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70. おやすみなさいませ



 薄暗い室内。頼りの光は外から差し込む月明かりだけだ。

 さすがに心もとないので、光の玉を魔女術で出し周辺をほんのり照らした。


「……あっ、キーさん!」


 キーさんはベッドサイドのフレームに背を預けるようにして座り込んでいる。

 力が抜けてしまったのか、その場から動く気配はない。

 急いで近寄り、キーさんの右隣に両膝をついた。コンはぴょんっと床に降りて、私とキーさんの様子を静かに窺っている。


「キーさん、大丈夫ですか? ベッドから落ちたんですか? 怪我は……」


 よく見ると、キーさんの腕はベッドの脇に体重を乗せるようにして置かれている。

 ベッドから立ち上がろうとして、足元を滑らせたりなんだりしたところを咄嗟に腕で支えたのだろうか。

 まるっきり転げ落ちたとかではなさそうで、とりあえずはほっとする。

 顔色は暗がりでよく見えないけれど、キーさんの呼吸は落ち着いていて、部屋に運んだ時よりも体調は回復しているようだった。


「どこかを強く打ったりはしていないですか、キーさん……キーさん?」


 私の問いかけにすべて無反応を示すキーさんは、その瞼を閉じていた。

 もしかして、この状態のままで寝てるのか。気絶とかしているわけじゃないよね?


「キーさん! 聞こえますか!」


 狐の耳に向かって、意識があるかを確かめる。すると、少しだけ反応があった。


 ぴんと立ち上がった白銀の耳が、様子を探るように前後左右へパタパタと動く。


「……」

「あっ、気がつきました?」


 うっすらと瞳が開かれ、黄色に輝く眼孔が覗いていた。

 こんなにぼんやりとしたキーさんの顔を見るのは初めてである。それだけ普段は気を張っているのだろう。私の姿を認識しているのか微妙なところだけど。


 なんてことを思っていれば、私とキーさんの視線が重なった。


「……、ノ……」

「キーさん?」

「…………、ヴ……ァ……?」


 キーさんが何かを言った。しかしなんと言ったかは分からない。

 だけどキーさんが呟いた瞬間、彼の周囲を探るようにしていた耳が、ふわっと和らいで後ろに倒れていた。

 尻尾や耳の動きで心情の表れを予想したりできるけど、今のキーさんの仕草に意味はあるのだろうか。

 半分以上は夢うつつの状態みたいだし、単に耳が動いただけかもしれないけど。


「……店主?」


 その時、背後から声がかかった。

 

 目の前にいるキーさんに集中していたせいで、後ろの気配に気づくことができなかったのだ。

 びっくりしたけど、声と呼び方ですぐに誰なのか気づいた。


「コクランさん」

「……どうかしたのか?」


 コクランさんは、なぜキーさんの部屋に私がいるのか不思議そうにしている。

 そりゃあ知り合いの部屋に私がいたら疑問に思うのも当然だ。

 呼び鈴は置いていったけど、扉を開けて見えたのがこんな状況だったら、誰だって不審に思わないほうがおかしい。

 コクランさんもそうなんだろうけど、私を疑っているというよりは、単純に部屋の中にいたことに驚いていた。


「……万が一にと思って、呼び鈴をキーさんのベッドに置いていたんです。それがさっき鳴ったので伺ったんですが……」


 私はキーさんに目を向ける。

 状況を理解したコクランさんは、すぐこちらに駆け寄ってきた。


「キー、大丈夫か? 俺が、わかるか?」

「……」


 コクランさんの声に、閉じかけていたキーさんの瞼がまた開かれる。


「……ああ、なんだ。夢、だったんだ。そもそも、目の前にいるほうがおかしい…………うん」

 

 自分を納得させるように、キーさんは独り言をつぶやいている。

 やっぱり半分、頭が夢を見ている状態だったようだ。体調が良くないから判断も鈍くなっているのだろう。

 そのうち少しずつ、キーさんの意識が覚醒するように、瞳の色に生気が宿り始めた。


「え、コクラン?」

「はあ……気がついたんだな」

「……ああ、そういえばさっき、体が全然動かなくて、座り込んでたんだ……」


 キーさんの声が少し掠れているのが気になった。ずっと寝ていたならば、水分も摂っていないはずだ。ベッドの周辺には、それらしいグラスも容器も置かれていないし。


「……きみまで、ここに?」

『コンが呼んだの〜。キーちゃん、落ちたまま動かなくなっちゃったから〜』


 戸惑った様子で私を凝視するキーさんに、コンが勢いよく飛びついた。

 尻尾を振りながら容赦なしにキーさんの首元に頭を突き当てすりすりとしている。


「ああ、そういうこと。……ごめんね、お嬢さん。コンが心配して、呼び鈴を鳴らしたみたいだ」


 それは、コンが言っていたから把握済みだけど。キーさん、随分と疲弊してるけど本当に大丈夫なのか。

 熱は下がってきたのかもしれないが、この調子で水分や栄養を蓄えないとすぐに体は弱ってしまう。


「何をするつもりだったんだ?」

「……コンの、夜食をね。夕食分は用意していたんだけど、夜食は鞄に入れたままだったから」

『コンは今日ぐらいいらないって言ったのに〜』

「……隣でコロコロお腹を鳴らされていたら、あげないわけにはいかないでしょ」


 コンの顎を指先で撫でながら、キーさんは引き攣った笑顔を浮かべる。まだ、かなり無理をしているみたい。


「キー、手を」


 これぐらい平気だよと言うキーさんに、強引にコクランさんは手を貸してベッドの脇に座らせた。


「お嬢さんも……騒がせて申し訳ない……本当に」

「いいえ、お気になさらないでください。キーさんに何も無くて良かったです。無理はせずに、ゆっくり休んでくださいね」


 キーさんに多少の苦手意識のようなものが染み付いていたとしても、それとこれとは別問題だ。

 早く体調が良くなりますように……っと、心の中で合掌もしておこう。


「……」


 私の言葉が意外だったのか、キーさんは瞬きを落としてこちらを見返していた。

 うーん、にしてもまだ辛そうだな。私がいることでキーさんに要らない気を遣わせてしまっているのが伝わってくる。

 これ以上の長居をしては駄目だ。そろそろ私は退出しよう。


「では、私は失礼します。おやすみなさいませ」


 二人にそれぞれ会釈をして、扉へと向かった。

 呼び鈴はまだ置いていてもいいよね。念のために。


『ルナン〜。来てくれてありがとう』


 ドアノブを回したところで、キーさんの隣にいたコンがベッドから降りて私の足元に擦り寄ってきた。


「コンも、おやすみなさい」


 キーさんのこと、心配だよね。

 だけどコンも無理はしないでね。


 言葉をかけてあげることはできないが、そんな意味合いを込めて丸い頭部を撫でる。

 コンは尻尾をパタパタとさせ、先ほどのキーさんのように耳を後ろに倒していた。



 *꙳☪︎・:*⋆˚☽︎︎.*·̩͙‬



「ふぅ……」


 屋根の上に置きっぱなしになっていた空のグラスと数冊の書物を抱えて、厨房までやって来た。


 グラスを軽く洗い片付けを済ませた私は、棚に置かれた水差しを見てどうしようかと悩み込んだ。


「余計なお世話ってまたなるかな……。でも、部屋に水道が付いてるわけじゃないし、水分補給は絶対にしたほうがいいんだけど……」


 そう、水をキーさんの部屋に持っていこうかを考えているのだ。

 部屋を出る前に確認すればよかったと激しく後悔する。


「あの部屋、ちょっと温度が高かったし……熱中症までいかなくても寝苦しいんじゃ……」


 蒸し暑いくらいなら我慢できると思うけど、これからの季節を考えると心配だ。

 これは、対策を早いうちに考えないと。このペンションをご利用頂いているからには、部屋でも快適に過ごして欲しいし。

 

 私がレリーレイクに来た頃は春の終わり頃だったから、基本温度は暑くも寒くもなかったけれど。あとひと月もすれば本格的な夏になって、秋を過ぎれば次は冬。空調設備は必要になってくる。


 コクランさんが初めてこのペンションに滞在したときは、部屋の確認ついでに温度調節の魔女術を使うことができた。だが、それにも限界がある。


「エアコンみたいに便利な物があればいいけど、さすがに無いもんね。何か代わりになりそうなのがあったら――」

「店主、そこにいるか?」

「ぎゃっ!」


 厨房の中で唸っていれば、食堂にあるカウンターから声が届く。

 声が伸びて悲鳴になる前に、私は口を両手で覆う。危ない、声が響いてしまうところだった。


「……あ、コクランさん」


 早まった心臓の動きを落ち着かせつつ厨房から出ると、カウンターの外側にぽつんとコクランさんが立っていた。


「すまない。驚かせるつもりはなかったんだが……」

「い、いえいえ。私が勝手に驚いただけですから。こちらこそ、大声をあげてすみません」


 恥ずかしい。あんな声を聞かせてしまうなんて。けれど咄嗟に手で押さえたから、そこまで聞こえなかったはず。……ああ、恥ずかしい。


「えっと、どうかされました?」


 壁や天井付近に取り付けられた光る鉱石のおかげで、わずかながらコクランさんの顔が見える。


「……その、飲み水を、貰っても構わないか? キーに飲ませてやりたいんだ」

「お水ですね。只今ご用意します」


 しまった。さっきまでキーさんの部屋に水を持っていこうかどうか悩んでいたのに、いつの間に脱線してしまっていた。

 良かったコクランさんが来てくれて。


「こちらが水差しです。ぬるくならないよう中に氷を何個か入れてあります。あと、これは……」


 コクランさんに手渡したトレーの上には、水差しとグラス、そして木で編まれた容器に入る包装されたキャンディがあった。


「これは……」

「栄養補給用のキャンディです。魔術薬ほどの効き目はないんですけど、一粒舐めるだけでも少しは体が楽になると思います」


 味はあまじょっぱい塩味。

 夏に向けて、受付カウンターのところに置こうと考えていたものだ。

 地球のペンションでも飴は小さな編みかごに入れて置いていた。異なる部分があるならば、それは冒険者や旅人仕様に魔女術で作り上げたということ。

 ただの甘味ではなく、体力回復の用途があるキャンディだった。


「……ありがとう。必ずキーに渡しておく」


 嬉しそうにしたコクランさんは、どこか安心したように笑っていた。

 いや、必ずじゃなくてもいいんですが。そもそも舐めてくれるかは本人次第だし。


 コクランさんはコクランさんで、心配していたんだろうな。キーさんの態度で私がどんな思いをしているのか。

 あれぐらいは大丈夫ですよ。もっと酷いクレーマーは、前の世界で学生時代に働いていたバイト先で数え切れないほど見てきたからね。

 そういう人に当たってしまうのは、接客業の宿命というか、試練というか……まあ、そんな人がいない方が終始穏やかでいいんだけど。


「……さっそくキーの部屋に置いてくる。ありがとう、店主」

「はい、よろしくお願いします」


 何度もお礼を言うコクランさんに、私はくすりと笑ってしまった。


「おやすみなさいませ、コクランさん」

「……ああ、おやすみ」


 キーさんの部屋でも告げたが、改めてコクランさんに挨拶をする。


 面と向かって「おやすみ」と言うのも言われるのも慣れていないと思われるコクランさんは、照れてしまったのか目線をずらして私に挨拶を返していた。



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