74. 朝日が眩しい
歌が聞こえ、シャランシャランと、音色が鳴る。
『……くすくす』
『くすくす』
頭上から聞こえた気がした言笑に、目を開ける。
「……んん」
私の眼前に広がるのは、いつもの起床時と変わりない自室の天井だった。
「夢……?」
ベッドから身を起こし、ぼうっと一点を見つめる。
寝起きはいいほうだと密かに自負していたが、今日はなんだか気だるかった。
暑さのせいもあるけれど、それよりも部屋の暗さに違和感を覚える。
「って、まだこんな時間……」
ベッドの脇にある砂時計を確認すると、砂がすべて落ちるまで約一時間ほどの量があった。
目覚まし時計の役割があるこの砂時計は、すべての砂が下に落ちると、一方が空になったことを感知して嵌められた魔鉱石から高音が鳴る仕組みになっている。
いつもは体感で起きてしまうけど、念の為に枕元に置いているものだった。
変な夢を見たせいだろうか。
あれを夢といっていいものか分からないけれど、聞こえた音に反応して目覚めたのは確かだ。
「二度寝……する時間でもないし」
これが起きる三時間前とかだったら、気兼ねなくもう一度寝ていたと思う。
でも一時間切っているなら……と、私はベッドから出ることにした。
ベッドを軽く整えたあと、大きく伸びをする。
「ん〜……あれ? なんだ、師匠も起きてるんだ」
師匠が寝るときの定位置である、一人掛けソファの上が空になっていた。
ということは、またその辺を散歩しているのかもしれない。
いつもなら起きてすぐに寝衣を脱いで着替えるけれど、今日は時間にかなりゆとりがある。
菜園と薬草園の具合を確認するぐらいならば、この格好のままでも大丈夫だろう。
二つの畑がある庭は、旧館の裏手側。
滞在中のお客様にばったり出くわすこともない。
私は肩にショールを羽織り、畑へと向かった。
*꙳☪︎・:*⋆˚☽︎︎.*·̩͙
日の出に差し掛かっているからか、温度が変わり始めている。
今日も一日暑くなりそうだなぁ、と考えていれば庭にたどり着いた。
……やっぱり土が乾くのが早いかも。せっかくだし水もあげようっと。
私は菜園の土をいじり状態を確かめ、魔女術を使い作物へ均等に水を浴びせた。
「この辺も収穫できそう。あ、こっちも」
「ルナン」
色づき具合を見ていると、いつの間にか背後にいた師匠に声をかけられる。
「……っ! って、師匠……驚かせないでよっ」
振り向けば地面にぽつんと座った黒猫が、尻尾をゆらゆら動かしてこちらを見据えていた。
「お前が勝手に驚いたんじゃろう」
「それはそうだけど。師匠ってば全然気配とか掴めないから」
「慣れればわかる」
もうかなり長いこと一緒にいると思うのに、まだ慣れそうにない。
こんなことで目くじらを立てるのもどうかと思うので、それもそうだと同意して、師匠に朝の挨拶をした。
挨拶を終えると、師匠の目線は私の顔のすぐ横に集中する。
「にしてもルナン……その髪はどうした。生きておるのか」
「え、髪?」
「ふっ……くく、お前にしては珍しいのう」
「なんでそんなに笑ってるの? ……か、鏡、はないから、しょうがないこれでっ」
私は喉を鳴らして笑う師匠の様子が気になり、近くの桶に水を入れて、顔を覗き込んだ。
――ありえないぐらいに、毛が跳ねている。
「あ、あれ? 出る前に確認したはずなのに」
水鏡なのでぼんやりと映る程度だが、それにしても毛先やらの寝癖が凄いことになっていた。
試しに手ぐしで押さえつけ、そっと離してみる。
――ピョンッ。
私の髪は、なぜか一向に収まる気配がなかった。
跳ねてるっていうか……なぜか、毛先が浮いている。
例えるなら、そう、蛇の髪をもつメデューサのような。
「なにこれー!?」
私はわたわたと指を髪の間に滑らせて何度も梳かす。
少しだけマシになったような気もするが、それでも癖が強いことには変わりなかった。
「これは……」
師匠が私の近くに来て匂いを嗅いだ。
見当がついた目をすると、首を横に振る動作を混じえながらため息をこぼした。
「イタズラだ。ようやりおる」
「だ――」
『ルナン〜』
誰の!? ただの手強い寝癖じゃなくて!? と、発言しようとした口が途中で止まる。
私の名前を呼ぶ声は、本館の中庭がある方向から聞こえた。
……今の声は絶対に、コンだ。
『やっぱりルナンだった〜。こっちから声がきこえたから』
建物の影から、私に向かってコンが駆けてくる。パタパタと尾を振る様子が、この間よりも元気そうに見えた。
「コン! 柵を越えてきたの?」
『さく? コン、ふつうに走ってきたけど〜』
ああ……なるほど。小型化したコンの横幅だと、ギリギリあの柵の幅を通り抜けられるんだ。
一応ここは立ち入り禁止のスペースなんだけど、コンは関係なしに来ちゃったんだね。
『ルナン。キーちゃんがね』
「――コン! そっちに入ったら駄目だ。戻っておいで」
嬉しそうな足取りで近づいてくるコンを呼び止める声が、遠くから聞こえてくる。
……まずい、キーさんだ。
外に出ているということは、元気になったのだろうか。
体調が戻ったのなら本当によかった。
だけど、まずい。
彼だからまずいというわけではなく、この格好だからまずい。
それも髪の毛はおかしな現象になっているし、こんな姿では他の人の前に出るなんて無理だ。
『キーちゃん。ルナン見つけた〜』
キーさんの声が聞こえると、コンはまた素早く向こう側へ駆けて行った。
コンー!!
穏やかではない私は、胸の内で白い後ろ姿を目掛けて叫ぶ。
引き止めたところで、私は表向きコンとの意思疎通ができないので限界があった。
ここからキーさんの姿は見えない。けれど彼は近くにいる。
おそらく旧館の庭を隔てた柵の向こう側に。
「……お嬢さん、そこにいる?」
「はい! いま……すっ……」
無反応を決め込むわけにもいかず、立ち上がりながら応えると、途中で足がもつれ前に転倒した。
「……」
打ちつけた体が痛む。なんだこの、踏んだり蹴ったり感は。
そのままの状態で一旦停止する。私の頭はようやく冷静さを取り戻した。
「――お嬢さ、ん?」
体を起こす途中、四つん這いとなった私の頭上から、驚きめいた声が降ってきた。
私の転んだ衝撃音を聞きつけて、何か起きたんだと来てくれたのかもしれない。
すぐに言えばよかった。転んだだけなので大丈夫ですって。
でも、うん……亜人の皆さんって、だいたい素早いから。
私が声を出した頃には、もう動いたあとだった気がするけど。
「……あの、足が引っかかってしまって、転びました。ご心配をお掛けしてすみません」
とりあえず立ち上がる。顔に笑みを貼り付け、衣服についた汚れを払い落とした。
いきなり過ぎて咄嗟に魔女術も扱えなかった。反射を良くするのが今後の課題のひとつになりそう。
濡れた土の上に転倒しなかったのがせめてもの救いだ。
「ぼくも勝手に入ってしまったから、すぐに出……」
キーさんの戸惑いを含んだ声が、中途半端に途切れる。
私の姿を映した黄色の瞳が、ほのかに開かれた。
「……本当に申し訳ございません。こんな格好で、お客様の前に出てしまうなんて」
恥ずかしさやら情けなさやらで、じわじわと体の温度が高くなっていく。
もうこの際、込み上げる羞恥はなぎ払い、謝罪を優先しようと決めた。
「こちらこそ」
彼は察して、ぱっと顔を背けてくれた。
足元をうろちょろしているコンは、頭に「?」を浮かべていたが、さすがのキーさんも配慮してくれたようである。
旧館側はほぼ居住スペースだし、朝方で薄暗いから大丈夫だろうと思ったのがいけなかった。
なんてこと……こんなやらかし普通ならありえない。
「……妖精」
私が朝からの失態に悔やんでいると、キーさんが小声でつぶやいた。
目線をずらせば、未だに律儀に横を向いてくれている。片手で口元を覆う仕草は、何かを考えているようだった。
「お嬢さん。その髪、もしかして妖精の仕業?」
キーさんの指摘に、はっと気がつく。
転んだせいで頭から抜けていたが、私の髪は今もはね具合が凄まじいということに。
「妖精、ですか……」
今の私は、そんなに間抜けに見えているのだろうか。
キーさんの長い指の間から覗かせた口角が、心なしか上がっているような。……自意識過剰かもしれない。
日が昇ってきて、朝日が眩しいからそう見えたのかも。
というか、妖精の仕業って……。
私は両手で毛先を押さえつけながら、なんという一日の始まりだろうと気分を沈ませる。
背後から届いた猫の鳴き声は、またしても笑っていた。




