第21話 友情
硬く乾いた砂の地面に瞬間的に足が踏み込まれ、雷鳴にも発砲音にも似た轟音と共に、わずかに砂煙が舞い上がる。
それと同時、棒を握る指に瞬間的に力がこめられ、だが次の一瞬には逆に抜かれる。
リョクさんが棒を振り下ろす直前、危機を察したバルマが慌てて身を逸らし、退いたのだ。
――こ、これはどうしたことか!? 双剣使いバルマ、一歩も近寄ることができません!
実況の絶叫が会場に木霊する。
だがバルマは全身に滝のように汗を流し、肩を上下させ激しく息を切らすのみで、攻勢を仕掛けることができない。
そんなバルマを、リョクさんは棒を頭上に振りかぶった姿勢のまま、涼しげな様子で見据え、待ち受ける。
「ちっ、くそっ」
バルマが舌を打ち吐き捨てつつ、魔術の補助で加速しながら前に出ようとする。
だが彼の体が間合いに入ろうとした瞬間、振りかぶられたリョクさんの棒の先端がピクリと動く。
それを見ると同時、バルマは魔術による補助で慌てて急停止し、また後退しリョクさんの間合いから逃れる。
魔術による加速をもってしても、リョクさんの間合いを侵すことができないのだ。
バルマはその後もフェイントや魔術による目くらましなどを交えリョクさんの構えを崩そうと試みる。
だがそのような小手先の動きではリョクさんの山のような不動の構えを崩すことはできない。
そこでバルマは一旦間合いを取り体勢を立て直そうと後退する。
だがバルマが後退するのに合わせリョクさんも一気に前進し間合いを保つため、逃れることができない。
「くそっ、ならば」
接近戦では勝ち目がない事を悟ったバルマは、刀に赤黒い影をまとい、間合いの外から刃を振るう。
すると振るわれた刀身から魔術で構成された赤黒い刃が放たれ、空中を飛翔しリョクさんを襲う。
対するリョクさんは再び足を踏み込み、振りかぶった棒を一気に刃に向かって振り下ろす。
直後鳴り響く陶器の砕けるような音。
魔術で構成された刃が棒に打たれ、ガラスのように砕け散り、破片が宙を舞う。
だがそれを見た一瞬、不敵にゆがむバルマの表情。
直後、砕けた破片が砂の粒子のように崩れ宙を舞う。
「爆ぜろ!」
その一声が放たれると同時、空中で爆発を起こす粒子。
だがその爆発は派手な音と煙の割に打撃力は大したものではなく、あくまで目くらまし程度のもの。
もしリョクさんが魔術に詳しく、そのことを理解していたならば、きっと爆発に構わず斬り込んでいたはずだ。
だが魔術に対する知識が薄いらしいリョクさんは、突如周囲で巻き起こる爆発に慌てて腕で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまう。
その隙に間合いをとったバルマは、戦闘開始直後に弾き飛ばされ地面を転がっていた剣を拾い、体勢を立て直す。
一方のリョクさんも先ほどの爆発が目くらましであったことに気づくと、再び立ち上がり棒を振りかぶって山のごとき不動の構えを整える。
だが一度間合いを取ることに成功したバルマに、それ以上リョクさんの接近戦の姿勢に付き合うつもりはない。
直後、バルマは構えた刀剣の刀身に再び先ほどの黒い影をまとうと、次々と連続して斬撃を放つ。
そうして空中を飛翔し次々襲い掛かる黒い刃。
リョクさんはこれを、バランスを崩すような変則的挙動でかわし、かわしきれないものは棒で弾き、逸らし、最小限の力でいなす。
だがそのうち正面に飛び来る刃。
かわすことも逸らすこともできないその刃を、リョクさんは再び正面から叩き砕く。
だがそうして砕いた刃は、先ほど同様粒子となり、目くらましの爆発を巻き起こす。
とはいえ今度はリョクさんにもそれが目くらましであることは分っている。
だがリョクさんはそこで無理に前に出ることせず、爆発の中その場に止まって構えを取り、バルマの出方を伺う。
対するバルマは剣を地面に突き刺すと、そこに黒い魔法陣を浮かべる。
直後、地面に突き刺さったバルマの剣の切っ先から地面に黒い染みが現れ、それがリョクさんの足元に向かって伸びていく。
「危ない!」
「下がってリョク!」
僕とルイさんが同時に叫ぶ。
それを聞いたリョクさんは、一拍の後、バランスを崩すような挙動で慌てて後退する。
すると次の一瞬、地面の染みから無数の巨大な黒いとげが突出し、直前までリョクさんのいた場所を貫く。
もし後退がわずかでも遅れていたなら、攻撃はリョクさんに直撃していたことだろう。
あるいは装備に誘導妨害を施していなければ、あのとげはリョクさんを追尾して襲い掛かっていたかもしれない。
そうして後退したリョクさんが腕で額の冷や汗をぬぐっていると、そこにルイさんが駆けつける。
「私の作戦ミスね、最初からこうしてそばにいるべきだった」
リョクさんの背後に立ってその耳元に囁くルイさん。
それを聞いたリョクさんは、口の両端を釣り上げ笑みを浮かべ、
「でも今からは……ルイとアイ、それに僕、三人が揃っている限り、僕たちは負けない。例え世界が相手だろうとも」
そう答えて見せる。
心の奥底から放たれたのだろうその言葉は強く、自信に満ち溢れ、リョクさんが本気でそう思っていることは疑いない。
アイという人が誰なのか、僕には分らない。
だがそれを聞いたルイさんが、その一瞬、少し寂しそうな表情を浮かべるのを、僕は見逃さなかった。
しかし一瞬の後、ルイさんはその表情を笑顔に変化させると、
「そうね、私たちは負けない!」
そう力強く答え、構えを取る。
一方その頃、敵側のバルマとラルルも合流を果たす。
「手を抜いている余裕なんてない。全力で行く!」
そう言い放つと、ラルルは魔道書の最後の方のページを開き、杖を地面に突き刺す。
そして地面に白い光で構築された複雑かつ巨大な魔法陣を浮かべると、呪文の詠唱を始める。
すると数秒の内、魔法陣の上に浮かび上がる、白い光で構成され、鳥のような翼を背中に持ち、頭に一本の雄々しい角を持つ馬の聖獣、ペガサス。
「どうやらそのようだな。ならば俺も――」
ラルルの言葉にバルマもそう応じると、両手を顔の前で交差させる。
すると一拍の後、バルマの全身を黒く禍々しい影が包み込んだかと思うと、その体は見る間に変質し、巨大化していく。
そうして数秒の後そこに現れるのは、姿形はそのままに、全身を黒い影で包み、身長約250センチにまで巨大化したバルマの姿。
「――魔術で構成したペガサス。それとバルマのは……肉体強化の魔術。それも黒魔術の要素を取り入れた、禁術一歩手前ぐらいのやつね。知性と理性は一応保っているだろうけど」
ルイさんは二人を見て、リョクさんに説明するように呟く。
その言葉に、リョクさんはわずかに表情を険しくすると、
「――何か注意すべき事とかある?」
そうルイさんに尋ねる。
だがルイさんは表情を緩め、
「大丈夫。何も考えず、接近してきた時だけ迎え撃って。後は私が何とかするから」
そう自信を感じさせる声で答える。
それを聞いてリョクさんも、
「――了解」
同じように笑みを浮かべ、余裕を感じさせる声音で答える。
そうして一拍の後、リョクさんは一歩前へ出て棒を振りかぶって迎え撃つ姿勢をとり、ルイさんはその後方で、遠くに佇むペガサスに杖の先端を差し向ける。
対するラルルは、ペガサスの維持による負担のためか、険しい表情を浮かべ激しく息を切らしながらも、
「まっ、巻き込むかもしれない。私が、仕掛けてから、前へ出て」
そう絞り出すようにバルマに告げる。
「――お前がそんなに必死になるとはな……わかった。だがサポートをするつもりはない。お前がどうなろうと、勝手にやらせてもらう」
対するバルマは驚愕と興味を含んだ表情を浮かべながらも、そうそっけなく返す。
だがラルルも汗の伝うその険しい表情をさらにゆがませ、
「言うわね――あなたにだって、そんな余裕、ないだけでしょ?」
そう息をつきながら必死に皮肉を返す。
その言葉に、バルマは不敵な笑みを浮かべながら、
「しゃべっている余裕があるなら、早く仕掛けたらどうだ?」
さらに皮肉で返す。
その言葉に、ラルルは苦しげながら口の両端を釣り上げ、笑みを浮かべると、
「なら敵の次にあなたも吹き飛ばしてあげる!」
そう、最後の力を振り絞るように言い放ち、杖をルイさんに向け振るう。
その動作に合わせるように、棹立ちとなりながら猛々しくいななきを上げるペガサス。
そして次の一瞬、ペガサスは白い光のベールをまとうと、頭の角をルイさんに向け、真っ向から突進を仕掛ける。
「――やるじゃない。なら、私も敬意を表して」
ルイさんが向かってくるペガサスを見、微笑みを強め呟く。
そして疑似魔法石を二つ一気に消費すると、杖の一端を地面に突き刺し、しゃがんだ上、両手で杖を抱えるようにしっかりと固定して構え、杖のもう一端をペガサスに向ける。
直後、杖の先端に形成される蒼く巨大な炎の火球。
そして向かってくるペガサスがリョクさんの目前に迫った次の一瞬、その火球が、瞬く間に小さく収束する。
「穿て、パイク!」
ルイさんが言い放つと同時、辺りを包むまばゆく青白い閃光。
その眩しさに思わず目蓋を閉じた一瞬、周囲を薙ぐ衝撃波。
響き渡るけたたましいペガサスの悲鳴。
直後、戦況を見極めねばと無理に目蓋を開いた僕の目に映しだされる光景。
そこにあったのは、ルイさんの杖の先端から延びた青白い炎の槍によって串刺しにされ、悲鳴を上げもだえ苦しむペガサスの姿。
だがペガサスはそれでも、己の体に突き刺さった槍に対してさらに向かっていくように地面を蹴り、あるいは体を左右によじってこれを無理やり圧し折ろうとする。
だが突き刺さった炎の槍は細くしなやかでありながら強靭で、どれほどペガサスが暴れてもしなるのみで折れることはない。
それどころか、しなった柄の反りが戻る力で逆にその体を弾き飛ばしてしまう。
そうして弾き飛ばされることでようやく突き刺さった槍の戒めから解放されるペガサス。
だが地面に激しく体を打ちつけたペガサスは、立ち上がろうと足を踏ん張りはするものの、ついに立ち上がることは出来ず、やがて力尽きるようにその場に崩れ落ちる。
そして光で構成されたその体躯は光の粒子となって崩れ、宙を舞う。
それと同時、魔術を行使していたラルルもまた、力尽きるように地面に崩れ落ちる。
ラルルの攻撃が失敗するのを見計らって、それまで待機していたバルマもまた突進を仕掛ける。
魔術によって強化された肉体は、単純に巨大化しているのみならず、速度もまたそれまで以上のものを発揮する。
さらに突進している途中、バルマは両手に握る刀剣にも赤黒い影をまとわせ、巨大化させる。
そうして巨大化させた刀剣を、バルマは頭の前に突き出し交差させ、そのままリョクさんに突進を仕掛ける。
だがそれを見ても、リョクさんはわずかも動じない。
バルマはそれを見、ほんの一瞬怪訝な表情を浮かべ、だが次の一瞬にはそれを、単に必死な険しいものへと変化させると、渾身の雄たけびを上げる。
それは間違いなく、バルマの全てを込めた、渾身の一撃だった。
そしてそんなバルマを見、リョクさんはその一瞬、口の両端を釣り上げ、笑みを向ける。
そして次の瞬間、大きく息を吸い込むと、右足を瞬間的に踏込み、あらかじめ振りかぶっていた棒を、一気に振り下ろす。
その斬撃はあまりに早すぎて、僕の目は過程を捉えることができず、また結果のみを見つめることになってしまった。
そこにあったのは、頭の前に突きだし交差させた刀剣を真ん中で押し切られ、振り下ろされた棒が眉間で寸止めされた姿勢のまま静止したバルマの姿。
「いくら肉体や刀剣を強化しても、片手ずつに分散した力で僕の一撃を防ぐことはできませんよ。でも――いまの一撃は、良かったです」
リョクさんが心地よい微笑みを浮かべ、バルマに告げる。
その言葉に、バルマは一瞬、驚愕の表情を浮かべ、だが次の一瞬には、それを笑みに変化させる。
それまでに浮かべたものと全く異なる、憑き物が落ちたような、まっさらな笑みに。
そして彼はその姿勢のまま刀剣を取り落すと、ゆっくりその両手を上げる。
「参った」
バルマが呟くと同時、周囲で爆発する歓声、響き渡る実況の叫び。
だがそんなものは、二人の耳には入っていなかった。
「名を聞かせてくれ」
全身を包んでいた影が薄まり、徐々に元の姿に戻りながら、バルマがリョクさんに尋ねる。
「――本当の名前を言うのはまずいんだけど、ま、内緒ってことで」
そう言いながら、リョクさんは全くの無警戒でバルマに歩み寄ると、耳元で何事か呟く。
バルマはそれを聞き、完全に元の姿に戻ると、今度は手をリョクさんに差し出す。
そして固く結ばれる二人の手。
戦いの中で結ばれる友情、それが本当にこの世にあることを、僕はこの目で確かめることができたのだった。




