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47. ウサギ兄妹



 バードックスの住処での出来事の翌日。

ペンション『月の宿』は、通常の落ち着きを取り戻しつつある。

 カノくんは、あれからまだ目を覚まさない。今まで相当の疲労を溜め込んできたのか、ずっと眠り込んでいる。師匠の話によると、もうそろそろ目覚める頃合いだろうという話だった。


 昼過ぎ。

 夕食準備前の空いた時間帯に中庭へ訪れると、ふたり仲良く並んで座り込むトペくんとシュカちゃんの姿があった。

 ヨッサンさんは街に用事があると言ってお昼前に出かけて行ったので、トペくんはいい子にお留守番をしている。

 熱病に効く魔術薬を飲んですっかり体調も回復したシュカちゃんは、歳の近いトペくんと一緒にいることが多かった。


「あ、おねえちゃん」


 トペくんは、ぱっと顔をあげると笑顔をこちらに向けてくる。


「ふたりで何してたの?」

「あのね、水の中キラキラしてたから、見てた」


 私の前にいた住人の趣味だろうか。川底には色違いの水晶のような石が嵌められている。太陽の光と、水面の反射によって作りあげられた光景はいつまで見ていても飽きない。

 トペくんにつられて小川を眺めていると、ふと視線を感じた。シュカちゃんが、なにか言いたそうに私のほうを見つめている。


「どうしたの? シュカちゃん」

「あの……」


 もじもじとした様子に、まだ完全に信用されてはいないのだと感じた。


「カノおにいちゃん……まだ目が覚めないの、」

「……そうだね。でも、それは疲れが溜まってるだけみたいだから、もうそろそろで起きると思うよ」

「……」


 言い聞かせるように目線を合わせ体勢を低くする。ほかに気になることがあるのか、シュカちゃんの顔は納得がいっていない様子だった。


「なにか、心配ごとがあるの?」

「…………起きたくないのかも」


 ぽつりと、そんなことを呟くシュカちゃんは、憂いげに下を向いた。

 どうしてそう思うのか、尋ねようとしたところで、トペくんが「あっ」と声を出す。


「父ちゃんだ」


 中庭を囲った柵の向こう側で、荷物を抱えたヨッサンさんの姿が見えた。仕事を終えて帰って来たのだろう。


「トペー! 帰ったぞ〜」

「父ちゃん。おかえり」

「ヨッサンさん、おかえりなさいませ。お疲れ様でございます」

「やや、娘さん。今日もトペの面倒を見てくれてありがとうございます」

「いえいえ、シュカちゃんといい子にお留守番していましたよ」


 むしろ私はなにもしていないと思う。


「父ちゃん、荷物もつ」

「おお? そうか、ありがとうなトペ」

「うん。……あ」


 手を振るヨッサンさんのもとへ駆け出していくトペくんは、一度立ち止まると、こちらに振り返った。


「おねえちゃん、シュカ、またあとで」

「うん。またね、トペくん。今日の夕食は七時からだから。待ってるね」


 確認のため時間を告げると、トペくんはコクリと頷いた。楽しみなのか、夕食と聞いたトペくんの耳がひょこっと機敏な動きを見せている。可愛いなぁ。


 クマ親子が建物に入って行くと、中庭には私とシュカちゃんの二人きりになった。


「ねえ、シュカちゃん。聞いてもいい?」


 もう一度、私はしゃがみ込んでシュカちゃんに向き直った。さきほどの話の続きをするために。


「さっき言ってたよね。カノくんは起きたくないのかもしれないって。どうしてそう思ったの?」

「……それは」


 小さく、小さく、まるで喉を押し潰しているかのように。シュカちゃんは言葉にする。


「きっとお兄ちゃん、シュカのことうらんでるから」

 


 ***



 少年は夢を見ていた。

 まだ、幸せだった頃の、数年前の記憶の夢。


『カノは妹思いの優しいお兄ちゃんね』


 そう言って自分の頭をそっと撫でてくれた母親の姿が、今も鮮明に思い浮かぶ。


『カノ! 今日は父さんと狩りに行くか』


 通常の兎の亜人の倍の跳躍と夜目が利く少年の一族は、まるで宙を自由自在に飛び回っているかのように軽い身のこなしで狩りをおこなえた。

 村の中でも一、二を争う優秀な狩人の父親とともに、少年もよく狩りへと出かけていた。


『……母さん、父さん』


 少年――カノは、今はもう取り戻すことの出来ない『幸せ』に手を伸ばす。

 しかし、触れることはできない。

 ああ、そうだ。これは夢なのだ。


 あの日、カノの両親は、一族は、無慈悲な人間の山賊たちによって殺された。

 そのきっかけを作ってしまったのは、今よりもずっと幼かった妹である。


 カノの一族は、兎族の中でも群を抜いて希少である。姿形は他の亜人の兎族と変わらないが、身体能力に秀でており、瞳は紅玉色の美しい宝石のようであった。

 その昔、カノの一族の祖先は夜紅兎(やこうと)と呼ばれ、亜人の王に仕えていたという。

 どういった経緯で一族のみ山奥に移り住んだのかは不明であるが、特に不満もなく、カノを含めた一族はのんびりとその地で暮らしていた。

 カノの知る世界は、この一族が住む村がすべてであり、この先も平和な日々が続くのだと信じて疑わなかった。

 

 だが、そうではなかった。

 幸せとは、不幸と隣り合わせの、なんて儚いものなのだろう。

 この世は非情であり、それらを作り出しているのは――カノはあの日、両親の亡骸を前に思った。


『にん、げん……人間っ!!』


 人間とは、なんて残酷な生き物なのだろう。



 ***



 事の発端は小さな意地の張り合いだった。

 カノの一族は、祝いごとになると村総出で準備に取りかかる。


 その日。カノが生まれて十一回目の年も、同じように村全体でお祝いムードとなっていた。

 妹のシュカもいるためか幼い子どもの面倒見が良かったカノは、子どもたちからも人気者で、誰が一番彼に喜ばれる贈り物をあげられるか、シュカは周りの友達同士と密かに競い合っていた。

 

 そういえば、前にカノと散歩へ村のはずれまで歩いたとき、綺麗な花が咲いていた。

 それを冠にしてカノにプレゼントできたら、きっと喜んでもらえる。幼いシュカは、大好きな兄の笑顔を思い浮かべ、花を探しにひとりで村の外に出てしまった。


 ひとりで村の外に出たことがなかったシュカは、案の定、森の中で迷子になってしまう。泣きべそをかきながらグルグルと獣道を行ったり来たりと進んでいた。

 夜になればカノを祝う祭事が始まる。焦りで闇雲に動いていたシュカは、気づいていなかったのだ。


 すぐ近くに、人間の山賊の一味が潜んでいたということを。山賊たちは偶然にもシュカの姿を見つけてしまい、名案だとあることを思いついた。


 ――亜人の毛並みは柔らかく、加工がしやすい。耳と尻尾は切り取って、赤い瞳はくり抜こう。

 変わり種を好む金持ちの貴族が喜んで買い取ってくれるだろうから。


「捕まえろ!」


 山賊の声に振り返ったシュカは、ようやく自分が置かれた立場に気がついた。

 生まれて初めて見る人間だったが、シュカは彼らが人間であるとは思いもしなかった。彼らの手には鋭く研がれた刃が握られており、恐怖したシュカは来た道を引き返した。

 幼いといえど夜紅兎の一族であるシュカは、山賊たちから逃げることができ、恐ろしい思いをしながらもなんとか村の近くまで戻ることができた。


「シュカ! なにしてるの! ひとりで村の外に出たらダメじゃないか」

「お、おにいちゃ」

「もー、本当に心配した。ほら、一緒に帰ろう」

「……うん!」


 結局、目当ての花は見つけられず、姿がないと気がついたカノによってシュカは村に帰ることができた。

 兄に手を引かれ、心から安堵したシュカは、すぐに山賊たちのことを話せなかった。

 まさか彼らが人間であったとは知らず、怖い思いをしたものの、シュカにとっては野生のクマと遭遇した感覚に近かったからである。

 もちろん野生のクマと出会っても一大事だが、人間はそれ以上に恐ろしい。

 力の差というよりは、人間は知恵を持っている。それ故に何を考えるかわからない。だからこそ恐ろしいのだ。

 それは、シュカも両親から聞いていたはずだった。良い人間もいれば、必ず悪い人間もいる。だからこそ一族はいざこざが起こらない奥地で暮らしている。

 そう、聞いていたはずだったのに。シュカにはまだ、人間の恐ろしさが理解できていなかったのだ。



 その夜、カノは盛大に村の皆から祝われた。

贈り物を用意することができなかったシュカは、しょんぼりと耳を垂らしていたが、そんなシュカにカノは優しく声をかけた。


「そんな顔しなくていいよ。オレはシュカが居て、父さんと母さんが居て、村のみんなが居て、楽しく過ごせるならそれでいいんだから」

「ほんとうに? いるだけでいいの?」

「うん。ほら、シュカ。せっかくのオレの誕生日なんだよ。笑ってよ」

「へへへ、わかった。カノお兄ちゃん」


 にっこりと笑ったシュカは、カノに抱きついて「おめでとう」と言葉にする。

 皆から祝福を受け、照れているのかほんのり頬を染めたカノは、嬉しそうにシュカの頭を撫でた。


「ねえ、あなた。わたしたちの宝物は、とってもいい子に育ってくれたのね」

「ああ、そうだね」


 その様子をカノとシュカの両親は微笑ましそうに眺めていた。

 二人がこれからもずっと仲の良い兄妹でいてくれますように。

 そう願いを込めながら、夫婦は手を取り合った。



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