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90. トラブル話




 ひと時の触れ合いを楽しんだエカテリーナさんとフートベルトさんは、軽い足取りで冒険者街に出かけて行った。


「おい、ルナン。そろそろ降ろさないか」

「あ、ごめん。手伝ってくれてありがとう、師匠」


 師匠を床に降ろすと、一直線にハンモックへと向かって行った。


「え、もう寝るの? それなら、ついでに留守番を任せてもいい?」

「ついでの使い方を間違っておるが……まあいい。いつものことだからのう」

「ふふ、いつも助かってます。今夜のメインは魚料理だから、港の売り場で仕入れたくて」

「ほう、魚か。いいじゃないか」

「もちろん師匠の分も買ってくるから。よろしくね」


 いつものように午前の業務を終えたカノくんとシュカちゃんには休憩を取ってもらっている。

 今からここを出れば、だいたい一時間ぐらいで戻って来られるかな。街中や港の混み具合で違ってくるけど。


「それじゃあ、行ってきます」


 ローブを羽織ってペンションを出る。

 外気に触れた途端、むわっとした温度が肌にまとわりついた。

 じんわりと汗が浮き出るのを感じながら木陰を歩いて森を抜け、西門へと向かう。


「ルナン、ちょいとルナン!」


 門を通って港の方へ進んでいたとき、卵売りの女将さんに声をかけられた。


「こんにちは、今日も暑いですね」

「ああ、ほんとにねぇ……って、そうじゃないよ! 来たんだろ? あんたのところにさ」


 女将さんは声を潜め、私との距離を縮めてくる。


「ええと、来たっていうのは」

「二人組だよ、男と女の。来なかったかい? 昨日聞かれたんだよ、人間も亜獣人も関係なく宿泊できる宿を知っているかってね」


 それを聞いて、すぐにエカテリーナさんとフートベルトさんの顔が思い浮かんだ。

 話によると『月の宿』を勧めてくれたのは、女将さんだったらしい。

 フートベルトさんも「屋台のおばちゃんが〜」と言っていたので、もしかしたらと思っていたけれど。本当に女将さんだったとは。


「亜獣人が宿泊できる宿屋なら、一応東街区にも何軒かあるのは知ってるんだけどね。せっかくだからあんたのところを紹介したんだよ。夏の大市場祭が始まるっていうのに、この間聞いたら客足がさっぱりな反応だったからねぇ」

「そういえば、そんな話もしてましたね……確かにそのお二人なら、昨日いらっしゃいましたよ」

「やっぱりそうかい。勧めておいてなんだけど、少し心配してたんだよ。おかしな輩だったらってさ」

「あはは。至って普通のお客様だったので、大丈夫です。売上に貢献してくださってありがとうございました」


 なんの問題もなかったことに、女将さんはほっとした様子で息をついた。


 それにしても、亜獣人宿泊可能の宿をわざわざ探していたというのは、少し妙である。

 どうして『亜獣人宿泊可能』の宿を限定して選んでいたのだろう。


 先ほどのエカテリーナさんやフートベルトさんの様子をこの目で見ているし、二人が動物や亜獣人に対して過剰な嫌悪感を持っていないのはわかっているけれど。


 初めから探していたとなれば、何か目的があるのは明白だった。


「まあ、変な客じゃないなら安心だ。そうそう、ルナンは知ってるかい? 東街区の宿でまた騒動があったらしいんだよ」

「またって、何があったんですか?」

「宿代未払いのまま、飲み食いした挙句に逃げ出した奴らがいるんだってさ。それも複数人で、宿の店主は武器で脅されたって話だよ」

「……そんな、酷いですね」

 

 思わず顔を顰めてしまう。幸い宿主は軽傷で済んだようだけど、商売をしている人間からすると耳が痛い話だ。

 しかも、トラブルはここ数日で何軒にも及んでいるようで、共通しているのが用心棒のいない宿屋ということだった。

 あまり人目につかない路地裏の小さな宿や、老夫婦が営む宿を集中的に狙っていたらしい。


「捕まってはいないんですか?」

「それがまだなんだよ。これ以上被害が出ないうちに組合がギルドの冒険者と兵士を東街区に手配したって聞いたけど……暴れた奴らがどこに隠れているのかわからないからねぇ。大市場祭も始まるっていうのに、宿屋はピリピリしてるよ」


 どうやら問題を起こした犯人たちは、逃げ切れるだけの力を持っているようである。

 武器を扱えていたらしいので、どの宿屋も捕まるまでは気が気じゃないはずだ。

 女将さんから話を聞けてよかった。私も警戒しておかないと。



 その後、港に到着すると、すでに昼市が始まっていた。

 水揚げしたばかりの魚介が競りに掛けられ、買い付け人が我先にと上等な品を買い求めて声を張り上げている。

 潮の香りを胸いっぱいに吸い込めば、波音と海鳥の鳴き声がより鮮明に聞こえた。


 さて、肉厚な白身魚はどこだろう。

 人混みに流れて競りに耳を傾けつつ、置かれた台に目を向けた。

 頭の中で今夜の夕食のメニューを組み立てながら、メイン料理に合いそうな魚を探していく。


「なんだなんだ。お前のとこも小ぶりなのが多いな」

「お前のとこもって、そっちもなのか?」


 ふと、木の台に並べられた魚を眺めていれば、漁師さんたちの話し声が聞こえてきた。


「ああ、参っちまうな。この暑さで魚も全く育ってねぇんだよ」

「去年はこんなことなかったよな? なんだって今年はこんなに海水の温度が上がってんだろうな」

「さあな……さすがにこれが続くと困りもんだ」


 その会話を聞きながら、私は魚に目をやる。

 漁師さんたちが話している通り、魚の大きさが先月よりもだいぶ小さくなったような。

 しかし料理には十分使える大きさと色合いなので、その台から十匹ほど選んで買い取ることにした。それと小ぶりの貝類も一袋分を購入する。


「まいどあり! 冷晶石は何個いるんだ?」

「一つで大丈夫です。すぐに持って帰るので」


 冷晶石は、冷気を発生させる晶石のこと。魔鉱石の一種である。

 氷のように溶けることはないが、中身の魔力が空になるとただの石になってしまう。

 それでも氷よりは手に入りやすく、価格も低いので卸売り市場などでは重宝されていた。


 私は魚が入った木箱を抱えて、少し離れた場所に移動する。

 そして蓋を開け、箱の中に手を入れた状態で氷を生成した。

 出来上がったばかりの氷で木箱が一気に冷えていく。

 よし、これぐらいならペンションまでもちそうかな。

 目当ての魚もちゃんと買えたので、早いうちに帰ろうっと。



 ***


 ――その日の、日暮れ時。

 ペンション『月の宿』に、ついに五組目となるお客様がやって来た。

 エカテリーナさん、フートベルトさんに続き、再び人間のお客様である。


「素泊まりで一日。同部屋で頼むよ」


 代表者らしきその男性は、にっこりと笑って受付カウンターに肘をついた。


 歳は全員、二十代後半くらい。

 大荷物を抱え、武器を持っているけど格好は極めて軽装で、館内説明も聞き流した様子の男性三人組だった。




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