63. ルナンという魔術使い
コクランの命の保証と、自由を。
そう進言したキーに、ラビ陛下は首を縦に振った。決死の思いで頼み込む彼に、いくつかの条件を提示して。
ひとつ、コクランが年相応に成長するまで、彼のお目付け役として職務を全うすること。
ひとつ、他者から反感を買わぬよう、キー自身がそれなりの役職と認められる地位まで上り詰めること。
上のふたつの条件を満たし、その時にもまだコクランが外の世界で自由に過ごすことを望んでいるのならば、期間を設けてそれを許可する。しかし必ず動向を追うこと。
どういった方法をとっても構わないが、彼の様子を記録し、逐一報告すること。
それがラビ陛下の条件である。
後から聞いた話、ラビ陛下はコクランの処刑をもともと考えていなかった。
コクランの母親であるセイランは、先々代の国王王妃両陛下の一人娘であり、幼少期の頃は王女として民との交流もあったという。
クロノスの民はセイランが愛妾として城に囚われていたことに心を痛めていた。そして亡きセイランと、コクトの間に生まれた子どもの存在を知り、民たちは総出で処刑の取り消しを申し出ていたのである。
クロノスの民たちは、王にコクランを望んでいたのだ。
コクランが王になるかはさておき、グレイス国に幽閉されているコクランの扱いは捕虜である。
しかしただの捕虜ではない。両国の重要人物のコクランには、立場がはっきりした守護役が必要だった。
――それから五年。
思い返せばキーとして生まれてから、一番死に物狂いで努力をした五年だったのではと彼は考える。
グレイス王国王立騎士団第一部隊所属の一隊員の肩書きであったキーは、今や『キング・ナイト』と呼ばれる立場にまで上り詰めた。
『キング・ナイト』とは、騎士団長と同等、またはそれ以上の権限を持った称号である。
騎士団という枠とは違い、個人の栄誉を称えて贈られる『キング・ナイト』は、グレイス国でもキーを除いて三人のみ。
王の名を授与された彼らは、王の剣であり、王の側近として責務を全うする。グレイス国に住む子どもならば誰もが一度は憧れる存在であった。
『キー、お前はしばらく休暇ね。五年も休まないで働いてくれるなんて、おかげで私は鬼畜呼ばわりされているよ』
ラビ陛下にそう言われたのは、コクランとキーがレリーレイクに到着する約半年ほど前だった。
捕虜として幽閉されていたコクランは、ようやく旅に出られるまでに体調が回復。
捕虜を自由にさせることに反対意見を述べていた者も、この五年という長い時間のうちに丸め込んだ。
『あの王子はまだ外の世界に憧れているようだね。まあ、多くの土地に足を運んで経験を積むのも悪くない。長く隔離されていたから、亜獣人がどう思われ、扱われているのかも曖昧なんだろう。あの子の目はまるで、夢見る少年のようだ』
『それでもコクランは、知ることを望んでいます』
『ふふ、そうだね。だからキー、お前がしっかり守ってあげるんだよ。あの子よりもお前が先に警戒して、疑って、見極めるんだ。……それはとても虚しく悲しいことだけれど、まだまだこの世界は』
――どんなに足掻いても、残酷だから。
最悪の事態が起こらないように、たとえ真の善人だとしてもまずは疑ってかかれ。そうすることで救われる命はたくさんあり、実際に救ってきたのだから。
そう告げたラビ陛下は、今までの彼の経験を物語っているような、虚しげな顔をしていた。
***
「私のなにが、そこまで気を張らせてしまっているんですか?」
そんな聞き方をする彼女に、キーの戸惑いは強くなった。
おかしな尋ね方をするものだ。
あれだけわざと不快になるような言動ばかりしてきたというのに、彼女はどうしてそこまで真っ直ぐな瞳を向けてくるのだろう。
自分ならば煩わしく思い、関わることすら億劫になる。
それだけ気分を害する態度を続けていることぐらいキーも自覚していた。
コクランの周囲を見守り、疑い、怪しい点があれば調査し、そして警戒を怠らない。時にはあからさまな態度をとって反応を窺う。それが休暇を与えられたキーの任務である。
はじめて顔を合わせた時から、ルナンがただの人間ではないと勘づいていた。
けれど調べても調べても『月の宿』の店主 ルナンに関しての情報はなく、キーの探りも過剰になっていった。
ルナンという人間の少女は、不可解な要素を多く持ち合わせた魔術使いだった。
冒険者街にいるルナンを知る人間たちは、みんな口を揃えて『愛想のいい子』と答える。
そして亜獣人宿泊可能の宿を営んでいると知っている者たちは、ルナンのことを密かに心配していた。
ルナンは亜獣人に特別な感情を持っているような印象があり、それは契約獣に対してもそうである。
亜獣人であろうが、契約獣であろうが、関係ない。自分にとっては変わらず"お客様"なのだと。
ルナンを探れば探るだけ、キーの脳裏にはどうしてもあの悪意の存在が現れる。
彼女の言動が、目色が、宿屋を営む理由が、どう足掻いても重なっていってしまう。
(……っ、また)
こちらを見据える薄紫色の目が、ぐにゃりと揺れて赤色の幻覚を生み出した。
亜獣人の国にいるときは気がつかなかった体の異変。
いつもそうだった。
相手が魔術使いと知らなくても、魔術使いの女性と対峙したときに視えてしまう忌々しいぼやけた幻覚。
そして頭が完全に相手を魔術使いだと認識した途端、ぼやけた幻覚は一気にあの女の姿を象って現れる。
まるでそこに実在するかのように、後ろに佇みこちらを嘲笑っているのは、一生忘れることのできない怨敵だった。
そうしてあの女は同じ言葉を囁くのだ。
『もっともっと疑わないとねぇ。それが出来ていたら、あの人たちも逃げられたかもしれないわぁ。ありがとうシンくん、あなたが素直な優しい子で』
――疑え。
ラビ陛下の言葉を抜きにしても、魔術使いの女性に対するキーの態度は等しく同じだった。
それはルナンを前にしても例外はない。
バードックスの件で彼女が魔術使いであることを明かしたときには、幻覚は今までで一番酷く鮮明に映っていた。
どんな仕組みなのかを調べてはみたが、けっきょくのところ大した情報は得られなかった。
「……キーさん! どうしました!?」
つくづく思う。ルナンという魔術使いは、とてもお人好しだと。
ついこの間まで……言ってしまえば今もだが、自分に敵意を向けている相手のことを心配できるなんて。
(だからコクランも、無意識に惹かれてしまっているのかなぁ……ああ、厄介だな)
キーは先日、コクランに言われたことを思い出す。
『──キー、お前には返せないほどの恩がある。そしてお前が俺の周囲を警戒していることも、それがお前の役目だということも、理解している。だが……だからといって、これ以上店主にあのような言動をするのは失礼に値する。そんなお前をこれ以上は見たくない』
あまりにもコクランが悲しそうにするので、キーはなにも言えなくなってしまった。
コクランはキーを友のような、それでいて兄のように慕っている。
どんなに尋ねてもその理由を教えてはくれないが、彼がコクランに対して今までどれだけ親身になってくれていたのかを知っている。
だからこそコクランは、キーの必要以上に威圧する振る舞いをやめて欲しかったのだ。
(調べても調べても、ろくな情報は出てこないし。良い機会だから街での様子を偵察しようかと思ってたのに……急に、目が、回る)
「ちょっ……どうしたんですか!?」
ルナンが血相を変える。
その場に膝をついたキーを支えようと手を伸ばすが、彼は反射的にその手を弾いてしまった。
パシン、と乾いた音が周囲に響く。
ルナンの動きがぴたりと止まった。そして、叩かれた自分の手を驚いたような様子で見ている。
「…………っ。ああ、その……あー、なんだろう。ごめんね、お嬢さん。ちょっと、ぼく……急用を思い出し」
ここは一度退散しよう。
そうしてキーが、鉛のように重くなった足に力を入れようとした時──。
「──うるさい」
いつもの彼女には珍しく低い声だった。
霞んだ視界に見えるのは、顔をうつむかせてゆらりと動くルナンの姿。
「あの!! 熱があることにすら気がつかない人は!! しばらく黙っててもらえません!?」
勢いよく顔をあげたルナンは、感情をむき出しにしてキーに食ってかかった。
そんなルナンが、いつもより幼く見える。
「……せっかくキーさんがどう思っているのか、これからどう付き合っていけばいいのか、聞けると思ってたのに……これは予想外というかなんというか」
「……っ」
今まで観察してきた『月の宿』店主としてのものではない。敬語は抜けきっていないが、きっとこれがルナンの素というものなんだろう。
カノとシュカを相手するときの雰囲気に似通っていた。
「文句も批判もあとで聞くので……って、うそ……思ったよりもひどい熱」
朦朧とする意識。
キーの熱を帯びる額に容赦なく手を置いたルナンは、そっと術をかけていた。
不思議と体中がぽかぽかとした温もりに包まれる。
既視感を覚える光。
空を照らす太陽よりも、それはあたたかく、優しい、どこか見覚えのある光だった。
ありがとうございました。
※次回、ルナン視点に戻ります。




