46. 黒魔女さんの解決方法 その11 終
ジュニアちゃんは、カノくんが薬草を採取しようとして飛びかかったらしい。
一番最初にカノくんをバードックスの住処で見つけたとき、近くに採取用ナイフと茎から雑に折られた薬草が散らばっていた。
「ええと、この辺りに落ちてたはず……」
私は暗くて見えにくくなっている地面に、月の魔力で作った光の玉を照らし、それらを探す。
「……あった!」
伸びた雑草の影に隠れていたけれど、カノくんの採取用ナイフを見つけた。
近くには折られた薬草も落ちている。茎の先を確認すると、白い液体が付着していた。
「これ、カノくんが取ろうとしてた薬草ね、かなり危ない毒草なんだよね」
じつはアカドクソウが効かなくて魔術薬の書物を読み漁っていたときに、もしかしたらと調べていたのだ。この毒草の詳細を。
「……え?」
「似たような見た目の薬草があるから慣れてないと区別が難しいものなんだけど。素手でこの白い液体に触ると肌は爛れるし、もし茎を折った拍子に液が目に少しでも入っていたら、失明してたと思う」
カノくんは、顔をスッと蒼くさせた。
失明と聞いてビビらせたのかもしれない。
「ジュニアちゃんは微弱だけど、臭いでわかったんだと思うよ。どんな毒草かわからなくても、野生の勘で危ないって」
「……そんな。ねぇ、そうなの? お前、だから急に出てきたの?」
「きゅい」
カノくんが慌ててジュニアちゃんに話しかけた。何となくだが、理解しているのかもしれない。
ジュニアちゃんは、母バードックスの身体の影から出ると、カノくんによちよちと近寄った。
「……きゅう、きゅい、きゅ」
ジュニアちゃんは、何回か「きゅいきゅい」と高く鳴いた。
「おどろかせて、ごめんね。だって」
「言葉、わかるの?」
「うーん、なんとなく。こう言ってるんだろうなってぐらい」
普通の動物たちと違い、魔獣はまた特殊である。しかし、稀にだがこうして察することはできた。
──ごめんね、おどろかせて。
──あぶないよって、いいたかったの。
懸命に鳴き声をあげ続けるジュニアちゃん。
カノくんは両膝をついてジュニアちゃんの目の前に座り込んだ。
「オレのほうこそ……傷つけて、ごめん、ごめん。痛かったよね、本当に……ごめんなさい」
「きゅぅ」
そっと、カノくんはジュニアちゃんの頬の毛に触れた。ジュニアちゃんは、その手を受け入れて、嬉しそうに目を細める。
謝罪するカノくんに対して「いいよ」と言ったように聞こえた。
「はい、それじゃあこれ、ジュニアちゃんに飲ませてあげて」
私はカノくんに、ジュニアちゃん用に調合した魔術薬を渡した。
『魔女様……! 魔獣のわたしたちの薬も作れるんですね』
「はい。前にいた森で、同じく魔獣に渡したことがあって、要領はなんとなく覚えていました」
それにしても、魔女様って慣れない。たしかにリリアンは村の人からそう呼ばれていたけれど、私は違ったので違和感でしかなかった。
「きゅい、きゅい」
「治った……! よかった……」
いつの間にかカノくんはジュニアちゃんに魔術薬を飲ませていた。
ナイフの傷が綺麗に消えたジュニアちゃんは、パタパタと羽を動かしてカノくんの周りを走り回っている。
羽は動かしているが、まだ飛べないらしい。
「わ! ちょっと、元気になりすぎっ」
「きゅ」
後ろ足で立ち上がったジュニアちゃんは、前足をカノくんの太ももに乗せて尻尾を振っている。行動がまるで懐っこい飼い犬みたいで可愛い。
『ジュニアが、あなたと友だちになりたいって言ってるわ』
母バードックスは、そうカノくんに教えてあげた。
「オレと……? でも、」
『あら、遠慮してるの? ジュニアも軽い傷で済んだし、それに急に飛び出したこの子にも非があるもの。あとのことは、あなたとジュニアで決めてね』
「きゅーい」
ジュニアちゃんは、ねだるような鳴き声を出す。
あああ……羨まし……ううん、とても微笑ましい。
「じゃあ、オレでよければ……よろしく、ジュニア」
「きゅ!」
「うわっ」
嬉しさあまってジュニアちゃんは、カノくんの体に飛びついた。よろけたカノくんは、地面に尻もちをついて「いたっ」と小声で言っている。
『あなたがよければ、いつでもジュニアの遊び相手になってあげてね。──そういうことだから、わかったわね、あなた……?』
『うっ』
母バードックスは、大岩の前でヘタレている父バードックスをじろりと見て、釘をさしていた。
ジュニアちゃんが傷つけられて怒るのはもっともだったが、大騒ぎをして森の皆さんにまで迷惑をかけたことを母バードックスは申し訳なく思っているらしい。
『いちおーこれで一件落着。いやーよかったよかった。あ、魔女ルン知ってる?』
「なにがですか?」
私の頭の上が定位置で落ち着いてしまった主さんが、コソコソと耳打ちしてくる。
なんでも、バードックスの子育てで過剰に神経質になるのは大抵父親らしい。
母親の場合、お腹の中で赤子が育っているうちに母親としての自覚が芽生えるのだが、父親は赤子が産まれて子守り役になったとき、初めて自覚が芽生える。
だからいつも以上に余裕を無くし、冷静に考えられる場面でも癇癪を起こすらしいのだ。
『バードックスの子育てで一番手がかかるのは、案外、赤子よりも父親ってねー』
「ははは……」
うんうん、と頷き「ポポッ」と鳴いた主さんに、私は素直に笑えなかった。
いや、今回は本当に気が気じゃなかったから!
◆
「森の入り口近くの建物でペンションを開いています。魔女様って呼ばれ慣れてないので、ぜひルナンって呼んでください」
私は改めて、バードックス親子に自己紹介をすることにした。
大岩の前にいた父バードックスもバツが悪そうにだが目の前に座っている。
『……すまねぇ、オレ、こいつがいないと、いつも暴走しちまうんだ。そのたびに怒られる』
今回の騒動を詫びながら、父バードックスは、隣にいる母バードックスに視線を向けた。
かかあ天下とまではいかないけれど、この夫妻は完全に母バードックスの尻に敷かれているな。
『少し狩りに出ているだけでコレなんだもの、本当に先が思いやられるわ! それに、魔女様の肉体の一部を約束事に持ち出すなんて! どういうつもりだったのよ!』
『絶対に持ってこられねぇと思ったから……こっぴどく懲らしめて、帰らせるつもりだったんだよ』
え? 本当に? 本当にですか?
失礼だが、つい疑ってしまった。
ほら、カノくんも同じ顔をしている。
『まあ、小僧には毒も入れたから……無事に帰せてたかわからねぇけど』
正直な話、父バードックスは、生死は自分に関係ないと思っていたようだ。
『そんで……もし、仮に魔女様の肉体の一部を持ってこようもんなら、それこそそいつも懲らしめてやろうと』
『まあ、それは同感ね』
「え!? それ、どういう……」
急に手のひらを返した母バードックスに耳を疑った。
なにがどう同感なのか。
『魔女様。わたしたち一族の祖先は世界大戦で行き場をなくしていたとき、各地を放浪中であった魔女様に助けられて生き永らえたんです。人間同士の争いで住む場所を追われた祖先は、そのとき現れた魔女様によって一族の住処を作ることができた。絶対に人間が干渉できないよう、魔女術まで施してくださった』
バードックスは群れをなして生きている。こうして子育ての際は番とともにべつの住処を作って移り住むが、最終的には生まれ故郷に帰るといわれていた。
この母バードックスと父バードックスが生まれた一族の祖先と、魔女との繋がり。こんなところにも魔女の影響があるだなんて、目を洗われる思いである。
『わたしたち一族の中では、魔女様は偉大な方。敬愛すべきお方と、そう群れの長から教わってきました。……だから、魔女様の肉体を枯骸にするなんてとんでもない! 冒涜以外の何ものでもないんです』
「そういった意味の、同感、だったんですね」
『はい。……まぁ、その前に魔女様の肉体を約束事にする時点であり得ないんですけどね』
『だから、試しただけだって言ってんだろ!』
『その試す内容がもうダメなのよ! 長に言いつけてやるんだから!』
「きゅう?」
大きな魔獣の夫婦喧嘩にも慣れてきてしまった。
ただ、子どもの前では控えたほうが……ほら、ジュニアちゃんが不思議そうに二匹を見ている。
それにしても、私が魔女でもなく、ただの人間で魔女の肉体の一部を用意できてしまっていたら……結局は冒涜だと言われて駄目だったってこと?
うわあ、魔獣は約束を違えることはしないんじゃなかったの。この父バードックスは例外なの?
ジュニアちゃんが怪我して冷静さが欠けていたとはいえ、このお父さんてば……。
うん、深く考えないでおこう。
魔女で本当によかった、私。
「色々あったけど、無事に済んで本当に良かった。ね、カノくん。──カノくん?」
すぐ隣にいるカノくんから反応がない。どうしたのかと目を向けると、ふらりと体が前に倒れだした。
「わっ!? カノくん、どうしたの!?」
「…………」
「きゅう、きゅい!」
ジュニアちゃんも心配してワタワタと動いている。慌てて傾いた体を支えると、
「…………すぅ」
聞こえてきたのは、静かな寝息だった。
「寝ちゃったんだ。あぁ、びっくりした」
それもそうか。もう夜も明けてしまう。
かなり体に負担があったうえに、父バードックスと対面して気を張りっぱなしだったのだ。限界がきてしまったのだろう。
「きゅ?」
「大丈夫だよ、ジュニアちゃん。眠ってるだけだから」
「きゅう……」
「また、元気になったら一緒に遊びにくるね」
「きゅい!」
カノくんの体を魔女術で浮かせたあと、元気よくお返事をしたジュニアちゃんの頭に触れる。
想像以上に毛が柔らかい。ふわふわ。何これ、赤ちゃん毛って柔らかすぎて溶けちゃいそう!
はあ、元気が出た。
「カノくんを部屋まで運んで休ませるので、また後日、ここに来ても大丈夫ですか?」
『はい、もちろんです。その子が元気になったら、いつでも遊びに来てくださいね』
「はい。ありがとうございます」
お礼を言うと、父バードックスが近寄ってきた。
『……その、本当にすまなかった。小僧にも、そう伝えてくれ』
『あなた、自分の口から伝えなさい』
『わーってるよ! とりあえずだよ、とりあえず! 小僧が目ぇ覚ましたときにでもっ』
「わかりました、伝えますね」
布鞄を肩に掛け直し、箒に跨ったはいいけれど。布鞄からはみ出た髪の束の存在に気がついた。
「これ、本当に必要なかったですね」
『魔女ルンの髪だし、魔力たっぷり入ってるし。そーだ、祀る? 祀る?』
主さんが楽しそうに提案してくる。
「いやいや、さすがにそれは冗談……」
『うーん、そうおもう?』
主さんに促され、ふとバードックス夫婦を見る。彼らの目は本気だった。
森の木々に留まった鳥や、草木に潜んだ動物たちを確認すると、やはり彼らも物欲しそうにしている。
「いや、いやいやいや! 今日は持って帰ります!」
髪の毛も、品物によっては調合に使えるからね。そうしよう、再利用は大切。
『あれー。そっかー。残念だったねーみんな』
森全体から「ふう……」とため息のような風が吹いた気がしたけれど、私は何事もなく髪の束を布鞄に入れ直した。
「それでは、また近いうちに」
次こそ箒に跨り、ふわっと浮いて地面を離れる。眠っているカノくんは、同じく後ろに跨る姿勢で乗せた。
星屑を散りばめた空は、だんだんと白みを帯びている。
もう、こんなに時間が過ぎていたんだ。
「さ、早く帰ろう」
暁の光に染まり始めた情景を、森の上空から眺めながら、私はペンションのある方向へ箒を飛ばした。




