいえ、誰が、という事ではありません。強いて上げるなら、バーム、闇の帝王、大杉、ゲウツニー、ヤイキスエ、それにエイルミナと、緑……でしたか。しかしあなたの言うように、それら一人一人の存在や活躍が、この戦局を覆す、ということはありえません。戦争は総合力、絶対的カリスマを持つ頂点がいようと、それを支える優れた能力や才能、我々の知りえない異世界の知識が多少あったところで、何万、何億という命の紡ぐ濁流を前には、それらは小さな石ころにすぎない」


 そう遮るように、しかしデュアルクワスの言葉を肯定して見せる。

 だが、だからこそ、デュアルクワスはシェミナの言葉の意図が掴めず、


「――では、どうして?」


 ようやく受け流すのをやめ、正面からシェミナの言葉に向かいあう。

 そんなデュアルクワスに対し、シェミナは最初から一貫したその表情と態度を変えないまま、その言の葉を紡ぎだす。


「――絆……とでも表現すればよいでしょうか」


  


 

 それから数秒、不気味な沈黙が、聖堂を包み込んだ。

 

 そしてしばらくの後、沈黙を破ったのは、デュアルクワスの吹き出すような笑い声だった。

 広い聖堂に反響する、一人の男の不気味な高笑い。

 

「――まさか君の口から、そんな言葉が出てくる日が来るなんて。ああ、今日は砂漠で雪が降るかもしれないな」


 そう、心底愉快そうに言うデュアルクワス。


「ええ、私自身、信じられません」


 シェミナもそう応じながら、しかし表情はわずかも揺るがさず、


「しかしながら、冗談を言っているつもりは全くありません」


 そう今度こそ、デュアルクワスの心を捉えて見せる。


「――その心は?」


 もはや捨て置く事も、受け流すこともできない。

 ようやく構えを取ったデュアルクワスに、シェミナは続けて切り込む。


「たった一人の英雄の存在が戦局を覆すことなどありえない。しかし一人の存在がきっかけ、あるいは起点となり、多くの人、多くの力を動かし、やがて大きな渦となることはある。闇の帝王という絶対的頂点。それと双璧を成す、海軍の大杉。戦術、政治においてこれを支える多くの存在。そして新たに加わったバームは、これに異世界の知識をもたらした。

 しかし帝国軍のこうした人材は、いずれも優れた能力を持ちながら、それぞれに主張や個性が強く、本来なら容易に相容れない者達ばかり。ましてエイルミナに関してはつい最近まで光神国軍の将として帝国軍と刃を交えており、短時間で信頼し合えるはずもない。またバームの知識も大部分は実践を伴わない、信頼性に欠けるもの。このような者達が団結し、組織として相互に連携し力を発揮するなど、本来ならそう簡単にできるはずがない。にもかかわらず――」


 シェミナのその言葉に、デュアルクワスはその意図をようやく理解し、


「――ふぅむなるほど、それで絆、という表現に行きついたのか。しかしそれは僕に言わせてもらえば――」


 むしろ好都合とばかり応じて見せる。


「ええ、あなたならそう受け取るでしょう。だからこそ、私をバームの元へ差し向けた。確かに今の彼ら、特にバームとエイルミナに関しては、高だか1年ちょっとの関係。付けこむ隙はある。でも――そこにくさびを打ち込むより先に、あなたの光神国軍は数度敗れることになる」


 そう、再び斬り捨てるように断言するシェミナ。

 ここへ来て初めて、デュアルクワスはその言葉を詰まらせる。


「――分らないな。心ある者は全て疑い、争い合うもの。絆など、むしろ付け入る隙にしかならない。シェミナ、お前自身そんなものを持っていたから、今のような立場に立たされているのだろう? やはりお前ほどの者でも、結局は失敗から学ぶことができないものなのだな」


 そう、声音に失望を滲ませるデュアルクワス。

 だがシェミナはそれでも態度を揺るがせず、


「ええ、そのようね。でも私は実際に敵地に赴き、この目で彼らを見てきた。あなたの言う通り、付け入る隙はまだある。けれどファルデウスの言う通り、彼らを逃がした代償は、その時点で高くついた。でもまあ、いい勉強にはなると思うわ。神様だってたまには学ばなければならない。その授業料が数度の大敗と数万の将兵でも、大いなる光の神たるあなたにとっては安いものでしょう? それとも、今からでも遅くないから、内応工作じゃなく攻略部隊の指揮に、私を使ってみる? 今から授業料を安く抑えるには、それしかないと思うけど」


 そう、少し挑発するように言ってのける。


「――ふぅむ、まあ言いたいことは分った。君の言う絆、が敵の強みか弱みかはともかく、数度の敗退は確かにあり得るかもしれないな。だが君を攻略部隊の指揮に使うのはやめておくよ、それじゃあいつまでたっても神様頼りの軍から成長しないからね。しかし、君の言うバーム君はそんなにすごいのかい?」


 そう、冷静に応じるデュアルクワス。

 さすがに最高神。

 その話す内容から、シェミナはその実力を再確認し、しかしここに来て初めて、その表情を変化させる。

 楽しげな、微笑へと。


「ええ、勿論。今の彼には、実践の伴わない部分を補い、その実力を存分に引き出してくれる仲間がいる。私が全力を出したとしても、戦力が互角なら敵わないかもしれない。高々3、4万程度の陸兵と、現状の航空戦力でどうこうできる相手じゃない。私を早めに出さなかったこと、きっと後悔する事になるわ。でも安心して、私が出た以上、最終的には勝ってみせるから。でもその代わり……万が一にも約定を違えるような事があれば、私は例えあなたが相手でも刺し違えて見せる。それだけは覚えておくことね」


 そう言って、話すべきことは話したとばかり、シェミナは踵を返し、聖堂を去る。

 

「――強く健気で美しい花には、首輪をつけることも、鞭を撃つこともせず、あくまで自らの意志で首を垂れさせる。それこそが至高の喜び……だったか。ゾルデンの言うことの意味が理解できる辺り、僕も相当心が捻じ曲がっているようだな」


 去りゆく背中を見、一人呟くデュアルクワス。

 一方でシェミナもまた、デュアルクワスに聞こえないような声で、


「それでも万が一、私があの二人に敗れるような事があれば、その時こそ――」


 そう呟いて、決意の瞳と共に、首の根元の痣に爪を立てる。

 誰の目にも触れない陰でひっそりと花弁を散らし、枯れかけ、それでも残りわずかな花弁を、懸命に保つ彼女。

 そんな彼女に再び光が差し込むのは、まだ先の事だった。


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