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第60話 敗走

「敵は崩れた。剣を抜き放て。この機を逃すな!」


 前線に響き渡る、帝国軍将校の一声。

 その声に従い、それまで長槍を振るっていた帝国軍兵は次々に槍を捨て、短剣を抜き放つと、光神国軍長槍隊の隊列の崩れ目、槍の穂先の隙間へと飛び込んでいく。

 光神国軍騎兵隊の敗退により戦意を喪失した今の光神国軍長槍隊に、この攻撃を防ぐ余地はない。

 加えて部隊単位での突撃は、これまでの個人単位のものとは比べ物にならない威力を発揮する。

 そうして帝国兵は光神国兵の振り回す長槍の穂先を次々とかいくぐり、光神国兵に組み付き、これを討ち取っていく。

 光神国兵としては部隊の維持や仲間を助ける事よりも、自分が助かることが最優先。

 このため光神国兵は肉薄してくる帝国兵から逃れようと後退しようとし、だが後列の味方が邪魔となって思うように後退することも出来ず、進退窮まった所を帝国兵に組み付かれるという悪循環に陥る。

 そんな中、光神国軍長槍隊の最後尾では、指揮する将校側と、後退しようとする兵との間で激突が起こる。


「引くな、勝手に後退することは許さん!」


 怖気おじけづき後ずさる兵を前に、指揮官が激昂げっこうし叫ぶ。

 将校たちはこの言葉を受け、剣をこれまでのように味方兵に突きつけ、逃亡を阻止しようとする。

 だがその時、光神国兵の表情が、それまでとは違ったものへと変化する。

 恐怖から、怒りへと。

 そしてその視線が向けられる先にいるのは、帝国兵ではなく、光神国軍の将校達。

 

――もう我慢ならねぇ。そんなに戦いたいなら、お前達だけで戦え。

――俺たちは逃げる。道を開けろ、突き殺すぞ!


 口々に叫び、やがて槍の穂先を将校達へと向ける兵士たち。

 事ここに至り、さすがの将校達も顔を見合わせると、おろおろと冷や汗を流しながら指揮官に視線を投げる。

 だが指揮官の立場としては、兵達の逃亡は勿論、部隊としての撤退も簡単に許容するわけにはいかない。

 この状況でそれをすれば、各兵が勝手に逃げだし、部隊としての統率がとれなくなることは目に見えているからだ。

 だが兵たちの不満は爆発寸前、もはや戦況の打開が不可能であることは、指揮官も十分に理解していた。

 

「――止む終えぬ。全軍に後退の指示を。だがあくまで後退だ。現在の陣形を維持し、敵と交戦を続けつつ陣内まで後退する。陣形を崩そうとする者は容赦なく斬れ!」


 ようやく指揮官の口から飛び出す後退の指示。

 程なく特定のリズムで鳴り響く鐘の音が、光神国兵に指揮官の指示を伝える。   

 だがそのリズムは、撤退ではなく、あくまで戦闘隊形を維持したままの後退のそれ。

 すると程なく、それを聞いた光神国兵たちの間で巻き起こるざわめき。


――この音は、後退? 撤退じゃないのか?

――なんでもいいから逃げよう、このままじゃ、皆殺される。

――逃げろ!


 そんな言葉の渦と共に、光神国兵達は我先にときびすを返すと、帝国軍に背を向け、光神国軍陣地に向かって走り出す。

 これまでなら、将校達は味方を斬り捨ててでも、逃亡を阻止していたことだろう。

 だが今回は逃げる兵のあまりの数の多さと、止めようとすれば逆に将校が殺されかねない気迫を前に、誰も逃亡を食い止めることができない。

 そうして光神国軍長槍隊は完全に統率を失い、部隊は総崩れとなる。


「ええぃ逃げるな。踏みとどまれ。この腰抜けの卑怯者どもが!」


 馬上で激昂する光神国軍指揮官。

 だがその声も、戦場の喧騒を前に完全に呑み込まれてしまう。

 そんな混乱に紛れ、本来逃亡を抑えるべき立場にいる将校達も、一人、また一人と、兵達と共に逃亡を始める。

 もはや光神国軍側で戦場に止まろうとしているのは指揮官ただ一人。

 そしてそんな指揮官の目前に、帝国軍兵が迫る。

 

 恐怖の表情を浮かべ、我先にと逃げようとする光神国兵。

 そんな彼らに追いすがり、背中に躍り掛かり、地面に組み伏せ、鎧の隙間に向け短剣を突き立てる帝国兵。

 両側面方向からは、帝国側の放つ矢が雨あられと降り注ぎ、次々と光神国兵を射倒していく。

 そんな暴力が、間もなく自身の身にもふり掛かってくる。

 この時になって初めて、光神国軍指揮官は、自分の指揮していた兵達のおかれた状況を知る。

 逃れようのない死。

 それを我が身で感じとった時、指揮官の体は硬直し、脳からは血の気が引き、手綱と得物を握る手は自然と震えだす。

 やがて痙攣した口の中で歯がぶつかり、カチカチと音を立て始めるのに気付いても、指揮官はその場で身動き一つする事すらできなかった。

 

 なぜ己は、こんな地獄に、自らの意志でおもむいてしまったのか?

 卓越した指揮や戦術で味方を勝利に導き、兵達に慕われ、誰からも称賛される、そんな立派な指揮官になるために、軍人になった。

 そのはずなのに、なぜ兵達を死地に追い込み、恨まれ、見放されるような指揮官になってしまったのか?

 なぜもっと早く、気づく事ができなかったのか?

 後悔が指揮官の脳裏をよぎるのと、将校の一人が指揮官の乗る馬のくつわを掴むのは同時だった。

 その将校は、指揮官がこれまで最も嫌い、遠ざけてきた者だった。

 

「指揮官、ここは危険です。一刻も早くお逃げください!」


 将校の叫びに、指揮官はようやく我に返り、


「い、いや、私は――」


 自分に逃げる資格はない。

 敗北の責任をとり、敵に斬り入り、ここで討ち死にする。

 そんな言葉が脳裏をよぎり、だが死にたくないという思いがそれを遮る。

 そのために、口は音を発することなく、ただみっともなく開閉を繰り返す。

 そんな指揮官を、それでも将校は真剣な表情で見据え、


「私が身代わりとなります。さ、兜と采配をこちらに。」


 そう言って、呆然自失の指揮官から半ば強制的に、きらびやかな装飾の施された兜と采配を奪うと、くつわを引いて馬首を自陣へと向けさせる。


「陣に駆け入るまで、決して振り返ってはなりません。後は私にお任せください。そしていつの日か――」


 次の一瞬、ぶつかる指揮官と将校の目線。

 おびえる幼子のような指揮官に、将校は満足げな微笑を浮かべて見せる。

 直後、将校の振るった采配が、指揮官の乗る馬を叩く。

 蹄が地面を蹴り、砂煙を巻き上げて指揮官を自陣へと運ぶ。

 そうして遠ざかっていく指揮官の背中を見やり、将校は呟く。


「私は大嫌いでしたよ、あなたの事が。この世で一番か二番めに。自分でもなぜこんな事をしているのか分らない。でも、なぜでしょうね?」


 そうして将校は采配を片手に、もう片方の手で剣をかかげ、言って見せるのだ。


「今はなぜだか、悪くない気分です」


 そうして、これまでの彼の人生の中で一番の笑顔を浮かべると、続いて迫る帝国兵を見やり、高らかに言い放つ。


「来い化け物ども! 貴様らに我ら人間の力、見せつけてくれる!」


 そうして彼は、敵味方入り乱れ激しく争う中へと、身を躍らせるのだった。

 最後まで、その笑顔を湛えたまま。




 敗走した光神国兵は、誰よりも早く自陣へ駆け入ろうと木戸に集中し、大混雑を起こす。

 そうして混雑を起こした兵の背後に帝国軍が迫り、恐慌が起こる。

 

「早く木戸を閉じろ。でないと退却する味方に付け入り、帝国兵が陣内になだれ込んでくるぞ!」


 木戸の守備を担当する光神国軍将校が焦った様子で叫ぶ。


「しっ、しかし今木戸を閉じれば、味方が陣の外に取り残されます」


 将校の言葉に、木戸を守備する兵士が反論する。

 だが将校はわずかも思考することなく、

 

「かまうなっ、ここで敵の付け入りを許せば、全軍が崩壊しかねんのが分らんのか。そもそもいま木戸に詰めかけているのは、軍令に反し敵に背を向けた逃亡兵だ。情を捨てよ。全軍と少数の逃亡兵、どちらが大切だ!?」


 そう、滝のような汗を流しながら叫ぶ。


「し、しかしそうは申されても、そもそもこの状況でどうやって――?」


 そう、木戸の守備兵は当惑した様子で呟き、木戸に視線を向ける。

 そこには、川のように切れ間なく木戸に詰めかける味方兵の姿。

 そう、木戸を閉じようにも閉じることができないのだ。

 無理に閉じようとすれば、それこそ味方に殺されかねない。

 とその時、木戸のすぐ脇に建てられた見張り台の上から響き渡る、光神国兵の叫び。


「味方長槍隊、完全に敗走。帝国軍、間もなく木戸に迫ります!」

 

 その言葉は、その場にいた光神国軍将兵の心を、残らず震撼しんかんさせる。

 そうして巻き起こるさらなる恐慌が、敗走という言葉の意味を、見ている者達の心に刻みつけるのだった。

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