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82. 露天にて



 その露天は通りからも目立たない場所にあった。

 建物の影で薄暗く、声をかけられなかったら見逃してしまったと思う。


「おねーさんさぁ、さっきあそこで香味料買ってたっしょ?」


 どこか人懐っこい調子の露天商は、私が歩いてきた方向を指さす。

 たしかにこの位置からだと、客足は期待できなくても全体を見渡すことができるようだった。


「はい、入り用なものなので」


 特に隠すことでもないので、軽くうなずきながら答える。

 露天商の声は若めな青年といった印象だけど、それだけでは判断が付きにくかった。


 体格とか、声質からして男性ではあるけれど、どれぐらいの年齢なのかまでは顔が隠れていて分からない。

 

 唯一肌が見える箇所といえば、手と足首くらい。

 均一な小麦肌と……指先の爪は両方ともネイルのようなもので色とりどりに塗られている。

 民族調の靴はサンダルっぽい作りをしているため、足先の爪も同じく塗られていることが確認できた。


 初めて見る独特な装いで、これも大市場祭の効果なのだろうかと考える。

 私が言えたことでもないけれど、声をかけられた時は少し構えちゃったよね。露天商時の私って、傍から見るとこんな感じなのかぁ……。


「じゃあさーこういうのとかどう? 南にある"アブマダ"って国から仕入れてきた料理の香味料!」


 露天商はババンと両手を広げ、大きな布の上に置かれている品物へと視線を誘導する。

 この街ではあまり見かけない類の珍しい香味料だった。

 しゃがみ込んで、それらを眺める。

 種子や実の形状そのままのものと、粉状のものと分かれているが、共通して匂いにツンとした癖があった。


 この鼻の奥を大胆に刺激してくる香りは、故郷の村にいたときも、レリーレイクに居住を移してからも出会えたことがなかった。


「これって……もしかして、香辛料(スパイス)ですか?」

「え、知ってる感じ? スパイスって名前もこの大陸じゃ超めずらしいのに……もしやおねーさんて、南の人だった感じ?」

「そういうわけではないんですけど、話には聞いたことがあって」


 思わず口から出ていたスパイスという言葉が、彼に通じるなんて。

 冒険者街でも朧げに名前だけなら知っているという露天商の人なら何人かいたけど、現物を仕入れたことがないというパターンがほとんどだった。


 そっか……南にはあるんだ、スパイス……。

 なんて言っていたっけ、国の名前。


「その、アバブ……」

「アブマダ?」

「あ、はい。アブマダという国では、スパイスは主流のものなんですか?」

「だねー。なんせ街全体がスパイスの香りで溢れ返ってるくらい売り場に並んでるし」


 スパイスそれぞれの品名が、前世と同じかはさておき、こんなところで巡り会えるとは思っていなかったものを目の前にして、私の硬貨入れの紐が緩んしまう。


 いつも使っている香味料は買っちゃったけど、予算はまだ大丈夫そうだし……。


「これ、ひと袋ずついただいていいですか?」

「これ全部ひと袋!? オレとしてはかなーり嬉しいけど、そんなにだいじょぶ?」

「はい! ずっと欲しいなって思っていたものだったので!」


 普段の味付けに困っているわけではないけど、癖のあるスパイス系のものが欲しかったんだよね。


「いや〜、必死に声をかけた甲斐があったってもんだわ! まさかこんなに買ってくれる人がいるなんてさ。全然売れなくてまじへこんでたし」


 この人が言うには、この国ではスパイスというものは物珍しすぎて扱いにも限りがあるため買ってくれるお客さんが少ないのだとか。

 これが大きく名のある商団だと変わってくるけれど、一露天で売られるスパイスは手に取って貰える機会があまりないらしい。


「アブマダで食った料理がもうオレ好みの挑戦的な味付けでさぁ……ついつい使われてたスパイスを大量に買っちゃったわけ……」


 スパイスを小分けにしているときも、私から硬貨を受け取るときも、彼は息を吸うようにお喋りを続けていた。

 私はそれに相づちを打ちながら、買った品物を受け取り再び買い物用の麻袋に入れる。


 凄いなぁ。私も会話を持たせるのには自信があるほうだったけれど、この人はなんというか……うん、性格の部分も滲み出ているみたい。


「はぁ……あれはうまかった……でもスパイスが売れないってことは似た感じの料理はないっぽいよなぁ……そりゃ大陸違うし当たり前か」


 うんうん唸る露天商の彼を前に、私は完全に立ち去るタイミングを失った。

 とめどなく溢れる話題を聞いているのは楽しいんだけど、ずっといるわけにもいかないし。


「スパイスを使った料理が出るお店は分からないですけど、美味しいって評判の場所なら知ってますよ」

「え、どこどこ!?」

「南街区にあるバネッサという小料理屋さんです。私は食べたことないんですけど、出される料理が全部美味しいと聞いています」


 ユウハさんも絶賛していたし、間違いないとは思うけど。

 私もいつか食べてみたいけど、持ち帰りとかできるのかな。


「んーと? ここが西街区で、南街区っていうと……」

「まずこの通りを出て、西街区の大通りに出ます。その辺まで行けば看板が立っていると思うので、それに従って歩けば入れますよ」

「おお、せっかくおねーさんが教えてくれたんだし、店じまいしたら行ってみるわ!」

「美味しい料理に出会えるといいですね」


 おすすめした側としても、気に入ってくれたら嬉しい。

 

「おねーさんは優しいね! オレ、優しい女の子って大好きなんだよ! ありがとうありがとう!」


 と、瞬きの隙に露天商に片手を取られた。

 上下にぶんぶんと振られる自分の手を驚きながら見ていると、彼はまた忙しなく声をあげる。


「いって!?」

「ピピッ!」

「だっ、おいっ、ククル! 突っつくなって!」


 彼の両手がぱっと離れ、聞こえる羽音に私は何事かと上を向いた。


『ちょっと目を離したらこれだ! 女好きにも困ったもんだよ!』

「うおっ、やめっ……被りが取れっ……」

『その子、明らかに困ってるよ! 馴れ馴れしく手とか握ったらそうなるに決まってるよバーカ!』


 バサバサと聞こえる羽ばたき。

 露天商の男の頭には、尾羽が長く赤色に染まった毛並みの一羽の鳥がいた。


 そこまで大きくない鳥だけど、くちばしで突く勢いが強いのか彼に巻かれていた布がどんどん緩んでいく。

 ついには地面へと落ちて、隠れていた露天商の顔があらわになった。


「だー! ほら見ろ、取れちゃっただろ!」


 ローブからはみ出てしまった長く濃い金髪。鳥の毛色と似たぱっきりとした赤色の瞳。驚くほどに長い上下のまつ毛に、広い二重、少しだけ垂れた目尻、そしてすっと通った鼻筋。


 手足と同じく小麦色の肌をした彼の顔は、喋り口調の印象からはまったく異なる、雰囲気のある端正な顔立ちをしていた。



香辛料(スパイス)、香味料、ハーブと区別がされていますが、ここではざっくりと強めの香りや辛味をつけるものを「スパイス」とさせていただきます。



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