34. 発見!
本日二話目の投稿です。
カノくんはいた。
無事ではないが、まだ生きている。
それだけで、希望の光が見えた気がした。
「……カノくん!」
彼は威嚇を続けるバードックスと距離をとり、両膝をついて苦しそうな呼吸を繰り返している。
肩口を噛まれているようで、今もとめどなく血が流れ続けていた。
上空から一気に下降する。ポケットに収まるリスさんが、「チチチー!」と悲鳴をあげていた。おそらく浮遊感が凄まじくて耐え切れなかったのだろう。
私もこんなに乱暴な飛行をしたのは初めてだった。気を抜けば自分も酔ってしまいそうで、奥歯を強く噛み締める。
地面に近づき、一足先に師匠が着地した。
「カノくん、大丈夫!?」
タイミングを計り私も降りる。箒を置いて、踵を蹴ってほぼ倒れ込んでいるカノくんの横へ駆け寄った。
「……なんで、あんた……うっ」
意識が朦朧としている。けれど、街で一度会っただけの私を覚えているのか、瞳が驚愕に染まっていた。
背中に添えた私の手を煩わしそうにしているものの、振り払う体力は残っていないようだ。
『ああん? なんだテメェ。どっから来やがった』
怒る声音にはっとして、私はカノくんから視線を前に向けた。
ギラギラと光を帯びた双眼が、暗闇の中ではっきりと浮かんでいる。今にも噛み殺されそうな、血走った強烈な眼光には、憎悪が浮かんでいた。
――うわ、実物……怖すぎる!!
二メートルは余裕で超えている巨大な犬……こう見ると狼のほうが近いかもしれない。そんな身体を覆い隠せそうな両翼が、何度も上下に動いて突風を起こしていた。
雄の、おそらく父親であるバードックスが、目の前にいる。
冷や汗が背筋を伝い、圧迫感にじわりじわりと喉が干上がっていった。
「ルナン、保護の術をかけるんだ。その小僧にもな。わしは構わんでいい」
「わかっ、た」
こっそりと伝えてきた師匠の言葉に、私は咄嗟に保護の術を自分の身と、カノくんにかける。四方八方から吹き荒れる風で、集中するのが困難になっていたが、何とか持ち堪えた。
『おい。聞こえてんのか、人間。テメェもそいつの仲間か? 答えねぇなら今すぐに噛み殺すぞっ!!』
「な、仲間なわけ……ない、じゃんかっ……」
想像していたよりも荒々しい言葉遣いのバードックスに、反論したのはカノくんだった。
カノくんがバードックスの言葉を理解している、ということは……このバードックスは種族関係なく意志を伝えられるのだろう。
知能が高く、力が強い魔獣は、相手が普通の人間であっても意思の疎通ができるという。バードックスは、その魔獣に該当していた。
しかしそれは、人が魔獣の言葉を理解しているのではなく、魔獣が人の意識に自分の意志を同調させ言葉に変換しているという、なんともややこしいものなのだ。人が喋りたいと思って意思疎通できるものではなかった。
けれど、カノくんにも、この父バードックスの言葉が聞こえるのなら話はしやすい。
『ふん、仲間じゃねぇか。仲間ってんなら、まとめて食らってやろうと思ってたんだけどなぁ……まあ、どっちにしろここまで来た以上、テメェの息の根も止めてやるよ! そこの兎を殺した後でなぁ!!』
父バードックスは酷く興奮していた。私はちらりと、怒り狂う彼の足元に注目する。
「あなたが怒っている原因は、その子ですか?」
父バードックスの体の下には、小刻みに震えている赤子のバードックスがいた。
全長は、まだ小型化したグランとそう変わりない。あの子が師匠の言っていた産まれたばかりの子どもなのだろう。
先ほどから、「きゅい、きゅい……」と、か細い鳴き声をあげていたので気になっていた。
じっと目を凝らすと、赤子バードックスの背中が赤黒く滲んでいるのが見える。父バードックスが怒っている原因は、きっとそれにある。
「怪我を、しているんですね?」
『見りゃわかんだろーが! そこにいる兎の小僧がやりやがったんだっ!』
ヤンキー感のある話し言葉に気圧されながらも、私は隣の様子を窺う。
カノくんは、赤子バードックスから顔を逸らしていた。後ろめたい思いがあるのだと、言っているも同然である。
「そ、それは……薬草を採ろうとしたら、いきなり飛びかかってきたから……驚いて、ナイフ振り回して……っ」
よく確認すると、地面には1本の短いナイフが転がっていた。
研ぎ澄まされた刃の部分には、赤子バードックスの血が付着している。
「あの! 赤ちゃんの怪我の具合を確認させてもらえませんか?」
『ふざけんじゃねぇ! 人間に何ができるってんだ!』
あ、で、でで、ですよね。
だけど、赤子バードックスのあの怯えよう……怪我のせいもあるけど、絶対に父親の殺気に中てられている気がするんだけど。
保護の術で身を守っている私でも怖いもの。父親であろうが、足元で殺気を浴び続けたらそうなっちゃうよ。
『ああ、一発で仕留めれば、今ごろコイツの傷を癒す糧にしてやれたってのに。兎の亜人でも、少しは役に立てんだろ』
「う、く……!」
『ハッ! なんだ、そろそろ毒が回る頃だったか?』
「ど、毒って……」
父バードックスの言葉に、私は急いでカノくんの肩を掴む。
う、それにしても本当に酷い出血。血が極端に苦手なわけじゃないけれど、ここまで溢れていると目眩がしてきそう。
「ちょっと、ごめん。見せて!」
「さわ、るな……っ」
緊急事態ゆえ、その言葉は聞かなかったことにした。私は、ほぼ破かれた状態の衣服を捲りあげ、じっと噛み跡を確かめる。
「これ……」
流れる血液に混じって見えたのは、濃い紫色の液体。それが傷口から血と共に流れ出ていた。
バードックスの毒で間違いない。
バードックスには、犬と同じように門歯、犬歯、前臼歯、後臼歯などがある。
そして、その他に毒歯という、獲物に噛み付いた時、傷口から毒を注入することのできる歯が生えていた。
毒の量は調節できるようだが、おそらくこの父バードックスはカノくんを殺す気で噛んだはず。出血量に加え、毒が全身に回ってしまえば――
「て、手当て! まず手当てを……!」
頭をぶんぶんと振る。自分にできることをしなければ。
私は破れたカノくんの衣服を用いて、傷口を縛ろうと考えた。この際、血を触ってしまうけれど仕方ない。
「や、めろ……!」
『やめろ、人間の女。動いたら、テメェから首を噛み切んぞ』
父バードックスと、あろうことかカノくんからもストップがかかってしまった。
今まで以上の禍々しい殺気を向けられ、私の体はじわりと硬直していく。保護の術を使っていたとしても、殺気はどうすることもできない。
「ルナン。一度、動きを止めるんじゃ」
私の体の影に隠れていた師匠が、そっと助言する。師匠は今、私にだけ聞こえるように頭に直接呼びかけている。
これならば、父バードックスに気づかれることなく、師匠の声を聞くことができた。
「こやつ、赤子を傷つけられて頭に血が上っておる。下手に動けば、翼で鎌鼬をぶつけられるな。お前の保護術は安定してきておるが、まだ完璧とはほど遠い。万が一に、気が抜けてひとつでも通せば致命傷だ。お前が死ぬぞ」
――え、それって、どうすればいいの? 無理すぎない?
「落ち着け、兎の小僧が心配なのはわかっておる。だが、様子を見るぞ」
師匠の言葉に、私は心の中で頷いた。
とんとん、と。師匠は尻尾の先を使って私の背中を叩いている。もしかして、震えているのがバレていたのだろうか。
ありがとうございました!




