38. 黒魔女さんの解決方法 その3
ライオンに乗った感想は……吹き飛ばされるかと思った。これに尽きる。
体の一部のように浮遊する箒と違い、生き物の上に乗っているわけなのだ。かなり揺れるし、腰は浮くし、かといって毛を思いっきり掴むこともできず──ああ、たしかジェットコースターってこんな感じだったかもしれないと、久しぶりに地球の乗り物に思いを馳せた。
『ルナン、もっと体を預けて。それだとコロって落ちるよ』
疾風の如く駆け抜けるグランは、背中ですでにまいっている私が面白いのか、ケラケラと笑っている。この速度でコロッと落ちようものなら、かすり傷じゃ済まないと思う。だから私は必死だよ。
契約獣に乗っている人って凄いんだな。もちろん慣れとか、訓練の積み重ねもあるかもしれないけれど。これは信頼があってこそ成り立つものだと思った。
『ここを右行ってー、それでこっち。そのあとピョンッ……あれ、違う違う。こっちだった』
こんな暗がりだというのに、グランは迷いなく(?)進んでいた。夜目が利くって便利だな、と感心している間にも、景色はあっという間に置いていかれる。
『もう着くよ』
「あ、本当だ! 着いたね!」
『……?』
風を切る音が思ったよりも耳に障り、反射的に私は返事をしてしまっていた。
けれどその瞬間は、揺れの影響で脳ががくがくと震え頭が回らなかったのか、すっかりそれを見落としてしまったのだった。
◆
「あ、おねえちゃん!」
ペンションへ戻ると、入り口の階段で待っていたトペくんが急いで駆け寄ってきた。
トペくんだけではない。ヨッサンさん、ユウハさん、コクランさんに、キーさんも外で待ってくれていたようだ。
「ありがとう、グラン」
『……。うん、いーよ』
グランの背から降りてようやく息が整った。
「お、おねえちゃん……! 怪我してるの……!?」
「ええ?」
なぜか、トペくんは心底驚いて身震いをしている。ついには固まってしまった。
次に近寄って来たヨッサンさんとユウハさんも、似たように瞳を瞬かせて私を見ている。
おかしい。別段どこかを怪我したわけでもないのにと、咄嗟に自分の格好を確認する。
トペくんが驚いている理由がわかった。
「あ、違う違う! これは私の血じゃないよ、トペくん」
衣服に付着する無数の赤茶色の跡。カノくんを手当てしようとした際に付いた血がところどころで変色していた。
バードックスと対峙していたときは気にもしていなかったが、建物の照明に照らされて浮かび上がる血痕はかなり目立っている。
『あれ、ルナンの血じゃないよ。知らない子の血』
グランは初めから気づいていたのか、コクランさんのそばに寄り添って何事もなく伝えていた。
というか、血って!
「すみません、コクランさん。血がついていたのに、グランに乗ってしまって……!」
「いや、気にするな。店主を乗せるように言ったのは俺なんだ」
『そうそう。それに、もう乾いてるし。オレ黒いから目立たないよ』
てってって、と。その場でくるりと一周回ったグラン。「どう?」という顔をしてくる。たしかに黒くてよくわからないが、そういう問題じゃない。
「……だが、無事で良かった」
安堵したコクランさんの笑顔は、いつもより余裕がない。いつもと言っても、そこまで彼の笑顔の振り幅を把握しているわけではないが。
それでも気苦労を掛けてしまったことには申し訳ないと思うので、素直に頭を下げた。
「それで娘さん、その血はどうしたんですかい?」
ヨッサンさんが恐れはばかりながら尋ねてくる。
「これは、カノくんの血です」
「ルナンさん、それって……」
私の言葉に、周囲の顔色ががらりと変わった。
つまんで言ってしまったので、あきらかに勘違いをしている。
「あ、違った。たしかにこれはカノくんの血なんですが、彼は生きてます。怪我をしていましたが、大丈夫です……生きています」
慌てて私は事のあらましを説明する。
バードックスの住処で見たこと、そして父バードックスと交わした会話の内容に……少しだけ虚辞を連ねて。
「つまり……バードックスの赤ちゃんのために、ルナンさんが栄養になる食糧を、夜明け前に持って行くってこと?」
「はい。そうすれば、カノくんを返してもらえるみたいです」
「ほ、本当なんですかい? あれだけ恐ろしい唸り声を発していたってのに……」
「はい、大丈夫です。ほら、私は魔術使いですよね? 普通の人よりかは薬草にも精通していますから、珍しい植物を根こそぎ持ってこいって言われたんです。話のわかるバードックスで安心しました」
「たしかに……意思疎通できる魔獣が、そう言うなら間違いねぇ。あっしの同業の友人も、魔獣と取り引きをしたことがあるそうですが、言われた条件を守れば危害を加えてこなかったそうで。無理難題をふっかけられる場合もあるっていうのに……娘さん、運が良かったなぁ」
それを聞いたトペくんの瞳がどんどん広がっていった。耳がぱあっと開くその動作は、嬉しさからくるものだと知っている。
「おねえちゃん、ほんとうに? シュカのお兄ちゃん、大丈夫?」
「うん。……大丈夫、絶対に大丈夫だから。心配しないで、トペくん」
何度も確認するトペくんの真っ直ぐな瞳を、私は逸らさずに見つめ返した。
疑いのない真っ白な笑顔に良心が痛む。内容が内容なので、もともと言うつもりはなかったけれど。
ごめんね、全部を伝えられなくて。
だけど、絶対に大丈夫だって約束するから。
「……ありがとう、おねえちゃん! ボク、シュカのところ行ってくる!」
「あ、おいトペ! 起こしたらダメだぞー!」
軽い足取りで踵を返したトペくんは、ロビーで眠っているシュカちゃんのもとへ駆けて行った。慌ててヨッサンさんが後を追いかける。
入り口の扉は、ゆっくりと閉められた。
「……」
長く、それでいて無音の息を吐いた私は、ひとまず持っていた箒を建物の横に立てかけた。
グランの背で何度か手を離しそうになったけれど、落とさなくて良かった。
「ルナンさん。そういえばその箒、何に使ったの?」
「草木を掻き分けるのに、ちょっと……。そこまで大きくもないので、森に入るときはだいたい持ち歩いてるんですよ」
「そっか、そうなんだ〜」
ちょっと苦しいかな……? とも思ったが、ユウハさんはすんなり受け入れていた。
トペくんにはあんな風に言ったけれど、早いところ調合の準備に取り掛からなければ。
それと並行して夕食の提供も──い、いけるだろうか? 違うやるのだ、やらないと。
ああ、こんなときに従業員が一人でもいたら分担できたというのに。もっと積極的に街の掲示板に求人募集の貼り紙をすればよかった。
……とはいえ、そんなことを今悔やんでも仕方がない。
「さて、中へ入りましょうか。バードックスが言っていたように、約束の時間は夜明け前まで。それまでに私が条件のものを持って──」
残った数人に、建物へ入るように促す。
私が段差をあがろうとしたところで、ふいにキーさんが口を開いた。
「──条件のものって魔女の肉体を? どうやって持って行けるんだい、お嬢さん」
「……!」
振り返ると、肩に乗った小さなコンに手を触れるキーさんと目が合った。
私が戻って来てから、彼は遠目にこちらの様子を確認していると思っていたけれど……いつの間にコンが?
たしかグランと一緒に私を捜してくれていて、途中ではぐれたって言っていたけれど。
まさか、あの住処のどこかから見られていたのだろうか。
「……なんのことですか?」
苦し紛れのなか笑顔を作った私に、キーさんは見透かしたように瞳を細めた。
「説明したほうがいい? コンがあらかた教えてくれたよ」
「……」
なんだってー!
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