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32. 怒り



 兄を失った悲しみを、身をもって感じたことのあるトペくん。

 つい先ほど出会ったばかりであるはずのシュカちゃんを、トペくんは自分になぞらえていた。

 だからこそ、シュカちゃんのお兄ちゃんが万が一の事態となって自分と同じ思いをして欲しくないと、助けることはできないかと私を頼ってきたのだ。

 だが、産まれたばかりのバードックスの赤子がいる森の奥は、父親の警戒が強いため容易に近づいてはいけない。

 

 ――そう、頭では理解しているのに。


 トペくんの顔を見て、私はこんな状況にも関わらず小さく吹き出してしまった。

 まるで、無理やり笑って自分を奮い立たせているかのように。


「トペくん」


 下からこちらを見上げるトペくんと目線を合わせようとして、私は両膝を床につけた。

 ……我ながら、浅はかな考えだと思う。それでも、こうしてじっとその場で苦悩するよりはマシだと自分自身に言い聞かせて。


「今から森に入って、シュカちゃんのお兄ちゃんを探してくるね」


 穏やかに穏やかにと、安心させたいがための作り笑顔はきっと完璧だったのだろう。

 わかりやすく感情を表したトペくんの丸まった耳が、花が咲くようにパァっと広がりを見せていたから。


「おねえちゃん――」

「え、え? ルナンさん、本気なのっ!?」


 トペくんの言葉と被さって発せられたのは、ユウハさんの声だった。

 驚きでうわずった声になっているユウハさんが、私と同じように身を屈めて尋ねてくる。


「はい、少しだけ」

「いや、いやいや! さっき自分でトペちゃんにも言ってたでしょ? 森の奥には行かないようにって」

「そうなんですが、こうしていても埒が明きませんので」

「だからって娘さん。それじゃあ娘さんまで危ない目に遭いかねねぇぞ! トペを想ってそう言ってくれてるんでしょうが……その気持ちだけで十分だ」

「確かにそれもありますが、私はこの『月の宿』の店主です。森の中に建物がある以上、ここに危険が及ぶ可能性だって捨て切れません。お客様に安心してお過ごしいただく為にも、様子を見に行ってきます」


 尤もらしい言い方をしてはいるが、完全にこじつけだった。ユウハさんとヨッサンさんの目からも、そう言いたげな雰囲気が強く伝わってくる。


「――それなら、俺も共に行こう」


 腕を組み、様子見といったように話の流れを見守っていたコクランさんが、そう静かに口を開いた。


「コクラン、なにを……」


 そして彼の発言に、キーさんの眉がわずかに寄ったのが見えた。


「そ、それは駄目です。コクランさんはお客様なんですから、ここにいてください」


 まさかコクランさんが同行を言い出すとは思わなかった私は、慌てて首を横に振る。

 それにコクランさんが一緒だと気兼ねなく魔女術が使えない。森の住民である動物たちにシュカちゃんのお兄ちゃんのことを尋ねたりしたときに、不審に思われてしまうかもしれないし。

 何より、お客様を危険な目に遭わせない為に様子を見てくると言っている手前、コクランさんを連れて行くのは完全に矛盾している。


「だが、店主は引く気がないのだろう? 驕るつもりはないが、店主が単独行動をするよりは……そちらの二人も納得がいくんじゃないのか?」

「ルナンさんひとりよりは、そうだけどぉ……」

「うむむむ……」


 なんで微妙に納得した空気を出しているんですかユウハさんとヨッサンさん! 二人ともコクランさんの力量とか知らないのに。私も知らないんですけどねっ!!

 確かに強そうな空気は纏ってるんだけどね、コクランさんて。でもあからさまにコクランさんが行く流れに持っていかないで欲しいのです。お願いします。


「おにいちゃん、つよい?」


 不意に、トペくんがコクランさんのもとに近づき、ズバリと言ってのけた。

 私たちがなかなかストレートに訊けないことをこうも簡単に。子どもってすごい。


「そうだな……」


 素直なトペくんの問いに、コクランさんは考える素振りを見せると――。


「彼女を護るだけの力は、持ち合わせているつもりだ。だから、そう不安そうな顔をしないで欲しい」

「……うん!」


 不器用ながらも、トペくんの両耳の間に手を乗せたコクランさんは優しげな声音で頷き、釣られたようにトペくんは威勢の良い返事をした。


 待って、トペくん。うん、じゃない。

 とても頼もしい言葉なんですが、どうしよう……あれ、本当にどうしよう?


「――話はまとまっておらんようだが、悠長にしている暇もないようだぞ」


 私が内心で焦りを滲ませていれば、カランコロン、と入口のベルが鳴った。

 皆の視線が下へ下へと落ちていく。ぽつりと扉の前に座る黒猫は、こちらをじっと眺めていた。


「師匠!」


 ユウハさんが、「師匠?」と首を傾げる。そういえば、名前は伝えていなかった気がする。

 そんな突然現れた珍しいネーミングの師匠を、全員が注目していた。


「こやつが、ルナンに会わせて欲しいと言っておったからのう。連れてきたんだ」


 私にだけ聞こえる師匠の言葉。

 連れてきた、と言った途端、師匠の背からひょっこりと一匹のリスが顔を出した。


『ルナン』


 私の名を呼ぶリスは、いつも畑作業の最中に顔を出してくれる、あのリスだった。この間は二十日大根もどきを渡したらとても喜んでいた。


 だが、今は異常とも言えるほど震え上がっている。パニック気味になっているのか、言葉が途切れ途切れにしか聞き取れない。

 けれど、この子がなにを言いたいのか、私は瞬時に理解した。


「男の子が、住処の内側に……?」


 バードックスの住処は、鳥の巣などとはわけが違う。

 まず、子育てに適切な寝床となる住処の中心を決める。その中心を決めると、中心から一定の距離を感覚で測り、円を描くように木々に唾液や尿などで印を付ける。

 その印を一歩でも越えると、印をつけたバードックスに伝わるようになっていた。

 森の入り口に引く、私の境界線と少し似ているかもしれない。


 リスの報せは、そのバードックスの付けた印の内側に、『男の子』が入ったというものだった。


「のう、ルナン。こやつの云う少年とは、兎の亜人だったそうだぞ?」


 私の考えを読み取るように、師匠が言ってくる。

 全身から血の気が引くのを感じた。


「そんなの、どう考えたって……」


 シュカちゃんのお兄ちゃん――カノくんのことだ。


「店主、どうしたんだ?」

『顔が真っ青だよルナン。だいじょーぶ?』


 コクランさんと、グランの声が耳をかすめる。


「その、」


 言葉に詰まる――その時だった。


『ガアアアア!!』


 届いたのは、神経に突き刺さりそうな耳を劈く――獣の声。

 

 腹が抉られていくような不快感が襲う、雑音に似た鳴き声は、建物を振動させた。

 長く、長く、反響し余韻を残しては響き渡る。


「ううっ」


 あまりの音に耐え切れなかったトペくんは、自分の手で両耳を折りたたむと、その場にうずくまってしまった。

 人よりも敏感に音を拾ってしまう亜獣人たちにはかなり辛いのだろう。トペくんだけではなく、獣の耳を持つ面々は同じように顔を歪めていた。

 気圧されてしまう原因は、大きな声だけではない。魔力の圧がここまで飛んできているのだ。

 

 この凄まじい怒号の出どころは、言わずもがな――森の奥。


「……どうやら、一足遅かったようじゃな」


 どこまでも呑気に聞こえてしまう師匠の悟った言葉に、私は外へと飛び出していた。



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