88. 朝食風景2
次の日。
朝方まで絵の作業していたというポンタさんは、うつらうつらとしながら食堂にやって来た。
いつも七時半を過ぎた頃に顔を出すポンタさんにしては珍しく一番乗りだ。
「ポンタさん、おはようございます。ふらふらしてますけど、大丈夫ですか?」
「いやー、昨日は少し頑張りすぎたっス」
へへ、とポンタさんは頬を指で掻いて笑う。
「いま描いているのって、依頼用の絵画なんですよね?」
「はい、そうッス〜。ありがたい話なんスけど、夏の大市場祭が始まる前には飾りたいと言われたので、もう必死で必死で」
「ええっ、それって、あと五日くらいしかないじゃん」
「むり、しないでね?」
「心配してくれてありがとうッス」
話を聞いていたカノくんとシュカちゃんも、なんだか大変そうだなという顔をしている。
それでもポンタさんは好きでやっていることなので、一日絵に向き合うことが出来て幸せみたいだ。
よっぽど二人の気遣いが嬉しかったのか、ポンタさんは丸みを帯びる尻尾をふりふりと動かした。
「へへへ。それに、おいらの絵を飾りたいって言ってくれるだけで、本当に嬉しいんス。故郷じゃ愚図でのろまだと厄介払いされてたッスから、必要とされてるみたいで」
滞在日数が増えるにつれて、ポンタさんは過去の自分のことを話してくれるようになった。
あまり前のめりになって楽しく聞けるような内容ではないけれど。
照れたように、そしてひどく和やかな顔に胸が痛むものの、きっと彼は同情が欲しくて言っているわけじゃない。
単にこんなことがあったんだと思い出の一つとして話してくれているポンタさんに、私は「絵の完成を楽しみにしています」とだけ返した。
「ふぅーお腹も膨れたっス」
ポンタさんは満たされたお腹を撫でながら息をついた。
こうした食事で元気になってくれるなら、私としても嬉しい。
食後は眠気覚ましのコーヒーを飲みたいと注文を受けたので、後味がすっきりとする酸味の濃いケーニャ産の豆を選んで淹れる。
ポンタさんの前に置くと、鼻をひくひく動かしながらコーヒーを飲み干した。
「今日も美味しいご飯でした。そいじゃあ、おいらは部屋に戻るっス」
「はい。作業頑張ってくださいね」
ポンタさんは少し仮眠を挟んで、また絵の作業を再開するらしい。
ぽてぽて、という効果音が鳴りそうな足どりでポンタさんが食堂を出て行こうとすれば、扉が開いて二人組のお客様が顔を出した。
「おはようございます。食事場所はこちらであっていましたか?」
現れたのは、昨夜から宿泊しているエカテリーナさんと、フートベルトさんだ。
ちょうど扉の前で鉢合わせしたポンタさんは、二人を前にして一瞬だけ固まったが、すぐに動き出した。
「……あ。ど、どうも……おはようございます」
「おはようございます」
「どーも」
二人はポンタさんの挨拶に軽い会釈をして返す。
そしてエカテリーナさんはというと、扉が閉まらないように押さえ、ポンタさんを廊下に出やすいようにしてくれていた。
彼女の行動にポンタさんはあきらかに驚いた様子だった。
表情は見えないけれど、尻尾が上がって毛も広がっているところを見れば一目瞭然である。
……言うか言わないか迷ってはいたんだけど、けっきょく言わなかったんだよね。
ポンタさんに「人間のお客様」が来ている、ということ。
それは、亜獣人だから、人間だから――という括りで種族が違う者同士のお客様に知らせる行為が、自分の中ではなんだか違うような気がしてしまったからだ。
しかし結果的に驚かせてしまいギクシャクした動きで食堂を出ていったポンタさんに、私は心の中で申し訳ないと謝った。
「エカテリーナさん、フートベルトさん。おはようございます。昨夜はゆっくりおくつろぎいただけましたか?」
気を取り直し、私は二人をテーブルにご案内する。
部屋は別々だけど、食事は一緒に摂るということを事前に聞いていたので、そのように準備していた。
「ええ、とても気持ちよく寝られました。周囲が森だからか空気が澄んでいて心地が良いですね」
会話のほとんどはエカテリーナさんが返している。その間フートベルトさんは、食堂の至るところを入念に見ているようだった。
なにか不備でもあるのかと心配になるけれど、興味深そうに内装を観察しているみたい。でも確かに、食堂にはドライフラワーや小物、照明鉱石が置かれているので見応えはあると思う。
「……お先にこちら、季節の果実とチーズで仕立てたスープと根菜サラダ、です」
二人に飲み物を選んで貰ったところで、カノくんがやって来た。
カノくんとシュカちゃんには、昨日のうちから新規のお客様が入ったことを伝えてある。そして今が初の顔合わせだった。
……カノくん、笑顔! 笑顔!
あからさまに下手に出るような謙った接客より、月の宿では親しみやすさを重視している。
だからお客様が問題ないというなら、言葉遣いも当人たちの判断で任せていた。
けど、今のカノくんはめちゃくちゃ顔が固い。口端がひくついていて、歪みだらけの笑顔だ。
満面の笑みでなくても、もう少し穏やかに!
「ああ、従業員の方ですよね?」
エカテリーナさんにそう訊かれ、カノくんの肩がぴくっと跳ねる。
「はい。そうです、けど」
やっぱり緊張してしまうみたい。
ダンさんに会釈をしたときもそうだけど、カノくんは自分が相手にどう思われているのかを、すごく気にしてしまう性格のようだ。
「……ご紹介が遅れました。彼は従業員の……」
私はちらりと隣に目配せをして、そっと背中に手を置いた。
はっとしてこちらを見たカノくんに、小さく頷く。
「カノといいます。よろしくお願いします」
「あともう一人、従業員がいますのでご紹介しますね」
しっかり挨拶できたカノくんに笑顔を向けて、次にカウンターの内側にいたシュカちゃんにも声をかけた。
「シュカです。どうぞ、よろしくおねがいしますっ」
ぺこりとお辞儀をしたシュカちゃんは、にこーっと二人に笑ってみせる。
それはまるで、ぎこちない様子の兄のカノくんに代わって、頑張っているようにも見えた。
「二人は兄妹で働いてくれているんですよ。それと当宿には黒猫もいるのですが、今は散歩中のようで外に出ているので、また顔を出したらご挨拶させていただきますね」
簡単な挨拶も無事に済んで、エカテリーナさんとフートベルトさんは食事を始めた。
「ごめん、ルナン……」
カウンター内に入ったカノくんは、私にだけ聞こえるような小さな声で謝ってくる。
「え、どうしたの?」
「さっきのオレの挨拶、自分でも引くほど下手っぴだった。はあ、おかしいな。そんなに意識してないつもりだったのに……シュカのがさまになってたし……」
へ、下手っぴって。なんとも可愛らしい言い方でツボに入りそうになるけれど、本人は至極真面目に反省している。
だけど、わかるよ。
自分が頭で想像していたよりも、全く動けなくなるときってあるよね。
「少しずつ慣れていけば大丈夫だよ。カノくんが納得いかなかったと思ってるなら、さっきの自分の対応を思い返して、次はどうすれば良いのかを考えてみて」
人間のお客様に緊張してしまうのは仕方がない。
それでもここで働いていく以上は避けて通れないことだから、カノくんが今抱えている気持ちはとても大切なものだ。
「カノくん」
「なに?」
「自分が思ってるより上手くいかなくて、悔しかった?」
「……うん」
「ふふ、それでいいと思うよ。悔しいで」
そう言って笑うと、カノくんはきょとんと目を瞬かせていた。
怖いとか、無理そうだ、とかではなく、悔しいとはっきり思えるのなら、カノくんは大丈夫だと思う。
***
エカテリーナさんとフートベルトさんが食事を始めて少し経ったころ、コクランさんと肩に小型化したコンを乗せたキーさんがやって来た。
『ルナンおは〜』
きゅん、と鳴いたコンに、私は「おはよう」と返す。
「おはようございます」
「おはよう」
「お嬢さん、おはよ」
そこで、グランだけがいないことに気がつく。
「グランはまだお休み中ですか?」
「ああ。気持ち良さそうに眠っていて……起こすのは気が引けてしまった」
ほう、気持ち良さそうにですか。
目に浮かぶようで、想像しただけで癒されます。
「わかりました。では、またグランの朝食の分をまとめておくので、お食事が済んだあとにお渡ししますね」
「ありがとう、店主。いつも助かるよ」
そこで、コクランさんとキーさんの視線が一瞬だけテーブル席に向けられた。
エカテリーナさんとフートベルトさんを気にしてのことだったが、またすぐに私と目が合った。
「そういえば、昨夜の用心棒はどうでしたか?」
「……そうだな、特に問題はなかった。行き交う人の数はかなり多いように見えたが」
「きっと夏の大市場祭の影響ですね」
「といっても、ここは相変わらず風通しが良さそうだけどねぇ」
「……あの、キーさん。これでもありがたいことに少しずつお客様が増えているんですよ?」
「ははは、ごめん。昨晩の用心棒に入ったお店があまりにも騒がしかったから、つい。良い意味で過ごしやすいって言いたかったんだよ」
悪気はなさそうなキーさんの言葉に多少のダメージを受けながら、彼らをカウンター席に誘導する。
二人が揃って食堂に訪れるときは、大抵カウンター席だ。
テーブルを確認すると、エカテリーナさんとフートベルトさんは自分たちの食事に集中していた。
こうして人間と亜獣人のお客様が食堂に揃うこと自体初めてのことだったので、私もちょっと身構えていた部分があるんだけど。
二つの組は特別な干渉もなく、あくまでも自然体で各々この場に溶け込んでいる。
そのことに、私が密かに胸を撫で下ろした。
「キーさん、お待たせいたしました。今朝はアーテマラ産のコーヒーをご用意しました」
コクランさんが朝食を摂る傍らで、キーさんはコーヒーを一杯だけ嗜む。
この風景にも慣れてきてはいる。
「キー……また食べないのか?」
「いつも言ってるけど、起きたばかりはお腹が空かないんだ。まあ、昼になったら街に出て適当に摘むよ」
彼らの会話を背に、私は使ったばかりのコーヒー器具を洗うため厨房の中に入った。




