第10話 勇者様御用達!
「――具体的な方法は?」
女騎士のその問いに、赤毛の少女はその無表情を崩さないまま、
「結果が誰の目にも一目で分るものでなくてはなりません。となれば、槍と聖剣のどちらかを固定し、残る一方で刀身と刀身を直接ぶつけあうように全力で斬撃するほかないかと。もちろん魔術による補助などは一切なし。全力で斬撃して傷一つ付かないということはないでしょうから、より傷の小さな方を勝者とします。同程度の傷の場合は再度斬撃すればよいでしょう。斬撃は腕のある者、姫様ご自身に放っていただくのが、この場を収める唯一の方法かと思いますが」
そう答える。
そんな少女の提案に、女騎士はわずかに思考したのち、大きく頷く。
女騎士のその答えに、少女は次に視線を彼女に向ける。
「――武器屋さんがそれでいいというのなら」
彼女はそう言って、決定権を僕にゆだねる。
そうして向けられる少女の視線に、状況をまだ十分理解できていない僕は目を泳がせる。
すると彼女は何かを察し、腰の鞘に収められていた剣を抜き放ち、それを僕に見せる。
刃渡り約80センチ、豪奢な飾りの施された優美な、しかし獣の牙を思わせる鋭さ、獰猛さも併せ持つ長剣。
オレンジのオーラをまとったその刀身は、恐らくミスリルと、それ以上に高価かつ希少な金属であるオリハルコン、アダマンタイトを組み合わせたもの。
根元にはめ込まれた巨大かつ最高の質を持つ赤色の魔法石は、それだけで金貨1000枚は下らない品と見える。
そして最も特筆すべきは、この剣を鍛えた者の卓越した技術。
この剣に用いられている素材はいずれも、高価かつ希少で優れたものである一方、主張や癖が強く、鍛えるのに高い技術を要するものばかり。
そんな一種類だけでも容易に扱いこなせないような素材を複数巧みに組み合わせ、一切の無駄を省き、最高の性能を引き出している。
さらに全体に彫られた紋様は複雑かつ精緻、ほんのわずかな乱れで破綻してしまうようなそれが、しかしわずかの乱れもなく組み合わされ、人工の美を生み出し、主張の激しい素材のバランスを薄皮一枚で調和させている。
並大抵の腕でできることではない。
わざわざ説明されるまでもなく、この剣は聖剣と呼ばれるにふさわしい業物だ。
きっと女騎士も、この剣ならばまず負けることはないと思い勝負に応じたのだろう。
恐らく他の周りの者達も、そう考えているに違いない。
だが――
「――分りました、勝負させてください」
僕は自信を持って頷く。
その瞬間、にわかに強まる周囲のざわめき。
――あいつ、うなずいたぞ。
――身の程知らずが……
――勝てると思ってるの?
周りから聞こえてくる聴衆の囁き。
だが僕は動じない。
そんな僕の反応に、女騎士はほんの一瞬だけ怪訝な表情を浮かべるが、直ぐにもとのゆがんだ微笑へと戻す。
恐らく、僕の自信ありげな態度に一瞬不安になったのだが、やはり負けるわけがないと思い直したのだろう。
彼女はそんな僕の反応に、受けたくなければ受けなくてもいいと視線と表情で示す。
だが僕はそんな彼女に視線を向け、もう一度小さく頷く。
彼女はそんな僕の答えに、一瞬再び笑みを浮かべる。
そして直ぐに表情を真剣なものに戻すと、視線を少女に向け、今度こそ頷きを返す。
両者が了承したことを確認した少女は、
「では両者とも壇上へ、聴衆を含め、この場にいる者たち全てが証人となります」
そう僕達と女騎士を式典用に用意された壇の上へと誘う。
それに従い、強まる周囲のざわめきの中、先ず女騎士が、次に彼女が、最後に僕が彼女について壇上に上がる。
そうして壇上につくと、彼女は早速、聖剣を木製の壇に斜めに突き立てる。
壇上の高い位置のため、群衆を含め、周りの多くの者達からも状況は丸見え、結果もごまかしようがない。
そして少女は聴衆も含めた周りの者達すべてに聞こえるように、高らかに言い放つ。
「ではこれより鍛冶の神ブルゴス様の鍛えし聖剣と、この者の鍛えし槍による武器同士の決闘を執り行う。両者、異存はないな」
かけられる最後の確認の言葉に、僕と女騎士が同時に頷く。
彼女はそれを見、槍を高く掲げ、八相に構える。
段に斜めに突き立てられた聖剣に対し、互いの刀身が直角にぶつかるよう、斜めに振り下ろすように斬撃するつもりなのだろう。
本来ならもっと安全に配慮すべき所なのだろうが、誰も異議を唱える者はいない。
代わりに周囲のざわめきはこれまでで最も強くなる。
「――本気で鍛冶の神ブルゴス様の聖剣に勝てると思っているのか?」
かけられる女騎士の言葉。
その自信ありげな声音が、僕の心を揺さぶる。
もちろん、僕だって勝てる確証があるわけではない。
聖剣のあの出来を考えれば、絶対に勝てるなどと言えるはずがない。
そして万が一にも負けるような事があれば、僕は全てを失う。
そして何より、彼女に迷惑をかける。
自分のことはいい、だが彼女を失望させたくない。
そう思うと共に、鼓動は急速に早まり、頬を冷や汗が流れ落ちる。
「耐えてくれ」
僕が思わず呟くのと、彼女が視線を僕に向け、笑顔を浮かべるのは同時だった。
――大丈夫。
そんな彼女の声が聞こえたような気がした。
そしてその笑顔が、僕に冷静な思考を取り戻させてくれる。
決して勝ち目のない勝負ではない。
そして槍を振るうのは他ならぬ彼女だ。
徹頭徹尾、彼女のための槍、彼女でなければ、その力は引き出せない。
逆に彼女が振るうならば、例えどんな敵が相手だろうと、決して負けはしない。
――信じろ、槍と、彼女を。
それは現実にはほんの数秒のやりとりだった。
そして次の一瞬、僕は口の両端を釣り上げ、笑顔と共に彼女に頷く。
彼女もまた頷いて、その視線を狙うべき目標、聖剣へと向ける。
女騎士がそんな僕と彼女のやり取りを見て表情をゆがめるが、僕はもう気にしない。
一世一代の大勝負。
だが結果なんて関係ない。
彼女が僕の武器を持って、使ってくれている。
その時点で、僕はもうすでに、この勝負に勝っているのだから。
一気に強まる周囲のざわめき。
「へし折れろ!」
女騎士の叫ぶ声が聞こえるのと、
「――お願い」
赤毛の少女がつぶやくの、
「負けない。そして二度とこの手を離さない」
そんな決意の言葉と共に、彼女が槍を斜めに振るうのは同時だった。
青白い尾を引いた白銀の煌めきが、流れ星のごとく聖剣を一閃する。
鳴り響く心地よい金属音と共に、ざわめきがぴたりと止まる。
静寂に包まれた世界を、何かが回転しながら、夕焼けに染まった空へと天高く舞い上がる。
その光景を、女騎士、聴衆、警備の兵、他の階級の高い者達が唖然とした表情で見上げ、少女はそれまでの無表情を、ほんの一瞬緩める。
何が起こっているのか、その一瞬理解できたのは、僕と彼女、そして少女だけだった。
数秒の後、舞い上がった何かが落ちてきて、壇に突き刺さったままの刀身の丁度隣に突き刺さる。
その一瞬、時が止まったかのように感じた。
沈黙が辺りを包む。
誰も言葉を発しなかった。
発することができなかった。
結果は誰の目にも火を見るより明らかだったにもかかわらず。
なぜなら名もなき武器職人の鍛えた槍が、鍛冶の神ブルゴスの鍛えた聖剣を一刀両断することなど、絶対にあってはならないことなのだから。
だが間違いなく、両断されて壇に突き刺さっているのは聖剣のほうであり、僕の槍の刀身は、決闘前と変わらない様子でそこにたたずんでいた。
それがさも当然と言わないばかりに。
確かにあの剣の出来は、聖剣と呼ばれるにふさわしいものだった。
素材も、職人の技術も最高。
そして一切無駄のない造りが、天下に並ぶもの無き最高の性能を引き出す。
そう、無駄が一切ないのだ。
だがそれは言いかえれば、発展の余地も、衝撃に対する余裕もないということ。
ただでさえ扱いにくい素材を複数組み合わせ、そのバランスを薄皮一枚で調和させる。
職人のその技術と、剣の性能を極限まで引き出そうという心意気は立派なものだ。
そうして引き出された桁外れの性能をもってすれば、余裕などなくても大半の相手はねじ伏せられる。
だがもしも、性能でねじ伏せられないような相手と激突するようなことがあったとすれば。
余裕のない、薄皮一枚で調和された造りは、衝撃を吸収しきれず、破たんする。
対して、僕は武器を鍛える際、常にどこかに無駄を設けるようにしている。
それはある種、性能を引き出す努力を自ら放棄してしまっていると言えなくもない。
だが命の取り合いで用いる道具である武器は、戦闘時常に極限状態に置かれる。
製作者の想定を超える衝撃に襲われることも当然あるだろう。
そして戦闘中の武器の喪失は、そのまま装備者の生死に直結してしまう。
加えて余裕があるということは、あとから何かを付け足す発展性にもつながる。
意図的に設けられた無駄であり余裕、それもまた道具の性能の内。
今は亡き両親の教えが、僕に勝利を呼び込んでくれたのだった。
それからも数秒、誰も動くことも、言葉を発することもできなかった。
だがそんな静止と沈黙を、ただ一人少女が打ち破り、動き始める。
まず最初に、中ほどで見事に両断された聖剣の刀身を、少女は律儀に確認する。
そして次に、彼女の手の中にある僕の槍の刀身を確認し、小さく頷く。
そして体の向きを周りの聴衆へと向けると、高らかに宣言するのだ。
「ブルゴス様の聖剣は間違いなく両断されています。対してこの者の槍の刀身には、ほんのわずか傷が見られるのみ。よってこの決闘、この者の槍の勝利です!」
少女の声が沈黙の世界に響き渡る。
だが誰も言葉を発しない。
聴衆も兵も、隣同士顔を見合わせる。
状況が状況だけに、どう反応していいのかわからないのだ。
そしてそんな状況を見、今度は彼女が動き始める。
向かう先にいるのは、僕。
「――へ?」
予想外の状況に思わず気の抜けた声を漏らしてしまう僕に、しかし彼女は歩み寄り、その白く美しい、だが見えない努力の刻まれた手を差し出す。
「来て」
そんな彼女の言葉に、しかし僕はどう反応してよいかわからず、
「えっ、えっと――」
そう目を泳がせる。
そんな僕の反応を見、彼女は初めて出会ったあの日と同じ、蕾の花開くような笑顔を見せると、
「早く!」
そう僕の右手を両手で引く。
僕はその手に引かれるままに、彼女について壇の中心へと向かう。
そしてそこにたどり着くと、彼女は僕へと向き直り、突然両手を僕の首へと回す。
「――!」
その突然の出来事に、僕は言葉を発することができなかった。
彼女は僕の首の後ろに手を回し、僕の顔を覆っていた布の結び目をほどく。
直後、顔を覆っていた布がはらりとおち、僕の素顔が露わになる。
瞬間、誰もが息をのむのを感じた。
――オークだ。
――オーク……ハーフオークか。
――まさかとは思ったが、本当に……
再び、急速に巻き起こるざわめき。
布で隠していても、誰もが薄々は気づいていたはずだ。
だが隠していたままの方が、まだ人間である可能性があったほうが、多くの人達にとって都合が良かったに違いない。
だがこうして露わになったことで、それは隠しようのない事実となる。
女騎士が再び怒りに頬を染め、拳を強く握り震わせる。
警備の兵やそのほかの身分の高そうな者達が、そろって蒼白な表情を浮かべる。
そうして向けられる冷たい視線に、僕もまた頭から血の気が引いていくのを感じる。
だがそんな中でただ一人、
「――大丈夫。もう隠さなくたっていいの。さあ、いつもみたいに、自分の仕事に誇りを持って、堂々として、武器屋さん!」
彼女だけがそう、沈みかけた太陽がまた昇ってくるかのような笑顔をくれる。
そしてそんな彼女の言葉と笑顔に、僕の心の底から、また熱い何かがこみ上げてくる。
そう、僕は勝ったのだ。
そしてこうして彼女の隣にいられる。
こんなにうれしいことはない。
湧き上がる何かに支えられ、僕は周りを取り囲む大勢の人たちに体の正面を向ける。
向けられる複雑な、あるいは蒼白な表情。
困惑、あるいはさげすむ言葉。
そうでなくても、人生で初めての壇上、多くの人々の視線が僕に注がれる状況に、今にもくじけそうになる心。
だがその瞬間、僕の右手を握ってくれる、隣の彼女の手。
その温もりがまた、僕に力をくれる。
そして彼女は周囲に向け、陽の光を思わせる心地よく暖かな声で、高らかに言い放つのだ。
「私、エイルミナ・フェンテシーナは、ここに宣言します。この者を、私専属の武器職人とすることを!」
放たれた言の葉は、その一瞬、沈黙の世界へと吸い込まれる。
誰もが身動きすることも、言葉を発することもしない。
いや、できないのだ。
そうして再び、隣同士顔を見合わせる。
するとそんな時、どこからか誰かの、手を叩く音が聞こえはじめる。
音の出所にいるのは、あの赤毛の少女。
「勝敗は決した。認める者は応えよ」
そうわずかな笑みと共に放たれる言葉に、それからも人々は顔を見合わせる。
だがやがて、聴衆の一人が手を叩き始める。
そしてそれにつられるように、もう一人が。
やがてそれは三人、四人とふえ、まばらだったものは徐々に大きくなり、ついには周囲ほぼ全体から鳴り響き、拍手の渦となって僕たちを包み込んだ。
「どういうつもりだ? ルイーゼ」
女騎士が憤怒の形相で赤毛の少女に問いかける。
だがルイーゼは全く悪びれる様子なく涼しい表情で、
「どういうことも何も、見た通りですが?」
そう淡々と答える。
「何をぬけぬけと。貴様がよい考えがあるというから乗ってやったんだぞ、それを――」
女騎士はなお噛みつくが、ルイーゼも態度を変えることはなく、また淡々と遮る。
「まさかブルゴス様の聖剣が敗れるなんて、あの場の誰も思いもしなかったでしょう。あなたも、もちろん私も。あれは誰にとっても予想外の出来事だった。だったら仕方がないじゃないですか。それとも、あなたには予想できたとでも? もしそうだとしたら、それはブルゴス様への不敬にあたるかと思いますが?」
そう余裕たっぷりの表情で返されれば、女騎士も怒りに身を震わせることしかできない。
やがて女騎士は腰の剣を抜き放つと、近くに両断されたまま突き刺さっていた聖剣の断片に力任せに切りつける。
次の一瞬、再び鳴り響く金属音。
宙を舞う剣の断片。
やがてそれは女騎士の目の前に突き刺さる。
折れて宙を舞ったのは女騎士の剣であり、聖剣は両断されてなお、そこに毅然とたたずみ続けていた。
敗れてなお、誇り高く。
そしてそんな自分を見事打ち破ったあの槍と、その使い手、そしてそれを鍛えた職人を称えるように。
人々が認めてくれた。
決して心の底からではないだろう。
だがそれでもいい。
隣の彼女を見る。
彼女もまた僕を見返し、
「そう言えば、まだお名前を聞いていませんでした。武器屋さん、お名前は?」
そう問いかける。
「バームと言います。あなた様は、えっと、え、えいる……」
そう、先ほど彼女が言い放った名前を口にしようとして、その瞬間、今までの出来事が走馬灯のように脳裏をよぎる。
彼女のことを告げた時の女性の反応。
聖剣授与式。
姫様という呼称。
冥府の神ファルデウスの娘にして無双の勇者、エイルミナ・フェンテシーナ。
――まさか。
その瞬間、全身を駆け抜ける電撃。
つながるすべての記憶。
今までなぜ気づく事ができなかったのだろうという疑問と後悔、さらに自分の巻き起こした事態の重大さ、その全てが津波となって一気に押し寄せ、たちまち僕の思考能力の限界を超える。
そうして再び頭から血の気が引き、真っ白となる僕に、しかし彼女はもう一度笑顔を見せ、
「エイルミナ・フェンテシーナよ。エイミーって呼んで。そしてこれからも、ずっと、ずっと、よろしくお願いしますね、バーム!」
そう言って、僕の右手に飛びついてくる。
そんなあまりに無邪気で大胆な彼女の行動に、僕の頭に再び一瞬で血がのぼり、のぼせ上ってしまいそうになる。
けれどその直後、僕は気づく。
僕の腕に飛びついた彼女の浮かべる、どこか安心しきった表情。
その閉じた目蓋からわずかに染み出る滴。
両親の死を知らされたあの日、僕はもう大きくなっていたのに、親父さんに抱きついて、受け止めてもらったものだ。
もしかしたら彼女も、そんな相手を求めていたのかもしれない。
もちろん違うかもしれない。
でもどちらでもいい。
彼女のそばにいられる。
それだけで僕はもう、満たされてしまっていたのだから。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
数多の魔物を蹴散らし、人々に無双の勇者と称えられながら、今は僕の手にすがって瞳を閉じる彼女に、僕はできるだけ穏やかに、優しく答える。
それは僕が勇者様御用達の武器職人となった瞬間でもあった。




