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56. 二度目の罪 その1

※キーさんの過去。


ブクマ&評価&誤字報告ありがとうございます(*_*)





『世界大戦』からおおよそ数百年後。あの頃に比べれば平和になったこの世界で、白狐の少年は二度目の生涯を送っていた。


 少年の名は、シン。

 ふた月ほど前に十三歳を迎えたばかりの亜人だ。


 美しい白銀の毛に覆われた尻尾には、不思議な模様の二本線がまとわりついている。一見すると蔓のような複雑な形のそれは、シンが母親の腹から出てきた時にはすでにあった。


 一本線は、一度目。

 二本線は、二度目。

 三本線は、三度目。


 その本数は、今の生が何度目かを表しているものであった。


 白狐の亜人は、短命である。

 理不尽な死を迎えた数多の命が、無念の末に子孫へ特殊な力を遺した。それが、記憶の引き継ぎだと云われている。

 その奇妙な言い伝えを初めて聞いたのは、一度目を生きていたときだった。話してくれた彼の両親の尻尾には、それぞれ似たような模様が二本ずつあった。


 記憶の引き継ぎを利用して、二度目からは要領良く生き抜こうとする者が大半を占めているのが現状だ。


 他人が聞けば信じることの難しい話ではあるが、白狐の亜人たちにとって繰り返されるそれは、いつしか白狐の血統の者なら当たり前に起こりうる一種の『遺伝』として扱われていた。


 暗黙の了解として、死んだ命の話を白狐の亜人同士がすることは避けられている。

 酒の席で口を割る者もいるだろうが、ほとんどは黙秘をしていた。

 誰だって自分の無残な最期など、喜んで語りたくはないのだから。


 シンは一度目、ノヴァという魔女に助けられた。

 あのときは複数いる魔女の中の一人だと思っていたが、彼女こそが始まりの魔女だったのだ。


 自分のことを黒魔女と呼んでいたノヴァも、この時代にはもういない。歴史書を漁ってみても『黒魔女』という言葉はどこにも出てこなかった。

 けれどノヴァだけが魔女の中でも『黒魔女』という特別な存在なのだと、シンは理解した。


 魔女は、絶滅したあともその名を馳せ続けている。すべてが真実とは限らないが、この時代でも魔女の力は人々にとって焦がれてやまない力だったのだ。


 今ならば……彼女が言っていたことの欠片ぐらいを理解できるのかもしれない。

 一度目の自分の一生を思い返して、シンはそんなことを考える。


 一度目の彼は、ノヴァと離れたあと、戦によって引き起こされた感染症にかかった。

 住む場所を追われ行くあてのない負傷した難民たちは、咳やくしゃみで病を体内に取り込み、治療が追いつかない者は、皮膚に白い苔のようなものを発症させた状態で転がっていたという。

 亜人に効く薬など、魔女の調合したもの以外にありはしなかった。


 彼の一度目の最後は、あまりにも寂しいものである。力尽きて木の幹に横たわり、全身を病原菌に侵され始めた体は自由が利かなくなっていった。

 一人で死ぬ孤独は、凄まじいものだった。


 少年は最後に両親を想った。

 ひそやかに暮らしていた森の中で、父親と母親の笑顔が今でも鮮明に思い出せる。逃がしてくれたのに、死んでしまってごめんなさい。

 不甲斐なさに心の中で何度も謝る少年の目には、涙すら滲んでこなかった。すでに枯れてしまったのだ。


 亜人である自分を助けてくれたノヴァには、感謝しかない。結局はこうなってしまったが、彼女を責めるという考えには至らなかった。

 ──魔女。黒魔女。

 それはきっと少年にとって、貴重な出会いだった。

 

 目が見えなくなり、思考も働かなくなる。

 音だけになった。遠くのほうから聞こえる爆発音が、また戦の幕開けを報せている。


 そこで、一度目の記憶は終わっている。



 二度目の彼は、亜人が統治する国の元に生まれた。数百年前は考えられなかったが、今現在……亜獣人の国が四つほど地図上に記載されている。


 シンが住んでいたのは、黒獅子が王族として君臨する『クロノス』という人口の八割が亜人となっている国だった。

 芸や舞、劇を生業とする流浪の一座の一人であったシンは、その噂を聞きつけた黒獅子の王の計らいでひと月の間、城に滞在することになっていた。


「シン! 王様が今すぐにシンの笛を聞かせろってさ」


 仲間のひとりが木の上で休憩していたシンに声をかける。


「はあ、またかぁ」

「まあまあそう言うなって、気に入られて一団としては儲けもんだろ?」

「はいはい、分かってますよ」


 数少ない白狐の亜人であるシンは、そのため息が出る風貌と才能のある芸で『クロノス』の王に目をかけられてしまった。

 一座としてはありがたいことでもあるし、シン自身も座長に恩返しができるので助かってはいる。


 シンはもともと、一座の座員ではなかった。

 五年ほど前に忽然と姿を消してしまった両親を見つけるため、こうして仲間になったのである。


 手がかりは何もない。だが、いなくなる前日まで共に暮らしていた優しい両親が突然いなくなるなどシンには考えられなかった。

 とはいえ五年も経っている。口には出さないが多少の諦めを見せ始めるシン。そんな中での城暮らしだった。


「つってもさ、俺ら全員を城の別棟に住まわせてくれるなんて、気前のいい王様だよな〜。人数だって少なくないのにさ」

「まあ……」

「なんだよシン、景気悪い顔して。そんなに心配するなって! 種類が白狐だから王様も気になって呼びつけるだけなんだからさ」


 バン、と背中を強めに叩かれ、シンは咳き込みながらも王様の待つ広間へと向かっていった。

 後ろから「しっかり稼いでこいよー!」という仲間の声が聞こえ、シンは振り返ることなく片手を挙げた。


 シンが王様に芸を披露するのが億劫なのは、やはり一人というのも理由に挙げられるが、一番は──目のやり場に困るからである。

 王の周りには日ごろ常々、愛妾と呼ばれる女性たちが多くいた。

 肌の露出が多い薄い布を身に纏うのは芸の一貫でもあるが、愛妾たちはそれを利用して王にしなだれ掛かるのである。


 ……目に悪い。というか気まずい。

 王は王で当たり前とでもいうように手を愛妾の白肌に滑らせ、愛妾は愛妾たちで誰が一番、王に気に入られるのか競っている。


 一座が勢揃いをして芸を披露する夕餉の刻では、王は姿を見せない。仕切りで囲まれ、その中から観賞しているので、その中身が入り乱れていようと外側から見える心配はなかった。

 だが、シンが一人で呼ばれるときは違った。他に関係者が城の臣下と下女のみであるため、わざわざ仕切りで囲う必要はないとシンにも王の姿が見えるようになっている。


 シンは平静を保ちながら笛を奏でる。一曲、二曲、三曲……に、移ろうとしていたとき。


「シン」


 王が言葉を発した。

 そして、我が物顔を晒しながらシンに告げる。


「お前は本日より奏者として、城にいろ」


 拒否権は、シンに与えられていなかった。



 ***


 一月後。

 役目を終えた一座は城を後にした。シンはひとりだけ奏者として城に残った。


 一国の王に、しかも城に仲間がいる状態で王の命令を拒否できるだけの力がシンにはなかった。

 また、これはシンの勝手な想像であるが、黒獅子の王に理屈は通じない気がしたのである。

 欲するものはすべて物にし、断ることは許さない。そんな空気が王からは醸し出されていた。


 座長を含め、一座の仲間は抗議する勢いで反対してくれていたが、この先のことを考えると彼らは王族と関わるべきではない。そんな気がした。

 だからシンは、ひとりで残ることを選んだ。


 王城お抱えの奏者としての目線から城内を見渡したとき、シンは現王の自堕落さにすぐさま気がついた。

 公務は姿こそ見せはするが、その裏は臣下が死に物狂いで執務に当たっている。

 王は気まぐれに肯か否かを言うだけで、あとは後宮に入り浸っていた。


 何となくだが城内のバランスが掴めたところで、シンの立ち回りは変わらない。

 自分は必要とされた時だけ、己の芸を披露する。それだけだった。

 とはいえ奏者としては暇な時間が多く、申し訳なさからシンは使用人の手伝いを率先しておこなっていた。


 城勤めが板についた頃、後宮の庭でシンはある女性と出会った。

 黒獅子の女性。

 ということは、王の愛妾のひとりだろう。王は未だに正妻を迎えていないため、導き出せる答えはそれだけである。


 けれど初めて見る顔だった。

 もう城にいる愛妾はすべて記憶したと思っていたシンであったが、これほど優美で華やかな人を見たことはない。

 黒い髪を靡かせそよ風を受ける女性は、視線に気がついてシンのほうへ鷹揚と足を進める。


「こんにちは。あなた、シンくんでしょう? お城の皆が噂していたから知ってるの。とても綺麗な男の子だって」


 そう言って花が咲くように女性は微笑んだ。とても儚い笑顔だとシンは不思議と感じた。


「ふふ、急に話しかけて驚かせてしまったわね。わたしは──セイラン。王の、愛妾のひとりよ」


 シンはすぐさまに跪いて頭を下げる。

 愛妾と言えど、シンとの身分は比べ物にならない。


「やめて、顔をあげて。今はわたし以外に誰もいないから。大丈夫よ」


 シンが恐る恐る顔をあげると、セイランの瞳は虚しそうに揺れていた。



 セイランは、王の愛妾のひとり。

 王が無理やり登城を言いつけた女性であった。


 王がセイランを正妻として置こうとしている事実は、長年城にいる使用人たちには知られていることである。

 だが、セイランが王になびくことは一度たりともない。


 後宮の裏手にある木に覆われた庭の中、そこにセイランはいつもいる。

 それを知っているのは、シンと、もう一人──王の臣下のひとり、コクトという黒狼の亜人の男だった。


 彼らが恋仲だとシンが知るのに時間はかからなかった。

 クロノス王国の前国王がセイランの両親であり、現王はセイランの従兄にあたる。

 両親がまだ王位に就いていた頃、セイランは王族の身分を返す臣籍降下をおこなった。そして西の方角にある領土のひとつを治めていたコクトの元に嫁いだのである。


 だが、状況は一変した。

 セイランの両親……つまり両陛下が王位を退き北の地で療養生活を送り始めると、王位継承権を持っていた現王が即位。

 その時期と全く同じくして、セイランは城に呼び戻されたのだ。

 もちろんそれは王女としてではなく──王の妻となるために。

 王は初めからその考えでいた。どこの誰に嫁ごうが、自分が即位した暁には権力を行使してセイランを手に入れると。


 こんな酷い略奪はない。

 馬鹿じゃないのかと、シンは怒っていた。


 夫であったコクトは、ただ愛する妻を奪われた被害者である。


 なぜ臣下として城に仕えているのか?

 シンがコクトに尋ねると、彼は言った。


「前両陛下にはお顔を知られてしまっているが、現王は私を認知していない。セイランだけを手に入れたかった彼は、私の名すら知らないだろう。だから弟に領土を譲り臣下になった。どんな形でも、セイランのそばにいることが私の幸せだったから」


 シンは彼らに幸せになって欲しいと心から思った。

それはシンだけではない。他の臣下も同情していたからこその計らいもあり王の耳に入ることなく、コクトはこうして臣下のひとりになれたのだろう。


 これは王に対する立派な反逆だ。元の事情はどうであれ王が妻にと望む女性と、こうして人目をはばかり密会している。

 だが、セイランとコクトの事情、そして思いを聞いてしまったシンに、それを王へ申し出るなど出来はしなかった。



「──子どもが、いるみたい」

 

 シンが頻繁に後宮の裏手の庭に顔を出すようになってから、数ヶ月が過ぎていた。

 いつも通りそこにいたセイランは開口一番、シンにそう告げた。


「……父親は」


 彼女の美貌に惚れた弱みなのか、現王はセイランが拒めば夜伽を迫ろうとはしない。

 いずれは手に入る。そんな余裕すらある王は、別の愛妾とまぐあい欲を満たしていたのだ。


 つまり、ということは。


「……コクト、さん?」


 複雑そうに歪められた顔が、シンの胸を締めつける。

 それは普通の夫婦ならば純粋に喜ばしい報告であるのに、セイランの立場では、それができない。


 どうしようもないほどに胸を打つ嬉しさと、そこに混じり込む絶望にも似た恐れ。

 その時すでに、セイランの決意は固まっていたのかもしれない。


「──シン、わたしは、この子を死なせたくない」


 セイランがわずかに宿る生命を撫でる。


 ……二度目は、もっと長生きできたらいいな。

 そんな淡い思いの中で生きてきたシンは、一度目と比べれば五年も長く生きている。


 セイランとコクトの願いが、太い棘だらけの茨の道で、無事では済まないことなど分かっていた。


 それでもシンが、頷いてしまったのは。

 彼らの温かさと、優しさを、一番近くで見てきたからである。


 自分の罪は、まずどれだろう?


 彼らの幸せを望んだこと?

 産ませたいと願ったこと?

 お人好しすぎたこと?

 出来るかもしれないと、無謀にも思ったこと?

 逃亡に加担してしまったこと?


 それを含めて、あまりにも自身が──他人を信じてしまったことだ。


 差し伸べられた手が、ノヴァと似ていると思ってしまった。それは大間違いであったのに。


 あの手を掴んでいなければ、人間の惨忍さを、身をもって知りはしなかった。



 逃亡まで──あと半年。




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