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48. ウサギ兄妹のこれから



「きゃあああ!」


 祝いの席に、女性の悲鳴が響いた。


 笛の澄んだ音色は途切れ、踊りを踊っていた者たちの足がピタリと止まる。

 青い顔をした皆の視線が一方に集まった。


 そこには、首にナイフを突きつけられたシュカと同じ年頃の女の子の姿があり、その背後には人間の男が立っていたのだ。

 一人や二人ではない。いつの間にか大勢の人間が村中を囲んでおり、にやにやと不敵な笑みを浮かべている。


「にん、げん? なんで、ここに……シュカ、後ろに隠れてて」


 戸惑った様子で呟いたカノは、シュカを背後に隠そうとした。

 その動きに気づいた山賊の男の一人が、シュカを見てにたりと笑う。


「ああ、そこの嬢ちゃん。ありがとよ、近くまで案内してくれて。けははは!」

「え、どういうこと? シュカ」

「あ、あ……」


 シュカは森で追われたときのことを思い出す。そうだ、自分を追いかけて来た奴らと、今目の前にいる人間は同じ顔をしている。

 人間に対して危機感が薄かったシュカでも、このただならぬ空気に身震いした。


「ミーちゃんをはなせ!」


 突然、囚われた少女を助けようと少年が飛び出した。ふたりが同年代の、仲の良い友達同士なのは村の誰もが知っている。

 無謀にも山賊の男に飛びかかった少年に、大人たちは声をあげた。

 人間のことは言い聞かせているはずなのに、やはり小さな子どもでは理解に限界があったのだ。


「あぁ? 邪魔くせぇガキだな」


 山賊のひとりが、剣を振り下ろす。その刃は、無惨にも小さな少年の体を引き裂いた。


「いやあああ!」


 斬られた少年の母親らしき女性の悲鳴が辺りに響き渡る。それでも動くことができないのは、もう一人向こうに囚われた少女がいたからだった。


 そして、幼いながら自分がしでかした事態を、シュカは瞬時に理解する。


「……シュカの、せい……?」



 ***



 あとのことは、今も思い出すたび吐き気に見舞われる。

 子どもを人質にされ、手が出せない大人たちに山賊は容赦がなかった。

 誰かの放った火が建物に燃え移り、黒煙で覆われる中、カノとシュカの両親は決死の思いで行動に出た。


「カノ、シュカ。お願い逃げて! あなた達だけでも、お願い……!」


 こうなってしまっては何もかもが手遅れだった。むせ返る血と焼ける臭い。

 カノとシュカの両親は、混乱の中ふたりを村の外へ逃がした。


「父さん、母さん……!」


 カノはシュカの手を引き追っ手を撒きながら走り続け、途中、大きな木の穴に身を隠して夜を明かした。

 

 次の日、行くあてのなかったカノは、再び村に戻った。

 山賊たちはすでにおらず、残された多くの亡骸と焼け跡に絶望を突きつけられる。


「……」


 無言で歩くカノの後ろを、シュカはただひたすらについて歩いた。

 こうなったのは、すべて自分が原因である。

 必死について歩かなければ、シュカはカノに置いていかれる気がしたのだ。


 昨日までの村の景色がまるで嘘のように、そこには何も無かった。

 焼けた大地がどこまでも続き、ふとカノはその場に立ち止まる。

 そこには、二つの亡骸があった。


「父さん、母さん」


 両膝をついて項垂れるカノに、シュカはなんと声をかければいいのかわからなかった。

 息絶えた父と母は、耳と尾が切り取られ、閉じられた両の目からは赤い血が流れている。


「……んで、」


 カノの声に、シュカはビクリと肩を揺らした。


「なんで、言わなかったの? ねぇ、シュカ。あいつらと、どこで会った?」

「あ、の……」


 言いたいのに、言葉が出てこない。自分のせいで村が襲われた。自分のせいで村の皆が殺された。自分のせいで両親が死んでしまった。

 いくらカノを喜ばせたかったからとはいえ、なんの言い訳もできず、初めて見る兄の表情に体の芯がどんどん冷たくなっていく。


「どうして、どうしてなんだよっ!!」

「……あっ」


 カノは、地面を思い切り殴りつける。行き場のない怒りをぶつけるように、何度も、何度も拳を振るった。

 ピシャッと血飛沫が飛び、カノの手は痛々しく血塗れになる。


「おに、ちゃ、」

「……っ! 触るな!」


 止めようと伸ばしたシュカの手を、カノは拒んだ。よろけて尻もちをついたシュカに目もくれずに、カノは両親の亡骸をじっと見ている。


「ごめんな、さい。ごめんな、さ……」


 シュカの言葉を遮るように、カノは叫んだ。


「にんげん、にんげん、にんげん……! みんな、人間が殺した!! 人間がっ!!」


 シュカの言葉は、カノに届いていない。


「あああっ……!!」


 痛々しい叫びが異臭漂う村に響く。

 涙と憎しみに染まったカノの瞳は、もうシュカを映してはくれなかった。



「――ごめん、なさい」



 ***



 声が聞こえた気がして、カノはゆっくりと目を開いた。

 目線だけを動かして、周囲を確かめる。


 すぐ傍には大きな窓ガラスがあり、暖かな日差しが部屋の中に入り込んでいた。

 ここはどこだろう。

 全く身に覚えのない部屋に困惑するカノだったが、自分の状況よりも、あることが頭をかすめる。


「……シュカっ!!」


 ガバッと騒々しく上体を起こしたカノだったが、すぐに気がついた。

 ベッドの端に両腕をつき頭を預けて眠る、シュカの姿に。


「……シュカ、よかった」


 すやすやと寝息を立てて眠るシュカは、目元に隈はあるものの、熱病はすっかり治った様子だった。

 あの魔女の少女が言ったことに嘘はなかったのだ。そして恐らく、自分が寝かせてもらっているこの場所も、彼女が言っていたペンションの一室なのだろう。


「シュカ……ごめん。心配かけたよね」


 そっと、シュカの目元に触れたカノは、優しく頬を撫でた。

 ……こうして妹の顔をしっかりと見るのは、いつぶりだろうか。

 情けないことに、あの日からカノは、シュカと面と向かって話したことがあまりなかった。悲しい記憶を思い出してしまうから。それを避けるように、シュカを避けていたのだ。


 焼け落ちた村を離れ、隠れて乗船したカノとシュカは、冒険者街で知られるレリーレイクに行き着いた。

 亜獣人のみで成り立った街の北側に足を踏み入れたカノは、生きるために娼館で下働きを始めたのだ。

 兄妹揃って別館の物置部屋に住まわせてもらう代わりに、毎日のように身を粉にしてカノは働いた。

 働き詰めならあの夜のことを忘れられる。シュカとも仕事を言い訳にして会話もそこそこに床についていたのだ。

 きっとシュカも気づいていただろう。顔を合わせることを避け、自分が働いていたことに。


 けれど、そんな生活が数年続いたある日、カノは後悔する羽目になった。

 シュカが熱病にかかり、危険な状態になってしまったのだ。

 元々は自分がかかっていた病が移ってしまったのである。シュカは、自分の熱病を治すために街で魔術薬を買ったのだという。

 少ない給金から、菓子のひとつでも買えるようにとシュカに与えていたわずかなお金。そのすべてをはたいてカノのために薬を手に入れたシュカのおかげで熱病は治ったが、今度はシュカが患ってしまった。


 あの日からシュカと目を合わせていなかったカノは、衰弱していく妹の姿に後悔したのだ。

 ──なぜ、向き合わなかったのかと。自分のために魔術薬まで手に入れてくれた妹を、病で失うかもしれない。堪らなく怖かった。



「……ん、んん」

「……!」


 ぼうっとシュカの寝顔を眺めていたカノは、驚いて目を見開いた。


「……カノお兄ちゃん?」


 シュカと、目が合ったからだ。

 

「シュカ」


 名前を呼ぶと、シュカの体が跳ね上がった。

 ぱくぱくと口を動かしているが、なかなか言葉が出てこないのか、ふたりの間に沈黙が訪れてしまう。


 カノもなんて声をかけるのが正解なのか見つけられずにいた。

 あの日から本心を言ったことがなかったから。一緒に生活していたというのに、あの日から逃げて、ずっと目を背けていたから。


「シュカ、あのね」

「――ごめん、なさい」


 カノの言葉よりも、シュカの声音が上回った。

 震えながら紡がれた声は、また、繰り返し繰り返しカノに向かって言い放たれる。


「ごめ、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい。カノお兄ちゃん、ごめんなさいっ。シュカのせいで、また、こんなことになって……ひっぐ、ごめ、なさいい」


 堰を切ったように、シュカのまん丸の瞳から零れ落ちる涙に、カノは戸惑いを隠せなかった。


 シュカは、あの夜を境に涙を流したことがなかった。というよりは、カノの前で泣いたことがなかったのだろう。

 その事実にすら今ごろ気づいた自分に、カノは情けなくて仕方がなかった。

 

「シュカ、待って。オレは」


 カノがおろおろとシュカに寄り添うが、その嗚咽が止まることはない。


「ぐすっ……ずっと、言いたかったのっ、シュカ、おにいちゃんに。ごめんなさいって……」

「……シュカ」

「ごめ、なさ……シュカ、生きてて、ごめんなさい」


 その言葉にカノの動きがピタリと止まる。

 ぐずぐずと泣き続けるシュカは、本気で言っていた。


「お父さんも、お母さんも、死んじゃったのに。シュカだけ、生きてて、ごめん、な、さい」


 なんて残酷な言葉を言わせてしまっているのだろう。

 生きていてごめんなさい、なんて。

 腫れ上がった目を擦るシュカを前に、カノの瞳からも同じように涙がこぼれ落ちた。


 あの日の出来事は、起きてしまった原因は、確かにシュカにあった。

 その結果、山賊を村に招いてしまった。

 けれど、村を壊したのはシュカではない、山賊だ。


「ごめ、なさい。シュカが、生きてて、ごめ、なしゃい」


 ちがう。そんなことを言わせたかったわけじゃない。

 本当はもっと早くに言わなければいけなかったのに。


「ちがう、ちがうよ、シュカ」


 カノは、シュカの小さな体をぎゅっと抱きしめた。

ただ真っ直ぐと前を見据えて、力いっぱいに抱きしめる。


「シュカ、生きていてくれてありがとう」


 頭の後ろにそっと触れ、カノは優しくシュカの耳を撫でた。


「シュカだけでも、生き残ってくれて、ありがとう」

「……でも、でも、シュカはっ」

「あれは、シュカだけのせいじゃない。もっとオレが確かめれば良かったのに。聞かなかったから」

「……ちがうよぉ。カノお兄ちゃんは、なにも悪くない……」


 カノの胸に顔をうずめたシュカは、頭を何度も横に振った。


「ごめんね、シュカ。オレ、ずっとシュカの話聞いてあげられなかった」


 ずっとずっと、あの日のことを切り出そうとするシュカの声に聞こえないフリをしていた。


「……ううん、そんなことないっ」

「熱が治って良かった。シュカが元気になってくれて嬉しい。ありがとう、シュカ」

「どうして、ありがとうなの……?」

「傍に居てくれてありがとうの、ありがとうだよ」

「……おに、ちゃん、う、うああんっ」

「……」


 堰を切ったように、しっかりとしがみついて涙するシュカの体を、カノは自分の腕をさらに広げて包み込んだ。

 懐かしい匂いと、こんなに大きくなってくれたのだという兄としての温かな気持ちがカノの中で膨らんでいく。


『シュカが居て、父さんと母さんが居て、村のみんなが居て、楽しく過ごせるならそれでいいんだから』


 ……あの日思い描いた幸せの形が、叶うことはもうない。

 けれど、これからは。

 別の幸せの形を、妹と一緒に探していこう。



『二人がこれからも、ずっと仲の良い兄妹でいてくれますように』


 

 ◆



「……うう、ずびっ」

「おいおい、ルナン。顔が大惨事だぞ。汁を垂らすんじゃない」

「汁って言わないでくれない。これ涙だから」

「……んん?」


 シュカが泣き止むのを待っていたカノであったが、扉の外から聞こえた声に動きを止めた。


「シュカ、ちょっとそこの扉開けてくれる?」

「うん」


 泣き止んだシュカは、こくりと頷くと扉の前まで歩いてドアノブに触った。

 もともと扉は半開きになっていたようで、つまり外にいる者に話は筒抜けだったということだ。


「聞く気はなかったんだけど、離れるタイミング逃しちゃったよね。どうしよう、師匠……って、わ! シュカちゃん!?」


 シュカが扉を全開にすると、そこにはルナンと黒猫の姿があった。

 黒猫は器用にルナンの肩の上に座っていたが、扉が開かれると軽やかに床に着地して堂々と部屋に入って来た。


「ちょっと師匠、待って」

「あんた、いつから聞いてたわけ……」

「ええと、ですね」


 呆れた顔をするカノに、ルナンはしどろもどろになっている。


「まあよかろう、小僧。ふむ、揃いも揃って酷い顔をしておるのう」


 シュカにつられて泣いてしまったカノは、涙のあとやらで酷い有様だった。それはシュカも同様、なんなら盗み聞きをしてしまっていたルナンも似たり寄ったりである。


 いきなり現れたひとりと一匹に、落ち着かない様子のカノは、素直に思ったことを口にした。


「な、なんで、猫が喋ってるの?」

「あ。やっぱり師匠、カノくんにも言葉が聞こえるようにしたんだ」

「ああ。そのほうが、この先都合がよかろう?」

「うーん、そうだけど。まだ決まったわけじゃないし……」


 何やら悩んだ様子のルナンだが、カノが求める答えは未だ返ってこない。

 なぜ、猫の話す言葉が自分に分かるのか。契約獣ではない、普通の猫のように見えるのに。


「……いろいろ、頭が追いついてないんだけどさ」


 数々の疑問を一度胸の奥に押し込め、カノはルナンに向き直った。


「カノくん、どうしたの?」

「……ありがとう、その、助けてくれて」

「ええ?」


 素っ頓狂な声をあげたルナンは、まじまじとカノを見つめた。まさかお礼を言われるだなんて、思ってもみなかったらしい。


「オレをなんだと思ってるんだよ!」

「いや、だって……カノくんたちにも事情はあるだろうし、こんなに面と向かってお礼を言われるなんて」


 とはいえ、こちらが本来のカノの性格に近いのかもしれない。

 そう感じたルナンは深くは突っ込まず、カノの言葉を受け入れた。


「それで、なんでオレは猫の言葉がわかるの? これも、魔女の力なの?」


 ちらりとカノは、ルナンを見る。

隣にいるシュカは、魔女と聞いても驚いた様子がない。ルナンが前もって自分の正体を明かしたらしい。


「いや、これは師匠の……この猫単体の力だよ。残念ながら仕組みは私も不明なんだけどね」

「ふーん……そうなの」


 興味深そうにカノは師匠を確認する。そういえば、バードックスの住処でもルナンの近くにいた。


「いろいろと訊きたいことはあるとは思うけど、何から話そう?」

「……」


 ルナンにそう言われて、カノは押し黙った。

警戒していないわけではないが、彼女は命の恩人である。それも、かなり体を張って自分を助けてくれた。

 街でたまたま遭遇したときのような態度をとるつもりも、無闇に反発するつもりも今のカノにはない。


「……あんた、一体なにを企んでるの?」


 べつに悪い意味で言ったわけではなかった。ただ、ルナンの顔はあまりにも何かを言いたそうにしていたから。

 カノはつい、尋ねてしまった。


「うん、単刀直入に言っておくね」


 ルナンは一度、師匠と呼ばれた猫に目を向け、こくりと頷く。

 そして、カノとシュカににっこりと笑いかける。


「カノくん。シュカちゃんと一緒に兄妹揃って、ここで働いてみない?」

「……は?」


 想像の斜め上の返答に、カノは間抜けな声を発する。


「……あのね、お兄ちゃん」


 そして、下働きをしている娼館がクビになっていたとシュカによって知らされたのは、そのすぐあとのことだった。


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