50. オレンジ色の空の人
「あれー! トペちゃんたち、もう出発しちゃった!?」
バンッと、入り口の扉が開け放たれる。
振り向くと、身なりを整えたユウハさんが残念そうに眉を下げてため息を吐いていた。
「ユウハさん、その格好……」
「あ、そうなの! 急なんだけど、あたしもこれから次の目的地に行こうと思って〜」
「ええ!? 今からですかっ」
初日と同じような格好をしたユウハさんは、ヨッサンさんやトペくんに比べるとかなりの軽装である。大荷物もなければ荷車もない。これから旅を進めるというのに、正直心もとない装備で心配になった。
「えへへ、実は昨日の夜に決めたんだ〜。そうだ、明日の朝に出発しようって。毎度のことなんだけど、あたしって急に決める癖があって」
「そうみたいですね」
決断力が凄まじい。もはや尊敬に値する。その自由な感じも、ある意味ユウハさんの持ち味なのかもしれないけれど。
「街で買ったものとかは、もう積んであるんだぁ〜。だからあとは、あたしが乗るだけ」
「え? 乗るだけって……」
建物の前には、馬車があるわけでもない。いったい何に積んだというのか、話がさっぱり見えてこなかった。
隣に立つシュカちゃんも、あたりを見回している。うん、馬とかが隠れているわけでもなさそうだ。
「ユウハおねえちゃんって、やっぱり」
周辺を確認したシュカちゃんが、ユウハさんを見上げ、なにかを確信したように呟いた。
「んー? ……やっぱり亜人のシュカちゃんにはわかっちゃったかぁ。そうだよねぇ」
「え? え? どういうことですか??」
だめ、むり、さっぱりわからない。これだけ蚊帳の外だとさすがの私も焦るというか、本当にどういうこと!?
ユウハさんとシュカちゃんの顔を交互に何度も見る。その様子がかなり面白かったようで、ケラケラと笑い声をあげたユウハさんは、目尻に浮かんだ涙を拭ってみせた。
「あははは! ごめんごめん、ルナンさん。意味わかんないよね」
「はい、もう。なにがなんだか」
「うーんと、そうだなぁ。……あ、その前に! ルナンさんが知りたがってたことあったよねっ」
「えっと……」
すぐに思いつかなかった私を見て、ユウハさんは笑いながら教えてくれた。
「どうしてあたしがルナンさんに協力的なのか。バードックスのことで、ルナンさんなら解決できるって言ったか、だよ」
「……ああ!」
そういえば、そんな話をユウハさんとしていた。タイミングを逃してしっかり話せていなかったけれど。
思い出した、という仕草で頭を上下に動かすと、ユウハさんは相変わらず笑顔のまま私のそばへ寄ってくる。
そして、そっと片手を私の耳元に添えた。内緒話をするように、私にだけ聞こえるように配慮しているみたいだ。
……すっごいデジャヴなんだけど。トペくんに続いてユウハさんまで、またひそひそ話のポーズ?
「あたしね」
ユウハさんは、耳元で囁いた。
とんでもないことを、さらりと。
「ルナンさんが──魔女だって、気づいてた」
***
ユウハさんの言葉を聞いた瞬間、私は彼女から素早く離れ、囁かれた耳元を手で押さえた。
「……え、あの。え?」
「あはは。ルナンさん、顔に出過ぎだよぉ〜。街で号外が配られてたときは冷静だったのにぃ〜」
疑問ではなく、そうであるとわかっていての口調。ユウハさんは完全に私が魔女だと知っていて話をしていた。
「…………知っていたんですか? どうして、どこで?」
「うーん、わりと初めから? だからバードックスのことも、ルナンさんなら大丈夫って言えたんだよ」
雷に打たれたような衝撃が脳天から全身に駆け巡った。
わりと初めからって、そんなまさか。
「ああ、ルナンさんの言動でわかったとかじゃなくて。これはあたしが特殊なだけだからっ」
「ユウハさんが、特殊、ですか」
「そう。うーんと、ルナンさんの魔力の香りがね、あたしの知ってる……魔女と、似ていたから」
気を使って「魔女」という単語を小声で言っているユウハさんは、人差し指を自分の鼻に向けた。
すんすんと、分かりやすく匂いを嗅ぐ仕草を繰り返している。
「うん、やっぱり似てるんだよね。ルナンさんの魔力の香りと、あたしの故郷の土地に染みついてる魔女の魔力の香りが」
確かに魔力の香りは、人それぞれにある。魔力そのものの香り、また残り香など、分かる人には分かってしまうものだけれど。
「私……そんなに匂います?」
「ううん、こればっかりは慣れてないと無理かも。あたしは生まれた時から、そういうものって教えてもらってたから分かるだけで」
ぽりぽりと頬を掻くユウハさんは、私を安心させるためか、話を付け足した。
「でも、普通にしてればわかんないから! 術を使っても大抵は魔術って誤魔化せると思うし。隠してるんだもんね? 絶対に言わないから、心配しないでっ」
信じて、といきなり真剣な目で見てくるものだから、私は何も言えず首を縦に動かしてしまった。
ユウハさんが私の正体を明るみにして何かを企んでるとか、悪用するとか、そんなことを思っていたわけではない。
魔女だと知られていたことには驚いたけれど、ユウハさんが能力を利用するような輩にはどうしても見えなかった。
「って、あたしばかり知ってるなんて、なんか嫌だよね。ちょっと待ってね、もう少しで来るから」
そう言って、ユウハさんは首に掛けてあるネックレスのチェーンに触れる。
くいっと引っ張り上げられたネックレスの先端には、銀色に輝く小さな笛が取り付けられていた。
ピィ――――。
おもむろに、ユウハさんが笛の先端を咥え、息を吹き込んだ。
この透き通った細い音には聞き覚えがある。
そうだ、ユウハさんが初めてペンションに訪れたとき、彼女が現れる前に聞こえた音と今の笛の音は同じなのだ。
「あ、きたきた」
そよそよと、風が流れてくる。
その風を感じるように、ユウハさんは目を閉じて空を仰いでいる。
「ルナンさん。あたしね、人間じゃないの」
そう、言葉にしたユウハさんの艶やかなオレンジ色の髪が、激しく靡いた──その時。
凄まじい強風が、体の横を吹き抜けた。
堪らず目を瞑る私の耳に聞こえてきたのは、地面が揺れるほどの生き物の鳴き声。
『ユウハ、迎えに来た』
空から影が差し込んだ。雲もなく、木々が邪魔をしているわけでもない。
けれど私たちが立つ場所を中心に影ができている。
その影の正体が、たった今、空に現れた生き物によって作り出されたものなのだと理解するのに時間はかからなかった。
「……ドラゴン」
橙色の鱗を身に纏うそれは、紛れもなくドラゴン。生まれて初めて見るドラゴンではあったけれど、書物を読み漁っていたときに似たような絵を見たことがある。
人間でも、亜獣人でもない──竜人と呼ばれる種族のみが使役できるという、鋭利な爪と牙を持ち、トカゲのような尻尾と、コウモリに似た翼を生やした生物。
竜人は、私たちと住む場所が違う。ゆえにこうして使役されたドラゴンを見ることだって、本当ならば一生に一度あるかないかなのである。
「ユウハさん。あなたは、竜人だったんですね」
「うん、そうなの。見て、ここ」
ユウハさんが耳横の髪を掻き上げる。耳裏の肌には、上空を飛んでいるドラゴンと酷似した鱗が生えていた。
隠すのも無理はない。地上で暮らす人々にとって、竜人は天上人のようなものなのだ。同じ世界に存在していても、住む世界が異なる種族である。
「あたしね、リューちゃんに乗っていろんな国を旅してるの。あ、リューちゃんってあのドラゴンのことね?」
「可愛い名前ですね」
「ふふ、男の子だけどね。それで、リューちゃんと旅して、降りたその土地の情報をまとめて紹介してるんだ。この国のこのお店の料理は美味しいよとか、こんな物が売ってるとか」
なるほど。旅行雑誌みたいなものかな。訪れた国の身近な情報を、冒険者向けにギルドで紹介したり、おすすめの宿をピックアップしたり。そういったところが旅行誌と似ている気がする。
「今のうちに、世界を見ておきたいから」
「……今のうち?」
「うん。あたし、これでも跡継ぎなの。あたし以外に代わりはいないから、もう強制的にねっ? でも、跡を継ぐ前に自分が知らない世界を知っておきたいって思ったの。だから、国のみんなにわがままを言って旅してるんだぁ」
ユウハさんは、自分の役目をしっかりと受け止めているみたいだった。
自由奔放な人だと思って見ていたけれど、ゆくゆくは背負う立場の人になるのだと分かると、いつもの突拍子のない行動は、今しかできないことだからと全力で楽しもうとしている気持ちの表れなのだろうか。
「綺麗ですね、リューちゃん。ユウハさんの髪の色と同じで」
そう言うと、ユウハさんは珍しくド肝を抜かれた表情をした。
けれど、すぐにはにかんだ笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ルナンさん。リューちゃんにも言ってあげないとね」
『ユウハ、まだか。同じ場所をぐるぐるといつまで飛ばせる気だ。置いていくぞ』
「そんなこと言ってー! 待っててくれるくせに〜」
リューちゃんが鳴き声をあげながら、そんなことをユウハさんに言っている。
ドラゴンの鳴き声って、想像していたのと全然違う。荒々しく「グギャァァア」と発するのかと思いきや、音色のような鳴き声をしていた。
どう説明したらいいのか……本当に音色に近い。大きな鐘の音に、若干似ているような。
「リューちゃんも待ってるし、あたしもそろそろ行こっかなぁ」
「あの、ユウハさん……結局あまり疑問が解消されていない気がするんですけど」
「あれ? そうだっけ」
ん? 私の理解が追いつかないだけなの?
ユウハさんの正体は竜人だった。竜人だから私が魔女だって勘づいたってこと? それとも、竜人のユウハさんだから?
「ええと、どこまで説明していいのかあたしも聞いてないんだけど。あのね、ルナンさん。竜人にとって魔女は、神様に近い存在なの。それで、竜人の国にある神殿には、今も魔女の魔力が封じ込められてるのね?」
でた。魔女が崇められているパターン。
「どうして、竜人の国の神殿に、魔女の魔力が……?」
「それは、もともと地上にあった竜人の国を天に浮かせたのが、魔女で──」
『おい、ユウハ』
そこで、空から待ったの声がかかった。
「なに、リューちゃん」
『それはおそらく、機密事項のはずだ。他の種族に教えてはならない』
「えー! だってルナンさんだよ!? リューちゃんだってわかるでしょ! なんで言っちゃダメなの?」
『ユウハはまだ、その権限を得ていない。教えたければ王に了承を得るか、お前が早く王になれ』
「……嫌ですぅ。あと二十年は旅するって決めてるんですぅ」
ユウハさんが空のドラゴンに向かって抗議をしている。
突っ込みどころ満載過ぎると、何を聞けばいいのか分からなくなるらしい。ちょっと頭が追いついていない。
「……シュカちゃん、大丈夫?」
「だい、じょうぶ……!」
ずっと強風が吹き荒れているため、足元がおぼつかないシュカちゃんは、私の腰にしがみついている。
こう、あれだね。いろいろ情報があり過ぎると、一周まわって周囲を静観できるようだ。
とりあえず、シュカちゃんが飛ばされないように、保護の術を体にかけておいた。
『本当に置いていくぞ』
「ま、待ってよ! ごめんね、ルナンさん。説明しようと思ったんだけど、まだ言ったらいけないみたい。次までに大丈夫な範囲を聞いておくねっ」
「は、はあ……」
まあ、魔女だとおおやけに言われないのなら、それでいいのだけれど。
知られる前ならいくらでも誤魔化しが効くけれど、知られた後の対処なんて限られてくる。
本気を出せば魔女術で記憶の操作も可能だが、そんな高度な術は習得していない。
「それじゃあ、ルナンさん。お世話になりました。いろいろ大変だと思うけど、応援してる! 次の国でも、この宿はおすすめって、亜獣人のみんなに伝えるから。あたしもまた来るねっ」
ユウハさんが言うと、本当に来てくれる気がした。ドラゴンという高速の移動手段もあるから余計にそう思うのだろう。
「……それと、あんまり深くは関わらなかったけど。コクランさんもキーさんも、なんか訳ありみたいだよね。警戒されてるけど、ルナンさんが思った通りにすればきっと大丈夫!」
「はは……そうだと、いいんですけど」
「だーいじょうぶっ。だってルナンさん……亜獣人のこと、大好きでしょ? そんな感じするもん」
「そうですね。ふわふわの毛並みを見ると、心が躍ります」
真面目に答えると、横にいるシュカちゃんの耳がピンと真っ直ぐに立った。あ、嬉しそう。
「ほら、そんなルナンさんだもん。大丈夫」
ふんわりと微笑んだユウハさんは、もう一度、首に掛けられた笛を口に咥えた。
「わぁっ」
ピィーーっと音が鳴ると、また風が強く流れ込んでくる。
空に向かって舞い上がっていくような風は、目の前にいたはずのユウハさんの姿を跡形もなく消し去った。
「ルナンさーん! シュカちゃーん! 元気でねー!」
上空を確かめると、飛び回っていたドラゴンリューちゃんの背から下を覗き込むようにして、ユウハさんが手を振っている。
今の疾風でドラゴンの背まで移動したらしい。ユウハさんには風を操る力があるみたいだ。
「……っあ! ユウハさん! 代金お返ししてないです!」
もともと七日程度の滞在予定だったので、チェックインの際に七日分の料金を頂いていた。すなわち三日分は返金しないといけないのだけれど。
「いいよいいよ、余った分は貰って!」
「それはちょっと……」
チェックインのときも、早く出発した際の残りの代金は迷惑料として受け取ってと言われていた。
迷惑どころか、ユウハさんがいたおかげでサハグリトエの毒を手に入れることができて、本当に感謝しているというのに。
料金関係ってトラブルになりやすいから、地球でも慎重になっていた。それが身についているからか、こうして渋ってしまう。宿側がサービスするのはいいけれど、逆だとね、金額も少なくないから。
「うーん。なら、次に来た時の宿代として預かっててっ」
「……分かりました。預かっておきますね」
はなから返金される気がなかったユウハさんには、それが妥協案のようだ。
もう仕方がないので、その通りにしようと思う。引き際と臨機応変な対応は大切なのでね……。
「ありがとうルナンさん! それじゃあ、またねっ」
ドラゴンの翼が上下に大きく動く。鐘のような鳴き声とともに、ユウハさんを乗せたリューちゃんは、より上空へ舞い上がった。
目立った鱗の色は、ここからでもキラキラと輝いている。
白い雲を突き抜けたところで、その姿は完全に見えなくなった。
「……はあー、すごいね。まさか竜人だったなんて。シュカちゃん、竜人だって気づいてたんだ」
「うん。亜獣人とも、人間とも、違ってたから」
シュカちゃんによると、今ペンションにいる滞在客も含め、ヨッサンさんやトペくんも薄々感づいてはいたらしい。
だから皆、ユウハさんのことを初対面でも受け入れていたんだ。鼻が利く亜獣人にとって匂いは重要だからね。人間ではない、竜人の匂いは無意識に亜獣人である彼らと似ている部分があったようである。
「……一気に静かになったなぁ」
総合して、やはりユウハさんは不思議な人だったけれど。
オレンジ色の竜に乗って空を飛んだユウハさんの姿は、とても絵になっていた。
竜人であることを抜きにしても、太陽のように明るい性格のユウハさんには、どこまでも続く壮大な空が似合っているなと、私は密かに思った。




