80. 外出
「ルナン、終わったよ」
カノくんは散髪用のケープを外しながら声をかけてきた。
「……ん、ああ……ちょっと意識飛んでたかも」
片目を擦りながら立ち上がる。
つい先ほどまでは心地よい温かさだった中庭が、蒸し暑くなり始めていた。
「とりあえず伸びてたところは切ったよ。あとは毛先を整えたぐらいなんだけど、どこも変じゃない?」
そう尋ねられ、軽く自分の髪の手触りを確認した。
あらかじめ持ってきていた鏡でも出来上がりを見てみる。
「うん、大丈夫だよ! いつもありがとう、カノくん。なんだか軽くなった気がするかも」
「いや、ちょっと整えただけだし大袈裟だよ……」
尻尾の先っぽを動かしながら、カノくんはぽりぽりと指で頬を掻く。また照れている。
「さてと、次はシュカだ。暑くなってきたから椅子は木陰に移そうかな」
「あ、じゃあ私が運ぶね」
椅子を持ち上げて近くの木陰へと移動させる。
ついでに下に落ちた髪を拾いあげて、持ってきていた紐で散らばらないように縛った。
魔女の髪も立派な魔術薬の材料になるから、集めてはいるけれど。まだバードックスのときのものが残っているんだよね。なかなか減らない。
「シュカー、前髪切るよ」
「は〜い」
小川を眺めていたシュカちゃんは、軽快な足どりでこちらにやって来た。
「お待たせシュカちゃん。はい、どうぞ」
「えへへ、ありがとうルナンさん」
椅子の背もたれを支えて待ち構えていると、シュカちゃんは、耳を嬉しそうにひょこひょこ動かしながら腰をおろした。
シュカちゃんの後ろに回ったカノくんは、結っていた髪の部分をほどくと、軽くブラシで梳かしていく。
「シュカちゃんの髪ってふわふわだね〜」
「オレもシュカもくせっ毛だからね。オレはそうでもないけど、シュカは起きたときとか凄い跳ねてるよ」
「だからね、いつもお兄ちゃんが梳かしてくれるんだー」
シュカちゃんはプラプラと浮いた足を前後に揺らして言った。
そして髪を梳かし終えると、カノくんはシュカちゃんの後ろ髪をひと房ほど取って毛先を確認する。
「まずはシュカも毛先から整えるね。前髪は一番最後かな」
カノくんは美意識が高い娼婦さんの手伝いをしていたようで、結構こういうところに細かい。
やるからにはできる限り完璧な状態に、を心がけているようだ。
髪を触れられ気持ちがいいのか、シュカちゃんも途中から眠たそうにしていた。
そのうち、ぴたりと瞼がすべて下りる。
「カノくん……もしかしてカノくんには、髪に触っていると人の意識を飛ばせる力があるんじゃ……」
「なにそれ。あるわけないじゃんそんなの」
と言いつつ、面白かったのかカノくんはクスクス笑った。
休憩中なのでシュカちゃんの髪を切る様子を見ていようかとも思ったけれど。私はそこで、ふと思い出す。
「そうだ、香味料が少なくなってたんだ」
「料理に使うやつ?」
「うん。それと、味付けの幅を広げたいと思ってたから、色々と市場を覗こうと思って」
多くの船や商人がやって来るレリーレイクの市場は、やはり他に比べると他国からの品物を扱っている場合が多い。
何か良さそうなものを見つけたら買いたいと思っていた。
「それならちょうどいいんじゃないの。さっきも言ったけど、今日から大市場祭の準備期間に入るから。どんな感じか見てきたら?」
私はちょっと苦笑しながらうなずいた。
残念ながら今日はお客様の来る気配がまったくしないのだ。
たまに感覚でわかる日があるんだよね。
ああ、今日は一日暇そうだ、という日が。
それがハズレて次々とお客様が流れ込んでくるときもあるにはあるけれど。
どちらにしても今現在は建物内も静かなものだ。
コクランさんとキーさんは、単発の依頼を一緒に受けるとかで朝早くから留守にしている。もちろんグランとコンを一緒に連れて。
ポンタさんは絵の休憩がてらに北街区へ向かった。
お客様はいなくとも、気になっていた建物の部分を修繕したり、旧館を整理したりとやる事はたくさんある。
けれど今日は冒険者街の見物に興味が注がれた。
「それなら……ちょっとだけ見てきてもいい?」
「大丈夫だよ。それにルナンって、丸一日休む日とかないじゃん。こんなときぐらいゆっくりしてきなよ」
どうやらカノくんは、私の労働時間を気にしてくれていたらしい。
たしかにカノくんとシュカちゃんには、丸一日お休みの日を作ったりしてるけど。私は好きでペンションを開いているからそれを苦だとは思っていない。
それでも、気遣ってくれるのは素直に嬉しいなぁ。
「わかった、じゃあ行ってくる。でも何かあったり、変だなと思ったら呼び鈴を鳴らしてね? すぐに飛んでくるから」
言葉の通り、箒ですぐに戻ってはこれるので。
「ルナンこそ……気をつけてよね。もうお祭り騒ぎの連中とかざらにいるから。それに人の出入りも多くなって変なやつもいないとは言いきれないし」
頼りなさげな顔を向けられながら、強く念を押されてしまった。
「ははは……うん。心配してくれてありがとう。行ってきます」
カノくんにお礼を言って、そろりとシュカちゃんの顔を覗き込む。
「すー……」
幸せそうな顔をして眠っていたので、私は起こさずにその場を離れた。
一度、建物の中に戻り、受付カウンターから外出用のローブを羽織る。
ついでにラウンジに寝そべっていた師匠に声をかけた。
「師匠、今から街まで出かけてくる。二人ともしっかりしてるから大丈夫だろうけど、何かあったらカノくんとシュカちゃんのことよろしくね」
「ああ、わかった。行ってこい」
返事と一緒に、師匠の尻尾の先がひょいと持ち上がった。




