65. 隊長さん
「うおっ、とと、よしっ、成功だ!!!!」
エントランスロビーで待つ隊長さんは、設置されたハンモックに挑戦している最中だった。
体躯がいい隊長さんが身を預けると、ハンモックがどうにも心もとない布に見えてくる。
しかし隊長さんは座れたことで満足しているのか、ゆらゆら左右に揺られながら楽しそうにしていた。
「お待たせしました」
「おう、嬢ちゃん」
ハンモックに体を預けたまま、隊長さんは二階から降りてきた私たちに向かって手をあげる。
かなり間抜け……大胆な格好なので、カノくんも私も触れずに対応することにした。
「……じゃ、オレは食堂の掃除してくるから」
短く告げたカノくんは、隊長さんにペコリとお辞儀をすると食堂に続く廊下を歩いて行った。
隊長さんは人間だ。むやみやたらに敵意を向けなくなったとはいえ、カノくんにも気まずい部分があるのだろう。
それでも、こうした対応をするようになったこと自体がかなりの進歩である。
そこはデリケートな問題なので、カノくんのペースでやっていけたらいいと思う。
「驚いたな……」
カノくんの後ろ姿を目で追っていると、ハンモックに横たわったままの隊長さんから言葉が漏れた。
人間が亜獣人を蔑む一方で、亜獣人も好き好んで人間と関わりを持たない。
だからなのか、カノくんに会釈をされた隊長さんは、度肝を抜かれた表情をしている。
「だいぶお待たせしてしまってすみません。それと、当宿のお客様をここまで運んでくださって本当にありがとうございました」
改めてお礼を述べれば隊長さんは目を丸め、次の瞬間には可笑しそうに笑い始めた。
「そうかしこまるなって。そこまで丁寧に礼を言われるようなことしてないからな」
良い人だ。
ここまで運んでくれたことはもちろんそうだが、隊長さんは亜人であるキーさんを助けてくれた。
あの時、倒れた人物が亜人だと知るとわかりやすく距離をとっていた人々を思い出す。
嫌悪をあらわにする大勢の中で、隊長さんは手を貸してくれたのだ。
「……あの亜人の兄ちゃん、ここには長く泊まってんのか?」
「そうですね。今いる滞在中のお客様の中でも、長くご利用頂いています」
やんわりと濁しつつ答えると、隊長さんは「そうか」と言って目を伏せた。
何か考えているようだったが、そこには触れずに当初の目的である魔術薬をカウンターから引っ張り出す。
「遅くなってしまいましたが、こちらが約束の魔術薬です。確認をお願いしてもよろしいでしょうか?」
近くのテーブルに置いた魔術薬は、計十本。
その中の五本は、冒険者以外にも重宝されている負傷を治す傷用の回復薬だ。
「ああ、確かに」
そう言って、隊長さんは回復薬の瓶を一本手にする。
じっくりと中身を確認して、私のほうに目を向けた。
「……師は、いるのか?」
その質問に、肩が跳ねる。師と言われて瞬時に思いつくのは、師匠である。あ、もちろん黒猫のほう。
「いるか、いないかで聞かれれば、います」
勿体付けた言い方をしたけれど、それにはワケがある。
おそらく隊長さんは、効果の強い魔術薬を調合する私に、興味を抱いている。興味というより、この人の目から伝わるのは、詮索に近いのかもしれない。
そんな私に師事する人がいるならば、隊長さんが次に尋ねるのは――。
「こんな魔術薬を作っちまう嬢ちゃんの師匠だ。かなり名の知れた魔術使いなんじゃないのか?」
こういう質問だ。
うん、何となくわかってた。というか師匠に言われていたからね。この生活をもっと続けたいなら、安易に口を滑らすなよって。
「私の師がどれほどの魔術の使い手なのかは、私自身よく知らないんです。ただ私に、知識を教えてくれただけですから」
「その言い方だと、今も会っているわけじゃないのか?」
「――。はい、今はもう」
嘘だとしても、探りを入れられるくらいならば、こう言ったほうがいいのだろう。
そんな風に強く見つめられると胃が痛い。でも黒猫が師匠だなんて口が裂けても言えないし!
「……そうか。答えてくれてありがとよ。よくわかった」
私があまり話したくないのだと空気で伝わったのかもしれない。思ったよりも早く隊長さんはこの話題から引いてくれた。
「よし、これで全部だな。サハグリトエの毒で、こんな質の良い魔術薬が手に入るなんてよ。日頃の行いの結果だな!」
鞄に瓶を詰め込んだ隊長さんは、冗談めかして笑う。
「そういえば……どなたか知り合いの方にお渡しするんでしたっけ?」
「ん? ああ、そうだ。ま、なんて言うかな……私財だけは莫大にある魔術薬愛好者だな」
「それはそれは……」
どんな人か想像してみたが、想像つかなかった。
「って、そういや……嬢ちゃんから譲ってもらった物を、そいつに売りつけることになるんだが、嬢ちゃんは構わねぇのか?」
今気づいたというような顔をした隊長さん。あ、もしかして転売的な行為になることを気にしてるのかな。妙なところで慎重というか、律儀な人だなぁ。
「大丈夫ですよ。基本的に、人の手に渡ったものに口出しするつもりはないですし。そもそも先にサハグリトエの毒を譲ってもらったのは、こちらですからね」
「そうか……それじゃあ」
私の返答を聞くやいなや、隊長さんはこちらに手を差し出してきた。
目の前に大きな手がきたもんだから、反射的に私も握ってしまう。
「魔術薬、十本。確かに受け取った。ありがとな、嬢ちゃん」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
うわあ、握手ってちょっと照れる。凄いなぁ、さすが冒険者って感じ。手がゴツゴツしてて硬い。それに分厚い!
なんだか幾多の戦いを駆け抜けてきた戦士みたいな手だ。うん、実際は知らないけどね。例えてみただけ。
「ダン・ガーガイルだ。普段はあの双子と組んで冒険者をしている。改めて、よろしくな」
「あ……はい。ルナンです。こちらこそよろしくお願いいたします……?」
急な自己紹介に、疑問符が付いてしまう。
しかしよくよく考えてみたら、私って隊長さんの名前を知らなかった。隊長さんで通じてしまっていたので、不便もなかったし。
「今日のところは失礼するぜ。宿にうるさいガキどもを待たせてるんでな。じゃ、また露店で見かけたら寄らせて貰うぜ」
ひらひらと手を振りながら、隊長さん……改めダンさんが扉から外へ出て行った。
私も見送ろうと追いかけるが、なぜか姿が見当たらない。
「あやつ、風の魔術が多少なりとも使えるようだな。あの性格には似つかわしくないが、魔力の扱いが繊細じゃった」
辺りをきょろきょろとしていれば、屋根の上にいた師匠が私の右肩にふわりと着地した。
師匠の話によると、風を使って瞬く間に森を抜けて行ってしまったらしい。
「ダンさんも、魔術使いだったってこと?」
「いいや、魔術使いとは言わんな。魔術を主とするには魔力量も足りない。が、そこらにいる魔術をかじった程度の冒険者よりは扱い慣れているようだ」
世間でいう魔術使いというのは、多くの魔術を操り、魔術薬を調合することができる人のこと。
いわば魔術の道に深く精通した人たちのことを指す尊称だ。
そういった意味では、冒険者街にいる冒険者も、ダンさんも、魔術使いとまではいかなくても何かしら術が扱える人ということなのだろう。
「さて、そろそろ動くとするか」
師匠は話を切り上げ、欠伸をもらすと地面に降り立った。
「あれ、どこかに行くの?」
「散歩じゃ」
「あ、じゃあ……なにか珍しい薬草があったら採ってきてね」
「気が向いたらの。散歩は何も考えずにふらふらするのが良い」
と言いつつ、毎回珍しい薬草とか、お土産に持ってきてくれるんだよね。
「行ってらっしゃい、師匠」
ふりふりと尻尾を左右に揺らして応える姿に、この生活を一番に満喫しているのは師匠なのかもしれないと、密かに思った。




