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第61話 煽れない美酒

「退却だ、北のヨシュルノ川北岸まで退却し態勢を整える。殿しんがりは第23歩兵大隊に任せる。魔導師は煙幕を展開、追撃を可能な限り遅らせよ!」


 光神国軍本陣に響き渡る、指揮官ラルクセムの指示。

 その焦りに奮え上ずる声、頬を流れ下る大粒の汗を見、将兵は色を失いながらも四方へと走り、指揮官の指示を伝達する。

 まだ帝国軍の陣地内への侵入を許していない現状であれば、退却も間に合うはず。

 そんな思いがラルクセムの脳裏をよぎるのと、


「あなたはもう少しできると思っていたのだけど、とんだ期待はずれね、ラルクセム」


 背後からそんな言葉がかけられるのは同時だった。

 その体が一瞬にして凍りつくかのような冷たい声音に、ラルクセムは身を強張らせながらも視線を向ける。

 そしてそこにいた女性を見、目を見開く。


「あ、あなた様は――」


 先ほどまでより一層強く震える声で、それでもなんとか言葉を続けようとするラルクセム。

 だがその言葉を遮り、女性は感情の読み取れない表情を浮かべ話しを続ける。


「貴族出身のスワブカや、手柄を上げるためにただ突撃を繰り返すバカ共と違って、あなたは冷静で多少頭も回る。前線部隊を煽り、飛竜部隊の支援を受けられるよう裏で手を回したのも私だし、多少の失敗には目をつむろうと思ってた。

 でも――やめたわ。あなたは責任逃れを期待した布陣を敷いた揚句、せっかく城壁に取り付くことに成功した味方に援軍を送らず、城を陥落させるチャンスを逃した。さらに帝国軍の反撃に対しては、決定的敗北という恐怖に怯え、戦力の逐次投入を繰り返した末に各個撃破を招いた。突撃するしか能のないバカでも、数と勢いで押し切る事ができる奴は有能よ。でもあなたはただ賢いだけで臆病な無能。そんな奴に用はないわ」


 そう告げると、女性は言う事は言ったとばかり、ラルクセムから視線を丘の麓の格子堀へと移す。

 そうしてしばらくの間感慨深げに堀を見つめた後、今度は丘の頂の城へと視線を向けると、 


「さすが私のバーム、でもあなたはそんな風に、誰もが見上げる星にならなくたっていいの。ただ私の瞳の中で輝いてさえいればいい。だから、あなたをそんな場所へ連れて行ってしまった悪い女神は、私が元の世界へ追い返してあげる。だからバーム、もう少しだけ待っていてね。今度は私が、あなたを救ってあげるから」


 城の中にいるであろうその人に告げた後、その表情を変化させる。

 

「ひ、ひぃっ」

 

 直後、女性の浮かべたその表情を目の当たりにし、ラルクセムはその場で腰を抜かし、地面に尻餅をつく。

 程なくラルクセムの異変に気付き、慌てて駆けよってくる周りの将校達。

 彼らは恐怖に怯えるラルクセムに視線を向けた後、その原因と思しき女性に視線を移すと、一拍の後にはラルクセム同様地面に尻餅をつき、あるいは身を強張らせ、恐怖に打ち震える。

 女性が浮かべるのは笑顔。

 だが全身にまとうオーラは殺気に似て刃のように鋭く、同時に氷のように冷たく、見る者の心から瞬く間に熱を奪う。

 それから数拍、女性はゆっくりと、しかし確かな足取りで、丘の城に向け、歩を進め始める。

 光神国軍のこの敗勢の中、迫る帝国軍に向かって歩みを進めるその行為は、本来なら自殺に等しいもの。

 だが今この時、女性の歩みを止められるものは、帝国軍や光神国軍はおろか、この世界のどこにもいはしないのだった。





「木戸を塞げ、小隊打って出よ。弓隊は城壁の向こうへ全力射撃、撤退を支援せよ。矢を使い切っても構わん!」


 木戸の守備を担当する光神国軍将校が、焦りを隠すことなく叫ぶ。 

 

「無理です。木戸の内に入ろうとする味方の流れに逆らって打って出る事はできません。それに弓兵も数が集まりません」


 喚き散らす将校に向かって反論する下士官。

 光神国軍の鉄砲、弓隊は、先ほど丘の麓に出撃した際大きな損害を出しており、陣内に退却を終えた残兵も今だ体勢を立て直すことができていなかった。

 それでも陣内に残っていたわずかな弓兵が集まり矢をつがえるが、その程度で帝国軍の濁流を抑えることができないことは火を見るより明らかだった。

 その下士官の反論に、将校は続けて何事か叫ぼうとし、だが言葉を発する事ができないまま押し黙る。

 それから数拍、興奮し赤く染まっていた将校の頬から見る間に色が引いていき、怒りをはらんでいた表情は、ほんの数秒で絶望のそれへと変化する。

 それから数拍、将校はゆっくり一歩、二歩と後ずさりしたのち、やがて城門から逃れるように、後方に向かって全力で走り始める。 

 上官が目の前で逃亡した。

 近くにいた兵達はその様子を目の当たりにし、隣同士互いに顔を見合わせる。

 上官が逃げた、自分たちも逃げるべきではないか?

 そう兵達が囁き合う中、下士官は拳を握り震わせ、歯を食いしばる。

 そして数拍の後、怒りと決意に赤く染まった顔を上げると、周りの兵に言い放つのだ。


「大尉は逃げた。他にも逃げたい者は逃げよ。止めはしない。戦う意志のある者だけ我に続け!」


 言葉と共に下士官は剣を抜き放ち、逃げる兵達の流れに逆らうように戦場へと身を投じる。 

 そんな彼の姿を見、兵達はもう一度隣同士顔を見合わせた後、ほとんどは陣の後方に向かい逃亡を始める。

 わずかな抵抗を跳ねのけ帝国軍が木戸を破り陣内に侵入したのは、それから数分後の事だった。

 



「全軍手を緩めないで敵を追撃せよ。ただし兵糧の確保は最優先とせよ」


 采配を振るい叫ぶ帝国軍総帥、ティア。

 それに呼応し、大歓声を上げる帝国軍将兵達。

 光神国軍陣内への突入に成功した帝国軍は、光神国軍の小規模な反抗、遅滞戦闘を跳ねのけ敵陣内を蹂躙じゅうりん、さらに追撃を続け、今や帝国軍の勝利はほとんど疑いないものとなっていた。


「あとはどこまで追撃するか。それに敵の物資、兵糧を鹵獲ろかくできたのは大収穫でした。ですが――」


 久々の勝利に酔う帝国軍の中で、ゲウツニーが冷静な表情を保ったままティアに話しかける。

 その言葉に、ティアもまた冷静な表情を浮かべ、


「あなたも気づいているようね。この勝利、薄氷のものよ。それに情勢は依然苦しいまま、なんとか首の皮一枚でつながっただけ。私たちはこんな局地戦の勝利に酔っている暇などない。でも――」


 そう呟いて、視線を他の将兵へと向ける。

 そこにあるのは、久々の勝利に湧く彼らの笑顔と躍動。

 決戦に敗れて以降、勝利から遠ざかり、大陸南端に追い詰められ、脱出のあても無く光神国軍の大軍と対峙してきた彼ら。

 そんな彼らが味わう、いつぶりかの明確な勝利の美酒。


「彼らは今だけでも、酔わせてあげましょう」


 言葉と共に、浮かべる微笑。

 その心底安心しきった表情に、ゲウツニーもまた自然と顔をほころばせる。 

 とはいえここは戦場、戦はまだ終わっていない。

 程なく前線から戻ってきた伝令が二人の元へと駆けこんでくる。


「報告! 敵軍はヨシュルノ川を渡り北岸にて体勢の立て直しを図っている様子。さらに光神国軍の中軍、後軍も南下を開始、中軍に関しては数時間でヨシュルノ川北岸に到達、前軍と合流するものと思われます」


 伝令の報告に、勝利に湧いていた将校達の歓声がにわかに弱まる。

  

「光神国軍の中軍、後軍、合わせて約1万。まともにぶつかれば勝ち目はない。これ以上追撃しては撤収が間に合わなくなる」


 ゲウツニーが呟き、ティアが小さく頷く。


「思ったより早かったわね。敵もかなりの無理をしていると思うけど、それはこちらも同じ。もう少し酔わせてあげたかったけど、ここが潮時ね。

 追撃中の部隊に撤収の指示を! 鹵獲した物資、特に兵糧は最優先で回収するように」


 ティアが指示を飛ばし、無線が各方面に発信され、伝令が四方に散る。

 このまま城内にうまく撤収できれば、この戦は帝国側の勝利のまま幕を下ろすことができる。

 そう誰もが帝国側の勝利を確信しかけた時、丘の城から一筋の赤い煙が上がる。


「あれは緊急時の狼煙のろし!?」


 将校の一人が呟き、帝国軍上層部ににわかに緊張が走る。

 だが城の周辺に敵軍らしきものは見えない。

 いったい何が起こっているのか?

 そう誰もが謎と不安に身動きが取れなくなる中で、ティアとゲウツニーは真っ先に、迷いなく手綱を捌き、城に向け恐竜を走らせる。

 勝利を確信したその一瞬こそが、最大の隙。

 大勢が決した今となってもなお、二人は勝利の美酒を煽ることができないのだった。

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