89. ふれあい
「店主さん、店主さん。ちょっと聞きたいんだけど」
午前の業務を終えてロビーに向かうと、売店付近をうろついていたフートベルトさんが声をかけてきた。
「いかがなさいましたか?」
「ここにある物は、全部売り物ってこと?」
「はい、すべて商品です。お値段は左下にある値札に書いてあります。何かお買い求めでしたらご対応いたしますので、遠慮なくおっしゃってくださいね」
そう言うとフートベルトさんは、興味深そうに商品棚の一段一段を眺め始めた。
そして、彼の目がある一点に留まる。上段の、薬草や魔術薬が置かれているスペースだ。
「……すげ、魔術薬まであるのかよっ」
活力薬、麻痺消し薬、軽傷用から重傷用の回復薬――と、売店作りの際に予定していたとおり、比較的に冒険者街でも手に入れることのできる魔術薬を取り揃えている。
「仕入れ商品? てことは、ここにある品は全部街で買い取って置いてるってこと?」
「……薬や油に関しては、そうですね。別口から仕入れています。その他の食糧などは私や従業員が作っています」
「へぇ〜、ふーん、なるほど」
私の説明を聞きながら、次にフートベルトさんは御守りを手に取った。
魔除けの御守りのほかに、攻撃避けの御守りもいくつか用意をしていたのだが、フートベルトさんが持ったのは攻撃避けのほうである。
「そちらは攻撃避けの御守りです」
「御守り……あー、守護結びと同じようなもんか」
「守護結び?」
「これのこと」
フートベルトさんは自分の手首をこちらに見せてくる。
銀色の素材でできたブレスレットのようなアクセサリー。よく見ると色の付いた宝石が嵌め込まれている。
宝石なのかガラスなのか、はたまた鉱石なのかぱっと見てわからないけれど、その石からはほんのり魔力の気配を感じた。
「これが守護結び、ですか」
「まあ、俺は効果とか信じてないけどさ。職務柄付けとけって言う奴が多くて付けてるだけ……っと、その話は別にいいか」
フートベルトさんは早々にその話題を切ってしまう。
職務柄、ということは……戦闘職に近い仕事をしているのだろか。詮索はしないけど。
聞くところによると守護結びというのは、災いから自身を守護する役割と言い伝えがあるそうだ。
確かに意味だけなら御守りと遜色はない気がする。
「じゃ、これ。ひとつちょうだい」
「かしこまりました、ありがとうございます」
守護結びの効果に疑念を持っているフートベルトさんだが、攻撃避けの御守りを買ってくれるらしい。
包装などは要らずそのままでいいと言われたので、硬貨を受け取ってフートベルトさんに御守りを渡した。
「お買い上げありがとうございました。それと、こちらの御守りは身につける前に握って願いを込めることをおすすめしています。もしよければ試してみてくださいね」
フートベルトさんは半信半疑の様子だったけれど、私の言葉を聞いてすぐに御守りを両手で握りこんだ。
「願いを込めるっつっても……攻撃を受けませんように……って、これで合ってんのかな」
「はい、大丈夫ですよ」
「ま、気休め程度に持っておくわ」
照れくさそうにしたフートベルトさんは、御守りを衣服のポケットにしまった。
魔女の作った御守りは「まじない」が縫い込める。魔女術の一種であるそれは、色んな条件に合わせて作ることが可能だった。
まじないは魔力を通した糸で特別な縫い方をすることによって完成する。
魔除けのまじない、健康のまじない、恋のまじない等々、これも魔女の基本として子どもの頃に師匠に仕込まれていた。
「……そういや。店主さんて、見た感じ若いけど歳はいくつなの?」
フートベルトさんからの唐突な質問。けれど特段珍しい内容でもないので、いつものようにさらっと答える。
「十八です」
「十八! んーと、屋台のおばちゃんに聞いた話だと、宿を開いてまだそんなに経ってないとかなんとか」
「そうですね。営業許可や諸々の申請日から数えますと、ようやく三ヶ月が経った頃でしょうか」
「……亜獣人の宿泊が認めているのは、最初から?」
どうやら彼の本題はこれだったようだ。
この世界の人からすると、やっぱり気になってしまうのか、高確率で取り上げる話題のひとつとなっている。
それに関しての対応はもう慣れましたけどね。
「ええ、はじめからです。種族関係なく迎えたいと、そう考えていたので。今はそれが少しずつ形になってきていて嬉しいです」
「フートベルト、待たせてすまない」
話の途中で、身支度を整えた様子のエカテリーナさんがロビーにやってきた。
「あー……いや、そんなに待ってないっすよ。少し店主さんと話してたんで」
「……彼が何か失礼なことを言いませんでしたか」
「いえ、そんなことは。楽しくお話させていただきました」
どこか窺うように尋ねられ、私は笑顔で首を振った。
「ひでえ! なんてこと聞いてんすかっ」
フートベルトさんは心外だと言いたげに眉を寄せている。
そういえば、エカテリーナさんを前にするとき、フートベルトさんは言葉遣いを少し変えているけど。
彼にとってエカテリーナさんは、先輩とか、そういう立場の人なのだろうか。
「失礼がなかったのならいいんだ」
「もー、俺だってやるときはやるんすから」
瞳をすぼめたエカテリーナさんは、フートベルトさんの言葉とともに私のほうを向いた。
少しだけ固くなっていた表情を和らげ、彼女は美しい笑みを浮かべる。
それはどこか、私が作る営業スマイルと似た部分があった。
「お仕事中ですのに、連れの相手をしていただきありがとうございます。これから街に向かうのですが、夕食前には帰りますのでよろしくお願いします」
「かしこまりました。本日も気温が高くなっているようなので、体調にお気をつけください」
「お気遣い痛み入ります」
せっかくなので扉を開けて見送ろうとすれば、ちょうど外から師匠が帰ってきた。
「師匠、おかえりなさい」
「師匠?」
「この黒い猫の名前が?」
あまりにも自然にのそのそと中に入ってきた猫の姿に、驚いた二人は釘付けになっている。
「ちょっと変わった名前ですよね。ええと、朝に話していた当宿の看板猫です」
紹介ついでに師匠を抱きあげる。師匠は微動だにせず目の前の二人をちらっと見ると、猫の鳴き声で「にゃあ」と声を出した。
珍しい。いつもだったら我関せずと言わんばかりなのに。サービスでそんな鳴き声をあげるなんて。
「か……可愛らしい猫ちゃ……いや、猫ですね」
「うわー、猫にしては何か人間味のある顔してんな。なんていうの……貫禄?」
肩をぷるぷる震わせたエカテリーナさんの横で、フートベルトさんはすっと師匠に手を差し出した。
師匠が警戒していないとわかったのか、彼は実に慣れた手つきで首筋を撫でる。
「毛がつやつやだよ。良いもん食わせて貰ってんのかぁ、ははは、ふてぶてしい顔してら」
「フートベルトさん、猫の扱いがお上手ですね」
「へ? ああ、まあ……よく猫の相手はしてるんで。慣れてるっていえば慣れてんのかな」
それから師匠の頭を撫でた彼は、そっと手を引いた。
「……で、エカテリーナさんは触らないんすか。触りたそうにしてんのに」
「わ、私はいい……動物には嫌われる体質なんだ。いつも逃げられる」
心底羨ましそうにしたエカテリーナさんは、くっと顔を横に背けた。なんだか可哀想に見えてしまう。
普通の猫の場合は人の好き嫌いがあるからわからないけど、師匠なら大丈夫だと思うんだけどな。
いまだに腕の中にいる師匠を見ると、仕方なさそうに小さくため息を吐いていた。
これは触ってもいいよってことだ。ありがとう、師匠。
「この子は逃げませんから、大丈夫ですよ。エカテリーナさんさえよければ、ぜひ触ってあげてください」
「……ほ、本当ですか」
「はい」
少し前に出て、触りやすいように師匠を抱える。
エカテリーナさんの指先がゆっくりと、師匠の丸い頭に触れて。
「……っ!」
声には出せていなかったけれど、エカテリーナさんはとても感激したように瞳を輝かせていた。
あ、たぶん私も、動物や契約獣と触れ合うとき、こんな顔をしているんだろうな……。
とりあえず、嬉しそうで何よりです。




